第二十話 『絶望のトリガ』 1. 非常識な奴
「ほんとにこのVの字眉毛はよお」
メガル本館内の職員食堂で、桔平の声に夕季が口をへの字に曲げた。
「てめえはいつもいつもブスッとしてやがって。そんなんだからメル友とかもできねえんだ」
「うるさい」口の中でカツカレーをもごもごさせながら、W眉毛で桔平を睨みつける。「自分だっていないくせに」
「ああ、何言ってやがる。俺のケータイにはみっちゃんからのメールがバンバン入ってくるぞ」ギリギリと睨み返した。「おはよー、とか、おやすみ、とかな」
「全部定型分だけどねえ」ミートスパゲティをちゅるるっと吸い込み、雅が楽しそうに笑った。「しかも時間がくるとオートで送っちゃうやつです」
「でもよ、たまに長いのもくれるよな」
「長い時は百パーご飯の催促だけどねえ~」
「こないだあれだろ? 今日泊まりに行ってもいい? ってくれたよな?」
「ああ、しぃちゃんと間違えて送っちゃったやつね」
「おお、わかってたんだけど、なんかドキドキしちゃったな」
「そんなのあるわけないのにねえ」
「ないのにな、あっははは!」
「あっははは」
「……」
夕季があきれ顔で桔平を眺める。
それに反応し、天丼を完食した桔平が露骨に顔をゆがめてみせた。
「ったく。ちったあ、みっちゃんみてえなかわいい顔できねえのか。口もと、こう、にゅっと上げてだな、こんなふうに……」
キツネうどんをたぐり寄せ、桔平が振り返る。
すると凄まじいへの字口で雅が睨みつけていた。
「わーお! すげえへの字口!」
「今、あたしの方ちらちら確認しながら言ったよねえ」
「おうよ」得意げに胸を張った。「基本だからな」
「基本だよねえ」
「何の話、してんだろね」夕季の隣で、大盛りカツ丼を手にした光輔が気の毒そうに目を向ける。「どうせくだらないことだろうけど……」
「知らない」
「んだ、てめえは!」
うどんをズハズハかきこみながら、桔平が不本意そうに夕季を見下ろした。
「てめえは十九にもなって、もっと大人の対応とかできねえのか」
「十六!」
「十六だあ! 嘘つけ、みっちゃんは十九だっつってたぞ。なあ」
「確かに言いました」
「みやちゃん……」
「てめえ、年ごまかしてるだろ」
「ごまかしてない」
「嘘こけ! なんちゃって女子高生が。それでシチュ萌え野郎のドキドキハートを撃ち抜くつもりか。黒崎みたいな。だまし討ちだな、てめえ!」
「何バカなこと言ってるの!」
「バカぁ! 俺がバカだと! おもしれえ、もっぺん俺の目を見て言ってみろ! 言えんのか! ああ!」
「このバカ!」
「ああ! ストレートすぎだろ、てめえ! 実にせつねーぞ! バカとか直で言われた方の身にもなってみろ!」
「……ごめん」
「いや、そういうのも逆につらい……」
やれやれという顔で光輔が二人を見比べた。
「夕季、俺と同学年なんすけど……」
「そんなの知るか! バカ!」
「……」
「てめえ、本当は二十二なんじゃねえのか。どんだけダブってやがんだ」
「それだとしぃちゃんより年上になっちゃうけどねえ~」
「あれ? しの坊、二十五じゃなかったっけ?」
「実はお兄ちゃんの二コ上だったという後付け設定で」
「くそ! やっぱりあいつも俺を騙してやがったのか!」
「ねえ桔平さん、あたしは?」
「ん? みっちゃんはプリティーだから、十五くらいだろ?」
「ピンポン! 大好き!」
「あんでもねえよ」
「いや、ピンポンじゃないし……」丼をテーブルに置き、光輔がため息をつく。「もうすぐ高校卒業じゃん」
「てめえ、言いがかりつけてんじゃねえ!」
「訴えるわよ!」
「……」
「ねえねえ、光ちゃんは?」
「んあ?」片手でピザを持ち上げ、もう片方の手で鼻をほじりながら桔平がどうでもよさげに答える。「んなもん、どうでもいいだろ」
「ねえ、どうでもいいよねえ」ちゅるるる、ポンッと、天使の微笑みで見つめた。「ちなみにお願いだからその手で触らないでくださいねえ」
光輔が困ったような顔を夕季へ向ける。
「……どうしたらいいんだろねえ」
「知らない。ごちそうさまでした」
光輔にそっけなく答え、夕季はプンスカと頭から湯気を出しながらトレーを持って行ってしまった。
畏怖の表情で光輔が振り返る。
すると雅と桔平は普段どおり、どうでもいい話に花を咲かせていた。
遅めな昼食のため、食堂には人がさほどいない。桔平の大声と雅の笑い声だけが、広い場内に響き渡っていた。
「何があったんすか?」
「んあ?」オムライスをガバッとすくい上げ、鼻の穴に指を突っ込みながら桔平が不快げな顔を向ける。「何がっておまえ、あの野郎、せっかくビッグニュース教えてやったってのによお」
「くれぐれもその手で触らないでくださいねえ」
「なんすか、ビッグニュースって」
「それがよ、おまえ。上町のホコシャッチっつうサ店に、なんと、城ノワールが新メニューで入ったっつうじゃねえか!」
「……。それで?」
「それでってよ。普通それ聞いたら、みんな大喜びだろうが。ひゃっほー、てなもんで。ウェーブがスタンディンオベエションだぜ」
「……。なんすか、しろのわーるって」
「はあ!」フォークに刺したエビフライをぷらぷらさせ、桔平が光輔を睨みつけた。「てめえ、城ノワールも知らねえのか! 高校生にもなって」
「……はあ、すみません……」
「非常識な奴だな」
「非常識だよねえ。白のワール知らないなんて」
「なあ」
「ねえ」
「……。おまえ知ってんの」
「ちっとも知らないですよ」
「……」
砕けた心を拾い集め、光輔が何とか自分を立て直す。
「……で、あいつがどうしたんすか」
「あいつもおまえと同じだ。そんなのちっとも知らねえ、とかヌカしやがるからよ。ガツンと言ってやったわけだ。なあ、みっちゃん」
「ねえ、桔平さん」
「……いや、おまえも同じこと言ってんだけど」
「おい、言いがかりつけてんじゃねえ!」
「訴えるわよ!」
「……。好きにしてよ……」
「食いに行くぞ、っつったら、よくわからないからいらない、だってよ。どういうことだ!」
「どういうことなのねんのねん!」
「……」
「ったくあの野郎、なんか勘違いしてやがる。標準で上から目線でよ。笑いの一つもとれねえくせに、いっぱしの女子高生ぶりやがって。悔しかったらモノマネの一つもしてみろってんだ」
「別に悔しいとかじゃ……」途中で気がついた。「何言ってんすか?」
「何って、おまえよ!」
「じゃあ、あたしからね。んんんんっ……」得意げに胸を張り、雅がノドの調子を整える。「あどね~、あどね~!」
「雅、何やってんの……」
桔平がポンと手を叩いた。
「わかった、みっちゃん。相撲取りの子供の時の真似だな!」
「ぶぶー! 正解はてんぱった時のしぃちゃんでした」
「ちっくしょう。俺も負けねえぞ!」
「頑張って、桔平さん」
「あの、……」
「んんんんんっ!……」すまし顔でノドの調子を整えた。「マ~ングロ~ウンマイニャ~!」
「まんぐろーぶ、にゃにゃ?」
「……なんすか、それ」
「ああ!」キッとなって光輔を睨みつける。「喋る猫の真似に決まってんじゃねえか! 常識だぞ!」
「いや、知らないっすって……」
「ピンとこいよ、ピンと!」
「はあ……」
「あ~、そっくり~」
ポンと手を叩いた雅に、桔平が歓喜の表情を向けた。
「だろ? みっちゃん。こないだ、おもすろビデオ大賞でやってたんだけどよ。猫のくせに、ほんとに日本語喋ってんだもんな。か~わいいよなあ!」
「うん、か~わいいよねえ」にこにこにこにこ。「観てないから知らないけどねえ」
「あ、やっぱそうか!」
「そうです」
「あっははははー!」
「あははははは!」
「何がおもしろいんすか。いったい……」
「しの坊に録画頼んどいたら、あいつまた失敗しやがって。たまたま木場が録ってたからよかったようなものをよ。取り返しつかねえことになるとこだったぞ、ホント。観れてよかったぜ。昨日も夜中まで二人で大爆笑だ」
「やっぱり~。しぃちゃんおっちょこちょいだから、その時あたしが被せて録画しちゃってたの気づかなくて、終わってからオロオロしてた。また桔平さんに怒られる~って」
「マジか。ほんとあいつはおっちょこだよなあ」
「ねえ~」
「キツく叱ってやったら涙ぐんでやがったけどな。おかげで後ろから夕季に飛び蹴りされて、そん時の記憶がねえ」
「あっははは! どっちもどっちだよ」
顔を引きつらせ、光輔が雅を横目で見やった。
「……おまえのせいじゃんか」
「そうですよ」
「……」
食堂で顔を突き合わせ、桔平が雅に笑いかける。
「ほんと、みっちゃんの笑顔は無敵だな。嫌なことなんて全部ふっとんじまうよ」
「やっぱり?」
「……そうかな」雅の隣で光輔が辟易しながら呟いた。「いじわるで全部ぶっとんじゃう時ならあるけど……」
「そんなことないんだよ。昔っからかわいかったんだよねえ。目がきょろっとして、口もともにゅっと上がってて、まるで天使みたいだって」
光輔の目が点になる。
「誰が?」
「あたし」
「……。雅?」
「うん」
「自分で言っちゃうの?」
「ええ、まあ」
「……ふ~ん。……」
「……」雅が不機嫌そうに顔をゆがめた。「ええ~! 何それ! びっくりだよ、もう!」
「……いや、こっちがびっくりなんだけど」
「いや、みっちゃんが正しい」桔平が腕組みをしながら、うんうんと頷く。かたわらのアツアツおでんに手をつけた。「みっちゃんの笑顔にはインド人もびっくりだ。あちち! ふほっ!」
「だしょ。あ、たまごくださいな」
「よく食うな。ほれ」
「ありがとう。あちち! ほっほふっ!」
「はっはっは。あちちっ! ほほっほっ!」
「……熱いのわかってるくせに、なんで一口でいこうとするんすか?」
「そりゃおまえ、基本だからだ」
「基本だよねえ」
「へえええ……」
「おまえも食え、ほら、ガンモだ」
「あちちちっ!」ガバッと立ち上がり、光輔が泣きそうな顔を突き出す。「そこ、口じゃないす!」
「……いいリアクションするな、こいつ」
「ねえ、負けてられないよねえ」
鼻の頭をおしぼりで拭きながら、光輔が恨めしそうに二人へ目を向けた。
それをおもしろそうに眺め、雅が大根へと手を伸ばす。
「ちなみにあたしは毎日世界一の笑顔を見ています」
「……どこで?」
「うちで。ん~、ンマイニャ~。あ、しまった……。あちちっ!」
「駄目だろ、みっちゃん。忘れてちゃよ」
「てへ、ぺろん」
「ぺろんは口で言わなくてもいいけどな」
「なんと!」
やれやれ顔の光輔が、ガンモドキをほおばる。
「……それひょっとして、毎日鏡で自分の顔見てるってこと? あ、ウマ!」
「ピンポン、正解! 五万点さしあげます。今のとこ光ちゃんがトップ」
「俺は?」
「桔平さんは三点」
「あれが三点かよ! 今回はレベルたけえな!」
「今から十問は全部五点だけど、最後の問題は四万点だから頑張ってねえ~」
「はっはっは、んじゃ最後の問題だけでいいじゃねえか」
「でも全部正解しても、桔平さんは四万飛んで五十三点だけどねえ~」
「何! それじゃ逆転のチャンスねえだろ。ちくしょう、まだオープニングクイズなのにすでに光輔の優勝確定か。出来レースじゃねえか! やるせねえな」
「光ちゃん、おめでとう」
「いや、ちっとも嬉しくないし」恨めしげに見やる。「このいじわるな顔が世界一って言われてもなあ……」
「わかってないなあ。そこが紙一重で世界一な感じなんだけど」
「……何言ってんの、かな」
「わかってるくせに! にこっ」
「ウザ……」
「俺もできるぞ! アルカイックぽくなっちまうがな」
「わあ、やって、やって」
「よし、んんんん……」
桔平の目がキラリと光る。
「にこっ!」
にたりと笑った。
「わあ、不気味~。マイナス百万点」
「ちくしょ~。せめて三点だけはキープしときたかったのによ。このビハインドはでけえな」
「残念。じゃあ、おごってください」
「まだ食うのかよ……」バナナを口に押し込みながら、桔平があきれたように雅を眺めた。「仕方ねえな。デザートでも食いに行くか」
「やたっ」
「……いいんすけどね、別に」はああ~、とため息をつく。「どうでもいいけど、なんでおまえっていつもニヤニヤしてんの?」
「ニヤニヤじゃないよ。ニコニコだよ」
「いや、どう見ても意地クソ悪そうなんだけど……」
「失礼な。光ちゃんのくせに!」
「そうだ、光輔のくせによ!」
「……」
「んじゃ、みっちゃん。こんな奴ほっといて城ノワールでも食いに……」
「パス!」
「……ぱす?」