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第十七話 『花・前編』 4. 下品な男達



 とある休日。夕季や桔平らはドラグノフに招かれ、メガル敷地内の彼の仮住居で妻アレクシアの手料理を振る舞われることになっていた。

「おい、てこたあよ、こう言ってやがんのか……」話し終えたドラグノフを真顔で睨みつけながら、押し殺した口調で桔平が切り出す。「中途半端なことが何より嫌いな上官が、いかにもハンパな部下達に向かってこれからはビシビシやるから覚悟しとけっつったら、部下の一人がおそれ多くもって感じで申し出て、お言葉ですがこの隊で一番中途半端なのは隊長殿のナニであります、つって隊長の顔を潰したってことでいいのか?」

「そのとおりだ」腕組みをし、得意顔でドラグノフが頷く。「よくできたな、キッペイ」

「ほおおおお! すげえな、ロシアン・ジョーク!」

「すごいだろう」

「すげえ!」

「あんたらのがすげえって」辟易する面々の中、桔平の横で礼也がとぐろを巻いた。「一から全部ネタ確認しやがったな。どっかで使う気、マンマンじゃねえか」

 ふん、と桔平が鼻息を荒げる。

「よし、今度みっちゃんか夕季に言ってやろう」

「あたしも夕季もここにいるけどねえ~」

「……」

「んじゃ仕方ねえ、光輔」

「俺もここにいるす……」

「しの坊なんかに使ったらせっかくのジョークがもったいねえからな。こんなこと聞いたらあの野郎また、セツネーす、とか言いそうだけどな、あっはっは!」

「目の前で全部聞こえてるんスが……」

「どんだけ気持ちよく酔っぱらってやがんだって……」礼也があきれ顔をアレクシアへ向ける。「ロシア人てのは、このオッサンみたいに国中全部下品なのかよ」

「礼也!」

 礼也をたしなめる忍に笑顔を向け、料理を振舞いながらアレクシアが穏やかに口を開いた。

「ロシア人はみんな真面目よ。イヴァンだけ特別に下品なの」

「そんなことはないぞ、アレクシア」不本意そうにドラグノフが見上げる。「君だって下品なジョークが大好きだと前に言っていただろうが」

「そんなこと言った覚えはまったくありません……」

「ほら、あれをみんなに言ってやったらどうだ。あれだ」

「あれって、どれだ?」桔平が合いの手を入れる。「またシモネタじゃないだろうな」

「いや、シモネタじゃない。あれだ。ロシア軍人の屈強さを試すために将軍がムチで兵士を打って、痛くないのかとたずねてもその兵士がまるで動じないから、今度は将軍が兵士のナニを取り出してムチで打ってそれでも声一つあげないから、さすが祖国の誇る勇士だとばかりにその兵士に本当に痛くないのかとたずねたら、その兵士が、痛くないであります、将軍殿の打っておられるのは私の後ろの男のナニでありますから、っていうやつだ」

「知りません……」

「シモネタじゃねえか……」

 アレクシアや礼也をはじめとする面々がそろってげんなりする。

 ただ一人、桔平だけが興味津々で身を乗り出してきた。

「ほお、そりゃどういう内容なんだ?」

「いや、今オチまで全部聞いちまったじゃねえか」

「つまり何か? ロシア人てのはナニもタフだってことで……」

「ホントにわかってねえのかって!」

 桔平とドラグノフが顔を見合わせた。

「おそろしいな、ロシア人は」

「おそろしいだろう」

「あんたらの方がおそろしいって……」

 腕組みをし、ふうむと唸る桔平。

「ロシアン・ジョークってのはヌキどころ満載だな。ヘタなアイドルの写真集よりよっぽど実用的だ」

「どう実用すんだっての」

 はっとなって雅が顔を向ける。

「まさか、ヘタなアイドルって、あたしのことじゃないでしょうね!」

「おまえはアイドルじゃねえだろって」

「いや、みっちゃんのことなんだけどな」

「そうなんかよ!」

「まあ、悔しい! きい~!」一心不乱にボルシチをかっくらう。「おいしい! おぼえてごらん!」

「ごらん?……」

「バカだろ、おまえら……」

「がっはっはっは!」豪快に笑い飛ばし、ドラグノフがグラスを差し上げた。「乾杯だ、キッペイ」

「おお、乾杯!」

 一嵐が過ぎ去り、ボルシチの濃厚な味わいに全員が舌を巻く。

「んまい! おかわりだ!」

 桔平が子供のように真っ直ぐ皿を突き出す。

 その横でガツガツとかっくらっていた礼也が続いた。

「俺もだって!」

「うまいだろう。うちのボルシチは贅沢にも牛肉をたっぷり入れてあるからな」

「前に向こうで食った時はスカスカだったぞ……」

「そのとおりだ。今回は見栄をはって大量に購入してきた。おかげで破産だ。金を貸してくれ、キッペイ。今度のクリスマスには返す」

「一年後か!」

「ロシアまで取りに来てくれ」

「てめえが持ってこい!」

「来ても返す気はさらさらないが」

「ねえのかよ!」

「大丈夫だ。私が不慮の事故で死んだらその保険金でアレクシアが返しに来るかもしれない」

「いや、ぜってえ駄目だろ!」

「そうか、あっはっは!」

 アンコールの雨あられに、アレクシアは嬉しそうに応じていた。

「たくさんおかわりしてね。私達だけでは食べきれないほど作ってしまったから」

「いや、すいませんなあ、奥さん」遠慮のかけらもなく桔平が皿を差し出す。「あ、肉は多めでもかまわねえからな。俺に気を遣うなよ、アレクシア」

「ええ……」

「んだと!」隣から礼也が睨みつけた。「俺もそれでもかまわねえって。気遣い無用だ」

「はいはい」

「貴様らがもっと気を遣え!」

 苦々しげに吐き捨てる木場を、対面からドラグノフがおもしろそうに眺めた。

「はっはっは、気にするな、キバ」

「しかし……」

「気にすんじゃねえ」桔平がジロリと木場を見やる。「てめえはもっと自分のブサイクなツラを気にしろ。悩め」

「なんだと!」

「悩めって。悩んでもブサイクはなおんねえけどよ。悩んでハゲとけって」

「礼也……」

「がっはっは!」ドラグノフが豪快に笑い飛ばした。「日本人は奥ゆかしい民族だと思っていたが、君達のようにずうずうしくてあつかましい人間もいるのだな、キッペイ」

「いや、おまえも客に気を遣えよ……」

 あきれ顔の夕季の横からアレクシアが皿に手をかけようとした。

「あなたもどう? ユウキ」

 夕季がぐっと身がまえた。

「……少し」

「遠慮しないで」

「……」

「あ、俺も!」光輔が皿を真上に差し上げる。夕季にジロリと睨まれ、わずかに手を下げた。「……少しお願いします」

 横目で見つめ合う二人をアレクシアは不思議そうに眺めていた。

「あの……」眉を正し、おずおずと忍が手を上げる。「私ももう一杯頂いてもよろしいでしょうか」

「ええ、いいわよ」

「あ、じゃあ、大盛りで」

「お姉ちゃん……」

「……だって、おいしいから」

「遠慮しないで」笑顔でアレクシアの目がなくなる。「ユウキとコースケもお肉たくさんでいい?」

「あ、う……」

「お願いします!」

「……。あたしも……」

「はいはい」

「あ、あたしも~」もくもくと食べ続けていた雅が皿を真っ直ぐに突き出し言い放った。「てんこ盛りで」

「テンこもり?」

 アレクシアがおもしろそうに笑った。

「あ、私、手伝います」忍が立ち上がる。「すみません、そんな大変な時なのに」

 アレクシアが笑みをたたえ、大きく張り出したお腹を見下ろした。

「いいのよ。少しくらい動いていた方がいいみたいだし。それにあなた達は、イヴァンの大切なお友達ですから」

「ドラちゃんも友達少ねえからな」

「はっはっは!」桔平に顔を向け、ドラグノフが豪快に笑ってみせる。「そのとおりだが、キッペイに言われると腹が立つな」

「何!」

「自分だって木場さんしか友達いないくせに」

「んだあ!」副食の揚げパンをちぎって口へ運ぶ夕季を、桔平が睨みつけた。「おまえは人のこと言えねえだろ!」

 夕季がぷい、と顔をそむける。

 隣の部屋から様子をうかがっているマーシャに気づいた。

 マーシャは夕季と目が合うと、照れたようにうつむき、部屋の中へ隠れてしまった。

「……」

「キッペイ、パンプーシュカのおかわりもいかが?」

「いやいや、すいませんなあ、奥さん。遠慮なく」

「はっはっは、少しは遠慮しろよ、キッペイ。客人のくせに卑しいぞ」

「いや、おまえが遠慮しろよ……」

 ドラグノフが夕季へ向き直った。

「ユウキ、君もどうだ?」

「……」ドラグノフの呼びかけも耳に入らなかった。

「ユウキ?」

「……」


 ポンポンに膨らんだ腹をさすりながら、満足げに光輔がドラグノフの居宅から出る。

「あ~、うまかった」

「光ちゃん、食べすぎ。四杯も」

 雅がおもしろそうに笑う。

「や、うまくてさ、つい。綾さんいたら、全部食べちゃってたな」忍へと振り返る光輔。「しぃちゃん、今度あれ作って」

「無理です。作り方がわかりません」

「無理だよねえ。三杯も食べちゃってたくせに」

 忍が恨めしそうに雅を眺めた。

「おまえも三杯食べたじゃん」

「うん、おいしくてね、つい」

「大丈夫だ」

 力強く頷いた木場へ三人が振り返る。

「レシピは聞いておいたぞ」

「……それはまた」

「すごいすね……」

「……ねえ~」

「まず俺が今度トライしてみる」

「……それはまた」

「すごいすね……」

「……ねえ~」

「作れんのかよ、ゴリア料理」

「ゴリア料理とはどういうことだ、礼也!」

 桔平が伸びをする。

「案外たいしたことなかったな」大あくび。「所詮ロシア料理なんてモンはあんなところか」

「六回もおかわりしといてよく言いますね」光輔があきれ顔で呟く。

「あんなもんだって」礼也が桔平に頷いてみせる。「異常な期待かましてんじゃねえって。がっかりするだけだからよ」

「おまえも五杯食ったじゃん……」

「だな、あれじゃ食いモンレベルでいけば、駅前の定食屋の味噌カツと大差ねえ。あんなモンだろうな。うまかったけどよ」

「んとだって、あれじゃフレールの極上メロンパンのが上だって。うまかったけどよ」

「もりもり食べちゃってたよねえ~」にゅっ、と雅が笑う。「うまいうまい言ってたし」

「いや、実際うまかったって。でもよ、メロンパンと比べるモンでもねえだろ」

「自分で言ったくせに……」

「んだ、光輔、言いがかりつけんな、てめえ!」

「おまえ自分が何言ってるのかわかってる?」

「ああ!」

「光輔、勘違いすんな」桔平が厳しい顔で光輔を見据える。「ボルシチ自体がうまいんじゃねえ。アレクシアが作ったボルシチがうまいんだ」

「おお! 俺もそれが言いたかったんだって!」

「結局おいしかったんだよねえ~」

「うまかったな、ゴリア料理」

「うまかったって、ゴリア……」

「ゴリアじゃないだろう!」

 最後尾に夕季の姿があった。

 一月とはいえ午後の陽射しは温かく、気持ちがよかった。

 何気なく顔を向け、裏庭のプランターの前でしゃがみこんでいるマーシャに目を止めた。

「綺麗なお花だね」

 ビク、とマーシャが振り返る。

 夕季が覗き込んでいた。

 いくつもの大型プランターの中に赤、黄、白の花が彩りよく咲き並ぶ。

「なんて言うお花なの?」

 日本語が話せないマーシャには、夕季が何を語りかけているのかわからない。

 それでも眉間にぐっと力を込め、顎を引きながら夕季へ一輪の花を差し出した。

「くれるの?」

 夕季を見据え、マーシャが頷く。

「ありがとう」夕季が笑いかける。

 するとマーシャはすっくと立ち上がり、逃げるように家の中へ入っていってしまった。

 鮮やかな赤い花を手にしたまま、夕季はその後ろ姿を目で追いかけた。

「珍しいですよ、あの子からお花を渡すなんて」

 アレクシアの声に夕季が振り向く。

 流れるようなブロンドに優しそうな笑みをたたえ、夕季の手にする、まるで花束のようなプリムラ・ジュリアンをアレクシアが眺めていた。

「あの子は本当に好きな人にしかお花をあげたりしませんから」少しだけ目を伏せた。「イヴァンですら、もらったことがないのに……」








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