第二十話 『絶望のトリガ』 11. バジリスクの壷
「……やった、のか?」顔をしかめ、礼也が呟いた。
「まだ」眉間に皺を寄せる夕季。「地上のは全滅させた。でも今現在、卵は産み落とされている」
「きりがねえって……」
「早く行こう」光輔が毅然と言い放つ。「反応があるうちは本体がまだいる証拠だ」
「……。んじゃ、今の、こっから本体にブチ込んでやりゃいいじゃねえか」
「それは無理」
「んでだ?」
「この距離からだと、分散させたり弱めることはできるけど、束ねて強くは撃てない」
「んじゃ、その小せえのをまとめて当てたらどうだ」
「小さな雨粒が一つ当たるか、全身に当たるかの違いだけ。ほとんどダメージは与えられない」
「マシンガンみてえに一点に続けて撃ってもか?」
「……小さな窪みができるかもしれない」
「……」
「それに、本体の周りに強力なエネルギー反応がある。たぶんバリアみたいなものだと思う。インプくらいになら遠くからでも通用するかもしれないけど、それ以上は無理」
「……」礼也が、ふうむと考える。「つまり、日本中のどこにいても、嫌いな人間くらいはサクっとぶっ殺せるわけだな」
「……。そのサーチをするだけで、あたし達がしばらく寝込んだり、大きな地殻変動が起こるかもしれない」
「……そいつはいただけねえな」
「今のよりツラいのはヤだから、バカなこと考えるのはやめようぜ」
「まあな。確かに毎回こんなことやってちゃ、こっちが先にまいっちまう。目の前のインプくらいは、直で叩いた方が早いってか……。俺がバカだと!」
「そうは言ってないんだけど……」
「いい加減にして」
「お、おお……」
「ああ、ごめん……」
夕季がそれに頷いた。
「今の攻撃を続けながら飛ばなければいけないから、二人とも集中は切らさないで」
「……そいつもいただけねえな」
「……バナナ持ってない?」
じろりと夕季が光輔を睨みつける。
「……チョコならある」
「……。サンキューベルマッチョコ」
「そういうの、もういい」
「あ、ここで駄目出しきた……」
「まったくウゼえな、てめえは!」
司令室に渦を巻くような歓喜の声がわき起こった。
「よし、いいぞ、おまえら!」鼻息を荒げ、桔平が内通電話を手に取る。「おい、CMをジャンジャン流せ。とにかく日本中に、俺達が頼もしい存在であることをアピールしろ。俺達がついている限り大丈夫だという意識を、根っこまで植えつけるんだ。何も不安がる必要はない。安心して爆睡しやがれってな。苦情は全部総理大臣にまわしてやれ!」
全メディアを通じて、メガルの広報フィルムがひっきりなしに流され続けていた。
前代未聞の怒涛のメディア・ジャックにより、メガルの存在が信頼と安心を与え、雅の笑顔が疲弊した気持ちを安らぎへといざなう。
いつしか、絶望や恐怖に不安を抱く心も黒い影も、世界一の笑顔の前に一掃されつつあった。
頭上を覆う、暗黒の巨大雲を除き。
サーチと遠距離攻撃を繰り返しながら、ガーディアンが漆黒の空を飛び続ける。
産まれたてのバジリスクの卵は、地に落ちる前に駆逐され、今では誕生と同時に消滅する流れとなっていた。
「だ、あったま、イテえ!」礼也が頭を抱えて夕季を睨みつけた。「割れた分はなくなったんじゃねえのか! 不安のモトがなくなったてのに、なんでいつまでも卵が落ちてきやがる!」
「一度まき散らかされた不安は、完全にはなくならない」夕季が冷静に見据えてそれに答える。「沈下したはずの炎が、灰の下でくすぶり続けるのと同じ。ふとしたきっかけで再燃を繰り返す。思い出して遅れて反応する人もいるかもしれないし、メディアをチェックしていない人達がいてもおかしくない。言葉が伝わらない人達だっている。本能で恐怖を感じ取ったら、どうすることもできない」
「んじゃ、何のための電波ジャックだったってんだ、チクショウ!」
「我慢して。今やめたら、もっと卵が地上へ落ちる。たった一つ見逃しただけで、また最初からやり直しになる」
「そいつは勘弁してくれ……」そろりと夕季を眺める礼也。「てめえ、大丈夫なのか? 俺らよりガッツリ頭使ってんだろが」
「大丈夫」悲しそうに夕季が目を細めた。「今にも吐きそうだけど……」
「……どこが大丈夫だ」
「もう話しかけないで。コポコポしてきた……」
「マジかよ。俺、もらっちゃうかもしれない」光輔が顔をそむけた。「あ、なんかコポコポしてきた気がする……」
「俺もコポコポしてきたって。いただけねえな……」
「……二人とも、もう少しだけ我慢して」
「わかってるって」光輔が涼しげに笑いかけた。「俺達にしかできないことなら、やらなきゃきっと後悔する。これ以上、一人も死なせたくないし。な、礼也」
「まあよ。おおむね同意だ」二人を見比べ、礼也がさわやかに笑う。「こいつと同じ意見なのはしゃくだが」
「おまえさ……」
「……」夕季が活目した。「見えた」
「何!」
「よし、けりをつけよう」
「光輔、礼也、……!」ふいにパワーの低下を感じ取って、夕季が、ぐっと歯を食いしばる。「何!」
「ちょっと!」
「おい、何だっての……」言いかけた礼也が、ちっと舌打ちし言葉を飲み込んだ。
それから黒く湧き上がる雲の壁を目前にして、ガーディアンが急激な降下を始めた。
「どうした!」
司令室でがなり立てる桔平に夕季が応答する。
『おかしい』
「何がだ!」
『急に力が抜けて』
「何!」
『本当すよ』光輔の割り込み。『ほんと、急に。……コポコポしたせいかな』
「こぽこぽ?……」桔平がギリと歯を食いしばる。立ち上がり、背中を向けたところへ、あさみの声が追いかけてきた。
「どこへ行く気?」
「……。何かあったに違いない。見てくる」
「駄目よ。精神統一の妨げになるから」
「だが……」
「選択権は彼女にあるんじゃなかったの?」顔も見ずに淡々と口にする。「それが彼女がプロジェクトへ参加する時の条件じゃなかったかしら。約束を破る気?」
「……」ギッと歯がみし、憮然とした表情で桔平が己の席へ戻る。ひったくるようにマイクスタンドを手に取った。「集中しろ! 自分達の力を信じろ! とにかく信じろ……」
「信じろっつったって!」
きりもみ状態のガーディアンの中で、礼也が夕季へ顔を向ける。
夕季は目を閉じたまま微動だにしなかった。
「てめ、何、こんな時にのんびり精神統一してやがる!」
すると夕季が目を開く。すぐさま眉間に皺を寄せた。
「ごめん。気絶してた」
「……」
落下スピードが増し続ける中、目前へと迫った海面を睨みつけ、切羽詰まった顔を向ける光輔。
「とにかく集中しよう。どうしても駄目ならブレイクを……」
「大丈夫」前だけをしっかり見据え、夕季がまっすぐ口もとを結ぶ。「ギリギリ間に合うから」
「……」
海面すれすれで機首を起こし、エア・スーペリアが再び上昇機動へ移行する。水面へ叩きつけられた規格外の衝撃波は海水を深くえぐり、巨大なミルククラウンを闇空高く噴き上げた。
徐々にパワーが回復し始め、改めて大都市を飲み込むほどの長大な暗雲に臨む。
「あの中にバジリスクがいる」
「うし、行くぞ」
礼也の顔を見やり、夕季が頷いた。
しかし黒い雲の塊へ飛び込んだ途端、夕季達へ幻覚と虚無感が襲いかかってきた。
それはガーディアンのシールドによって弾き返されてはいたが、間隙を縫うように次々と不快感が押し寄せてきた。
「……すげえ気分わりいな」
「ああ、マジ吐きそう……」
礼也と光輔が弱音を吐き合う。
「さすが絶望のプログラムってとこだな。ナマミじゃイチコロだって」
「あ!……」
「てめえ、まさか……」
「……今ちょっとヤバかった」
「ふざけんな!」
そのまなざしは一向に力を失わずにいた。
怒涛のごとく押し寄せる黒い影を、ガーディアンが切り裂きながら突き進む。
暗雲の正体は黒い影そのものだった。
絶望のトリガーが引かれるとそれらが呼び寄せられ、卵と化して地上へと産み落とされるのだ。
そして、種を呼び起こす本体がこの先にあるはずだった。
「見えた」
夕季の呟きに、光輔と礼也が目を凝らす。
それはガーディアンの何倍もの大きさの、巨大な壺のようだった。
膨らんだ胴体部分から伸びた口もとは反転し、また胴体の横へ突き刺さる。
穴であり、また穴の外側でもある異様なレイアウトは、クラインの壺と呼ばれるあの形状に酷似していた。
「こいつが本体か」
「どうする?」
「ああ!」礼也が光輔を睨めつけた。「できそこないの壺は叩き割るしかねえだろ」
夕季がちらと目線を配る。
「この壺の謎が解けたら、人類は不可能を一つ返上できるけど」
「知るかって。こいつはただの殺戮兵器だ。んなモンありがたがってるくらいなら、完璧なメロンパンの作り方発明した方が人類は幸せになれるって」
「おおむね同意」あきれたようにそっぽを向いた。「発想が貧しすぎるけど」
「てめえ!」
「ヴァイオレット」
夕季の宣言とともに、ガーディアンが宙を踏みしめ両腕を高く掲げる。
合わせた両手のひらの中に全長を超えるほどの長い鋼の棒が現れ、その尖端に反り返った刃を形作った。
ヴァイオレット・ストークと呼ばれる矛だった。
「てぇえええーい!」
気合もろとも夕季が銀色の刃を振り下ろすや、バジリスクの壺は粉々に砕け散った。