第二十八話 『スクランブル・スクランブル』 8. 夏祭り
「よしっと。なんとかなった」仕上げに小さなおダンゴを夕季の後頭部に作り、忍が満足げに笑う。「へえ~、結構似合うじゃん」
顔を赤らめて振り返った夕季の浴衣姿を眺め、雅が意地悪そうな笑みを浮かべた。
「あたしのお古で申し訳ないですが」
「いいよ、綺麗、綺麗。ちょっと丈短いのかな。どうなんだろ」黄色を基調とした中に赤と青が映える浴衣を着た夕季を、忍が楽しげに見つめる。「この子もあたしもこういうのって縁がなかったからね。でも夕季が浴衣を着るなんてねえ。青天の霹靂なんて言うと失礼かな」
「お姉ちゃん!」
「鬼の霍乱とも言うよね」
「言わないよ、みやちゃん……」
ムグッと夕季が口をつぐむ。
「……だって、みんなが。あたしは別に。こんなの……、浴衣とかだと動きにくいし」
それに嬉しそうに忍が笑い返した。
「いいじゃん、いいじゃん。これでちょっとは女の子らしく見えるでしょ」
鏡であれこれ確認していた夕季が、顎を引き眉間に皺を寄せる。
「あとはそうやって何でもかんでも睨みつけないの。せっかくかわいいカッコしてるのにだいなしだよ」
「お姉ちゃん……」
「どうしてすぐ眉間に皺作るの。だから男の子が寄ってこないんだって」
「……そんなの」
雅がにこにこと夕季を見つめる。
「今そこから何かが出てたよ。ビーム的なやつが」
「出てないから」
「あ、こっち向いちゃ駄目。危ない!」
「え!」
「あれ~、撃たれた~!」
「……」
忍が夕季のおでこに人差し指を突きつける。
わけもわからず夕季がそれを見上げた。
「顔は普通のままで、この指先見てごらん」
忍の言うままに夕季が従うと、眉間のしわが取れ、せつなそうな、はかなげな表情になった。
「おお。ずっとその顔でいなよ。男の子にもてもてだから」
「しぃちゃんみたいに?」
「……」にこにこ雅の一言に、ふいに忍が真顔になる。「どうしてだろう。高校のころは結構もてた気がするのに。いったい何が……」
「……。やっぱりやめる」
ぶすっと顔を崩した夕季に嘆息し、忍が両手を腰に当てた。
「そういうこと言いなさんな。せっかくみやちゃんが貸してくれたのに」
「あ~あ、ガッカリですよ~」
「みやちゃん、ごめん……」
「あ、振り向くとまたビームが!」
「……」
「ま、一生光ちゃんか礼也としか話さなくていいのなら、好きにしなよ」
「お姉ちゃん!」
上機嫌で台所へ向かう忍を見守り、雅が楽しそうに笑ってみせた。
「しぃちゃん、変わったよね」
不思議そうな顔を夕季が向ける。
「前はあんなふうにしゃべったりしなかったよね」
すると夕季が、ふうん、と小さくため息をもらした。
「あたしには、そうだったけど……。みんなには前からあんな感じだったはずだと思う」
それを雅が明るく否定した。
「違うよ。あんなに楽しそうにしてるしぃちゃん、何年も見たことなかったよ。いつもどこか張り詰めてて、無理して笑ってるみたいだった。最近だよ、ああいう感じ。ここ一年くらいかな」
「……」
その時、隣の部屋から光輔の声が聞こえてきた。
「おーい、夕季、まだ……」
そこまで言いかけ、光輔の動きが止まる。明らかに夕季の浴衣姿に見とれていた。
「ほ……」
「何か文句ある」
「……いや、文句はない、けど」
ぐぐいと睨みつける夕季に、光輔が本来の恐怖心をわずかに取り戻した。
「あ、夕季、またビーム出てるよ」
「みやちゃん!」
「光ちゃん、避けて! ビビビビビ!」
「え? え?」
「出してないから!」
「何言ってんの……」
最寄の駅で改札を抜けてからも、光輔は何度も後ろを振り返っていた。
夕季が中々ついて来ず、また別の理由もあって。
しばし距離を置き、夕季が改札から現れる。自信なさげにうつむき、恥ずかしそうな表情は今にも泣き出しそうにも見えた。
みなが浴衣姿の夕季を見て、振り返っていたからに他ならなかった。
立ち止まり待っていた光輔に追いつき、夕季が困惑したような顔を向けた。
「……。おかしい?」
「何が」
「……やたらと見てくるから」
モゴモゴと口ごもり、夕季がまた下を向く。
それをあきれたように眺め、光輔が深く長いため息をもらした。
「そりゃ見るだろ」
その反応に夕季が弾かれたように顔を上げた。
「どうして! 丈が短いから?」
「そんなんじゃないって」
「じゃ、何。どこがおかしいの」
再び光輔があきれたような表情になった。マジマジと迫り続ける夕季の直視に耐えられず、照れたように顔をそむける。
「そうやって眉間の皺から変なビーム出してるから珍しがって見てくるんだよ」
「出てない!」
「出てるよ」
「どんな!」
「どんな?……」
夕季が眉間に手をやる。
その泣きそうな顔を、光輔はため息と苦笑いで見守るしかなかった。
夕季にとっての試練はまだまだ続く。
それはみずき達と合流してからのことだった。
「ゆうちゃん、キレイ~。とてもあたし達と同い年には見えないよ」
茂樹が硬直する。
それに気づいて夕季が咄嗟に眉間を隠した。
茫然自失の茂樹が目に涙を滲ませる。
「……泣いて頼んだかいがあった」
それを横目でちら見し、光輔がぼそりと吐き捨てた。
「九分九厘参加するって流れになってたのに、そのせいで断られるところだったけどな」
「曽我君、どうしたの。またドン引きエロガッパの顔になってるけど」
「お、おおう……」夕季を横目で眺め、ポッと顔を赤らめる。「古閑さんのセクシービームにやられた……」
「出してないから!」
「……いや、わかってるよ」
「あ、おダンゴ、かわいい~!」
そのいでたちをみなが口々に褒め称え続けるが、身も心もズタボロの夕季は泣きそうな顔で耳を塞ぐだけだった。
それが賞賛の声だと理解するのは、もうしばらく後のことだった。
夏祭り最終日の縁日は大盛況だった。
神輿で盛り上がる間も多くの人間達が屋台に詰めかけ、お目当ての品を物色する。
中心区域よりやや離れた公園のベンチに、夕季は一人で座っていた。
それを見つけて光輔が近寄ってくる。
「こんなとこにいたのかよ。どうしたの、夕季」
そろりと夕季が顔を向ける。
草履を脱いでいることからたどり、足の指の股が鼻緒で擦り剥けていることに光輔は気づいた。
「ああ、これ痛いんだよな。俺もよくやるんだ。うわ、痛そ。ちょっと待ってろ」
ピューっと光輔がまた街へと消える。
月明かりに照らされ、遠くに祭りの音色をうかがう夜の景色は、夕季にとって味わったことのない光景だった。
常夜灯のぼんやりとした明かりだけのそこは、賑やかな祭りとはまるで別世界のように静かだった。
同時に実感する。
近くにありながら、すぐそばにありながら、決して交わることも触れることもできない領域であるのだと。
自分が望み、選び、覚悟を決めた場所からは、語ることすら許されない世界であることも。
淋しそうに目を伏せる夕季の世界には、もはや月のかけらしか存在していないようでもあった。
「お待たせ」
聞きなれた声に一時の安らぎを呼び戻す。
愁いを帯びた瞳を差し向けると、光輔のひたすら明るい笑顔が飛び込んできた。
「コンビニで買ってきた」絆創膏を差し上げ、一枚を取り出した。「貼ってやるよ」
「いいよ」
夕季が咄嗟に足を引く。
「自分で貼るから……」
困惑する夕季の顔を不思議そうに眺め、光輔がまた、ははっと笑った。
「あ、でもさ、ここ自分じゃ貼りにくいとこだしさ、失敗するかも。暗いし」
「……」
ぐいと夕季の右足をつかみ、光輔が親指と人さし指の付け根に絆創膏をろうとした。
「おまえ、足の指ちっこいな」ふいに素っ頓狂な声を出す。「あれ、ここんとこに毛もはえてないんだな。俺とか茂樹なんてびっしりだぜ」
「変なこと言わないで!」
「ああ、わり」照れ困りの夕季に笑いかけ、楽しそうに光輔が謝罪した。「ほんとのこと言うとさ、俺、夕季来てくれないんじゃないかって思ってたんだよな。篠原達も気を遣ってたみたいだしさ。茂樹がどうしても誘おうって言い張ったからそうしたんだけどさ、やっぱ迷惑だった?」
夕季が小さく首を振る。
するとほっとしたように光輔が笑った。
「そっか、よかった」
「……。お金、払うよ」
「いいって、こんなの。いつもタダメシ食わせてもらってんだから」
遠くから聞こえる祭囃子に顔を向け、夕季が距離感のつかめない視線を宙に漂わせる。
「毎年みんなで来てるの」
「毎年ってわけでもないけど、まあその時々のタイミングで」
「……。あたし、こういうところ初めて」
「そっか。またみんなで何かやる時あったら声かけるから、来いよな」
表情もなく夕季が光輔を眺める。
「やめた方がいいと思う。しらけさせるだけだから」
「そんなことないって。おまえが気乗りしなけりゃ仕方がないけどさ」
「おーい、光輔ー」
「お、茂樹だ」
公園の入り口付近から茂樹の声が聞こえ、夕季が表情を切りかえた。
自分を偽る、心を宿さないまなざしとともに。
「おーい、すぐ行く」
「光輔」
「ん」
夕季に呼び止められ、光輔が振り返る。
夕季の表情は普段あまり見たことのないものだった。
「ありがとう」
「ああ……」
その顔が哀しみを意味するものだということに、何となく光輔が気がつく。おおよその理由は推察できたが、それを否定する言葉を見つけることができなかった。
夕季がゆっくりと立ち上がろうとする。が、綺麗に草履を履けてなかったようで、バランスを崩してよろめいてしまった。
「あ!」
咄嗟に差し出した両手で、光輔が夕季の肩を支える。
「大丈夫か」
「うん、なんとか……」
「何やってんだ、てめーら!」
二人を差し置き、茂樹が崩壊する。
「こんなとこで何抱き合ってやがんだ!」
「何、おまえ……」
「あ~!」そしてもう一人。「また、ちゅ~しようとしてるー!」
「違う、みずき……」
「もうガッカリだよ~!」
*
「!」
咄嗟に夕季が振り返る。
個人の力量で集中を特化させると、ガーディアンの背後にけしつぶのような光を見つけることができた。
米粒より小さいそれは、ガーディアンを挟んで、巨大ゴキブリと正反対の位置に存在していたのである。
「あたしが誘導する場所を斬って、礼也」精気をみなぎらせ咆哮する。「みやちゃん、お願い。つらいだろうけど、もう少しだけ我慢して」
『了解』雅が無理やりの笑顔を涼しげに向けてみせる。『後でプリンおごってね』
「了解……」
「プリン、好きだな!」
雅の了解とともにイメージの増幅が始まり、夕季の意思が明確に他の二人へと伝わっていった。
それに対する反応は、到底信じがたいといったものだった。
「こんなん斬れるかって! ちっこすぎんだろ!」
「いいから斬って!」
礼也の抵抗を一蹴し、夕季が斬撃を強要する。
迷いを断ち切り、振り下ろされたその切っ先は、本来起きえないその現象に逆らって制止した。
豆粒があった場所に当たり、止まったのである。
「斬れねえ。……どういう」
礼也がうめくように押し出す。
それも致し方ないことだった。まるでその行為は、硬く、重く、ガーディアン以上の質量を持つ鋼鉄の壁を斬りつけているかのようだったのだから。
「振りきって!」
「ふざけんな!」
夕季にうながされ、礼也が最大最後の力を振り絞る。
やがてバチバチバチと派手なハレーションをともない、小さな物体は真っ二つに切り落されると、数百メートルも噴き上がる膨大な体液となって広範囲に渡り巻き散らかされた。
それはそれまでに駆除した虫達と同じだけの体液に相当し、それからほどなく残りの虫達は、島の周辺から去っていったのだった。
カウンターの消滅とともに。