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第二十一話 『二人の記憶(かけら)』 6. 傘を借りる

 


 雨が降っていた。

 それほど強くはないが、傘を差さぬ状況で歩くにはいささか抵抗がある。

 昇降口の軒下にへの字口の夕季の姿があった。バッグを両手で持ち、恨めしげに空を見上げる。それは雨の勢いが収まるのを待っているようにも見えた。

「傘、ないの?」

 後方から声をかけられ夕季が振り返ると、篠原みずきが覗き込むように様子をうかがっていた。

 ちらと目をやり、夕季が再び前を向く。

 沈黙が始まり、それでもみずきが立ち去る気配がなかったので、根負けしたように夕季が口を開いた。

「……盗まれた」

 するとみずきが自分のバッグをもぞもぞとまさぐり、中から折りたたみの傘を差し出した。

「これ使って」

「……いい」ちらと横目で見やり、夕季が素っ気なく答える。

「遠慮しないで」

 引かないみずきに、夕季がゆるやかに顔を向けた。

 その表情は戸惑いにつつまれていたものの、夕季を知らない人間にとっては拒絶以外の何ものにも見えなかったことだろう。

 だがみずきはそれですら満面の笑みで受け止めたのである。

「あたし二つ持ってるから」夕季の様子を気にかけ、笑いながら続ける。「折りたたみの方、学校に置いていったの忘れて、もう一本持ってきちゃったんだよね。最近モノ忘れ激しくて。トシだなこりゃ」

 有無を言わせず夕季に傘を手渡し、みずきが校舎の中へと消えて行く。

「穂村君に渡しといてくれればいいから」

 去り際にそう告げたみずきの背中を、夕季はいつまでも眺めていた。


 みずきから渡された傘を差し、夕季は駅の付近まで到達していた。

 あれから雨あしはさらに強くなり、傘がなければびしょ濡れはまぬがれなかっただろう。

 聞き覚えのある声に反応し、夕季が振り向く。

 通りのロールケーキ屋の前で、一本の傘に重なるように収まるみずきと園馬祥子の姿を認めた 。

「濡れちゃう。もっと祥子寄ってよ」

「入れてもらってるくせにずうずうしいの、あんたは」

「ケチケチすんじゃねえよ、ねーちゃん」

「だいたいこんな日に、なんで傘忘れてくるのよ。大マヌケでしょ、実際」

「だって持ってきてるつもりでいたら入ってなかったんだよ。シオシオのパ~だよ」

「トシでしょ、あんた」

「言うな~。海より深く反省だはあ~。あ、あたしブルーベリー」

「で、私が出すんかい!」

 背後から近寄る気配に気づき、二人が振り返る。

 夕季だった。

「あ……」

 口もとを結び、びしょ濡れの夕季が、みずきに傘を差し出す。

 傘はすでに折りたたんであった。

「これ、ありがとう。もういいから」

 そう言うや、傘をみずきへ手渡し、夕季は駅の方へと走り出していった。

「……。何あれ?」あ然となるみずきの横で、ロールケーキを口に含んだ祥子が表情もなく呟く。

 みずきは何も答えず、ただ複雑そうに夕季の後ろ姿を目で追い続けていた。


「光輔」

 夕季に呼びかけられ、メガル別館の休息室で携帯ゲームに興じていた光輔が顔を向ける。

「……。どしたの。びしょ濡れじゃんか。傘忘れたの?」

「……篠原さんが傘を貸してくれた」タオルで頭を拭きながらぶすりと告げる。

「へえ~」そのぼさぼさの髪を見ながら光輔が淡々とつないだ。「……壊れたやつ?」

「……別に」

「別に?……あ! 死んだ!」

「……」

 まだ降り止まぬ縦降りの雨を窓越しに眺め、夕季が憂うような表情になった。

「どうしてあたしに傘貸してくれたんだろう。友達でもないのに」

 すると光輔が辟易とした顔になる。ゲーム機をテーブルに置き、やれやれと言わんばかりにあきれ声を発した。

「なんでおまえって、そうやってすぐ理由知りたがるんだよ」

「……」夕季がそろりと顔を向ける。

「クラスメートが困ってたからそうしただけだろ」ゲーム機を手に取り、再開した。「篠原、そんなに深く考えてないよ」

「……でも」

「迷惑だったの? あ、また死んだ! リセット、リセット」

「……。そうじゃないけど……」

「まあ、おまえとは気が合わないだろうな。合う人間の方が少ないだろうけど」

 夕季にジロリとやられ、光輔が口に留め金をかけた。

「おっととと……。あ~、セーブしちゃった!」

「……」

 ふん、と息をつき、夕季が自動販売機の前に立った。

「コーヒー飲む?」

「ええっ!」常ならぬ夕季の反応に、思わず光輔の身体がのけぞる。「友達でもないのに!」

「……」

「あ、冗談だけど……」

 ふうん、と夕季が先よりも深く息をついた。


「穂村君」

 渡り廊下でみずきに呼びかけられ、光輔が振り返る。

 いつになく思いつめた様子のみずきを、光輔が不思議そうに眺めた。

「あたし、なんだかでしゃばっちゃったみたい」

 ため息まじりにそう告げたみずきを見て、光輔がピンときたようだった。

「夕季に傘貸したこと?」

「うん……。古閑さん、怒ってたみたいだったし……」

「そんなことないよ。あいつ喜んでたぜ」

 覇気がなく目を伏せたみずきを、光輔が元気づけようとした。

「本当?」

「……うん」

「……。でも余計なことしちゃったのかなって。古閑さん、プライド高そうだし」

「そんなことないって」間髪入れずに否定する。「あいつは自分のこと、特別だって思ったり、上からみんなのこと見てる気なんて全然ないよ。どっちかっていうと、もっとみんなみたいに普通にしたいのに、できなくて悩んでるくらいだからさ。不器っちょなんだよ、ああ見えて」

「……ふうん」

 光輔の顔をみずきがまじまじと眺める。

 素で訴えかける光輔の様子は、みずきを気遣うと言うより、誤解された夕季をフォローしているふうに映った。

「どうしていいのかわからなかったんだよ、きっとさ。みんな、あいつのこと避けてて、そんなふうに親切にしてもらったこととかなかったからさ。だから、あいつのこと、そんなふうに見ないでやってよ」

「う、ん……」胸もとで合わせた両手ともども、その口をぎゅっと結ぶ。「でも、あの人、隙がなさすぎてとっつきにくいな」

「そうかな」

「?」

「結構、隙だらけなんだけどな」

 そう言って、ははは、と笑った光輔の横顔を、みずきがまじまじと眺める。

 光輔は照れたように顔をそむけ、続けた。

「何となくだけどさ、わかる気がするよ。あいつの気持ち。俺もさ、前に好きなアイドルとかが夢の中に出てきたんだけど、いきなり裸で出てきたからびっくりして起きちゃったんだよな。今思うともったいないことしたなって。ほんとはさ、すごく嬉しくて、篠原にちゃんとお礼が言いたかったんじゃないかな、あいつだって」

「……。ふ、うん……」

「あれ? ご満足いただけない。……おかしいな。結構的確なたとえだと思ったんだけどな」

「……うん、ちょっとがっかりしただけ」

「なんでそーなるのっ!」

「……え? 何?」

「いや……。……きんちゃん」

「?」

「ははは……」

「……」





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