第十八話 『花・後編』 6. 花のように……
海竜王のハッチを開け、光輔が軽やかに飛び降りる。
それを笑顔の桔平が出迎えた。
「よくやった、光輔」
光輔が嬉しそうに笑った。
「桔平さんの言うとおりにやったらうまくいきました」
「俺じゃねえよ」夕季を、くい、と親指でさす。「こいつのアイデアだ」
「さすが、夕季」
顎をぐっと引き、照れながら夕季が二人を睨みつけた。
「……なんでおまえは褒められただけで人を睨む」
「睨んでない……」
「まあ慣れっこですけど……」
インフィニティのハッチを引き剥がす直前、海竜王がドックの中でフォッグを発生させる。海竜王のみが持ち得る濃密なミストの防壁が、ウイルスの拡散をわずかに遅らせたのである。
「なんせ、よかったわ」
ほっと胸を撫で下ろす桔平。
横を見やると、担架に載せられ医療班に治療を施されるドラグノフの姿が目に入ってきた。
「とりあえずの処置はしておいたが、ブツが仕込まれてたのがバックパックの方だったから、人体にもほとんど影響ないレベルだ」それから据わったまなざしでもう一度光輔らへ向き直った。「勝手なことしやがったてめえらには後でキツいお仕置きが待ってるがな」
「ええっ!」
「んだあ! ちょー消しだろ! 普通よ!」
「そういうわけにはいかねえ。一歩間違えば、てめえらがとんでもねえことになってたんだからな」
「なんねえって。俺は不死身だからよ」
「黙れ!」食い下がる礼也をギロリと桔平。「てめえ、どこかの誰かってのは、俺のことか!」
「他に誰がいんだって」
「あんなシモネタ大魔王と一緒にするな! 不愉快だ! 不本意だ!」
「いや、人種以外えれえカブってんぞ、あんたら……」
「や~かましい!」見栄を切るように礼也を睨みつけた。「とりあえずてめえは罰としてメロンパン禁止の刑だ。市内のパン屋全部に特別援助金とてめえの顔写真ばら撒いて、姿を見かけ次第警察へ通報してもらう。なんと有効期限は一年間。更新も可能だ」
「そんじゃ、死んじまうって!」
「……不死身じゃねえのか」
「いや、だからってよ! どうせ金使うんなら、ご褒美で一年間食べ放題のフリーパスでも発行しとけって!」
「だから罰だっつってんじゃねえか!」
「はあ!」
「さっき、ナイスだ、って言った」ぼそりと夕季。
「そういえば言ってたような……」ふうむと光輔。
「言ってたって。俺もしっかり聞いた」
「……」ぐむむむっ、と桔平の眉がひくつく。「……そりゃナーイスよ、って言ったんだな、たぶん……」
「おいこら、パワープレイにもほどがあんだろ!」
「ううむ……」
「自分でも苦しいと思ってますね」
「……。黙れ、てめーら!」
「逆切れしやがった……」
「逆切れだねえ……」
夕季が桔平を睨みつける。
それでも桔平の心は退かなかった。
「そんな顔したって駄目だぞ。命令違反には違いねえんだからな。睨みたきゃ睨め。ちっとも怖くねえぞ。今年の俺は厳しくいく。今までのような甘いジャッジは一切なしだ。とことん追求して、とことんまでつき詰めてやる。今年の俺は、柊つめへーだ。覚えておけ。おまえが何言ったって、ちょっとやそっとじゃへこまねえぞ。決して揺るぐことのない精神力の強さがハンパねえからだ。とにかくガキごときが立派な大人に勝てると思うことがおこがましい」ふん、と鼻を鳴らし、胸を張ってみせる。「どーだ、まいったか」
「もううちに来ないで」
「……そんなひどいこと言わなくてもいいじゃねえか……」
「メールとかもしてこないで下さい」
「下さいって、おまえ……」桔平が泣きそうな顔になる。「俺はおまえ達のことを心配してだなあ……、って、今何やった、おまえ!」
「着信拒否」
「……。俺じゃないよな?」
「誰だと思ったの?」
「……光輔ぇ?」
「なんでやねん……」光輔、苦笑い。
「そういやおまえ、どこにいやがった」
礼也に問いかけられ、夕季と光輔が顔を向ける。
「俺らが走って格納庫に向かった時、どこにもいなかっただろうが」
「本館の地下」
「そっからわざわざまた出て行ったのかよ」
「違う」ふん、とあきれたように息をつく。「本館の地下から格納庫の下に通路が走ってるから、そこから。避難してる人が多くて、思ったより手間取ったけど」
「何!」礼也が目を見開く。「なんでそんな大事なこと早く言わねえ!」
「言おうとしたのに二人とも聞かなかったじゃない」口をへの字に曲げる。「だから本館へ行けって言われてたのに」
三人が一斉に振り返る。
そこにはポカンとした表情で成り行きを見守る桔平の姿があった。
「……。うん、そのとおりだな……」
「嘘こけ!」礼也の激しいつっこみ。「今、そうだったのかって顔してやがったろ! 頭ん中でポンて手え叩いたツラしてたぞ!」
「いや、そんなことはない。俺は知ってた。知っててその上でだからだな……」
「どうして副局長のくせにそんな大事なことも知らないの」
「……」夕季の毒攻撃をまともに浴び、顔色が悪くなる。「……。ああっ! それどころじゃなくて、すっかり忘れてただけだ!」
「開き直りやがった……」
「最低だ……」
礼也と光輔が顔を見合わせる。
「こりゃ、ちょー消しだな」
「ちょー消しだねえ……」
「ちょー消しにゃしねえぞ!」
「何!」
「ええっ!」
「一度出したジャッジは意地でも覆らせねえ。ぜってー認めねえ! たとえミスジャッジだってわかっててもだ!」
「いや、ミスは認めろって……」
「ふざけんな! 俺の言うことも聞かねえくせしやがって! おまえらのそういう態度が、聖人のように清らかな俺の心を感情のない機械のようなマシーンに変えさせたんだ。俺はおまえらのおかげで、決して折れることのない鋼の心と氷の心を合わせ持つアイアンアイスマシーンマンになれたのだ!」
夕季のへの字口がさらに角度を尖らせる。
「もう仕事以外で二度と話しかけないで」
「いや、職場でそんなふうに言われるとリアルにへこむからな……」
担架の上に身を横たえ、ドラグノフが虚ろな視線を泳がせる。
暮れかけた高い空へ手を伸ばし、何かをつかもうとしてやめた。
「ニコライ……」
その呟きは誰の耳にも届かない。
気配に気づき視線を向けると、涙で目を真っ赤に腫らしたアレクシアとマーシャの姿があった。
「アレクシア……」
それからマーシャの顔をぼんやりと眺めた。
マーシャはプリムラの花を抱きしめ、何かを堪えるようにじっとドラグノフの顔を睨みつけていた。
悲しそうに瞳を揺らし、ドラグノフがその瞼を閉じる。再び目を開くと、静かにマーシャへ笑いかけた。
堰を切ったように涙をこぼし、マーシャがドラグノフへ抱きついていく。
その頭をいとおしそうに撫で、ドラグノフが目頭を押さえた。
『ニコライ、すまない……』口もとを引きしめ、嬉しそうにアレクシアとマーシャを見比べた。『私達が家族となることを許してくれ……』
夕季らは何も言わずにその光景を眺め続けていた。
頃合を見計らい、桔平が一歩前へ出る。
厳しいまなざしと表情に、ドラグノフもすべてを悟ったようだった。
「キッペイ……」
「こんな時にすまないが、あんたにしなけりゃならない話がある」ドラグノフの目を見据え、迷いのない口調で告げていく。「申し訳ないが二度と祖国へは帰れなくなった。この国にもいられなくなるだろう」
ドラグノフが、ふっと笑った。
「わかっている」状況を感じ取り桔平を睨みつけるマーシャの頭を撫で、穏やかに微笑む。「覚悟はできている」
「あんたの家族も含めてだ」
ドラグノフの瞳に悲しみの色合いが浮き上がった。
「……私はどうなってもいい。だが、家族のことは……」
「そうはいかない」
切なる想いを桔平の宣告が断ち切る。
「あんたらには今日限り死んでもらわなくちゃならないからな」桔平がすまなさそうに顔を伏せてみせた。「さっきの爆発事故で全員死んだことになっちまった。あんたが起こした無理心中のせいだ。生きてたらつじつまが合わなくなる。察してくれ」
「……」
「あんたは悪くない、全部マカロフのせいです、ってロシアは言ってきやがったよ。マカロフは軍部に取り入って、インフィニティの技術を手土産に自分を高く売るはずだった。だがそれを実行に移すには、上層部にも強力な発言権を持つロシア支部を何とか失脚させる必要があった。主流派、反主流派、そして軍部からもカリスマ扱いされ、それらのバランスを取る役割を担っていたあんたの立場もな。だから奴はあんたの存在が邪魔になって、亡き者にしようとした。それがロシアが送ってきた後出しのシナリオだ。解せない部分も山盛りだが、ちゃんとヌキどころはある。少なくとも、あんたのひとりよがりの演出よか百倍マシだ。裏切り者からメガルを守り、国賊から家族をかばって死んだ祖国の英雄を、国をあげて送り出したいとまで言ってきやがった。今さら生きてましたなんて、恥ずかしくて言い出せねえだろ。どのみち今のロシアにゃ、幽霊が安心して住めるような場所はどこにもない。遺体の返還を求めてきたが、死体は粉々で一片も残ってねえって報告しちまった。ロシアもそれで渋々納得しやがった。後からブーブー言いやがったら、シモネタたっぷりのあんたのネタ帳送りつけてガッカリさせてやる所存だ」
「キッペイ……」
ドラグノフが惚けたように桔平に注目する。
すると桔平は、にやりと笑いながら先へとつないでみせた。
「メガ・テクノロジーの知り合いがあんたを雇いたいと言ってきた。優秀なテストパイロットが必要なんだそうだ。そのために、あんたらには早急にアメリカ人になってもらわなければならない。名前はターミネーターでもミスターブーでも好きにしてくれ。どのみち、あんたこの先、メガル中でイタイ奴扱いだけどな」
両目でウインクをする桔平に、ドラグノフが平坦な視線を差し向ける。
「言っておくが、くれぐれも巨乳の大食い女と勝負しようなんてバカな気だけは起こすな。プライド、ずたずたにされんぞ。あいつはボルシチを寸胴ごと平らげちまうような恐ろしい巨乳だからな。あいつに比べりゃおまえさんなんざ、ごきげんようのお嬢様だ。心しとけ」
「……」真顔で桔平の顔を見つめながらドラグノフが重い口を開いた。「キッペイ、君に伝えなければならないことがある。ずっと言いたかったことだ」
涼しげなまなざしで桔平がドラグノフを見返す。
「なんだ?」
「……」
「……」
「残念だが君にはジョークのセンスがない」
「るっせえ、とっとと出てけ!」
アレクシアと顔を見合わせ、ドラグノフが嬉しそうに頷いた。
やれやれ、と言わんばかりにその様子を見続ける光輔達。
ふいに振り返ったマーシャの厳しい表情に、礼也と光輔が顔を見合わせた。
「おいおい、ちび夕季、えれえ怒ってやがるぜ」
「どうしてパパをもっと早く助けてくれなかったの、って顔だね」
「プチ夕季ならいかにも言いそうだな」
「で、俺だけ蹴られる」光輔が、さっと脛を内側へ向けた。
「十年経ちゃ、間違いなく完全体だな。こいつみてえな」
夕季が二人をキッと睨みつけた。
顎を引き、マーシャが二人へ近づいて行く。
その眼光の鋭さに礼也と光輔が固唾を飲んだ。
「……逃げた方がいいかな?」
「逃げんじゃねえ。てめ、一生頭上がんねえぞ」
「なんで……」
二人の目の前まで歩み寄り、マーシャが立ち止まる。
しかし、身がまえる二人へ、マーシャは背中に隠した花を差し出したのだった。
二輪のプリムラ・ジュリアンを両手を広げるように差し向ける。
「お?」
「俺らに?」
間抜けヅラで自分を指さす二人に、マーシャがコクリと頷いた。
そわそわしながら顔を見合わせ、光輔と礼也が腰を落としてそれを受け取ろうとする。
その時、マーシャが二人の頬にサプライズを見舞った。
突然の熱烈なキスに硬直する二人。しばらくして、まんざらでもなさそうなニヤケ顔に変わった。
夕季の後ろへ隠れ、二人を眺めてマーシャが照れたように笑う。
『ありがとう。大好き』
ロシア語でそう言った。
言葉の意味はわからなかったが、二人はちらちらと確認し合い、嬉しそうな顔をしてみせた。
間抜けヅラが加速する。
「こいつぁあ、ぜってー美人になるぜ」
「俺もそう思う」
「こっちのちんくしゃ女と違ってよ」
夕季がキッとなり、二人を睨みつけた。反射的に光輔の耳をつねり上げる。
「だだだだ! なんで俺!」
「さっきバカ女って言った!」
「いや、それ言ったの俺じゃないし……、だだだだだ! わかってるくせに!」
マーシャが楽しそうに笑った。
花のような笑顔だった。
了
お読みいただきましてありがとうございます。
お見苦しい内容に加え、世界観の崩壊がハンパない感じで恐縮しかりです。そろそろスパロボっぽさを徐々に出していけたらいいな、などと考えています。
これからもおつきあいいただけたら幸いです。謝々。