第二十一話 『二人の記憶(かけら)』 1. スキーが好キー
春休みを利用して夕季は、忍や桔平らとスキー場へ繰り出していた。
木場の車の後席から足を踏み出した途端、照り返しの眩しさに手をかざす。
春スキーとはいえ週末の人手はまずまずで、すでに場内はかなりの人数で賑わっていた。
桔平らにとってはともに休日を合わせての日帰りツアーだったが、有事に備えて空竜王が付近まで待機させてあることは夕季自身には知らせてはいない。
遅れて助手席から抜け出た桔平が、ロングサイズのビール缶を片手に大きく伸びをする。
「くううう~、絶景だな。こりゃくららも立っちまうって。あ、くらくららしてきた……」
「……。そんなに飲んでて大丈夫なの?」
「んあ?」赤ら顔で不敵に笑う。「俺のスノボーは酔えば酔うほど強くなるからな」
「強くなっても意味がありませんね……」
木場とともに貨物スペースから荷物を出していた忍が困ったような顔を向けた。
「ん?」忍へ振り返る桔平。「しのぼーがスノボーか」
「いえ、私はスキーです」
新品のスキー板を取り出し嬉しそうにそう答える忍に、桔平は得意げに笑ってみせた。
「スキーが好キーなんだな」
「ええ、まあ……」
困惑の顔を見合わせる古閑姉妹。
その横で木場は仏頂面のままひたすら荷物を取り出していた。
「スキー場の入り口で何が絶景だ。まったく、自分だけ気持ちよく酔っ払いやがって」
「あ、帰りは私が運転していきますから」
「いや、いい。運転は俺がするから、おまえ達はゆっくり休んでいけ」
「あ、はい……」
夕季があきれたように息をつく。
「おい、夕季、ゆーきが積もってるぞ。ひゃほーい!」
「くだらないこと言ってないで、とっとと足でも折れば」
「何!」
白銀の尾根のなだらかな場所にスキーヤーとスノーボーダーが一組ずつ向かい合っていた。
夕季と桔平はスノーボード。木場と忍はスキーを選択している。夕季と忍はどちらも初めてなので、元自衛隊組がマンツーマンで教えることになっていた。
酔っ払いボーダーの後方から、スタイリッシュなウェアに身を包んだ夕季が滑走していく。
スピードはあまり出ていなかったが動きは滑らかで、教わったばかりの体重移動もすでにものにしていた。
「おまえ、初めてにしちゃうめえじゃねえか」
振り返った桔平に誉められ、ゴーグル越しに眉間の皺をうごめかせた夕季が口をへの字に結ぶ。
「……。スケートよりは簡単」
「ほおお」
おもしろそうに桔平が笑う。それから下を見て、さらにおもしろそうに笑った。
平坦な場所で、忍が木場から手取り足取りのレクチャーを受けている最中だった。
遠目にもわかるほどのへっぴり腰だった。
「しの坊はへたっぴだな」
「……」
何気なく顔を向け、隣で見ていた夕季と目が合う。
「……。出たな、お姉ちゃんの悪口言うな……」
すると夕季は桔平から顔をそむけて、かわいそうなものを見るような目を忍へ向けた。
「……。おばあちゃんみたい……」
「……ほほお」
多くの人が行き交い、混雑する休憩所で昼食をとる四人。
すっかりコツをつかんで桔平の後を苦もなくついていけるようになった夕季に対して、忍はと言えばその疲弊した顔が物語るとおりの惨憺たる進行具合だった。
夕季と桔平がテーブルへ向かうと、木場が忍を慰めている最中だった。
「だんだんよくなってきたぞ。もう少しだ」
「はあ……」
「どうした。もう嫌になったのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
トレーをガチャリと置き、桔平が対面の忍をおもしろそうに眺める。
「あんなに腰が引けてちゃ、滑れるモンも滑れねえぞ」
「そんなこと言ったって……」
「でっけえ図体してカッコ悪いったらねえな。産まれたてのコジカみてえだぞ。ぷるぷるぷるぷるしちゃっててよ」
「だって怖いんだから仕方ないじゃないですか!」
「あ、キレた……」
涙目で訴えかける忍に、桔平が隣の席の夕季へ苦笑いを向ける。
やれやれと言わんばかりに、夕季がシャビシャビのカレーライスに口をつけた。
「!」
「ん? どうかしたか?」
「……」恨めしそうに桔平を見上げる。「……これで千五百円」
「……。確かに今時高いとは思うが、内容的にも許しがたいレベルなのか?」
夕季が真顔で頷いた。
一缶七百円のビールを手に、桔平がもう一度苦笑いを忍へ向けた。
「しっかし、おまえにもできないことがあるんだな」
「最初は何もできません」困り真顔で答える。「訓練で克服しているだけです」
「そうだ。こいつは必ず努力で困難を克服する。こいつならば必ずやり遂げる」
胸を張りきっぱりと言い切った木場を、桔平が意地悪そうな顔で眺めた。
「ほんとかよ?」
「本当だ。今までもそうだった。どんなに嫌なことでも、必ずベストをつくす。そういう人間だ。決してものごとを途中で投げ出すようなことはしない。こいつはそんな、俺をがっかりさせるような奴ではない」
「へええ」
「ならば今日初めてがっかりさせてしまうかもしれません……」
「……へええ」
「大丈夫だ。俺が保証する。な」
「いえ、そんなこと勝手に保証されても困りますが……」
「よし、忍、食事が終わったら猛特訓だ」缶ジュースをグビグビと流し込む。「ぶはあ!」
「あの……」
「何! これが四百円だと! 本当か、夕季!」
「うん」
「許しがたいな! 今時!」
「今時許しがたいと思う」
「……」
忍が辟易顔になった。
そんなことなどおかまいなしの桔平が残りのビールを流し込む。
「んじゃよ、木場の車の中からいろいろ取ってくりゃいいだろ。コンビニで買ってある分」
「一度外へ出るとまた入場料取られるよ」
「何! 本当か、夕季」
「入り口に書いてあった」
「あこぎだな!」
「そういう人が多いからだと思う」
「言葉もねえな!」
「……。なら私が取りに行ってきましょうか?」
「いや、だから入場料がもったいないだろ、しの坊」
「あ、いえ、中で受け取っていただければ。私は車の中で終わりまで待っていますから、あとは桔平さん達だけで……」
「何を言っている。もう少しで滑れるようになりそうなのに」
「でも入場料がもったいないで……」
「後でもう一度ここで休憩するの考えたら、入場料の方が安いかもしれない」
「……すし」
「寿司?」
「……夕季っ、てば」
「手羽?」
「それに持ち込みはルール違反だろう。無理に行かなくてもいい。なあ、桔平」
「かてえな」
「当然だ」
「そう、ですか……」
「よし、午後からはさらに厳しくいくぞ、覚悟しろ、忍」
「は、あ……」
残念そうに苦笑いをする忍を、夕季は不思議そうに眺めていた。
「んじゃ、すぐに滑れるようになりそうだな」
嫌な予感がして、口もとを引きつらせた忍が振り返る。
そこでは意地悪そうにニヤリと笑う桔平の姿があった。
「オラ、わくわくしてきたぞ。ようし、レッツラゴーだ!」
「……史上最低ですね」
「え?……」
四人はリフトの最高到達個所へとやって来ていた。
意気揚揚と胸を張る木場とそれをおもしろそうに眺める桔平。
ガクガクブルブルと震えまくる忍を、夕季が心配そうに見やった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ん?」青白い顔をひくつかせる。「だ、だいじょうぶだよ。ってか、あたし、リフトで下りるから」
「お~い、いくぞ、しの坊!」
「こら忍、さっさと来んか!」
「……」悲しそうに夕季を流し見る。「あの人達を説得できたらね……」
「……」
結局は忍の血を吐くような涙の訴えもあり、ファミリーゲレンデでの待ち合わせとなった。
一足先に頂上から滑り降りた夕季と桔平が二人を待つ。
「お、来たぞ」
リフトから降りた忍が、一人で滑降してきた木場と合流するのを確認した。
「ま、ここなら大丈夫だろう」
「大丈夫だと思う」子供達がすいすいと滑り抜けていく姿を夕季は目で追った。「たぶん……」
木場に先導され、へっぴり腰のお婆ちゃんが二本の杖をブレーキ代わりにヨロヨロと降りてくる。必死の形相全開で。
「……。歩いた方が速くないか?」
「……。腕の筋肉、全力で使ってる」
「明日は全身筋肉痛だな」
「……顔も」
「あれじゃ滑りたいんだか、止まりたいんだか、わかんねえな」
「……たぶん心から止まりたいんだと思う」
表情もなく見守る二人の視界の中、忍の願いもむなしく、徐々に加速は始まっていた。
「ブレーキ、追いついてねえぞ……」
「力つきたみたい……」
「ひいいいっ!」
顔面に風を受け、恐怖に凍りついた表情で忍が二人をロックオンした。
「おい、こっち向かって来るぞ」
「……。やばいかもしれない」
「んあ? おい、夕季、どこへ……」
危険を察知し夕季がその場から逃げていく。
が、ボードを装着し立ったままでいた夕季に対し、腰を下ろして金具を中途半端にはずしていた桔平は容易にその場から動くことができなかった。
「ちょっと待て、おい! 俺を見捨てる気か!」
「ごめん、諦めて」
「諦めてだと!」
「ひいいいっ! 怖い! 怖い! 怖い! 怖い!」
「ひいいいって……。おい、しの坊、諦めるな。諦めたらそこでゲームセッ……」
「怖い! 怖い! 怖い! 怖い! ひいい~!」
「ひっひいい~! 怖い! 怖い! 怖い! 怖い!」
みるみる距離を縮め迫り来る恐怖の人間ミサイル。
「ちょっと待て、おまえ! そんな速度でぶつかったらカラダ入れかわっちまうだろが! ない、ない、あれ、あたし女になってる、って、なんで俺があたしとか言ってんだ!」
「どいて、どいて、どいて、どいて!」
「いや、いや、どけねえって、おまえがあっちいけ!」
「どいてってば!」
「どけねえってば!」
「あ~ん!」
「ちょっ、おまっ! ……あ~ん?」
ドガン!