第二十話 『絶望のトリガ』 8. 茶番劇
不安げに見守る夕季を視界の隅へと追いやり、正座状態の桔平が携帯電話の着信に応じる。
「俺だ。……。あ、そうか。終わったか。んじゃすぐに……。お? もう編集しちまったのか。早いな。よし!」ポン、と膝を叩いた。「……。わかった、それでいい。……。おお、みっちゃんにも伝えといてくれ。ごくろーさん、ってよ……」
通話を終え、桔平が朴へ顔を向けた。
「終わったってよ、撮影」
「うまくいったの?」朴も楽しそうに笑った。「さすが、雅ちゃん」
「……」ぽかんと注目する一団の中、忍がおそるおそる手をあげる。「あの、何の話ですか?」
すると桔平がにこにこと笑いながら、嬉しそうな顔を向けてきた。
「今、撮影が終わったってよ」
「撮影?」
「おお、『メガル・クリーンナップ・キャンペーン!』用PRビデオだ。みっちゃんがドハマリだったってよ。さすがってとこだ」
「みっちゃん?……」
「おお、俺自らチョイスした。さすが、俺の見る目は確かだ」
「……。あの、すみません。もう一度最初から確認したいんですけれど。あの、さっきの話ですよね、メガルのイメージアップの」
「おお」
「あなたの未来を守りたい?」
「イエスッ!」
「……ついさっきまで夕季にやらせようって言ってた」
「イエスマイラブッ!」
「ラブ……。それをみやちゃんがやっちゃったんですか?」
「おお、だから、そうだって言ってんだろが。おまえも案外血の巡りの悪い奴だな。だから予約録画よく失敗すんだ」
「……。夕季にやらせるんじゃなかったんですか?」
「ああ!」正座のまま、ジロリと睨めつける。「考えてもみろ。そんな大事な役、こんな無愛想な奴にやらせられるかって。その点、みっちゃんならドンピシャだろ。あの世界一の笑顔こそが私達の希望です! ってな感じでだ」
「……」忍が真顔で桔平を凝視する。「さっきのは何だったんですか」
「からかってただけだ。おもしろそうだったから」
「……」
茫然自失の夕季を桔平が見上げた。
「悪かったな、夕季。まあ、そういうことだから」へらへらと笑いながら気安く頭を下げる。「このとおり、謝る。な?」
「……」
礼也と光輔が無表情な顔を差し向けた。
「やっすい土下座だな……」
「激安だね……」
ようやく自分自身の現況を把握し、口をへの字に曲げる夕季。炎のように燃え上がる瞳と凄まじい目力で桔平を睨みつけた。
「……そんなマジに怒らなくても」
「真剣だったのに」
「……」
「やらなくちゃいけないって。嫌だけど、そう思って覚悟してたのに。本気だと思って。あんな顔で頼むから……」
「……いや、だからあれは……」泣きそうな顔で朴へ振り返った。「朴さんがやろうって言うからよ。おもしろそうだからってよ」
「違うね。言いがかりはやめて」両手を前へ突き出し、朴が懸命に否定する。「それ言ったの鳳さん。僕は賛成しただけ。おもしろそうだからって」
「意外な名前が……」
「……出てきやがったな」
光輔と礼也がバナナをくわえながらぼそりと呟いた。
「バカ野郎、朴! 何を!」夕季をちらちらと見やりながら鳳が声を張り上げ、朴と桔平を睨みつけた。「夕季がやるかどうか賭けようっつったのは、柊、おまえだろ。そいつはおもしろそうだとかヌカしやがって」
「ふざけんな! あんたが、夕季がそんなことやるわけねえ、っつったから、俺は意地になってだなあ。不本意ながら」
「そうは言ってねえだろ。俺は夕季がそんなことOKしたら大雪が降るって言っただけだ。不本意だが」
「おんなじだろ!」
「ちっともおんなじじゃねえだろ!」
「僕は夕季ちゃんなら絶対にやってくれると思ってたよ。いい子だからね」
「てめえ、パックン、一人だけいい子になろうってハラか!」
「裏切る気か、朴!」
「裏切るとか、不本意だよ」
「ぬかせ、……んあ?」
木場と大沼に両側から押さえつけられ、桔平が不安そうに二人を見上げた。
「おい、木場、沼やん、何しやがんだ」
「とりあえず、いっておけ」
「そうだな、夕季。柊さんは俺達が押さえておく」
「あれ、何を……」
「どっちに賭けたの?」
木場から手渡された副司令専用ハリセンを両手で握りしめ、真顔でたずねる夕季。
「……」んんんん! と、ノドの調子を整え、すまし顔で桔平がしれっと答える。「おまえなら地球の平和のためにやってくれると思ってた」
「……」
「嘘だよ」朴が悪意のまなざしを差し向け、横やりを入れた。「桔平さん、あいつは単純だからすぐ騙されるって、笑って言ってた。げはははは! って」
「パックン……。……ちょっ!」
声もなく、夕季がハリセンを頭上高く掲げ、垂直に振り下ろす。
うなりをあげながら炸裂した一撃は、信じ難いほどの爆発音を辺りに響かせ、桔平のもっさりヘアーと新品のハリセンを縦に引き裂いた。
「あああああー! ものすごくイテえ! 信じられねえ!」涙目で夕季を睨みつけた。「てめえ、ふざけんな! 殺す気マンマンじゃねえか!」
「ふん」
「ふん、じゃねえ!」
「自業自得」
「てめえ!……」そっぽを向いた夕季からハリセンを奪い取った忍を見て、桔平の表情が恐怖にゆがむ。「何やってやがんだ、しの坊……」
「ついでに、一発、いかしてもらってもいいスか……」
その迫力に、木場と大沼がごくりと生唾を飲み込んだ。
「……よし、いけ」
「殺すなよ……」
「沼やん……。いや、なんで……」青ざめた顔で忍へ振り返る。「おい、ちょっと待て、しの坊」
「自分で予約録画できないからって、すぐ人に頼んできてからに」
「いや、それは……」
「どうしてそんな簡単なことができないんですか!」
「……おまえだって充分できてねえだろ」
「また、そうやって、すぐ人のせいにする!」
「……。そりゃごもっともだけどな、信用してるからこそおまえにだな……」
「私だって録りたい番組あるんですよ!」
「……おまえのはアレじゃねえか、おバカのやつとか、フレンドリーなパークのやつとか、からくりなやつとか、どっちかってえとちょっとアレな感じの……」
「おもしろいじゃねえですか!」
「確かにおもしろいけどな……、あっ、そういや、ドラやんが誉めてたぞ。おまえはスジがいいって」
「そうですか!」
「……。日本人にしとくのはもったいないから、ロシア人にならないかって。いい殺し屋になるぞって。何言ってやがんだろうな、あのオッサンは……」
「考えておきます!」
「いや、もっと自分を大切にだな……」
「問答無用。お覚悟を!」
「ちょっ!」
夕季の倍はあろうかという打撃音が室内に鳴り渡った。
ブリーフィング・ルームへ雅とともにあさみが入室する。
室内のその異様な光景に、パーフェクト・コールドの気持ちがわずかに後退した。
鳳、桔平、朴の三人が正座をしながら愛想笑いを振りまく。その前には背中を向ける夕季がおり、遠巻きに冷たい視線を差し向ける木場らの姿が見受けられた。
「ふざけすぎだよ。今がどういう時だかわかってるの!」
「悪かった、夕季。機嫌を直せ」
「いや、もう、ほんと、二度としねえから」
「ゴメンね、夕季ちゃん。反省してるから」
「だからって、やっていいことと悪いことがある。人が何百人も死んでるんだよ!」
「鳳、一生の不覚だ」
「あんたは飲みにいくたんびに同じこと言ってるけどな……」
「酔っぱらうと必ず泣きながらそれ言ってるね」
「本当に悪いと思ってるの!」
「おお、まあ……」
「ああ、ああああ……」
「いたたまれなくなってくるね」
「もう何を信じたらいいのかわからない! 最低だよ!」
「確かにおまえの言うとおりだな。何やら非常に申し訳ない気持ちになってきたな……」
「最低とか言われると、なんか、すげえせつねえ気持ちになるな……」
「当たってるだけに、いたたまれない気持ちになってくるね……」
「何をしているの?」
あさみが忍へ問いかける。
忍は表情もなくあさみを見つめ返し、淡々とそれを口にした。
「口にするのも腹立たしい限りですが、とにかくあの人達が信用を失ったことは確かです」
「?」
あさみと目が合い、桔平がバツが悪そうに顔をそむけた。
「どうしたの? 顔が真っ赤よ」
「どうしたもこうしたもこいつがヘタクソだから」忍を恨めしそうに見上げる。「剣道三段のくせに、いきなり顔面はねえだろ。このノーコンが。破壊力だけホームラン級のくせしやがって」
「まだそんなこと言ってるんですか!」
「ひいいいっ!」
「また揃って悪ふざけ?」
「バカヤロウ! そんなんじゃねえ!」桔平が言いがかりを否定し、夕季をちらりと見た。「いや、途中でやめてやろうかと思ったんだがよ、こいつがうろたえてるの見たらおもしろくなって、ついやめられなくなって」
「俺は違うぞ!」ビッグ・メタボリック、鳳順一郎が正義感あふれる顔を向けた。「こんな茶番、いい加減やめるべきだと止めに入ろうかと思ったんだが、こいつのこんなとこ見るの初めてだったから、ついつい、おもしろくなってきてな」
「ひどいね、二人とも」朴が胸を張って言い放つ。「僕は最初からかわいそうだと思って見てたんだけど、つい根がドSだからおもしろくなってきて」
「何それ! 本当に反省しているの!」
「いや、してるしてる! しまくりだ!」
「そりゃ、おまえ、もうよ!」
「ほんと、いたたまれない気持ちで身震いしてくるね……」
「最低だな、こいつら」
ぼそりと呟いた礼也を表情もなく光輔が眺めた。
「おまえもなんだけどね……」
「最低だ! 貴様ら!」突然、仁王立ちの木場がドカンドカンと噴火し始める。「今がどんな時だかわかっているのか! 少しはわきまえたらどうだ!」
「……こいつに最低とか言われるとなんかハラ立つな」
「……おお、夕季に言われてもなんともないのにな」
「……顔の違いだね」
「貴様ら、本当に反省しているのか!」
「そんな怒るなって」
「そうだ、木場。場をなごますための冗談じゃねえか。ま、たしかに誉められた限りじゃないがな」
「そうだよ、ゴリちゃん」
「誰がゴリちゃんだ!」
「やべ、マジで怒ってやがる……」
一連の流れを冷めたまなざしで受け止め、あさみがあきれたように桔平を見下ろした。
「いい加減にしたら? 話が進められないんだけれど」
「お、おお!」ようやく解放されたとばかりに、よろめきながら桔平が立ち上がる。夕季に睨みつけられ、泣きそうな顔をあさみへ向けた。「で、どうだった? 首尾は」
「そうね」満面の笑顔を向ける雅をちらと見やった。「素晴らしい出来だったと言っておこうかしら。このまま専属のイメージ・ガールに推薦したいくらい」
「ぶいぶい!」
雅が桔平にVサインを送る。
「さすがだな、みっちゃん。それに比べて……」夕季の氷のまなざしの前に、痺れた足を引きずりながら、卑屈な笑みで逃げ出す桔平。「……夕季はとてもりりしいな。立派だと思うぞ、心から」
「嘘臭い」
「何! てめえ俺のことを信用できねえのか!」
「……」
「……。できない、かな……」
「ねえ、できないよねえ~」
「……みっちゃんたら、もう」
「うふふふっ!」
「とにかく、これからすぐにでもこのビデオを各媒体へ流すことにします」
あさみの一言を受け、桔平の目が据わる。
「本当にいいんだな」
静かにそう告げた桔平に、あさみが意味ありげな笑みを返してみせた。
「今さら何。それとも今になって怖気づいたのかしら?」
「ざけんな。もう後戻りできねえぞ、ってことだ」
「もとより承知の上でしょ」
その顔を見据え、桔平もにやりと笑った。
「んじゃ、いくか」雅へ振り返る。「名づけて、『世界一の笑顔大作戦』だ!」
「おー!」雅が拳を突き上げた。
「クリーンナップ・キャンペーンはどこいったんだ……」
礼也の呟きを光輔が受ける。
「おー、だって……」
「夕季」
忍に肩を叩かれ、いまだ仏頂面の夕季が振り返った。
淋しそうな様子で忍が見つめていた。
「元気出しなよ。またチャンスあるよ」
「……」
「残念なのはあたしも一緒だから……」