第二十一話 『二人の記憶(かけら)』 15. 二人の記憶
病室のベッドに、睨みつけるような表情で半身を起こす夕季の姿があった。
その向かいには睨みつけるような表情の礼也がいる。
二人の間に立ち、楓が気まずそうに笑ってみせた。
楓をともない、礼也は入院する夕季の見舞いにやって来ていた。
「……お茶、そこのポットの中にある」夕季がぐぐいと睨みつける。「ジュースは冷蔵庫の中。勝手に飲んで」
「……ちょうどいい、おいしいメロンパン買ってきてやったってーの」ぐぐいと睨み返した。「しかも極上だ。感謝してめしあがれやがれ」
「ありがとう……」夕季がぐぐぐいと睨み返し返す。
「いいってーの……」ぐぐぐいと睨み返し返し返した。
「……どうして二人とも普通に話せないの」
楓の何気ない一言に、二人がバツが悪そうに顔をそむけ合う。
苦笑いしながらそれを眺め、楓が冷蔵庫へと向かった。
作業台の上に二つの紙コップと、袋から出された極上メロンパンが置かれていた。
夕季の横でパイプ椅子に腰掛ける楓に対し、礼也はその後方のポジションを死守し続けていた。
夕季が礼也をちらと見やる。
「……。彼女、無事だったんだよね」
すると礼也が不思議そうな顔を向けた。
「なんだ、知らねえのかよ、おまえ」
「……うん」
「心配なら自分で聞きゃいいじゃねえか。ツレなんだろ」
「……」ぐむ、と夕季が顎を引く。「あたしのせいで危険な目にあわせてしまったから。あたしがちゃんと連絡を受けていれば、あんなことにはならなかった……」
「でも結局最後は、おまえが助けてやったじゃねえか。おあいこだろ」
「そうじゃない。あたしが助けられたの。……彼女に」
塞ぎ込むように紙コップの中身を見つめる夕季を、礼也が怪訝そうに眺めた。
「珍しいこと言ってんじゃねえか、てめえのくせに」意地悪そうに笑う。「なんにしろ見舞いくらい来やがってもいいのによ。ここに来るのは、こ汚ねえメックのおっさん達だけだって」
「……来るわけないよ。さんざん怖い目にあわせちゃったし。よく話しかけてきたり、なんだか恥ずかしくなるようなことも言ってたけど、これで彼女もわかったと思う。自分とあたし達は違うんだって」
「そいつと俺らでどう違うって?」
「……。一緒にいても何もいいことないし。関わらない方がいい。こっちも面倒なだけだし……」
「ふあ~あ」と面倒臭そうにあくびをする。「おまえとつき合う方がよっぽど面倒くせえって」
夕季がピクリと反応する。顔をそむけ、無表情のままぼそりと呟いた。
「だったら、無理して来てくれなくてもいい……」
力のない声だった。
「心配すんな。二度と来ねえからよ」
「礼也君!」
「んだ、こら」
「んだこら、じゃない。お見舞いに来てるのに、なんてこと言うの!」
「いや、だったらこいつの方が先に……」
「駄目!」
「駄目?……」
窓際へ逃げ出した礼也を横目で流し、楓が小物入れの上へ花を飾ろうとした。
「あ、すみません」
「あ、うん」
「……」礼也をちらと見てから、夕季が楓へと向き直った。「礼也に無理やりつきあわされたの?」
「別につきあってるわけじゃないから!」
「え?……」
「は?……」楓が真っ赤な顔を横へ向けた。「……ははは」
「……ご迷惑をおかけしてすいません」
少しずつクールダウンし始めた楓が、気持ちを立て直して夕季に笑いかけてきた。
「なんだかたくさん言い訳してたよ。あいつのことだから誰も見舞いに来ないに決まってるし、しようがないから行ってやるかって。で、しようがないからおまえもついでに行ってやれ、だって」
「……」
「昨日からずっとなんだよ。耳にたこができちゃいそう。わかったって言ってるのに、言い訳みたいな同じことを何回も繰り返し言ってきてね。行きたいからついて来てくれって、素直に言えばいいのにね」
「……。本当にすいません」
「あ、そういう意味じゃ……」楓が、ふっと笑った。「心配なんだよね、結局」
「あ、う……」
「いつ頃退院できそうなの?」
「早ければ来週中。思ったよりたいしたことなかったみたいだから。しばらく杖がいるかもしれないけれど」
「そう。大変だね」
「仕方ないから。自分のせいだし」
「そう……。困ったことがあったら言ってね。私にできることならするから」
「……すみません」
「いいから、そんなの」
「おい、桐嶋、帰るぞ」
二人が顔を向けると、礼也は窓の外へ立てた親指をくいと向けながら、顔をゆがめてみせた。
「そろそろ薄汚ねえオッサン連中が来る頃だろ。こんなとこで鉢合わせしたらメンドくせえ」
夕季が眉を寄せた。
荷物を手にし、礼也と楓が帰り支度を始める。
「おい、金、後で返すからよ」
「いいよ、別に」
「でもよ……」
「礼也」
夕季の声に二人が振り返った。
「……。ありがとう」
礼也が小さく笑う。それから背中を向け、片手を払うように上げてみせた。
「早くよくなってね」楓も嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「ん。また礼也君連れて来るね」
「んだあ、てめえ! 何様のつもりだ! 勝手によ!」
「いいじゃない。今度は私の用だから、そっちがつきあってくれれば」
「そういうことならしょーがねえじゃねえか、このヤロー!」
「何それ……」
二人の背中を見届けてから、夕季が正面へと向き直る。
窓から流れ込む風にカーテンが揺れ、花瓶の花がゆらゆらとそよいでいた。
降り注ぐ柔らかな陽射しに抱かれ、夕季は眠そうに目を細めた。
「夕季……」
聞きなれた声に目線を向ける。
ハンガードアの隙間から、光輔が卑屈な笑みをのぞかせていた。
「どう?」
夕季の表情がわずかに和らぐ。
「ん、いいよ」
途端にほっとしたようになり、光輔が室外を返り見た。
「元気そうだけど」
「?」
おそるおそる現れたその顔を見て、夕季の目が点になる。
みずきだった。
「あの、だいじょうぶ?」
「篠原、さん……」すぐに気を引き締め、何とはなしに淋しそうに夕季がそれに答えた。「……うん、順調」
みずきが胸を撫で下ろす。
「そっか、よかった。あたし心配してたんだ。ほんとはもっとすぐにでも来たかったんだけど、穂村君が面会駄目だって言うから」
「別に駄目だとは言ってないけどさ」
「言ったよ。重傷だからしばらくは駄目だって。無理やり来ちゃってごめんなさい」
「別に重傷じゃないけど……」
夕季の何気ない一言に、二人の時が止まる。
「……だっけ?」
「ほ~むーらーく~んっ!」
キッとなって振り返るみずきに、光輔は最初から変わらない卑屈な顔のままでなだめにかかった。
「そういう意味じゃなくて、しばらく何もできないっていう意味でさ」
「だったらそうやって教えてくれればよかったじゃない」
「だって見舞いに行きたいなんて思わなかったからさ……」
カチーンと反応するみずき。
「あたしずっと言ってたじゃない!」
「いや、……本気で言ってるとは思わなかったから。それに夕季もさ、そういうの……」
「ひどいよ、あたしあれからずっと古閑さんのこと心配で、本当にね!」
「あ、……ありがとう」
「……」
かすかに発せられた夕季の声に、みずきが振り返る。
その直視に耐え切れず、夕季は照れたように横を向き、先より小さく消え入りそうな声でもう一度それを口にした。
「……ありがとう……、……みずき」
「……」
信じられないと言わんばかりの表情で瞬間ぽかんとなり、その後堰を切ったようにみずきの顔がくしゃくしゃに崩れ出す。半べそ状態で夕季にダイブしていった。
「ゆうちゃーん!」
「うっ!」
「あ、ごめん……」
戸惑う夕季と光輔。
とりわけ光輔のびっくり顔はすさまじいものだった。
そんなことなどおかまいなし、人目もはばからず、みずきが垂れ流し始める。
「あたし、心配したんだからね、ほんとに心配したんだから……」
「……」あっ気にとられていた夕季が嬉しそうに笑った。「……ありがとう」
「何言ってんの! ありがとうはこっちだよ!」
「……あ、……うん」
「あ、ごめん、怒ってるわけじゃないからね」
「……」
それから夕季と光輔が顔を見合わせる。
相も変わらず、光輔はバツが悪そうに笑うだけだった。
「ははは、……なんかごめん」
「……」
夕季があきれたように息をつく。嬉しそうに。
「あ、そうだ」みずきがガバチョと顔を上げ、紙箱を差し上げた。「マカロン買ってきたの、六色マカロン。なかなか買えないんだよ。並んでやっと買えたんだから」
「並んだの俺だよね……」
「あとね、漫画持ってきたんだ。退屈してるだろうと思って」光輔が下げてきたパンパンの紙袋をひったくる。「『のーだめ・カウンターブロウ』。これおもしろいの。ピアノ漫画なんだけど、そっちのけでボクシングの試合ばっかりで……」
「篠原」
「え?」
「……。夕季、そういうの読まないよ」
ぼそりと告げた光輔に、みずきが不本意そうな顔になった。
「え~、なんで、おもしろいのに」夕季に向き直っての、スマイルの押し売り。「ね、読んで、絶対おもしろいから」
「あ、ありがと……」
防戦一方の夕季に、みずきがさらにたたみかけていく。
「あ、お湯ある?」
夕季が首を振った。
「お茶ならポットの中に……」
「待合所にお湯もらえるとこあったよね。穂村君、紅茶入れるから持ってきて」
「篠原、あの、あんまり騒ぐと、あの……」
申し訳なさそうにみずきが夕季へ振り返った。
「あたし、迷惑だった?」
夕季が首を横に振る。それから光輔を睨みつけた。
「光輔、早くお湯持ってきて」
「あ、あ、うんうん……」再びバツが悪そうに夕季を眺める。「わかったから、睨まないでくれる?」
「に……」
「睨んでないの!」
夕季よりも先にみずきが反応した。
「ゆうちゃんはもともとこういう顔なの!」にこっと夕季に笑いかけた。「ね」
恥ずかしそうに夕季がもじもじし始める。
その様を見て、光輔が不思議そうな顔を向けた。
「そうなのか? ゆうちゃん」
ジロリと夕季。
「やっぱ睨んでるし……」
みずきが笑う。
柔らかな春の木漏れ日のような笑顔で。
了
お読みいただきましてどうもありがとうございます。
こんな感じですが、これからもよろしくおつき合い願います。