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第十九話 『プライマル』 6. それぞれの結果



 バレンタインデー当日。

 帰りしな、靴箱の扉を開けた夕季の目の前に飛び込んできたのは、チョコレートの山だった。

 同学年の女子からだけでなく、上級生からのものも見受けられる。大半は礼也のクラスの女子からのものだったが、同級生からのそれがいくつか見受けられたのが夕季には意外だった。

 滑り込んで来た光輔がそれを目の当たりにし、愕然となった。

「……負けた。がびーん……」

 夕季が振り返る。

 カバンの中をさばくり、真顔で光輔がチョコレートを突き出してみせた。

「俺、こんだけ」合計六箱。「おまえのクラスの娘からも貰ったのに……」

 顎を引き、夕季が光輔を睨みつけた。

「……なんで睨むの」

「……睨んでない」

「……」

 がっくりと肩を落とし、光輔が背中を向けた。

「あいつら、どんだけ貰ったのかな。祐作には負けるだろうけど、茂樹には勝ってないかな。俺、男子クラスなのに健闘した方だと思ったんだけど……」何気なく振り返ると、睨みつけてくる夕季と目が合った。「……だから、なんで睨むの」

「……」

「……」

「……」

 光輔の目を見据えたまま、夕季がカバンの中から小さな箱を取り出す。それから機械的に、ぐい、とそれを光輔へ差し出した。

「……。そんなことだろうと思ったけど」

「……いらないならいい」

「いや、いるいる」奪うように箱をつかみ取り、光輔が嬉しそうに笑った。「さんきゅー、夕季」

「……」

「光輔」

 ふいに後ろから呼びかけられ、光輔が振り返る。

 茂樹だった。

「あ、茂樹」たった今貰ったばかりの七個目のチョコレートを、自慢げに差し向けて笑う。「夕季から貰っちゃった」

「あ~、おまえ!」夕季の方をちらと見て、茂樹がギリギリと光輔を睨みつけた。「いいなー!」

 夕季が恥ずかしそうに顎を引く。

「あーもー、おまえ、それ俺によこせよ!」

「なんでだよ。おまえだって篠原達から貰ったじゃんか」

「も~う!」

「なんだ、も~う、って……」


 先代生徒会長にしてミスター山凌学園、衣浦卓也は、廊下の陰から角の向こう側を何度も確認していた。

 下校の挨拶をしてくる女生徒達に愛想をふりまいた後で、ターゲットの姿を見定め、さっと身を隠す。かしこまった姿勢で何度か髪を撫で、身だしなみを整え、通り抜けた人影に最高の笑顔で振り向いた。

「やあ、今帰りかい」

 キラリ白歯を光らせた衣浦に、はっとなった表情が振り返る。

 桐嶋楓だった。

「よかったら一緒に……」

「すみません」着信も完了しないうちに、楓がやっつけ返信を叩きつけた。「今急いでますから」

 振り返ってから今に至るまで、楓は前傾姿勢のままだった。

 停車する素振りを微塵も見せないその様子に、衣浦が思わず身をのけぞらせる。

「……あ、そう」

「すみません!」

 足早に立ち去った語尾は、ドップラー効果をともないながらその背中ともども彼方へ消え行く。

 残されたのは何も得られずに立ちつくす、バレンタインデーの三年連続タイトルホルダー、衣浦の悲しげな姿だけだった。


 楓は隣の校舎から礼也の姿を見かけ、何とか追いつこうとしていた。

 昇降口の手前で背中を視界に収め安心したところを、ふいに礼也が振り返り、ビクッと体をすぼめる。

「なんだ、おまえも帰るのか」

「……。……うん」

「部活は」

「……お休み」

「ほぉん。ま、いっけどな」

「……」

「んじゃ、帰るか」

「いいけど……」ひくつく口もとを悟られぬよう、うん、と楓が引きしめる。「……フレール寄ってく?」

「んにゃ」ぼりぼりと後頭部をかきながら大あくびをした。「昼間寄ったからいいわ。オバちゃんからチョコ貰っちまった」

「……そう」

 元気なさげに楓がうつむいた。

 道中、礼也のたれ流す意味のない悪態が、楓の耳もとへこだまし続けていた。

「ったくよ、バレンタインなんてくだらねえ。どいつもこいつも何浮かれてやがんだろうな」

「……」情けなく眉を寄せ、楓が覇気のない声をもらす。「たくさん貰ってたくせに」

「ああ!」楓をじろりと睨みつけた。「おかしいじゃねえか。からかってやがんのか? 去年は名前がねえちっこいのが一個しかなかったくせによ。嫌がらせか。ねえ方がマシだって。呪いじゃあるまいし。うまかったけどよ」

「……」

「まさか、てめえじゃねえだろうな」

「!」

「な、わけねえか。ツンケンのくせに、んなことしたらキャラ違いだもんな」

「……」

「こんなチョコばっか食えるかっての」パンパンに膨らんだバッグを恨めしそうに眺めた。「おい、やろうか」

「! どうして私が貰うの!」

「……いや、てめえじゃなくって、チビどもにやれって」

「……」楓が口をつぐむ。またもや、口もとがひくつき出していた。「……駄目だよ。勇気出して、くれた人の気持ちも考えてあげなくちゃ」

「どう考えろっての。顔も知らねえ奴ばっかだってのに」

「……」

「ったくよ、チョコなんざどうでもいいから、メロンパン渡す儀式に変えろっての」

「それで誰得なの……」

 はっ、と思い立ち、楓がバッグの中からメロンパンを差し出す。

 途端に礼也の顔が光り輝いた。

「お、プレミアムじゃねえか。俺が行った時ゃ、もうなかったぞ。朝イチで行かねえと間に合わねえってのに、おまえよく買えたな」

「遅刻ギリギリのタイミングだったけどいちかばちかで」悲しそうに楓が顔をそむけた。「慌てて走ってたら途中で転んで、結局遅刻しちゃったけどね……」

「いただき」礼也が嬉しそうにメロンパンにかぶりつく。「てめえからのチョコがわりだな」

「……」

 その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「レーヤ」

 礼也が顔を向ける。

 通りの向こうから、花のような笑顔のマーシャが手を振っていた。礼也と目が合うや、たたた、と駆け寄って来る。

「お、マーシャじゃねえか」メロンパンを隠し、礼也がマーシャを抱き上げた。「何やってやがんだ、こんなとこで」

 礼也に、たかいたかい、をされた状況で、マーシャが楽しそうに笑う。

『もう、レーヤはすぐに子供扱いする』

「はは、相変わらず何言ってやがんのかちっともわかんねえな」

「知ってる子?」

 不思議そうに眺める楓に、礼也が目をやった。

「んあ? メガルに転勤してきたオッサンの子供だ。こう見えてもロシア人だぞ」

「こう見えてもって……」

「フランス人みてえだろ」

「……さあ」愛らしいマーシャの顔を、楓がまじまじと眺める。「綺麗な子。お人形さんみたい」

「だろ? ぜってえこいつはデルモ体型の鬼のような美人になる。夕季みたいなブサイクロンとはえれえ違いだ。な、マーシャ」

『ああ! レーヤ、何か食べてる!』

「そうか、おまえもそう思うか、マーシャ。やっぱだって」

「……」

 マーシャが宙ぶらりんから解放される。ふいに楓に目を向けると、大人びた笑みを浮かべてみせた。

『レーヤの恋人?』

「オッケー。オッケーだ、なあ、マーシャ」

「……」

「マーシャ」

 三人が振り返る。

 通りの角に優しげな微笑みをたたえるアレクシアの姿があった。

『レーヤ、こっちこっち』

「お?」

 マーシャが手を引き、礼也をアレクシアのもとへと連れて行く。

 楓もその後へ続いた。

『ママ、レーヤにあげて』

『はいはい』

 重そうな手荷物の中からアレクシアが平たい箱を一つ取り出した。一旦マーシャへ渡り、その小さな手から最終的に礼也のもとへと伝わっていった。

「お? 俺にくれんのか?」

 カゴの中からプリムラの花も差し出す。そして覚えたての日本語を口にした。

「ギリチョコ、ギリチョコ」

「おいマーシャ、あのな……」

 再び礼也がマーシャを抱き上げ、嬉しそうに笑った。

「このやろ」

 マーシャも楽しそうに笑った。

 何とはなくうらやましそうに眺めている楓に気づき、マーシャが手に持ったプリムラの花を差し出した。

 途端に楓の目が点になる。

「私に?」

 自分を指さす楓に頷き、マーシャがいたずらっぽく笑う。

『レーヤの恋人のあなたにも特別にあげる』

 受け取る楓にはその言葉の意味がわからない。

 両者を見比べて、アレクシアが優しげな口調で通訳してみせた。

「素敵なあなたにあげますって」

「ありがとう……」

 楓が照れたように口ごもる。ふと思いつき、バッグを探って余った義理チョコを一つ取り出そうとした。

 その時、ラッピングされた一際大きな箱がこぼれ落ちた。

 礼也やマーシャが注目する中、かあっと、楓が顔を赤らめる。不自然な平静を装い、楓がマーシャへチョコレートを手渡した。

「……はい」

『ありがとう』楓に礼を言い、抱きかかえられたままのマーシャが、顔が触れ合うほどの距離で礼也へ向き直った。『レーヤもギリチョコもらったの?』

 アレクシアが平静を装い通訳を続ける。

「……。レイヤもチョコレートを貰ったの、って」

「今ギリチョコっつったろ、こいつ……」

 礼也がマーシャを地面に降ろす。

 妙な空気が流れ始めていた。

「……」やがて沈黙に根負けしたような形で楓が先ほどの大箱を取り出し、えへんと咳払いし、礼也へ差し出した。「はい」

「……」ぶすっと苦々しい表情になる礼也。「んだ、てめえ、持ってんなら早く出しやがれ」

「……だって、いらなさそうだったし……」

「いるってーの!」

「……言ってること違う……」

「はあ! 世界中で今日というこの日に、チョコいらねえ男なんざいるわけねえだろ」

「でも衣浦先輩は、俺はいいからって言ってた。別に気を遣ってくれなくてもいいからって。先輩、人気あるからお返しとか大変そうだし」

「ああ! バカかてめえは!」

「……何」

「んなこと言ってやがんのは、モテねえ野郎のせつねえ予防線だって! 察してやれって! かええそうによ」

「モテない?……」

「てめえも大概天然入ってやがんな」

「何それ! もう返して!」

「ふざけんな!」

「ふざけてるのはどっちなの!」

「ぜってー返さねえ!」

『あ~、いいな~!』

 気まずそうな二人の攻防もまるで気にかけず、突然マーシャがじたばたと騒ぎ始めた。

『レーヤ、おっきいギリチョコ。いいな~、かえて~』

「とても大きな……、ギリチョコね、うらやましい、って言ってる」

「……。まあ、どうせギリだろうけどよ……」

「……」

『あ~、レーヤ嬉しそう』顔をそむけた礼也をマーシャが冷やかした。『ひゅうひゅう』

 表情から何となくその内容を礼也が察する。

「何言ってやがんだろな、こいつは……」

「とても嬉しそう、ですって」

「いや、いちいち訳してくんなくってもいいって……」気を取り直し、マーシャを高く掲げ、ぶんぶんと振り回した。「てめえ! この野郎!」

『あはははは……』

 きゃっきゃとマーシャが無邪気に笑う。

 その様子を楓はアレクシアとともに楽しそうに眺めていた。

 マーシャを降ろし、礼也が照れ隠しにメロンパンにかぶりつく。

 するとマーシャの瞳が輝き始めた。

『あ、メロンパン。ちょうだい、レーヤ』

「てめえはチョコで我慢してろって」

『ズルい! 卑怯者! このタマナシヤロー!』

「……いい加減、オッサン達をこいつから立ち入り禁止にした方がいいぞ、アレクシア」

「ええ、私もそう思うの。でもイヴァンが……」

 切なげな顔を向け合う礼也とアレクシアを、楓は複雑そうな表情で眺めていた。やがて、はっと気がつき、カバンの中からメロンパンを取り出すと、マーシャへ差し出した。

「マーシャ、これあげる」

『わ~、すごい。何でも出てくる』メロンパンを両手で持ち、マーシャが嬉しそうに楓の顔を見上げた。『あなたならレーヤをあげてもいい』

 マーシャの言葉が理解できず、アレクシアへ目を向ける礼也と楓。

 アレクシアは何も言わず、ただ穏やかな笑みをたたえながら三人を見続けていた。

「どっか行くとこか?」

 礼也の何気ない問いかけにアレクシアが答える。

「イヴァンの病院。マーシャがどうしても今日お花をあげたいって言うから」

 喜々とした表情でメロンパンにかじりつくマーシャをちらと見やり、礼也がアレクシアへ向き直った。

「俺が持ってってやろうか? 重てえだろ」

「でもレイヤ、他に用があるんでしょう」

「いや、帰るだけだしよ」楓に目を向けた。「おまえも行くか? イテえギャグ言うロシア人のオッサン、紹介してやるぞ。シモネタも満載だ」

「……いえ、結構です」

 アレクシアが少しだけ悲しそうな顔になった。


 夕食の仕度をする忍へ夕季が近づいて行く。

「お姉ちゃん……」

「ん?」振り返る忍の目に飛び込んできたのは、夕季が抱える大量のチョコレートだった。「……誰にまだそんなにあげる気なの?」

「違う。貰った。学校で」

「……」チョコレートの山をまじまじと眺める。「すごいね。木場さん達より多いんじゃない……」

「……どうしてだろ」

「そんなに深く考えることでもないって。よくあることだよ」

 腑に落ちない様子で夕季が顔を向けた。

「お姉ちゃんも貰った?」

「ああ、高校生くらいの時はね」

「……。話したこともない人ばかりなのに……」

「友チョコとも違うみたいだね。なんかそういうのってあるみたい。あの頃の年代だと」

「食べる?」

「駄目だよ、夕季。みんな勇気を出して渡したんだから。その気持ちを受け取ってあげなきゃ」

「……どう、受け取ればいいの」




          

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