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第二十一話 『二人の記憶(かけら)』 4. ルールブックへの不満

 


 新年度への切りかわりの中、メガル本棟総務部庶務課はてんやわんやの大繁忙だった。

 その窓口で男性職員と夕季が対峙していた。

 学費免除の申請書類と新規のIDカードを手にした夕季に、職員が陰険そうなまなざしを差し向ける。

「あのね、これを申請するためには他に規定の承諾書がいるの。いつもやってるからわかってるはずでしょ」投げやりな態度で別の用紙を差し出した。「ここに身元引受人の署名と実印を押してもらってからもう一度来て。謄本と印鑑証明も忘れないでね」

 ぶすりと告げられ、夕季が口をへの字に曲げた。

「でも、承諾書なしでもいいって聞いてきたんですけど」

「あーのね」

 騒ぎを聞きつけ、奥の方からさらに輪をかけて陰険そうなまなざしの主がのしのしと歩み寄る。

 フロアーの責任者、切れたナイフの大城だった。

「どうした?」

 大城に問われ、瞬時にその職員が勤勉さを身にまとう。あなたを心から信頼しています、といった笑みを大城へ注ぎ、そそくさと近寄って行った。

「ああ、室長。たいしたことじゃないのですが、財団関連の子供が承諾書もなしに学費免除の手続きをしろって言ってきているんですよ」

「ほう。何もしないで金ばかり恵んでもらおうとする卑しいガキどもか」

 小声で告げた職員の気遣いも何のその、大城は夕季の耳にぎりぎり届くような声をわざと発した。このフロアーのトップは自分であり、行動や発言においても誰はばかることないことをアピールするふうでもあった。

 その顔を頼もしげに眺め、いやらしい笑顔を浮かべた職員が夕季へ目線を差し向けた。

「なんでも柊副局長に許可を貰っているからとかで。そんな話、聞いたこともありませんが」

 その名前を耳にするや、大城の脳天がカチンと音を立てる。

「なんだと! あの男に何の権限がある。いくら副局長だからと言っても、越権行為だ。そんなことをいちいち許していては、規律が保たれん」眉をつり上げ、今度ははっきりと夕季に聞こえるように大声を張り上げた。「何でもかんでも副局長の名前を出せば通ると思っているのなら大間違いだ。ここの責任者は私だ。他はどうであれ、ここでのやりとりは私の権限において、あくまでも規定の取り決めに沿った形で行う。キチンとした手続きを曲げることなく承諾書と申請書を提出させろ。何か問題があればこちらでキッチリ対応する。くだらん圧力をかけてくるようならば、すべて報告しろ。なあなあは許さん。私がここのルールブックだ」

 ほおおお、と感心する周囲とは対照的に、夕季の表情がムッとなった。

「駄目なんですね」

 睨みつける夕季へ、あきれたような顔で振り返る二人。

 窓口へ戻った職員が完全に見下したまなざしを向けてきた。

「だからー」はああ~、とため息をつく。「困っちゃうなあ……」

 すると夕季はわずかに眉をひくつかせ、奪うように承諾書をひったくり、後の言葉を遮った。

「わかりました。どうもすみませんでした」

 退室する前に大城と目が合う。

 大城も明らかに小物眼中にあらずといった表情で夕季の方を見続けていた。それから取り巻きと二言三言ぼそぼそ交わし、嫌な顔で笑ってみせた。

 込み上げる想いをぐっとこらえ、口をへの字に曲げたままの夕季が退室しようとする。

 その時、聞きなれた声がして足を止めた。

「司令部からの請求書類を持って参りました」

 忍だった。

 その姿を確認するや、途端に大城がこそこそと後方へ隠れにかかる。

 手続きを終え振り返った忍の視界に、への字口の夕季がフレームインした。

「何やってんの。こんなところで」

 何とはなしにたずねる。夕季が悔しそうな顔をしているのを不思議そうに眺めた。

「学費免除の申請」唇を噛みしめる夕季。「駄目だって言われたけど」

「なんで?」

「承諾書がないから」

「……当たり前でしょうが」

 あまりにまっとうな流れに、忍も拍子抜けした顔を向けることしかできなかった。

 それを見て夕季の想いがあふれ出た。

「でも桔平さん、IDカード見せるだけで他に必要書類ないって言ったよ。申請書も名前だけでいいって言ってたのに、ここに来たら全部書いて出せって言われた」

「そう言えば、そんな書類を回したような気もするけど……」ふうむ、と考えをめぐらせた。「まだこっちでシステムアップが完了してないんじゃないの? 今回は前みたいに出しときなよ」

 あまりにまっとうすぎる受け答えに、夕季がさらなる悔しさを募らせた。

「あたしは最初からそのつもりだったのに、あの人が必要ないって言い張ったんだよ。それ信じてたのに……」

 桔平のことを言っていることを瞬時に理解し、忍がようやく夕季に同情を寄せる気持ちになった。眉を寄せ、宥めにかかる。

「しようがないじゃないの。大きな組織なんだから、行き違いとかも起きるって」

「……あの野郎」

「こら、夕季、なんてこと言うの!」

「だって、ここの人にすごく馬鹿にされたんだよ。あんな言い方しなくてもいいのに……」

「我慢しなって。こっちは援助受ける側なんだから。後でちゃちゃっと書いたげるよ」

「でも、ここに来るたびにいつも嫌な気分になる。本当は来たくないけど、ずっと我慢してるのに」

「じゃあさ、あたしが出しといてあげるから。職員が保証人だったら添付書類とかいらなかったはずだし」

「そういうつもりで言ったんじゃないけど……」

 自分の幼い言動に気がつき、夕季が反省する。

 その頃、取り巻き達の不思議そうな視線の中、大城の顔色が真っ青に変色しつつあった。

「そう言えばあんた、進学届け、どうして出さなかったの」

 忍の何気ない問いかけに夕季が表情もなく答える。

「しないからいい」

「行っときなって。せっかくメガルが全額負担してくれるって言ってくれてるんだから」

「いい。お姉ちゃんも進学しなかったし」

「あたしは関係ないでしょ。学校から受験料まで出してくれるって言われてるんでしょ? 行きなよ。優秀な生徒だって認めてくれてるんだから。施し受けたくないのなら、奨学金制度だってあるんだしさ」

「そういうわけじゃないけど……」

「あたしもだけど、いつここでお役ご免になるかわからないんだよ。できることはなるべくやっときなって……」

「あの……」

 おそるおそる申し出た声に、二人が振り返る。

 大城と取り巻きが困ったような顔を向けて通路に立っていた。

「その人は……」

「あ、私の妹です」会釈の後、はきはきと返答し大城へ笑顔を向ける忍。それから夕季へ目配せした。「夕季、挨拶しなさい」

 すると、ぷいと顔をそむける夕季。

 うろたえるような大城の顔が、忍の視界に飛び込んできた。

「夕季!」

 激高する忍の圧力に押され、夕季がしぶしぶながら頭を下げる。

 そんな二人のやり取りすら心にとどまらず、大城と取り巻きは放心したような顔を並べるだけだった。

「……。古閑さんの妹さん、ということは……」

「空竜王のオビディエンサーの古閑夕季さんですね……」

 大城が、はっとなって振り返った。

「おい! 通達!」受付け係の職員を睨みつける。「こら! 何故ちゃんと確認しなかった!」

 頼もしきリーダーの信じがたいほどの狼狽振りに、職員もことの重大さを瞬時に感じ取ったようだった。

「すすす、すみませせん!」すぐさま端末機をチェックする。しかし何の情報も得られなかった。「何もきていませんが……」

「そんな馬鹿な!」

「室長」取り巻きの男が平坦にそれを口にした。「その類の通知は、一度室長が確認してからフロアーの職員に配布するようになっていたかと……」

「……」思い当たる節にたどり着き、弾かれるように取り巻きへ顔を近づけた。「すぐに、手続きを!」

「は、は、はい!」

「お~い、しの坊」

 聞きなれた声に、ルールブック大城の全身が縮み上がる。

 振り返る必要はなかった。

 いろいろな意味で。






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