表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/133

第二十二話 『ノイズ・アタッカー』 3. 盗まれた傘

 


 その日は雨だった。

 呼び出された職員室を出て教室へ戻る途中で、夕季が見覚えのある傘を目にして立ち止まる。

 傘をぐるぐる回しながらすれ違った数人の女子生徒へ、後ろから声をかけた。

「すみません」

 その女生徒達が振り返った。顔いっぱいに不機嫌さを露呈しつつ。

「何!」

 三年生のやや常識からはずれた生徒達だった。

 ぐっと顎を引き、夕季が静かに言葉を押し出す。

「その傘、どこかで拾ったんですか?」

 するとその生徒らは、途端に息巻きながら夕季を取り囲んできた。

「何言ってんの! いきなり」

 片足が不自由で、かつおとなしそうな下級生に対し、いたわりはおろかここぞとばかりに攻め立てる。

「あたしが盗んだって言ってんの!」

「そうは言ってない……」

「証拠は!」

 傘の柄の部分を夕季がちらと見る。お気に入りのエルバラのストラップがぶらさがっていた。

 しかし名前が書いてあるわけでもなく、それだけでは不十分だったと気づき、夕季が二の足を踏む。

 その様子に、すでにいけいけ状態にあったお姉さま方が、さらにヒートアップを上積みしていった。

「言いがかりかよ!」

「バッカじゃねえの!」

「マジムカつくんですけど、この子」

 口を曲げじっと耐えるのみの夕季。

「なんか言えって!」

 肩を小突いた一人を、ものも言わずナイフのようなまなざしで夕季が睨み返す。プレッシャーのみで相手の良心に訴えかけ、引け目を刺し貫く戦法だった。

 事実その凄まじいまでの迫力に、女生徒達の心は後退し始めていた。

 予期せぬ助け舟が訪れるまでは。

「何やってんの?」

 呼びかけに振り返り、全員の顔色がすっと変わる。

 そこにはまたもやあまりいい人種とは言えない、男子生徒達の姿があった。

「あ、永君」

 女生徒達の顔が明るく晴れやかに澄み渡る。

 対照的に夕季のそれは面倒臭さ全開となっていた。

「どうしたの?」

「うん。こいつがさあ、いきなり言いがかりつけてきやがってさあ」

 余裕しゃくしゃくで軽く中へ入り込んだ強面の同級生に、当の女生徒が夕季を指さして訴えかけた。

「言いがかり?」

「あたしがこいつの傘盗ったとか何とか」

「へえ~」長身を折り曲げ、松葉杖の夕季をじろじろなめまわす。「盗ったの?」

「盗ってねえよ!」

「んじゃ、言いがかりじゃん」

「だからそう言ってんじゃん!」

「そらいかんよな」

 姿勢を正し、ふいに男が真剣な表情になった。

「ここはあやまっとけば、キチンと」

 口調は穏やかであるが、その態度は明らかに夕季を威圧するものだった。

 ぴくりと眉をうごめかせ、夕季がガンつけ合戦に参戦しようとする。

 その挑戦的な態度に男のこめかみもひくひくとうごめき出した。

「何? この子。わかんねえ子なの?」

「わかんない子みたいだねえ」ギャラリーがはやし始める。「だったらわからしたらんとあかんでしょ。先輩的に」

 男が、ぐっと顔を近づけてきた。

 夕季がわずかにのけぞる。その距離は接触まで皮一枚分だった。

「わかんねえ子にはどうしたらいいんだろねえ」

「ちゅーしちゃいますか?」

「先輩、それは注意の間違いだと思います!」

「そんじゃ犯罪者になっちゃうでしょーが」無責任な横やりに男がにやりとする。「でも合意の上で個人的にちゅーしちゃいましょーかね……」

「先輩、目的が変わっちゃってますが!」

「近づかないで。息が臭いから」

「はあああっ!」

 夕季の静かなる一撃に、怒り心頭に発し男が大声を張り上げる。が、喜ぶギャラリー達とは対照的に、決して退くことのないその不敵な態度に、次第に違和感を感じ始めていた。

「あったまきた! 優しく言ってりゃちょーしこきゃーがって! わかんねーか、マジで!」

 がしかし、本性剥き出しでぐいぐい前へ出始めた男にも、夕季は微塵にも引く様子はなかった。

「どうするの。殴るの」

「だから、あやまれって言ってんのー! バカか!」

「謝らなかったらどうするの」

「ああああ!」

「殴るの」

「てめえ、女だからって本気で殴らないとでも思ってんのか!」

「思ってない」

「なめてやがんのか!」

「そんなこと言ってない。ケガして動けない下級生に凄むようなカッコ悪い人達だから、女とか弱い人にも平気で手をあげるんじゃないかって言ってるだけ」

「な……」

 音もなく静かに迫る夕季に、男は畏れのような感情すら持ち始めていた。

 そして彼だけではなく、そこにいた誰もが同じ感覚を味わい始めていたのである。

「……」

 訪れた沈黙の中、夕季が一歩前へ出る。それ以上何をするわけでもなく、ただこの場から立ち去ろうとしていただけだった。

「……お、おい」

 よせばいいのに男が体裁だけで夕季を引き止めようとする。

 不機嫌そうに夕季が振り返った時、彼らにとって最大の災難が舞い降りてきた。

「おい、何やってやがる、てめえ」

 通りすがりのその声には誰もが聞き覚えがあった。振り返らずとも。

 霧崎礼也だった。

「お、珍しいじゃねえか、友達いっぱい囲まれてよ」

 礼也にジロリと睨めつけられ、振り上げた男の手がしおしおとしなびて落ちる。

 思いがけない悪の権化の登場に、イケイケだった三年最強軍団はすっかり平和主義者へと変貌してしまっていた。

 ただ一人、礼也へ対等に睨み返し、夕季がぶっきらぼうに答える。

「友達じゃない」

「わかってんだって。おまえにこんなにダチがいちゃ、俺の立場がねえだろが」

「……立場って何」

「んじゃ、何やってやがった」

「別に」

「別にだあ~!」

「礼也には関係ない」

「ああああ~!」そしてとばっちりはすべて顔をそむけた弱者へとまわされる。「てめえらもか! てめえらも関係ねえとか言って俺をシカトする気か!」

「いやいや!」

「いやいや!」

「何が嫌々だ! そんなに俺が嫌々なのか! 仲間ハズレか!」

 決して仲間ではなく、そのとおりだがそうとも言えず、無抵抗主義団体の面々はただ両手を押し出すだけだった。

 見るに見かねて夕季がフォローを入れる。

「その人達が持ってた傘があたしの盗まれたものと似てたから聞いてただけ」

「ほっほー、って!」たいして興味もなさそうに頷いた。「んで、おまえのだったのかよ?」

 夕季がぐっと顎を引く。

「そうだと思ったけど、あたしの勘違いかもしれない。証拠がないから謝っていたところ」

「いや、謝ってねえし……」

 夕季に睨まれ、リーダー格の男がもじもじとうつむいた。

 その様子に意地悪そうに礼也が草食動物達へと振り返る。どうやら角度を変えたアプローチを思いついたようだった。

「そいつあいただけねえな! 覚えのねえ言いがかりつけられたってんなら、この二束三文のモブどもでもブチ切れていたしかたねえって。やるならやれって。今回だけ特別に俺も猛プッシュしてやる」

「いや、プッシュしてもらうほどのことでも……」

「ああ! バカかてめえは! ちょーどいいチャンスだろうが。潰すんなら足が使えねえ今しかねえだろ。バカだなてめえは! バーカ! バーカ! 虫けら!」

「……」

「虫けらは言いすぎだったか?」

「いえ、絶妙なセンスだと……」

「だよな。だがな、ナメてかかると、ソ連兵じこみの必殺技繰り出されるぞ。こいつの師匠はマジでヤベえ。シモネタだ。死ぬ気でいって、いっそカッコ悪く死んどけって。どうせ授業料払ってガッコでくだ巻いてるだけの虫けらなんだからよ」

「何言ってるの……」

 礼也が夕季をジロリと睨めつける。

「おい、言っとくがな、こいつは俺の腕をへし折ったモノノケだ。てめえらやられキャラが束になっても百パー勝てる見込みはねえぞ」

「折ってない」

「心の腕を折られたって意味だ!」

「……すごくバカ」

 夕季の声も耳に届かず、礼也が子羊達を見渡し舌なめずりをする。

「だが正義の戦いなら死んでもやっとけってことだって。敵前逃亡は俺が死刑にする」

「ひえ~……」

 塞ぐことのできない耳が悲鳴をあげる。この世に音のない世界というものがあるのなら彼らは迷わずそこへの亡命を希望したことであろう。

 礼也のまなざしに猛禽類独特の光が宿った。

「ところでおまえら。まさかとは思うが、マジこいつのモン盗んだりしてねえだろうな」

「……まさか」

「まさかな……」

 顔を見合わせ、ははは、と笑う集団を夕季が睨めつける。

 途端に目をそむけた彼らに、礼也の駄目押しが容赦なく追従した。

「絶対だな。そんだと、俺がカッコ悪すぎだって。後から嘘だってわかったら、俺をハメてけしかけやがった罪で、てめえら死刑確定だぞ」

「全然けしかけてるわけじゃなくって……」

「どうせその前にこいつが半殺しにしやがるだろうけどな。もしこいつに勝てたら、ご褒美として特別に俺にリベンジするチャンス与えてやるって」

「……すごいビッグチャンスですね」

「俺らにはもったいないくらいだな……」

「まったくだな……」

 夕季が、むっ、と口を曲げた。

「礼也、もういいから、やめなよ」

 片目をゆがめ、礼也が夕季を見やる。

「あん? 何言ってやがる。てめえがやるか、俺がやるか、どっちにころんでもこいつらが確実に死ぬかだ。なんかこいつら、ザコっぽい匂いがぷんぷんしまくってんし、フラグ立ちまくってんだろ……」

「すみませんでした」礼也の言葉を遮り、夕季が三年生達の前で頭を下げた。「証拠もないのに疑ってごめんなさい」

 おもしろくないのは礼也だった。

「おいおい、俺には一度も謝ったことねえのによ。こいつはえれえことだぜ」

「……」

「どうすんだ、てめーら。ザコのくせに俺をさしおいてこいつに謝らせやがってよ。ふざけてやがんのか!」

「そんなこと言われても……」ひどい言いがかりに言葉も出てこない。

「気にいらねえ、とにかく気にいらねえ。小物のくせに」

「いつまでバカなこと言ってるの。自分だって小物のくせに」

「な! てめえ、バカたあなんだっての!」

 蔑んだまなざしを差し向ける夕季を礼也が目を見開いて迎撃する。

 迷惑なのは今や善良なるギャラリーと化した、三年生最強ヤンキー軍団だった。

「あたしもう行くから」

「おい、ちょ、待て、てめえ! ……おい、さっき小物っつったか! 小物だと! てめえ!」

 背中を向けた夕季を引き止めようとする礼也。

 だがそれ以上に夕季を引き止めたかったのは、残された面々だった。

 ぐるっと振り向いた礼也のその形相に、彼らが悪魔の影を重ね合わせる。

「なんだこりゃ。てめえらのせいでなんか嫌な感じになった。俺が小物扱いされたぞ。コモノオオトカゲかって! 小物なのに大トカゲで、どう責任とんだ!」

「そんな……」

「とにかく気に入らねえ。おい、おまえら、並べ。小さく前へならえだ。とりあえず一発ずついくって。女どもは明日までに髪黒くしておさげにしてこい。男はスポーツ刈りにしてもみ上げだけ鼻の下で結べるまで伸ばせ。毎日伸び具合をチェックするからよ。一んち一ミリがノルマだって。シカトしやがった奴はマユゲ麻呂みてえにしてやるから覚えとけ。とりあえず今は、とにかくそこらじゅう食いしばっとけ!」

 礼也のヒートした叫びに、夕季があきれたような顔を向ける。チワワのように潤んだまなざしで救いを求める学園最強軍団達と目が合い、仕方なく間に入ろうとした。

 と、その時だった。

「何してるの、霧崎君」

 楓の声に礼也が渋々振り返る。

「あん?」

「あん、じゃないでしょ」

 腰に手を当て、子供を叱るように仁王立ちする楓に、礼也がぷいと顔をそむけた。

「何だよ、せっかくいいことしてたのによ」

「どこが。弱い者イジメしてるようにしか見えない」

「こいつらのどこが弱い者だっての。俺のこと小物大トカゲとか言いやがるし」

「コモド・オオトカゲでしょ……」

「それだ!」

「言ってませんし……」

「なあ……」

「だいたいよ、こいつらが夕季の傘をだな!」

「古閑さんの傘をどうしたの」

「……ありゃ? 盗んだんだっけか?」

 ふるふると首を振る集団を、礼也がジロリと睨めつけた。

「盗んだんだろが、たぶんよ」

「あ、う……」

「はっきりしねーな! 盗んだんなら盗んだっつっときゃいいじゃねえか! 俺の顔ばっか潰しやがって、恨みでもあんのか、てめーら!」

「ひいい! 盗んだです! ……よな」

「かな?」

「かなあ……」

「はっきりしねえな! 何が、かなあ、だ! やっぱいっとけって」

「ひいいいい!」

「霧崎君!」

「ひいい……」

 やれやれと言わんばかりに、楓が深く息を吐き出す。

「だったら傘を取り返して渡してあげればいいじゃない。どうしてすぐに暴力を振るおうとするの」

「そんな思クソまともなこと言われてもよ……」面倒臭そうに両手を払う。「しゃあねえ、今回は桐嶋ツンケンの顔に免じて勘弁してやる。そのかわし、あれだ、てめえらで必死んなってあのバカの傘見つけとけ。見つけられなかったら、いやがらせの雨あられだ! わかったか!」

「は~い……」

 あきれ顔で立ち去ろうとする楓を礼也が追いかける。

「おい、待てって」ちらと顔だけを向け、残された輩にとどめを刺した。「俺に感謝しとけって」

「?」

「あいつに手ぇ出しといたら、てめえら一族そろってこの国にいられなくなるとこだったての」

「……」

「おい、桐嶋」

「何、ツンケンって」

 顔も向けずに楓がぶすりと突きつける。

 バツが悪そうに礼也があれこれ言い訳を開始した。

「や、ついノリでよ。まさにそんな感じだったじゃねえか。別におまえをどうこうだってわけじゃ……」

「気にしてるって言ったじゃないの」

「わかった、わかった。もう言わねえって」完全に負けを認め、礼也が取り繕う。「おい、新作食った? イチゴのやつ」

「まだ」

「うめえぞ。ああいうのは邪道だと決めつけてたんだけどな、なかなか捨てがたい。中に入ってるジャムが絶妙すぎだろ。ロシア人もビックリだって。コンビニで買ってきたってオバちゃん言ってやがったが。今度ガキどもの分も買ってってやるよ」

「いいけど……。そう言えば、あのおもしろいロシアの人、行っちゃったの?」

「おお、アメリカにな」

「あの女の子、かわいかったね」

「おお、なんか、おまえにえれえなついてやがったな、信じられねえことに」

「……私、そんなに子供に嫌われる顔してる?」

「それもあるけどよ。あいつ、初対面の奴にはあんまなつかねえからな」

「それもあるの……。違うよ。私じゃなくて、礼也君のことが大好きなんだよ。ずっとべったりで、初恋のお兄さんのそばにいるみたいな感じだったし」

「ざっけんなって! てめえ!」

「何、嬉しそうな顔して照れてるの……」

「はあ!」

「そんな近くで大声出さないで! 耳が痛い!」

「あ、キレやがった……」

 他愛のない会話を交わし、ごく普通に並びながら二人が消えて行く。

 その様子を夕季は不思議そうな表情で眺めていた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ