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第二十一話 『二人の記憶(かけら)』 5. 救いの女神

 


 忍が顔を向けると、桔平はバツが悪そうに笑いながら後頭部をかいた。

「さっきの間違いだ。ちょっと返してくれい」

「はい? もう提出してしまいましたが」

「マジか? すぐに返してもらってくれ。緊急事態だ」

「はい、わかりました」

「理由は聞かねえのか」

「ええ、どのみち緊急事態でしょうから」

「すまねえ。サッティからもらったレーなんとかの割引券が、中に入ってたかもしれねえ。ずっと探してたんだけど見つかんなくてな。期限切れちまったら、とりかえしがつかねえ」

「やっぱり理由は聞くまでもなかったですね……」

「聞くまでもねえだろ!」

 忍の隣で仏頂面の夕季に気がつく。

「お、夕季じゃねえか。あ、あれか? ちゃんとできたか?」

「……できなかった」

「なんでできねえんだよ」

 不機嫌な様子で顔をそむけた夕季を、桔平は怪訝そうに眺めた。

 顔面蒼白になり、おろおろとうろたえる、切れたナイフとその取り巻き。

「夕季、変なこと言っちゃ駄目だよ」

「……」

 念を押す忍に桔平が不可思議な顔を向ける。

「なんだ? 変なことって」

「いえ、別に」

「ふうん……」腑に落ちない様子だったが、何かを思い出しすぐにどうでもよくなった。「おお、しの坊、そういや、さっき木場が探してたぞ。新入りの装備の手配はまだかってよ」

「いけない、忘れてた」途端に浮き足立つ忍。「すぐにやらなくちゃ」

 そそくさとフロアーから離れようとする忍に、ちょっと待って行かないで、と手を伸ばす。大城が。その動き一つで大企業の工場を操業停止に持ち込むことができる黄金の右手をわなわなと震わせた。

「あいつでもポカすることがあるんだな」忍の背中を見送り、桔平が感慨深げに呟いた。

 黙って去ろうとする夕季に気づき、呼び止める。

「おい、待て、夕季」

 ムッとなって振り返った夕季の前に立ちふさがったのは、顔面に脂汗と卑屈な笑みを浮かべる大城達だった。

「すぐに済むから、もう少し待っててもらえないかなあ……」

 理解し難いものを見るような目を向ける夕季。

 それでも大城はにこやかな笑顔を絶やすことなく、取り巻きと二人で手のひらをこすってさえみせた。

 その時、夕季が手にする承諾書に気づき、桔平が取り上げた。

「なんだこりゃ?」先のやり取りへとさかのぼって、じろりと夕季を見やる。「おい、こんなものいらねえって言ったじゃねえか。おまえはなんで俺の言うことを信用できねえんだ?」

 平静を装っていた夕季が、キッと桔平を睨みつけた。

「お、なんだその目は。なんだちみは、ってか?」

「もう二度と信用しない」口をへの字に曲げる。

 その態度に今度は桔平がムッとなった。

「なんだ、おまえ、その言い草は。せっかく俺がおまえ達のためを思ってだなあ……」

「いい加減なことならしてくれない方がいい。迷惑だよ」

「んだそりゃ。なんでおまえにそんなこと言われにゃならん!」

 真っ向から向かい合う竜虎。

 そのかたわらで大城ら小動物達は、おろおろとことの成り行きを見守るだけだった。

「もういい。何も言いたくない」

「おい、夕季!」

 くるりと背を向け、夕季が立ち去ろうとする。

 何かがおかしいことにピンときて、桔平の標的が大城達へと切りかわった。

「なんだ? どうなってんだ!」

「どうなってんだって言われましても……」

「なんでこんな簡単な手続きでトラブってんだ。おかしいじゃねえか。オビィ関連の手続きは最優先で行えって、特通出したろが」

「あ、はい……」

 真正面から押し寄せる桔平のプレッシャーに防戦一方のルールブック大城。何も反論できようはずがなかった。己の怠慢で特別通達をチェックすらしなかったのだから。常ならば持ち前の機転と押しで正論すら捻じ曲げ、どんなミスもうやむやにしてしまい、あまつさえ相手に謝罪すらさせるほどだったが、それが通用しない相手だということは骨身にしみて理解していた。

「あ、はい、じゃねえだろ。面倒な書類はぶいてIDカードだけで済ませるようにって、とっくに改定されてるはずだぞ」

「いや、彼女がIDカードの提示を……」

 ピタリと足を止め、夕季が振り返る。

 その氷のようなまなざしを受け、みるみる大城の血の気が引いていった。

「……。あ、いや、窓口の者が確認を怠ったようでして……」咄嗟に受付け係の職員を、般若のごとき形相で睨みつけた。「そうだな!」

 バチバチと不気味なウインクをぶちかます。

「……は、い」

 しかし、それを見過ごすほど桔平は優しくも甘くもなかった。

「おいこら、下のモンに責任おっかぶせてんじゃねえぞ」

「あ、いや……」

「てめえ、何見てやがる。オビィの顔ぐらいちゃんと覚えとけ! 俺らはあいつらのおかげで食ってけるようなモンだろが。あいつらがいなかったら、とっくに失業だぞ」

「……あ、いや……」

「あ、室長はほんの今しがた戻って来られたばかりで、この件に関しては……」

「だから、くだらねえ言い逃れしてんじゃねえぞ!」

 取り巻きの男の助け舟は逆効果となり、さらに火事にガソリンを注ぐこととなった。

「何日前に送ったと思ってんだ! 俺はそういう見え透いたその場しのぎの嘘が大嫌いなんだってばよ! 仮にそうだとしても部下の監督不行き届きだ。ガッツリ徹底させなかったあんたの責任だ。しらばっくれてんじゃねえぞ。おんなじ監督不行き届きで、安藤さん、呼びつけるぞ!」

 ここへきてついに観念し、真っ青になって大城が頭を下げた。

「すみませんでした!」

「すみませんですむか! こっちは顔に泥塗られたんだぞ。べっちょり塗りまくりやがって。てめえらの怠慢のせいで信用までスカンピンだ。どうしてくれんだ!」

 おろおろとうろたえ、全面的に謝罪をするのみのトップエリート達。

 しかし怒り収まらぬ桔平は、仁王立ちのまま煮えたぎる鍋へ自ら入るよう彼らに要求してきた。

「おい、あの頑固モンが納得するように説明しやがれ。でねえと承知しねえ……」

「もういい」

 それは今度こそ本当の助け舟となるはずだった。

 ムッとなって振り返った桔平を、ムッとなって迎え撃つ夕季。

「いいこたねえだろ!」

「いい。納得したから」

 ほっと胸を撫で下ろした原因者の二人だったが、火薬たっぷりの癇癪ダマは一向に沈静化する気配もなかった。

「よかねえ。俺はこいつらのせいでおまえに濡れ衣着せられて疑われた。気分が悪い。それはもう最悪だ! 最も最悪だ! 英語で言うと、ベストの最上級、ベステストだ! 日本語で言うと、超最高だ! ……あれ、最高?」

 すると夕季がやや顎を引き、一歩退いた。

「……ごめん」

「ああ?」

「あたしの勘違いだったみたいだから。……疑ってごめんなさい」

 それでも収まらぬ、恐ろしい男。

「いいや、駄目だ。そんなじゃ駄目だ。こいつらちっとも懲りてねえ。さっきも一瞬で他の奴のせいにすりかえようとチャレンジしやがった。いつもそういうことやって、下の奴ら泣かしてるに違いねえ」

「……」図星だった。「ああ、いえ、まあ……」

「あーみーまーだと!」ギギギッと、桔平が大城らを睨みつけた。「おい、おまえら、こいつにもうしませんって土下座しろ」

 眼光の鋭さに皮膚が裂けんばかりの痛みを覚える蒼白の二人。最悪の事態にもはや何も考えられなくなっていた。

 だがそれが桔平にとっては命取りとなる。

「そんなことしてほしくない!」

 怒り心頭に発した夕季に対し、とりあえず一歩も譲らずに応戦を試みる桔平。

 しかし真なる正義の心が、邪心ごときには折れようはずがなかった。

「いい加減にしなよ! 自分が何言ってるのかわかってるの!」

「いやな、おまえのためだけじゃねえ。こいつらが二度とこんな過ちをおこさねえようにだなあ……」

「やりすぎだよ! 最低だ!」

「何だと!」

「史上最低!」

「それは言い過ぎだろ! ……それ、流行ってんのか?」

「そんなふうだから缶で手を切ったりするんだよ!」

「関係ねえだろ! そんなまるでマヌケみてえに言われるとヘコむじゃねえか!」

「大マヌケだよ! そんな人、見たことない!」

「なんとまあ、とんでもねえことを言い放ったもんだな、この猫娘は!」

「うるさい!」

「おお!」

 不思議な光景だった。

 目の前にいるのは確かに、自分達が束になってもまるで歯が立たない鬼の副局長のはずだった。それがたった一人の女子高生にたじたじになっている。

 桔平と対等の立場でものを言う少女の存在を、大城達は畏怖するように眺めるだけだった。

「もういい。弱い者イジメをするような人とは話したくない」

「誰が弱い者イジメだ。イジメはさいてーだ。イジメかっこ悪いだろ。俺がそんなゾノに嫌味言われるような駄目人間に見えるか!」

「最低でかっこ悪いからそのままじゃない!」

「ふざけんな、俺はセクハラはしてもイジメなんてぜってえしねえ! そこまで落ちぶれてねえ!」

「いい加減にすれば! いつも変なことばかり言って人にからんで」

「俺のどこが変だってんだ!」

「変だよ、全部。だから変人って言われるんだよ。もういい年したおじさんなんだから、自覚しなよ」

「なんだ、てめえ、まるで俺が変なおじさんみたいなふうにいいやがって! ガキのくせに上から目線で自覚しろとか、ほんとにもー! その、この人変なんですって顔、やめれ!」

「頭の中の方がもっと変だよ。ベステストとか、バカなの」

「……そこはあんまりつっこんじゃいけないとこなんだぜ」

「もういいよ! 耳が腐るから、二度と話しかけないで」

「てめえ、スネてりゃどうせ後で俺から泣きついてくとか思ってんじゃねえだろうな。そんなナメた考えでいるなら、後で悔やんで後悔するぞ」

「嫌がらせでも何でもすれば。もともとそういう人間だと思ってるから、相手にする気もないけど」

「なに~、てめえ、黙って聞いてりゃ!」決して黙って聞いてはいなかったのだが。「こら、待て!」

 夕季の肩に手をかける桔平。

「触らないで!」

 振り向きざま、そのみぞおちに夕季は必殺の掌底を撃ち放った。

「だっふんっだあ!」ずずずず、とうずくまる。「……死んじぃまうって、俺じゃなかったら、確実に死んじまうってば……」

「謝らないから」

 一瞥もせず、ぷんすかと湯気を噴き上げながら夕季が去って行く。

 わなわなと手を伸ばし、桔平がその背中をつかもうとした。

「おい、待て、夕季……」

 あ然とする大城らに気づき、最後の気炎をぶちまけた。

「何だコラ、文句あんのか!」

「いえ……」

「いえ、いえ……」

 無条件降伏の二人を睨めつけたまま立ち上がり、ふん、と鼻息を荒げる。それから情けない表情になって、桔平は夕季を追いかけていった。

「おい、夕季、待てって。悪かった、少々俺がやりすぎだったかもしれん。確かに土下座はひどすぎるな。反省した。そこまで言われると逆に腹立たしいを通り越してせつない感じになってきた。正直ムカついて仕方がないが、ここは一つ穏便な感じでいこうじゃねえか。おい、待ってくれ。なあ、ケーキ食いに行こう。おごってやるから。さいわいなことに、ここにレーなんとかの割引券がある。あ! 今日までだ! なんと二名様までって書いてある。ちょうどいいな! なあ、待てって……」

 静まり返るフロアー。

 嵐が去っても余韻は消えず、大城達は呆然とその場に立ちつくすだけだった。

 やがてどこからともなく拍手が巻き起こる。

 スタンディング・オベーションの波に乗り損ねた二人が、その中心でぽつんと佇んでいた。

「……何とか、あの娘だけでも取り込めないものだろうか……」

「諦めましょう」

「……」

 ぼそりと呟いた大城の本音を、取り巻きが顔も向けずに否定する。

「もうやめませんか? これ以上、関わりあいたくありません……」

「……」







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