第二十三話 『約束の丘』 5. 激烈! お笑い論
「……だから俺はこう言ってやったのさ。このタマなし野郎め、おまえはママの中にタマを置き忘れてきたんじゃないのか、って」
「ほうほう」
中途半端な間食を終え、つま楊枝をしーはーしーはーさせながら、桔平が下品な顔をゆがませる。
嫌悪感バリバリの周囲の視線も何のその、今やリトル桔平とも揶揄されるようになったケイゴが、その向かいから笑顔を向けていた。
食いつくように身を乗り出す桔平に目線を合わせ、ケイゴが幸せそうな笑顔で続ける。
「すると奴はこう言った。どうして俺のお袋にタマがついていることを知っているんだ、ってね」
「……」口をポカンと開けた桔平の時間が停止する。続けて訪れたのは、いつもの下品な爆笑だった。「だっはっは! すげえな、アメリカン・ジョーク」
「ええ、すごいでしょう、アメリカン・ジョーク」うんうんと頷く。「ドラさんから教えてもらったんですけどね」
「ロシアンの方か!」
だっはっは、と二人で笑い合う。
その様子を夕季は遠くから眺め続けていた。
何とはなく淋しげな表情で。
遠巻きに夕季が見ているのに気づいて、桔平が大声で呼びかけた。
「お~い、夕季!」
「……恥ずかしいから大声出さないで」
そそくさと歩み寄り、周囲をうかがうように小声を出した夕季に、まるで気を遣う素振りも見せずに桔平がぶちかます。
「おまえ、ぶっちゃけ、俺とこいつとどっちがおもしろいと思う?」
「どっちでもいい」軽蔑のまなざしを向け、ぶすりと突き刺す。「どうでもいい」
そのリアクションに、桔平がガッカリ感丸出しの表情になった。
「どうでもいいってこたねえだろ。おまえごときのレベルで専門的なとこまでわかんねえのは仕方ないが、まあ、素人の直感でいいから言ってみろ。おこんねえから」
「……」
「いきなりそんなこと言われても難しいですよ」にこにことケイゴが夕季へ振り返る。「なあ」
「つまんねえ奴だな。まあ、おまえなんかの意見じゃ参考にもならないだろうけどな」
「それじゃかわいそうですよ。いくら知識が乏しいからって、そういう人達を笑わせてナンボなんですから。ナマ優しいまなざしで見てあげなきゃ」
「いや、こいつもけっこー勘違いしてやがるからな。俺がナマ優しく拾ってやってるから会話が成立してるのに、的確なコメントしたと思ってすぐドヤ顔しやがる」
「ま、ありがちですけどね。そこは許してあげましょうよ。所詮アマチュアなんですから」
「……」夕季がムッとなる。「どっちもつまらない」
途端に二人の顔が凍りつく。
「何~!」
「まあまあ」歯を剥き出して睨みつける桔平に対し、ケイゴは笑顔を崩さずに夕季の方へ目をやった。ビキビキとこめかみに青筋を立てながら。「いるんですよね。自分の基準からはずれると、すぐつまらないって言い出す奴」
「まったくだな!」腰に両手を当て、桔平が仁王立ちする。「審査員だって単におもしろいかどうかじゃなくて、テクニックとか斬新さとかいろいろな方向性を見定めて審査しているのに、そういう奴に限って、俺はあのグループの方がおもしろかったのにな、って、すぐケチつけやがる」
「それ、昨日の柊さんですね」
「おお、また木場んとこで観ようぜ。しの坊、録画失敗しやがったからな」
「木場さん、早く帰ってほしそうでしたね。プラモデル作りたかったみたいでしたよ」
「触っただけで怒りやがったな」
「触っただけじゃなくて、明らかに何個かは破壊してましたけどね」
「しっかし、あの審査はおかしいだろ。どう見ても○○○の方がドッカンドッカンきてたのに、○○はねえだろ、マジで。俺は○○で一回も笑ったことねえ。木場が笑ってるの見ただけでハラ立ってきたぞ。全国展開とか、あいつら絶対事務所のゴリ押しだろ」
「いや、あるんですよ。その人達がそこにいるだけでうまれてしまう笑いというのが」
「なんだそりゃ」
「説明しましょう」
「いや、いらんが」
「関○の方に多い笑いの文化らしいんですけど、こいつらまたしょーもないこと言いやがるぞ、っていつかいつかと待ちかまえてて、ほらやっぱりしょーもな、ドッカーンって感じのやつです。その立ち位置に存在しているだけですでにコントに組み込まれたような形になっていて、わかっててもおかしいんですよ。決して薄っぺらいわけじゃない。この場合、こないんか~い、もありですね。あれ、なんでこいつら、またこんな場違いなところにいんの? こりゃ、絶対やらかすぞ~、って、奇妙な期待値でハードルが下がってる特殊な状態なんです。いわゆるホームですね。審査員がそれを知っていれば、始まる前からすでにエアコントとして成立してしまっていて、その分有利なんじゃないかという説もあるようです」
「無理やり語ったな」
「ええ、おかげでスッキリしました」
「いや、でもそりゃ、一発勝負のコンテスト形式に持ち込んじゃいけねえやつだろ。初めて見た人間が思わず笑ってしまうのが、本当の笑いだと俺は思うぞ」
「それも説明しましょう」
「いや、だからいらんのだが」
「逆に関○はインパクトだけのその場しのぎばかりだとよく批判されますよね。キャラありきっていうんでしょうか。わかりやすい分、伝わりやすいですけど、文字どおり一発屋の使い捨てが多いですからね。それも計算された上でですからタチが悪い。昔のように、追いつめられた芸人達に、ゴリ押し状態で○んこちんち○のようなミラクルが起きるのは、近代演芸ではほぼ皆無と思われます。お遊戯レベルのピン芸人が九割方以上を占めている中で、彼らと同列以下扱いされて埋もれてしまう本当の実力者達は、さぞかしやりきれないことでしょうね。○ッドスネーク・カモンのように殿堂入りする可能性はほぼゼロと言っていいでしょう」
「それをシラフで聞かされる方は、これまたかなりやりきれないわけだがな」
「あいすいまてん。ちなみに僕的には、全国へ出て待つことを覚えた関○芸人が最強だと思っています」
「大リーガーみたいだな」
「同じようなものでしょう」
「どっちもどっちか。やれやれだな。まったく、ほんとのお笑いってのはどこにあるんだろうな……」桔平が遠い目をする。「かく言う俺は、お笑い不毛地帯と呼ばれた○○○の出身だがな」
「めちゃめちゃ最悪ですね」
「いやあ、自分でもよく偉そうに言えたモンだとあきれちまったよ」
ニャハハハ! と笑い合い、二人が置き去りにされた夕季に再び狙いを定めた。
「と、ここまでフラグを立てて、なおかつ聞いてやる。おまえにとっての笑いとはなんだ」
「……」
夕季が戸惑い、ぐっと顎を引く。
それでも桔平の追従は容赦ないものだった。
「それだけ言いやがるんだ。当然おまえなりのポリシーってやつを持っているんだろう。聞いてやるから言ってみろ」
「……そんなの、興味ない」
「興味ないだあ!」仁王像のポーズ。「興味ないのにあんな偉そうに言いやがったかあ! あんな人を馬鹿にしやがったかあ! おもしろくない地球人ってゴリリンのことかあ!」
「柊さん、よだれ出てますよ」
「あ、うむ……」気を取り直す。「興奮してしまったじゃねえか。こいつが何の根拠もなく俺達の批判をしたとわかって」
「わかりますよ。知ったかぶりで人の意見を否定するのは史上最低ですからね」
「おお、せめて俺達が納得できるだけの裏づけがあるなら、いたしかたないと思ったんだがな」
「ありますよ、きっと。こいつだってやみくもに人を批判するような奴じゃない」
「そうだな、俺も少し大人気なかった」
ふいに二人が優しげな顔になる。
「さあ夕季、言ってみろ。おまえのおすすめのスペシャル・コンテンツを」
「遠慮するなよ。大丈夫だ。バカにしたりしないから」
うふふうふふ、と迫る似非笑顔。それは看破による勝利を確信した、大層嫌らしいものだった。
危機感を持ち退いた夕季が、ついには壁際へと追いつめられる。
「さあ」
「ほら」
「……」
「さあ、言ってみな」
「ほら、言ってごらん」
「……」
「さあ、どうした」
「ほら、さんはい」
「……」
「ん~?」
「ん?」
「……」
「ふ……」
「……?」
「……」
「……」
「……」
「……。……。……○ムとジェ○ー」
「……」
「……」
二人の顔が一瞬で氷結する。そして諦めを帯びた表情で互いを見合うのであった。
「……あれは」
「……ありですかね。かなりのスタンダード・ナンバーですけど」
「やつら常に全力だからな。確かに学ぶものは多い。真ん中のやつとかもかなりヤバいし」
「僕はクリスマスのやつを観て泣きそうになりましたよ。つい先日のことですが」
「大人になってから観るとまた違った発見があったりしてな」
「バージョンによってばらつきはありますが、トータルでみれば他の追随を許さないことでしょう」
「ありっちゃありか。○ッ○ーじゃまったく笑えねえのにな」
「同感です。仕方ないですね」
「……。○ッ○ーも好きだけど……」
夕季がほっと胸を撫で下ろした。すぐに何かがおかしいことに気がつき、ムッとなる。
が、すでに桔平とケイゴは気持ちを切りかえずみだった。
「これからケイゴと飲みに行くんだけど、おまえも来るか?」
「……いい」
「なんだ、ノリがわりい奴だな」
「酒が飲めないと間が持たないんですよ」
ガッカリ感がハンパない様子の桔平をおもしろそうに眺め、ケイゴがフォローを入れた。
「何でも好きなモン食ってりゃいいのによ」
「酔っ払いの話にシラフでつき合うのも苦痛でしょうしね」
「誰が酔っ払いやねん、ウィ~」
「あ、すごいですね。ウィ~だけで酔っ払いを表現してしまいましたね」
「おいおい、おまえはどの角度からも拾ってくるな」目を見開いて感心する。「さすがは俺の弟子だ」
「あ、俺、弟子入りしてたんすね。初耳です」
「ほんとよ、アメリカ人にしとくにはもったいねえぞ」
「誰がアメリカ人デースカー!」
ニャハハハ!
下品に、そして楽しげに笑い合う二人の前で、夕季はただポツンと立ちつくすだけだった。
「おい、木場としの坊も誘ってくか?」
「いいですね」爽やかに頷き、それから夕季に顔を向けた。「下で待ってるからな。もし他に用がなければつき合えよ」
「……」黙ってケイゴの顔を見つめる。
ケイゴもそれをごく自然に受け止めていたが、やがて桔平のテンションが仕向けられるとそちらへと意識を差し向けた。
「ネオン街が俺達を呼んでるぜ」
「街はきらめくパッションフルーツですからね」
「おお、ミステリアスガールがウイゲッチューだ!」
「ウィゲッチューですね」
「げはははは!」
「はははは……」
「なんの話?」
いつの間にか、桔平のそばに雅がやって来ていた。
無反応の夕季とは対照的に、桔平とケイゴがありえないほどの笑顔を差し向ける。
「おう、みっちゃん。今からケイゴと飲みに行くんだけど、こねえか?」
「ええ、マジ?」はいはいは~い、と手を上げる。「行きたいであります」
「食べ放題だって」
「マジで?」
「おう、これからスポンサーの木場を召喚するところだ」
「よーし、今日は飲むぞ~」
「いや、未成年は飲んじゃ駄目だからな……」
「とんでもないミステリアスガールがゲッチュですね」
「ひがんじゃってまあ!」
「何言ってんだ……」
楽しげに笑い合う三人を、夕季は複雑そうな面持ちで眺めていた。
とりわけ、ケイゴの横顔を。
遠い昔の面影が今にも振り返りそうなその距離から。
その二日後、新たなプログラムの発動が確認された。
沈黙のプログラム『スコクス』の恐ろしさを、その時点では誰もまだ知る由もなかった。