第二十話 『絶望のトリガ』 13. バジリスクの卵
人影の途絶えたブリーフィング・ルームに残り、桔平は一人タバコを吹かしていた。天井の白色灯をぼんやりと眺める。
入り口で気配がし、脱力感も隠さずに振り返ると、そこには朴がいた。
「まだいたの、桔平さん」
「ああ、朴さんか……」
満面の笑みをたたえ、朴が桔平の横に座る。差し出されたタバコを受け取り、うまそうに煙を吐き出した。
「うまいね」
「今回は朴さんに頼りっぱなしだったな」
「何言ってるの、桔平さん。僕は最初に気づいただけ。きっと夕季ちゃんだって、局長さんだってすぐにわかったと思うよ」
「かもしんねえけどな。でも誰も言わないことを一番最初に言えるのは、勇気がある奴だけだ」
「空気読めてないとも言うけどね」
「違いない」ため息まじりの白煙を苦笑いとともにぶちまける。「正しいことをすれば融通が利かない奴だと煙たがられる。もっと正しいことをすれば、頭のおかしな奴だと嫌われる。それが今の世の中だ。どうなってやがんのか」
「仕方ないよ。僕もそう思うよ」
「俺もだ。偽善は百も承知だ」にやりと笑った。
「桔平さんは根っからの悪党だからね」
「ほっとけ」
「あははは」
長く広い煙を桔平が憤りのように噴き出す。天井に滞ったそれは大量のもやとなり、照度を減衰させていた。
「なあ、朴さん、人間てのは逞しいもんだな」
「ん?」
「逆境に立たされても、むしろそれが強いほど、何度も這い上がろうと立ち上がってくる」
「だから気が緩んでいる今を狙ってきたのかもしれないね」
「かもな……。多くの尊い犠牲があってようやく不確実な仮定にたどりつくことができた。彼らの命を救うことはかなわなかったが、それがなければ正解を導くことはできなかっただろうな」
「本当に正解だったのかは実際わからないけどね」
「正解だろ。どっちにしろ俺達の凝り固まった頭だけじゃ、何も変えられなかったはずだ。あれでギリだ。もう一歩対応が遅れりゃ、俺達は人類と同じ数のバケモノと戦わなければならなかっただろうからな」
「言えてる。お悔やみはもちろんだけど、感謝しなくちゃね」
「奇麗ごとを言うつもりはないが、精一杯の手向けはするつもりだ。金なんかじゃ何も満たされねえだろうけどな」
「いいの? 被害者の人全員にお悔やみのお金とか渡してたら、いくらメガルだっていつか破産するんじゃない?」
「今回は特別だ。それにどうせ使うなら、そういうことに使った方が有意義だろ。それで破産すりゃ願ったりかなったりだ」
「またまたあ。僕達の働くとこまでなくなっちゃうよ」
「それもそうだな……。だが、本当の功労者が彼らなのは間違いない」
「まあね。過去の偉業や功績も、先人の失敗とか犠牲がなかったら成し得なかったことばかりだからね」
「……」桔平が嘆息する。「実際、俺達の判断一つで、さらにウン千万の命が切り捨てられるところだった。そんなこと知ったら、あいつらどう思うだろうな」
「二度と口きいてくれないだろうね。たとえ世界を救った英雄になったとしても」
「それだけの人間を見殺しにした英雄が、歴史上のどこにいたって?」
「判断したのは国のトップでしょ。桔平さん達の責任じゃないよ」
「だが、あの時それを止める権限があったのは俺達だけだ。今でも震えが止まらねえよ」
「僕達はワイルドカードみたいなものだからね。本当なら攻撃どころか、わけのわからないものに近寄るだけでも、何十何百の手順とそれ以上の偉い人達の許可が必要。でも僕達はそういうの全部飛ばして、自分の判断だけで悪い奴を問答無用に撃ち殺すことができる。ワイルド・ライダーだね」
「だからこそ、カードの使い方を間違っちゃならない」
「そう。使い方一つで、一瞬ですべてがパー。時にはエグい選択もしなくちゃいけないから、正義の味方には荷が重過ぎるよ」
「俺達みたいな悪人にはもってこいってか?」
「僕は善人だけどね」
「嘘つけ。生まれてこの方、一度も募金とかしたこそねえくせによ」
「心外だね。善意にはいろいろな形があるよ。ただそっちの方がわかりやすいってだけ」
「まあな。俺も募金は苦手だ。気持ちだけとは言いながら、百円玉一つ転がしただけでいいことした気にはなれねえ。残りで吐くまで飲んじまうってわかってるから、余計にいい気分じゃねえ」
「かろうじて良心のかけらが残ってるみたいだね」
「やかましい」
「桔平さんは、目的のためなら、どんな嫌いな人にでも尻尾を振れる本当の悪人だからね」
「な!」
「だから信用できるんだけどね」
「……」
「自分の野望をひっくり返すような命令には絶対に従わないからね。そこまではかろうじて信用できる」
「利用する分には、だろ?」
「そう」
「言ってろよ。てめえのことは棚に上げときやがって」
「確かにね。世の中にいい人と悪い人がいるのは当然なんだけど、問題は悪い人間の中には、いい人の振りをしている人間がいるってこと。かなりね。僕達はそっちの方だけどね」
「お互いの素性知ったら、ぶったまげるだろうな」
「その場で殺し合い始まっちゃったりしてね」
「そんなのここじゃ、珍しくもなんともねえよ」
「そうだね」
「ははは……」
乾いた笑い声を交し合う二人。
「本当のヒーローってのは、日の当たらないところで地道に頑張ってる人達のことだと思うよ。表で派手に飛び回ってる人は、どっちかっていうとシンボル。でもシンボルはみんなに希望を与えることができる。これも大事だと思うよ」
「メガルはそのシンボルにならなきゃいけなくなったわけだな」
「陰でこそこそやってた方が楽しいのにね。面倒なことになった」
「変わらねえだろ」
「ふ?」
「シンボルはみっちゃんや夕季達で充分だ。偽善者で悪人の俺達は、今までどおり陰でこそこそ悪いことをしてりゃいい」
「どっかの芸能プロダクションみたいだね」
「まあな……。なあ、朴さんよ」
「ん?」
「もし最初に大阪や東京が狙われてたらな……」
「アウトだったね、僕ら」あっけらかんと言い放つ。「最後のが他の国だったりしても国際問題になって、どのみちメガルは潰されてただろうしね」
「だな。失敗うんぬんより、誰がその責任とるのかで躍起だからな、俺達は」
「なすりあいばかりで次の手を考えるのなんて二の次。だからまた失敗する」
「最初から失敗するのが前提だからしょうがねえだろ」
「成功しそうな方をわざわざなかったことにしちゃったりね」
「……さすがにそれはねえだろ」
「わからないよ。自分達の立ち位置を確保するためには、道理だって平気で曲げちゃう人だっている」
「そういう奴らにとっちゃ、青臭い正義より、もっと安全で、自分達にとってより確実なものの方が大事なんだろうな」
「言いたいことを言うためには選挙に当選しなくちゃいけないけど、言いたいことを言えば次の選挙で落ちるからね。自分の権限をフルに使い切るためには、今よりもっと上を目指してて、今の立場ですら踏み台に思ってる人じゃないと無理だね。桔平さんみたいに」
「あんたの褒め言葉からは汚いモンが横もれしてんだけどな」
「あ、バレてた?」意地悪そうに朴が桔平を見上げた。「でもそういう人達だって、目標を手に入れたら、結局は守りに入っちゃうんだろうけどね。案外、決まってたのかもしれないよ、最初から全部。桔平さん達に勝手に筋書き変えられて、今ごろ怒ってる人がいるかもね」
「……なわけねえだろ」
たわ言を鼻で笑い飛ばし、しっかりとしたまなざしで、桔平が天井の煙を見据えた。
「あいつら……」ふいにそれが口をついた。「光輔や夕季達、人が殺される映像見せられても、平然としてやがったな」
「うん」
「まだ高校生なのによ。こうやって人間てのは、どんな残酷でえげつないことにも慣れてっちまうんだろうな」
「違うよ」
「ん?」
「一生懸命だったんだよ。自分達で何とかしなくちゃって、必死だったから。後で思い出して、おええってなってるよ、きっと」
「しの坊みたいにか」
「忍ちゃんみたいに」
二人で楽しそうに笑い合う。
ようやく桔平に元気が戻ったようだった。ふと思いついたように口を開く。
「なあ、あんた、クルマ作れるか?」
「クルマ?」
「クルマ」
「ミサイルついてるやつ?」
「いや、ついてないやつで……」
「……」朴が、ふう~む、と考え込む。「二億円くらい予算くれれば」
「……できれば二万円くらいがいいんだが」
「そんなの無理無理。最低一億円」
「普通の軽でいいんだけどな。あんた、どんなの作るつもりなんだ?」
「チキチキマシンみたいなの」
「チキチキ……」
タバコをくわえたまま、おもむろに朴が一枚の紙を桔平に差し向ける。鳳達との賭けの内容が記された、A4サイズの薄紙だった。
「桔平さん、これ十回折れる?」
「折れるだろ、こんなの」
「やってみて。できたら一万円で車作っちゃうよ」
「よし! 聞いたぞ! ……できるのか、一万で」
「実験用車両の余剰パーツをミックスすれば、レースに出れるような車だって作れるよ。スーパーカーとか高級外車のジャンクブロックだってごろごろ余ってるし」
「よっしゃ!」
桔平が意気込んでトライし始める。しかし悪戦苦闘の結果、六、七回折るのが限界だと痛感した。
「……意外とできねえモンだな。くそっ、んんっ!」
「……まさか八回折るとは思わなかったけどね」
「いや、できてねえ。無理だ」
不思議そうに見つめる桔平に、朴はおもしろそうに笑ってみせた。
「この紙ね、二十回とちょっと折ると、このビルより高くなるんだよ」
「嘘だろ」
「本当だよ。倍々ゲームってすごいんだよ。最初はちょっとずつだけど、ある時から急に増えだすの。計算上は五十回折れると、太陽まで行っちゃう」
「……」桔平の目が点になる。「よし、早速、夕季にやってやろ」
「夕季ちゃんならひっかからないよ。バカボ~ンじゃないから」
「……つまり俺はバカボ~ンだからひっかかったわけだな」
「そう」
「てめえ……」
「あっははは!」
桔平が小さく笑うのを確認し、朴がかすかに表情を曇らせた。
「五回か六回までなら誰でもできる。でもそこから急に難しくなる。七回折るためにはそれまでよりたくさんの力と技術がいる。次からは一回増えるごとに、その何倍もの努力をしなくちゃいけないんだよ。むしろ不可能とも言える領域だね。それをプログラム達はいとも簡単にやってのけてみせる」
「俺らが必死になって六、七回折ったこの紙を、奴らは当たり前のように十回折っちまうんだろうな。で、俺らが努力を重ねて八回、九回と折り続けて、何百年もかけてやっと十回折った頃、奴らはまた簡単に二十回折り曲げてくる。勝てるわけねえよな、そんな奴らに」
「勝てるわけないね。ひょっとしたらね、今日、世界は滅んでたんじゃないかなって思うよ」
「……。かもしれないな……」
朴と同じ表情になり、桔平が煙を吐き出した。
「いっそ、さっさと強烈なラスボスでも出てくりゃ、諦めもつくのにな」
「なんだかわざわざ手順踏んでくれてるような気がするよ。まだ試されてるのかもしれないね。執行猶予みたいなものかもね。あるいはまだ更正の余地ありってことでチャンスくれてるとか」
「今の俺らに駄目出ししてんなら、更正なんざできるはずねえのにな」
「そうだね。ひょっとしたら、僕達を一番信じてくれてるのがプログラムなのかもしれないね」
「なわけねえだろ。それも奴らの計算のうちってか?」
「そう」
朴が笑う。
それを桔平は苦笑いで受け止めた。
「この期に及んでも、人類は一つにまとまれないでいる。こんなにはっきり共通の敵ができて、おんなじとこに向かってくだけだってのに」
「共通の敵ができてもまとまりとは違う。仕方なくくっついてるだけ。むしろ集まれば集まるほどエゴが強くなるのが人間。僕達が一番お互いを尊重できるのは、つかず離れずで牽制し合ってる時かもしれないね」
「……か」
「だね」
ふいに朴が表情を曇らせる。それを言うべきか言わざるべきか迷い、申し訳なさそうに口にした。
「桔平さん、僕、みんなには言ってないけど、もう一つだけ仮説があるんだよ。世にも怖い仮説」
「……。言ってみろよ」最後のタバコを差し出す。
「聞いてくれるの?」
「ああ」
桔平からタバコを受け取り、嬉しそうに朴が笑った。
「プログラムの発動キーもそうなんだけどね、インプとか今回のバジリスクの卵のメカニズム、何だか腑に落ちなくてね。ひょっとしたらだけど、あのコアって、僕達の知ってる人達の魂なんじゃないかなって思ってる」
「……」朴へライターを差し向けた。
「あ、どうも。……。今までこの世界で生きてた人達の魂があの世から追い出されて、僕達に襲いかかってくるの。人だけじゃなくて、動物とか木とか植物とか全部。僕達が食べたり、切り落としたり、虐待したものとかもあるかもしれない。ソースは無限だね。でもね、きっとこの世でやってきたことが許されなくて、あの世に置いてもらえなくて、罰みたいな感じでこの世に送り返されてくるの。その人達は自分達が誰かも知ってる。襲ってる相手も誰だかわかってる。でも苦しくて、どうしようもなくて、ただ楽になりたくて、助けて、助けて、言いながら、かつては自分達が愛した人達に襲いかかるの。地獄の罰だね」
表情もなく朴を眺めていた桔平に気づく。
「変?」
「いや……」桔平が天井を見つめる。薄もやの中、切れかけの白色灯がせわしく点滅していた。「何となくだが、俺もそんなようなことを考えてた」
「桔平さんも」
「ああ」点滅が鬱陶しくて目を細める。「死刑囚や凶悪犯罪者達。普通に暮らしてるとされてる人間達にとっては、いずれも害を及ぼす輩だ。もし彼らを排除することがしのびず、最後の温情のつもりで、とある島に集めたとする。そこでそいつらが国を作り、侵略や殺戮を繰り返し、俺達の愛する者達の命を虫けらを踏み潰すように奪ったとしたらどうする。それでも彼らを許せるのか。俺なら、ぶっ殺しておけばよかったと後悔する。奴らにとって、俺達がそんな存在なのかもしれない。奴らにとってのガン細胞は俺達の方だ」
「一理あるね」
「悪霊、守護霊、すべての魂がインプのコアとなり得る。それまで俺達を守ってくれてたモンが突然牙を剥いて襲いかかってくるんだ。いい霊も悪い霊もねえな」
「みんなゾンビだね」
「ゾンビねえ……」
「貸す?」
「いや、いい」
「忍ちゃん、十本くらい持ってったよ」
「エグいやつか?」
「ものすごくエグいやつばっか。夕季ちゃん、嫌そうな顔してた」
「……シモネタは駄目なくせに、そういうのは平気なんだな」空になったタバコの箱を握り潰す。「どのみち、プログラムの根っ子が絶望であることに変わりはない。絶望は人を殺す。肉体を蝕み、生きる望みすら奪い、人の心を死へと追いやる。乗せられちまったら、俺達の負けだ。今回はたまたまそれが形となって現れただけで何も解決してねえ」
「そうだね」
「まったくよ、何ヶ月も音沙汰なかったかと思や、一週間とおかずにポッとやってきやがる。ジラし方まで心得てやがるのは、どこぞの性悪女と一緒だな。シカトしてやると、つまんなくなって帰っちゃったりしてな」
「桔平さんには無理。淋しがりやのウナギちゃんだから」
「……言いてえだけだろ」
「淋しがりなのに一匹狼。変だね」
「ふざけんなって。俺は群れてねえと何もできねえ、臆病モンの子猫ちゃんだっての。……変人のあんたに言われたかねえな」
「ずいぶんガラの悪い子猫ちゃんだね」
「言ってろ」
「はははは」
「なんにせよ、俺達の絶望はまだ始まったばかりだ」
「今は希望をつなげたことを素直に喜ぼうよ」
「まあな……」桔平が立ち上がった。「さ、もう帰るぜ」
朴も続く。
「あ、明日、約束忘れないでよ」
桔平が立ち止まる。背中を向けたままぼそりと告げた。
「明日は駄目だ。大事な用があった……」