第二十話 『絶望のトリガ』 2. 雅ワールド
昼食を終え、校内の渡り廊下で光輔は、持てざる男、曽我茂樹と雑談を交わしていた。
「いいよな、おまえは」
「何が?」
「古閑さんと仲良しでよ」
「仲良しって言うか、ただの顔なじみなだけなんだけど」
「ありえねえだろ、そんなシチュエーション。ただの顔なじみってな、普通にもっとブサイ子ちゃんだろ」
「何が?」
「あと普通にデブっちょりんとか」
「何言ってんの、おまえ」
「だから、ギャルゲーじゃあるまいし、なんであのレベルとおまえみたいなのが知り合いだって話でさ」
「顔の話?」
「顔の話だよ! なんだよ、おまえ、ブ男のくせに!」
「俺がブ男ならおまえもその類だって」
「うまいこと言った気になるな!」
「……なんだ、それ」
「も~う!」
「いや、も~う、って……」
どうでもよさげな茂樹の言いがかりに光輔が眠たそうな顔を向ける。
二月だと言うのに陽射しが暖かだった。
ヴォヴァル討伐からさほど日は経っていないものの、関連地区から離れた地域では、とりあえずは平穏な日々をすごすことができていた。
「ふぁ~あ」
光輔があくびをする。
すると茂樹の後ろから、雅がひょっこりと姿を現した。
「呼んだ?」
「あ、雅」
緊張のあまり茂樹が直立不動となる。
それをいたずらめいたまなざしで見つめ、雅が楽しそうに笑った
「はぁ~い。出まして来まして、みやびちゃんよ」
「……」
硬直する茂樹にかわり、光輔が困った様子でツッコミを入れる。
「雅。何だかよくわかんないけど、イタイよ」
「そう?」
「うん。なあ、茂樹、……って、何照れてんの、おまえ!」
もじもじしながら茂樹がニソニソと笑った。
「いや、アリかなって思って」
「何が!」
「アリだよね~?」
「アリっす!」雅の顔を熱く見つめ返す。「アリまくりっす!」
「アリまくりまくりすてぃだよね」
「有馬栗馬クリスティーンです!」
「何それ!」
「ふが……、へっぷしっ!」陽射しの眩しさに茂樹がくしゃみを撒き散らす。「へっぷ、へっぷしん!」
それに再び雅が反応した。
「呼んだ?」
「何が?」
あきれ顔の光輔を押しのけ、勝手にスパーク中の茂樹がひとりでに踊り出てきた。
「呼びました、呼びました!」
「あ、やっぱり」
「何が! どういう意味!」
茂樹が光輔に振り返る。
「さあ、よくわかんないんだけど……」
「おまえさ……」
「ええ! 知らないの」あきれ顔の光輔の横で、びっくり顔の雅が勝手に騒ぎ出し始める。「くっしゃみ一つで、涙にもろいいい~」
「……知らないって」
「思わずびっくりだよ」
「こっちがね……」
「曽我君もびっくりだよね?」
「びっくりだす!」
「おまえさ……」
「曽我君なら知ってるよね」
唐突に雅に振られ、茂樹が砕け飛ぶ。
「ああ、知ってます、知ってます!」
「マジで?」
「……いや」
「おまえさ……」
二人を眺め、雅がいじわるそうに、ふふふ、と笑った。
「あなたがご主人様ですね。わちきは笑いのツボからふいをついて飛び出した、いじわるみやびちゃんです。軽い感じでみやびちゃんと呼んでくださいまし。合コンとかのノリで」
独自ワールドにただ押し込まれるのみの茂樹に、再び緊張モードが発動した。
「あ、み、み、みやびちゃ……」
「何なりとお申しつけを。さん、はい!」
「は、はい。……。じゃあ……」
「でもその前に、すびばせんが、のどが渇いてしまったのでジュースを買ってきていただけませんか、ご主人様。今、あらぴんからぴんすかんぴんぴんなの」
「はい、わかりました!」
一瞬のタイムラグもおかず、弾かれたように茂樹が、ぴゅー、とダッシュする。
それを見て雅が焦ったように呼びかけた。
「あ、ちょっと、待って!」しまったという表情。「オレンジでいいです!」
「……。こんなことしておもしろいの?」
冷やかなまなざしで雅を見下ろす光輔。
それを楽しそうに受け止め、雅が言い放った。
「うん。曽我君ってかわキモいんだもの。ついからかいたくなっちゃう」
「……今、キモいって言った?」
「確かに言いました」
「……。すかんたこめら……」
「それからドシタノ!」
放課後、下校のため昇降口へと向かう夕季を見かけ、小川秋人が声をかけようと近づいて行く。
その時、夕季の背中を追いかけるように、光輔が滑り込んで来た。
「夕季、一緒に帰ろ」
「……」ぶすりと見上げる。「また部活休みなの」
「何言ってんの。試験休みでどこの部も休みだって。野球部は明日までだけど、どうせ茂樹とか勉強したって同じだろうしさ」
「人のこと言えないくせに」
「それはごもっともな意見だと思う!」
夕季の前で楽しそうに笑う光輔の姿を横目で見ながら、秋人は肩を落としながらその場を後にした。
「あ、穂村君」
通りかかった女生徒の一人が光輔に声をかける。
その隣の生徒も嬉しそうに手を振ってきた。
「あ、木下さんに丸もっちゃん」振り返り、笑い返す。「こないだはチョコありがとね」
「いいよ、別に。お返し期待してるから」
「マジで」
「マジだよ。ね、丸もっち」
「だよ~」
「ははは」楽しそうに笑った。「丸もっちゃんのくれたの手作りじゃん。俺泣きそうだったよ」
「なんで泣くの」
「いや、その心遣いに光輔感げけ……」
「あ、噛んだ」
「噛んだ、噛んだ」
「いや、噛んでないし」
「噛んだよ」
「噛んだ、噛んだ」
「まあ、体育コースだから……」
「関係ないよね」
「ねえ」
「あはは……。あ、木下さんのくれたの、あれ、高いやつだろ?」
「そんなにだよ」
「そっかな。夕季のより高そうだったような。夕季のもうまかったけどさ。ちっちゃかったけど」
「光輔!」
思わず光輔に噛みついた夕季に、二人が意外そうな顔を向けた。
「何? 穂村君、古閑さんから貰ったの?」
「あ、うんうん。箱が潰れたやつかと思ったら、ちゃんとしたのくれた。案外いいとこあるな」
「光輔!」
「なんで顔真っ赤なの?」
「……」
「いいなあ」
「へ?」
クラスメート達の何気ない呟きに、光輔と夕季が振り返る。
「私も木ノッピも古閑さんにあげたんだよ。いつもわからないところ教えてくれるから。飯田ちゃんも。ねえ」
「うん、だよ」
思いがけない展開に、夕季の口もとと背筋がピンとなった。
「……。……。ありがとう……。あの、あたしも……」
すると二人は申し訳なさそうに作り笑いを浮かべてみせた。
「あ、いいの、いいの。私ら好きでやってるだけだから」
「そそ、お礼、お礼。またわからないとこ、教えてね」
「……うん」
「んじゃあさ、夕季」ナイスアイデアをひらめかせる光輔。「ホワイトデーにお返しを……」
夕季に思い切り睨みつけられ、光輔の心が後退する。
「……するから、楽しみにしててね」
「……」
校庭へ出て、光輔が仕切り直す。
「あのことだけどさ」
声をかけた光輔に、夕季が不機嫌そうな顔を向けた。
「何言ってんですか、このバカちんは」
「え……」
「この人マジウザいっス」いじわるな声が次々と光輔に襲いかかる。「いっそこのあたりで死ねばって感じでスなあ」
「……」
夕季は困ったように光輔を眺めていた。救いを求めるまなざしで
はあ、とため息をつき、光輔が夕季の後ろを覗き見た。
「……やめれば、雅」
すると小悪魔の笑みを浮かべ、雅が飛び出してきた。
「よくわかったな。やほー、光ちゃん。出まして来まして、いじわるみやびちゃんよ」
「……何、その嫌がらせ」
「あたしが言ったんじゃないよ。夕季の心の声をアテレコしてただけだよ。ね、夕季」
「みやちゃん……」
「だって、そういう顔してたし」
「あのね……」光輔が腕組みをする。「確かにそういう顔してたけどさ」
「光輔……」
その時、さらなるかしましさが二人を襲撃してきた。
楽しそうに笑う雅と、同じ表情で笑い、光輔らを取り囲む、その友人達が三人。
包囲が完了し、雅が光輔を友人達へ紹介し始めた。
「皆の衆。この子が光ちゃんです」
すると似た者三人組のテンションが一気にブレイクした。
「ああ、この子が泣き虫光ちゃんですな」
「かわいいねえ」
「かわいいわあ」
「はは……」光輔、苦笑い。「……どうしよ」
「泣いちゃうかな。ねえ、泣いちゃうかな」
「いや、泣かないって……」
「あ、しゃべった!」
「しゃべったね。かわいー!」
「ねえ、かわいー! しゃべってる!」
「……」
「泣いちゃうかもねえ」雅が楽しそうに笑った。「泣くとありゃりゃんこりゃりゃんで超音波出しちゃうから、周りの人は気をつけてください」
「マジで! 読めねえ~!」
「ちょえ~! 恐ろしいな、光ちゃん!」
「誰かバリヤー、バリヤー出して! このままだとやられちゃう!」
「出ないし、そんなん……」顔を引きつらせ、光輔が声を上ずらせる。「……ウザ」
続いて夕季がロックオンされた。
「こっちが夕季先輩でござる」
「この子がでござるか?」
「いかにも。この子が古閑夕季先輩でござる」
「このコガコガ?」
「頭良くて、美人で、十九歳の?」
「そうです」頷く雅。「去年まで中学生だったのに十九歳。不思議」
「一年生なのに十九歳で先輩でありますか?」
「そうです」頷く雅。「あたし達より二コ下なのに十九歳。不思議」
「みやちゃん!」
夕季の抵抗に雅が目を丸くする。
「え? 違った? 十九歳はあってるし、頭良くて、美人じゃないの? 不思議ー!」
「十九歳じゃない」
「あれ、そっち?」
「そっち?……」
途端に他の三人から、目を覆いたくなるようなツッコミの群れが飛びかかってきた。
「おんや~、美人だってとこ否定しなかったでゲスね」
「頭いいってのもね。さては自覚してますな」
「はは~ん。こりゃ、十九歳じゃないってのも嘘臭い限りだわねえ」
「……」夕季、撃沈。
「ちなみに光ちゃんより夕季先輩の方がバレンタインのチョコ、五つも多かったのです。男前だから」
「ええ、光ちゃん、一個だけかよ? せつねー!」
「悲しくて泣いちゃう?」
「すでに心が泣いてるかも」
「……あのね」
一しきり騒ぎ立て、四人は笑いながら立ち去っていった。
ボロボロに打ちのめされ、その場に残された光輔と夕季が無言で立ちつくす。
「……」
「……」
「みやびーズだ……」
「……みやちゃんズ」
「……。ウザいね……」
「……。……結構ウザい」
「え?」
「……」
その島から人の気配が途絶えたのは唐突だった。
早朝、島民の幾名かが島外の人間に連絡を取ったのは確認済みだった。
それから半日も経たずに島との連絡は不通となる。
不審に思った関係者が現地へ赴き、その惨劇を知ったのはわずか数時間後のことだった。
その島に住む人間すべてが何モノかに襲われ息絶えていたのである。
ある者は引き裂かれ、ある者は食い破られ、またある者は凍りついた表情のままショック死を迎えた。
死する者すべてに共通していたのが、誰もがその顔に絶望の色を刻みつけていたことだった。
そしてそれが、得体の知れないプログラムの発動に関わっていたことを、メガルの関係各位は結果から結びつけることとなる。
絶望のプログラム、バジリスクとして。