第二十一話 『二人の記憶(かけら)』 2. クラス替え
山凌学園高等学校は新年度の初日を迎えていた。
新入生の入学式に先立って、前日は在校生達のクラス替えで賑わう。
二年C組の教室では新しいクラスメイト達のはしゃぎ声を尻目に、小川秋人が静かに自分の席へ腰を下ろした。
一学年時、国公立大学進学志望者を中心とした、成績優秀者が集められた選抜クラスに在籍していたが、進路調査で私大入試希望を提出したため選抜からはずれ、一般生徒達と同じクラスへ振り分けられたのだ。
窓際の後ろから二番目の席にポツンと座る。何人かは見知った顔もあったが、それほど親しい友人もいない。小さなため息をつくと、他に何もすることがなくなった。
騒々しい室内を羨ましげに見渡した時、意外な顔が飛び込んできた。
「あ」
斜め後ろの席についた人物を見て、秋人がポカンと口を開ける。
夕季の姿があった。
一瞬戸惑いを見せ、すぐさま安心したように秋人が笑った。
「古閑さんもこのクラスだったの……」
「古閑ちゃんじゃねえか!」
返事をする間も与えず、突然聞き覚えのある朗らかな声が乱入してきた。
ゆるやかに振り返る夕季に満面の笑みが飛びかかる。
羽柴祐作だった。
その後方に顔を赤らめる曽我茂樹の姿があった。
「あの、古閑さん……」
「古閑ちゃんもこのクラスだったんかよ!」
「あ、う、……ん」
「よかったな、茂樹、一緒でよ」
「ああ、よろしく……」
「篠原も一緒なんだってよ。俺らは隣のクラスだけど。あ、後で光輔も来るってさ。あいつは体育コースだから、相変わらず一人っぽだけどな」
茂樹を容赦なく押しのける祐作の勢いにのまれ、夕季が顎を引く。
そんな心境も介さずに、祐作はさらに押し込んできた。
「どうしてよ? 頭いいのに。今回選抜じゃなかったの?」
「……。あたし、就職希望だから」
「あ、就職なん……」
「ええ! もったいない! こんなポンチキでも進学なのによ」
「ポン……」
苦虫を潰したような顔になる。茂樹が。
それから祐作が一方的に喋り続け、他のクラスから園馬祥子らが訪れる頃になって、ようやく夕季は開放された。
後ろ髪引かれる想いの茂樹の首根っこを引っ張り、祐作が祥子や篠原みずきらのもとへと向かう。
ふう、と一息つき、夕季が立ち上がった。
秋人は最初のうちはその様子をちらちらと盗み見していたが、自分よりも親しげに夕季と接する人間が他にいることはむしろ当然なのだという見解に至り、彼らの距離に踏み込まない方向を選んだ。
つまらなさそうに窓の外を眺める。
自意識が疎外感で埋めつくされそうだった。
自然と、それも仕方ないのかもしれない、などという考えが脳裏をよぎった。
何故なら前のクラスでの夕季は、別段秋人に心を開いていてくれたわけでもなく、ただ他に知り合いがいなかっただけなのかもしれなかったからだ。自分だけが特別だという思い込みは多少あったが、環境が変わって本来の彼女の立ち位置に戻るというのなら仕方がないことだとも思っていた。
もともとさほど親しいわけでもない。特に話が合うわけでもない。ただ分不相応な憧れの対象として、遠くから眺めていただけなのだから。
淋しさはあるが、自分が穂村光輔やその友人らほども夕季のことを知らず、到底彼らのように接することができないだろうことは重々わかっていた。
ふと、ひょっとしたら去年の夕季は、今の自分以上の疎外感を感じていたのではないか、とも考えた。
「小川君」
夕季に呼びかけられ、秋人の呼吸が一瞬停止する。
目を見開いて振り向くと、秋人の席の横に立つ夕季の姿が目に映った。
その背景で近寄ろうと手を上げた茂樹が硬直したのには気づいてはいない。
「小川君もこのクラスだったんだね」
探るように少しずつ夕季が声を発する。
すると秋人のテンションがひとりでに空回りし始めた。
「あ、俺、バカだしさ。前のクラスだと全然勉強ついていけてなかったし。なんだか、たまたま入試の時だけ調子よくてさ、でもやっぱ、まわりと違うなって思ってて。なんか、浮いちゃってたかなって。でさ、進学はしたいんだけど、まあどこでもいければいいかなって思ってるくらいだったし、だったら普通のクラスの方がプレッシャーとかないし」あっちこっちに目が泳ぎまくる。「のんびりやれる方が自分にあってるだろうし、こっちのがいいかなって。あ、古閑さんは違うんだろうけどさ」
「よかった。知ってる人がいて」
「!」
秋人の鼓動が高鳴る。もう少しで死んでしまうのではないかと思ったほどに。
もはやその顔を見ることすらできなかった。
「あ、お……」
「おーい、ゆーきー!」
入り口で光輔から名前を呼ばれ、夕季が振り返る。それから黙りこくってしまった秋人をちらと見て、夕季は光輔の方へと向かった。
姿勢を正し、秋人が机とにらめっこをし続ける。
顔は真っ赤に染まり、燃えるように熱かった。
かすかに表情をほころばせる。
秋人は知らなかった。
その様子を驚愕の形相で睨み続ける茂樹の姿があったことを。
「楓様」
からかうような口調の友人に楓が視線を向ける。にたにたとおもしろそうに笑うその顔を見る目つきは、心持ちすさんでみえた。
「また霧崎君と同じクラスだね。三年間一緒ってのも運命かもね。……って、なんか疲れてまんなー!」
眉をぴくりとうごめかせる。身体の内側からカアッと燃え上がるものを無理やり押さえ込みながら。
すると別の友人がやや気の毒そうに付け加えてきた。
「運命って言うかさ、意図的なものをアリアリと感じるよね」
ふん? という顔を向ける二人。
先の発言者が受け答えた。
「霧崎君の監視役?」
「うん。手綱って言うか、ストッパーって言うか。先生達もお手上げだから、この際丸投げしちゃおうって感じ」楓の方をちらと見やる。「ね? 桐嶋ちゃん」
ふうむ、と考えにふける。
「あるかもね。さっきも始業式抜け出そうとしてたのを楓が止めてたしさ。先生達は一生懸命見ない振りしてたのに、楓は偉いと思うよ。パン買いに行くだけじゃねーか! って、もうわけわからんよね」
「格下げになったてめえなんざ怖くねえ、だって。格下げって、生徒会長からクラス委員長になったってことかな?」
「てゆーかさ、やっぱ怖かったんだ。結局列に戻っちゃったし」
「あいそ笑いしてた大村が蹴られてたのは笑ったけど」
「桐嶋さ~ん、だって」
「……」
難しい顔になり楓が考え込む。
二人の友人はどんどん深くなるその眉間の皺を不思議そうに眺めていた。
「……。う~ん……」
「?」