第二十一話 『二人の記憶(かけら)』 3. ケガのわけ
新学期初日も無事に過ぎ、光輔と夕季がメガルへ顔を出す。
メック・トルーパーの事務所で新規のIDカードを桔平から受け取る手はずになっていた。
桔平の顔と右手を夕季が交互に見比べる。
「……。よくなった?」
「んあ?」右手のサポーターのことだと気がついた。「だいぶいい」
「そう……」
「どうかしたんすか?」
「んお?」途端に不機嫌な顔になり、光輔をぐぐいと睨みつけた。「どうもこうもねえって。しの坊のへたっぴがスキー場でぶつかってきやがってよ。思い切りしがみついてきやがって、そん時こっちの手首をぐりっとだな」
「へええ」
「綺麗にアームロックがきまってた」
「へええ……。それは痛そうすね」
「いてえのなんのって、あの野郎、すげえバカヂカラでよ。おかげで一週間くらい字が書けなかったっての。小学生みたいな字で恥ずかしかったんだってばよ」
「いつもとあまり変わらなかった」
「てめえ!」
「はは……」
「あいつだけ無傷でよ。あんなビビッてやがったのに、ボーゲンができるようになったら、おおはしゃぎしやがって。何が、また来週も行きませんか? だ!」
「……。スキー、行ったんすね?」
「光輔は練習試合だって言ってたから」
やや申し訳ないといった様子で口を尖らせた夕季が、バツが悪そうに光輔を眺める。
「別にいいけど……」
「……」
「ところで礼也は?」
桔平の声に二人が顔を見合わせる。
「たぶん、パン屋だと思います」
光輔の憶測を受け、桔平の瞳がメラメラと燃え上がった。
「あのバカ、二時に来いっつっといたのに。おまえら、今日なんざ半ドンだろうが。余裕で間に合うはずだぞ」
「まあ、そうですけど……」光輔が夕季の顔をちらと見る。「始業式でいきなり桐嶋さんに駄目出しされてましたからね、あいつ。スネてどっか行っちゃったのかも知れないす」
「桐嶋さん?」
「去年の生徒会長の人です。あいつ、なんでだか、その人には頭が上がらないみたいで。パン買いに行くだけじゃねーか! ってあいつの声が遠くから聞こえてきましたけど、みんな関わり合いになりたくなくて知らん振りしてたのに、そんなくだらないことにもちゃんとつきあってくれる、できた人です」
「ああ、前にドラやんの見舞いに一緒に来てたっつう女の子か」そう言えばと思い返し、眉間に皺を寄せる。「ドラやんの奴、その娘気に入っちまって、調子に乗ってつまんねえロシアン・ジョーク、アホみたいにぶちかまして、ドン引きさせちまったらしいがな」
「ははは……」
「……」
「なんか弱みでも握られてやがんのか?」
「さあ、どうすかねえ……」
「おい、光輔。特命だ、その娘のことを探ってこい」
「へえ!」
「俺も奴の弱みを握りたい」
真顔で言い切った桔平の眼前で、光輔と夕季が困ったような顔を見合わせる。
「なんだったらここに連れてきてもいいぞ。メガルの副局長さんとお知り合いになれるんだから、その娘も喜んで飛んでくんじゃねえか。で、みんなでケーキ・バイキング行って、コンパでもバカ受けの、俺のマジカルトークでガッツリつかんでよ。まてよ、あのバカ野郎対策で、臨時アルバイトとして俺の補助をしてもらうって手もあるな。俺のまわりはしの坊だけで色気がゼロだからな……」
「ドン引きされるよ」
「……何言ってんだ、おまえ?」
「桔平さん、すぐ変な話するから、相手の人達がすっかり引いちゃって困るって、駒田さん言ってた」
「変な話って、○○コの話のことか?」
「……」
「コンパでそんな話してんすか……」
「はあ!」不機嫌そうに振り返る。「おまえ、全然わかってないな。○ン○の話はテッパンだろ。ナウなヤングがバッチグーだ」
「……たとえば」
「たとえば? まあ、今まではずした記憶がないとこで言うとだな。んんんん! ……。コーンって最強だよな、噛んでも噛んでも出る時は元通りになってやがるし、どうなってやがんだ、ナウ。うっひゃっひゃっひゃ! どうだ」
「史上最低すね」
「バカ野郎!」
突然の桔平の大声に光輔がビクッと反応する。
「世の中には言っていいことと悪いことがあるだろうが!」
「……すいません」
「赤い彗星の人が赤ちゃんに、あ~んしてあ~ん、とか言っちゃおかしいだろ?」
「……それは別にいいんじゃないすか」
「あと自分より若い奴に殴られて思わず泣いちゃったりしてよ」
「あ、何言ってんすか……」
「泣いて頼むから仕方なく連れて行ってあげてるのに、すごく迷惑だって」
「何ぃ~!」渋茶を口に含んだ時の顔で夕季を睨みつける。「いやいや、それはない。女の子はコワイ話はNGワードだが、ウ○○の話は大好きだって俺は聞いたぞ。確かな情報だ」
「……誰に聞いたの」
「みっちゃんだ」
「あ~、盛大に踊らされちゃってますね」
「え? え?」
「どうしてそんなこともわからないの」
「……。うん、まあ、そういうこと言うのはいいんだけどよ、そのかわいそうな感じの目で見るのはやめてくれ」
「だって……」
「だって?……」
差し上げた桔平の左手に大きな絆創膏が貼られているのに、夕季が気づいた。
「そっちもケガしてたの?」
「ん? まあ、別件だがな」
「どうしたの」
すると桔平が神妙な表情に切りかわる。
「教えてやろう」遠くを見つめるまなざしになった。「この傷の理由を知ったら、おまえ達は恐ろしくてコンビーフが食べられなくなるぞ」
「……」かわいそうなものを見る表情になった。「コンビーフの缶で切ったの?」
「……」驚愕。「あれ? なんで知ってるんだ? 超能力か?」
「……。今言った」
「え? まだ言ってねえよな?」
「言った」
「え? え?」
「バカなの?」
「まったくストレートだな、てめえ!」夕季に梅干を食べた時の顔を向ける。「……だから、そういうあわれみのまなざしで見るのは勘弁してくれ」
「そんなふうに見てない。哀れすぎてかわいそうになってくるけど」
「おお、今まさにそんな感じの顔だ……」
「……別にどっちでもいいけど」
「ははは……」笑うしかない光輔。「口の端っこも血が出てますけど」
「いや、食う時に缶で口の端っこも切っちまってよ。いてえのなんの」
「どうしてそんなところを切ったの」
「犬食いでもしたんすか」
「それしかねえじゃねえか。左手は血だらけだし、右手は力はいんねえし。犬食いする時はおまえらも気をつけろよ」
「……言葉が出ない」
「……出ないね」
用事がすみ、食堂で夕食をすませようとする光輔らと別れ、一足先に夕季がその場から離れようとした。
「お姉ちゃんがまたご飯食べに来てって」
「ん、わかった」
二言、三言、光輔と言葉を交わし、夕季がメガルを後にする。
その背中を見送りながら、光輔の横で桔平がポツリと呟いた。
「あいつは平和な世界では生きていけないタイプの人間だな」
「そうすかねえ……」
桔平が、うんうんと頷く。
「もろ、くの一タイプだろ。だいたい友達いねえし」
「……」光輔が複雑そうに眉を寄せた。「いますよ。ああ見えて」
「……」桔平も複雑そうに眉を寄せた。「そんなこと言ったら、俺の立場がねえじゃねえか……」
「……。自分も友達少ないからすか?」
「……。俺は誘ってくれなかったな、あいつ……」
「……」