第二十三話 『約束の丘』 3. バカが二人に!
とある午後、メック隊に用があり待機所を訪れた桔平が、聞きなれた声の言い争いを耳にし、足を向けた。
休息所にファイティング・スタイルの礼也と、不敵に笑いかけながら紙コップの飲料水を流し込むケイゴの姿が見える。
困惑する光輔とあきれた様子の夕季から察するに、二人は一触即発の状況だった。
「どうした? おまえら」
四人が一斉に顔を向ける。
最初に弾けたのは、やはりこの人物だった。
「ああ! 何でもねえよ、こいつがムカつくだけでよ!」
般若の形相でケイゴを睨みつけた礼也を、やれやれと言わんばかりに桔平が見返す。
「何、そんなムカついてやがんだ。顔で勝てねえからか?」
「そんなんじゃねえよ」けっ、と吐き捨てる。「顔のことであんたなんかにとやかく言われたくねえな」
「なんだと!」
するとケイゴがニマニマと余裕めいた笑みを浮かべ、桔平に何事もないふうに補足した。
「綾さんは俺にとって、はじめてえの人だって言っただけですよ」
「んなっ! おい」パニック状態で頭から湯気を噴き上げる桔平。「嘘だって言え。今なら許してやる!」
「嘘じゃないですよ。本当のことです」
どことなく綾音を思わせる大きな口もとに笑みをたたえ、ケイゴはしれっと言い放ってみせた。
「なぁにぃー!」キッと礼也へ振り返る。「かまわねえ、礼也、こいつぶっ殺せ! 命令だ」
「言われなくてもとっくにスケジュール入ってるってーの!」
「リクリュウ使え! 俺が許す」
「いらねえってーの!」
そんな二人のやりとりをおもしろそうに眺め、ケイゴはカップの小豆オーレを飲み干しながらクスリと笑った。
「綾さんは俺が向こうでシミュをする前に必ずこう言ってくれるんです。『はい、始めてえ~』って」
「……」
「……」硬直する礼也の隣で、ゴクリと生唾を飲み込む桔平。やがて礼也を押しのけ、上ずる声を放り出した。「……おまえ、それ、『始めてえ~』の人じゃねえか。『初めて』じゃなくて、『始めて~』の人だろ」
「だからさっきからそう言ってるじゃないですか」桔平に視線を合わせ、嬉しそうにケイゴが微笑む。「勝手に勘違いしたのは、こいつの方ですよ」
「んなっ!……」
勇み足のまま凍結してしまった礼也の肩を、桔平がポンポンと叩いた。
すう~、と深呼吸し、溜めるだけ溜める。
そして。
「何やねん! それっ!」
桔平の行き場のない爆発を目の当たりにし、突然ケイゴの瞳が輝き始めた。
「ほおおお~」感心したように何度もうんうんと頷く。「こんなところでそんな王道のツッコミにお目にかかれるとは思ってもみませんでした。ケイゴ感激~です」
「やかましいわ、ボケ!」
捨て置こうとした桔平にもまるで臆すことなく、ケイゴが一歩前へ出る。
それは遊び道具をロックオンした無邪気な子供の表情だった。
「ふ、わかりますよ、隠したって。粗暴な態度と言葉でカモフラージュした中にも、愚直なまでにセオリーを織りまぜてくる。かなりのてだれとお見受けしましたが」
腕組みをしながら目の前の人物に淡々と評価を突きつけるケイゴに、背中を向けた桔平が足を止める。
振り向きもせず、桔平が押し殺した声で応答した。
「ほお、わかってんじゃねえか。ただのアメリカ帰りのボンボンかと思ってたが、育ってきた環境はまんざらでもなかったようだな」
ニヤリと笑うケイゴ。
「認めるべきところではきちんと認める。さすが、副局長ですね」
その表情を読み取ったかのように、桔平は一枚上手ぶりを見せつけようとした。
「だが、ネタのチョイスがいただけねえ。さっきのは、危険なリスクと紙一重だ」
「無粋ですね」決して退くことなく、あくまでも対等の立場でケイゴがそれに応戦する。そのまなざしは、よし網にかかった、と言わんばかりにギラついていた。「ひよっただけのネタならばすぐに飽きられる。しかし修羅達の住まうイバラの道をくぐり抜けてきたモサならば、シモネタすら極上の笑いへと昇華させることができるんですよ。おっと、スルーしてしまうところだった。危険なリスクは重複表現ですね。ベタですが狙いはいい。それとも、単なる天然ですか?」
「てめえ、ナマイキにもこの俺様にお笑い論を述べるつもりか」
ギロリと桔平が振り返る。
その見る者を震え上がらせる殺気すら軽くいなし、ケイゴがまたニヤッと笑ってみせた。
「そんなつもりはありませんよ。ただし、あなたのレベルが本当に期待以上のものなら、ですが」
「なんだとっ!」
険悪なムードが流れていく。
当然と言おうか、ハラハラとことの成り行きを見守っていたのは光輔一人だけだったのだが。
「なんの話してやがんだ、あいつら……」
「……知らない」
夕季があきれた顔で外を見やる。
「綾さんが言っていました。おまえじゃ、柊さんと戦ったとしても万が一にも勝ち目はないから、ヘタな考えはおこすな。でもお笑い勝負なら間違いなく勝てるだろう、って」
「逆だろ!」
「逆なのかよ……」
礼也の呟きに、ここにきてようやく光輔がどうでもいいことなのだということに気がついたようだった。
「ドラさんからの伝言です。あなたは世界最強になれる素質を秘めているが、最大の弱点はジョークのセンスだ、と」
「だから逆だって言ってんだろ!」怒りに涙をちょちょぎらせる。「てめえ、いい加減にしろ!」
「残念だがこればっかりはどうしようもない、諦めてくれ、と言ってました。あとモナカもっと送れ、って」
「ふざけんな、こないだ送ってやったばっかじゃねえか! けっこーたけーんだぞ!」
「おいしゅうございました」
「食ったのか、てめえも!」
「綾さんが箱の半分食べたところでドラさんから笑顔が消えました」
「綾っぺもか! きい~! てめーら、金よこせ!」
五月の陽気は暖かで、上着なしでいられるほどぽかぽかと柔らかな陽射しだった。
「もう君とはやっとられんわ」
「それはこっちのセリフです~」
にこにこと意味のないやり取りを繰り返し、桔平とケイゴが腹を叩きながらゲッハッハと笑い合う。
ポカンと見つめていた三人の中で一番最初に口を開いたのは、誰より心配しながら見守っていた光輔だった。
「いつの間にか……」
「……意気投合してやがる」
光輔の呟きを同じ表情で礼也が受け止める。
夕季は何も言わずに、あきれたようなまなざしを差し向け続けるだけだった。
そんな三人の心情など一向に解すことなく、似たもの同士のハッピーな会話はどんどん花を咲かせつつあった。
「しっかし、ややこしい言い方しやがってよ。タイミング違ってたら修羅場になってたぞ」
「そうなんですけどね。久しぶりだっていうのに、礼也があまりにも俺のことを無視するんで、軽いスキンシップのつもりでからかっただけなんですよ」
「スキンシップにもほどがあんだろ。あいつが瞬間湯沸かし器だってこた知ってんだろが。たいがいにしとけよ」
「ていうか、実はかまってくれなくてさみしかったんですけどね」
「てめえはウサギちゃんか!」
「いや、俺はケイゴちゃんなんですが」
「知るか!」
ギャッハッハッハ! と、反りくり返った。
「いや~、おまえさんが来てくれてこっちは大助かりだぜ」
「いや、僕なんて力不足すぎて何のお役にも立てませんよ」
「そうじゃねえ。今一番ここに不足しているものは何だと思う?」真顔を近づけ、人さし指を立てる。「あえて言おう、ツッコミだと」
「ツッコミですか」
「そうだ。いくら俺のボケがハイクオリティでも、それをキャッチする人間がいなけりゃ、宝の持ち腐れだからな。時にはイタイ奴扱いされることもある。冤罪だ。礼也やみっちゃんにはちょっとだけセンスを感じる時もあるが、基本、あいつらのツッコミには愛がない。光輔には何の工夫もない。駄目のグランドスラムだ。ちなみに夕季は史上最悪だ。だから俺は本当はボケたくて仕方がないのに、あえてツッコミを演じてきた。おまえさんならこの気持ちわかるだろう」
「わかります」うんうんと頷くケイゴ。あまつさえ、目尻に涙をも滲ませる。「優れたツッコミはどんなボケでも拾って、最高の笑いへと昇華させることができる。俺も結構長いこと両刀でやってきましたが、笑いのわかっていない連中に限って、自分のボケを自画自賛するんですよね。本当は的確なツッコミに救われたとも気づかずに」
「そうだ! 俺が言いたいのもズバリそれだ。職場の雰囲気を和ませるのは、ダジャレの垂れ流しなんかじゃねえ。ツッコミだ。わかってねえ奴に限って、これ見よがしにオヤジギャグを連発しやがる。奴らの腐った目には、苦笑いもスタンディング・オベーションにしか映らねえ。勝手におもしろいと信じているだけやっかいなことはなはだしい。皮肉や毒舌を撒き散らかしてまわりを殺伐とさせちまったくせに、本音が自分のウリだと勘違いして、みんなに嫌われてるのに気づかねえのも実はそういう輩だ」
「同感ですね。長かったですけど」
「何を隠そう全部俺のことだがな」
「なるほど。予想どおりのオチでしたね」
ギャッハハハ!
「クラスで一番人気があった奴のことを思い出してみろ。そいつのそばには必ず優れたツッコミが存在していたはずだ。いや、むしろ、そいつ自身がツッコミである場合の方が多かったんじゃないのか? パスに困った時にとりあえず一旦ボールを戻せる存在。それで自分のスベりを回避できるという安心感は、先生にとって学年一位の優等生より貴重だ。俺はそれを王佐の才のようなものだと思っている」
「王佐の才ですか。戦国時代や三国志の名軍師と呼ばれる人達も、主君にとってはツッコミのようなものでしょうからね」
「せっかく綾っぺっていう全国レベルのツッコミャーが来て安心してたのに、あっと言う間にまたアメリカ人に持ってかれちまったからな。あいつのしなやかなツッコミは世界レベルだ。なのに偉人さんに連れられてイッちまった。ここは指摘された時、十八禁じゃねえと誤魔化す必要がある危険な賭けだ」
「いろいろ間違ってますが、まあよしとしましょうか」
「しっかし、どうりで芸風が綾っぺに似ているわけだ」
「芸人ではないですけどね」
「産まれたてのコジカのように勇気を振り絞って、命懸けで繰り出したボケを孤立させない強さと優しさ、そして、自分がクリティカルを決めるキッカケを作ってくれたことに対する感謝の気持ちが、ツッコミには必要だ。少なくとも綾っぺにはそれがあった。あいつはそういう芸人だった」
「興味深い話ですね。ちなみに綾さんも決して芸人ではないですけどね」
「大食い芸人として食ってけるぞ」
「なるほど。それは言えてるかもしれませんが、自分の意図していないところで偶然、食うという単語がうまくカカッちゃってるのが何だかムカつきますね」
「残念ながら、みっちゃんや礼也にはそれがねえ。自分がウケることしか頭にないバカな大物司会者をよく見かけるが、おおむね同じタイプだろう。所詮は凡人レベルだ。みっちゃんはかわいいから仕方ねえが」
「自分を犠牲にしてでも、どれだけの人間を活かせられるのかってことが、何より大事だというわけですね」
「いや、自分が受けるのが一番大事なわけだが」
「あんたもやん!」パシッとつっこむ。
予定調和の骨頂的展開に、二人はまたもや、ニャハハハハ! と腹を抱えて笑い合った。
「いつの間にか……」
「……バカが二人になってやがる」
「……」
すでに辟易顔の光輔ら三人が、顔を見合わせることもなく唸り声だけを上ずらせていく。
「かわいそうだが、こればっかりは努力でどうこうなるとも思えねえ。現役で東大に入れる奴が、お笑い名人大賞で優勝する確率は、ズバリ、一パーセントもねえだろう」
「僕達が今から勉強して東大に合格する確率は、限りなくゼロですけどね」
「三百パー無理だな」
「無理でしょう」
ニャハハハハ!
「……何とかしてあいつらの息の根止められねえかな」
「無理だと思う」
礼也の呟きに反応したのは、それまで沈黙を貫いてきた夕季だった。
礼也がかすかに夕季に目線を向ける。
「……やっぱそうか」
「……。俺もそう思う」
光輔にもちらと目をやる礼也。
「……」
夕季が深く長いため息を吐き出した。
海の彼方まで届きそうな、複雑な憂いの吐息を。