第二十八話 『スクランブル・スクランブル』 7. みんなで宿題を
「いや~、はかどるな~!」
テーブルに課題の山を積み上げ、茂樹が耳障りな雑音を響かせた。
その反撃はすぐに倍返しとなって茂樹本人に帰ってくる。
「どうして曽我君なんかがいるの」
「いや、なんかがってどういう意味なの……」
素の反応でみずきに押し込まれ、途端に茂樹が粉々になった。
「さっき帰るって言ってたじゃない」
「あれはみんなが帰るって言ってたからでしょーが。そっちだって帰るって言ってたでげしょーが」
「だってゆうちゃんちに行ってみたかったから」
「俺だってそんなこと聞いたら黙ってられるかっちゅーの!」
「なんかさあ、曽我君が帰るって言ったから、ゆうちゃんとこでやろうってことになったのに、不本意だよね~」
「それはまあほんとにひどいんじゃんか!」
「まあまあ……」
茂樹の右隣で繕い笑いを浮かべ、光輔が事態の沈静化に尽力する。その右隣に不服そうに光輔を見上げるみずきがおり、茂樹の左隣では敵意剥き出しの園馬祥子がガンつけ合戦に参加していた。
「だいたい、最初、穂村君だけだって聞いてたのに、なんで曽我君までちゃっかりいるの」
「ああ!」ギロリと睨めつける。光輔を。「昨日、光輔と遊んでたら、何やら古閑さん達と勉強会やるってことをちらっと耳にしちまってな。んで泣いて頼んで参加させてもらったわけだ」
誇らしげに胸を張る茂樹に冷たい視線を向け、祥子が恨めしそうに光輔を眺めた。
「穂村君のせいなの」
「いや、そのさ、つい口がすべって……」ぼりぼりと後頭部をかく。「そしたらこいつが無理やり来るって言い出して。全然呼ぶ気もなかったんだけどさ、ほんと……」
「呼べよ、おまえ! 最優先だろ!」
「ははは……」
愛想笑いを浮かべ、光輔がみずきと祥子の間に座る夕季へ目をやる。
ちらと目を向け、夕季が何事もなかったようにみずきの課題帳を指さした。
「ここ、違ってる」
「え! どこ?」
夕季に指摘されみずきがせわしく目線を入れ替えし始めた。
「ここ、祥子の写したのに」
「え、マジ!」
一瞬で祥子がひるがえった。
そろりと顔を向け、今度は夕季が祥子のノートを指さした。
「ここも違うかも」
「ひぇ! これ、みずきの写したのに」
「え、マジ!」
勉強会というよりは、光輔達の課題の消化を夕季が手伝うという図式だった。
冬はこたつとなる六畳間の小さなテーブルは、四人が詰めるといっぱいいっぱいだった。
基本的にみずきの横に座り、四人の間をちょこちょこと移動しながら、夕季が正解率のアップに貢献していた。
「やってるね~」
頭がオーバーヒートしかけていたちょうどいい頃合いで、忍がジュースと菓子を持ってやって来た。
「すみません」
みずきと祥子がきちんと礼を述べる。
「そ、そんません!」
茂樹は緊張した面持ちで顔を赤くし、ろれつのまわらない何かを口走った。
「ははは、頑張ってね」
「ありがとう、お姉ちゃん」
戸惑うような微妙な表情で見上げる夕季を、忍が嬉しそうに見つめ返した。
「お昼、食べるでしょ」
それに一早く反応したのは、常連組の光輔だった。
「あ、食べる食べる」
「光!……」いつものように斬りつけようとした夕季が、はっとなってみなの顔を見まわしクールダウンする。「……他の人もいい」
すると遠慮がちにみずきと祥子が顔を見合わせた。
「そんな、悪いですから」
「ねえ」
「後で買いに行こうかと思いましたのですが、あぐっ!」
緊張の茂樹が舌を噛むのを苦笑いで流し、気を取り直して忍が続けた。
「この中で冷やし中華、駄目な人いる」
「大好物でござるです!」
「あ、俺特盛り」
図々しい男連に対し、祥子とみずきは申し訳なささ全開だった。
「すみません。ほんとはファミレスでやろうと思ってたのに満員だったから」
「みんなおんなじこと考えてたみたい」
「図書館はそっこーで追い出されたしな」
したり顔でふんぞり返った茂樹に、祥子が冷たいまなざしを向けた。
「曽我君と穂村君が騒ぎすぎたからだよ」
「なんとまあ~!」
「まあまあ……」
二人をなだめる光輔を横目で見やりながら、忍が夕季に笑いかけた。
「あたし、コンビニ行ってくるね」嬉しそうにウインクしてみせる。「しっかりね、先生」
「……」
「ねえ、ゆうちゃんって、お姉さんとすごく仲いいよね」
ふいにみずきに言われ、夕季が照れたような顔を向けた。
「……そうかな」
「そうだよ。友達みたい。優しそうだし、いいなあ」
「うん、まあ、優しいけど……」まんざらでもなさそうだった。「……怒ると怖い」
「そうなんだ……」
「ごめん、ゆうちゃん、ここ教えて」
祥子に求められ、夕季が応じる。
ふんふんと夕季の説明を聞いていた祥子が、自然な流れの中、先の続きを口にした。
「私はお姉とは意地張ってばっかだよ」
「祥子のお姉さんも優しそうじゃん」
「どこが。そとっつらだけだよ、あいつ」
「ふ~ん、そっか。うちの弟もみんなかわいいって言うけど、あたしの前だと憎ったらしいもんね」
「ゆうちゃんのお姉さん、かっこいいよね」
その一言に、茂樹がガバチョと顔を上げた。
「そうそう、古閑さんに似て美人だし」
「スラッとしてるし、モデルとかできるんじゃない」
「だよねえ~。ミス山凌とかに出ればいいのに」
バシーン! バシーン!
突然台所から響き渡る打音に、全員が顔を向ける。
「……何の音?」
「……さあ」
みずきと祥子の呟きに、なんとなく事情を察した様子の光輔と夕季が顔を見合わせた。
「……なんか、興奮して壁とか叩いちゃってるみたいな音かな」
「……」
「ねえ、みんな、アイス食べる~?」
タイミングよく上機嫌な忍の声が聞こえてくる。
真顔の夕季を置き去りに、光輔が瞬時に表情を切り換えた。
「あ、食べる」
「いただきます」
「すみませ~ん」
「そんま!」
にこにこと笑顔を振りまく光輔を、夕季が複雑そうに見つめた。
そんなことなどおかまいなしで、祥子とみずきは先の話題を進行させていた。
悪気のかけらも見られない様子で、二人が夕季を眺める。
「でもゆうちゃんよりだいぶ年上だよね」
「十コくらい上?」
ゴトゴトゴト!
再び五人の時が静止した。
「……何の音」
「……さあ」
「アイス落とした音だね。……たぶん、動揺して」
困った顔でそう呟いた光輔に、夕季も困った顔を向けた。
「光ちゃん、アイス自分で取りに来て!」
「あ、うんうん!」
光輔が駆け出していった後で、みずきと夕季が見つめ合った。
「お姉さん、背、高いよね。七十くらいあるのかな……」
「七十はないからー!」
「……ないんだ」
「しぃちゃん、声でっか!」
「悪かったね! はい、アイス!」
「なんでそんなに怒ってんの……」
残念そうな顔の夕季を、残念そうな表情のみずきが見つめた。
「……。ゆうちゃんのお姉さんっておもしろいよね」
「……」
「ねえ、夕季、エルバラの十五巻は?」
「光輔、やる気がないなら帰って」
すっかりだらけきって寝転びながらマンガを読みふける光輔を、夕季が横目で睨みつける。
そんなことなどおかまいなしとばかりの光輔が、ガバチョと顔を上げた。
「いや、今いいとこなんだって。ちょうどコンニャック伯爵夫人が出てきてさ。この続き読んだらちゃんとやるから」
ジロリと夕季。
その反対側では夕季の課題帳を執拗に覗き見しようとする茂樹が、祥子から容赦ない定規攻撃を受けていた。
「十五巻ないよ。どこいったの」
隣ですやすやとお昼寝タイムのみずきをちらと見て、夕季が、ふん、とため息をつく。
「……。そこの紙袋に入ってるはず」
「いや、ないよ」
「そんなはず……」
光輔を押しのけ、夕季が紙袋の中を確認し始める。そしてその直後、真顔で光輔に振り返った。
「……ない」
「……。これ小川に借りたやつだろ」
「うん」蒼白になり、困った顔で光輔を凝視した。「どうしよう」
「どうしようって……」
とその時。
「十五巻ならあたしが借りてるよ」
せんべいをくわえながらマンガ本を手に持ち、あっけらかんと現れた忍を、二人がぽかんと見つめた。
「はい、光ちゃん、どうぞ」
「あ、うん。さんきゅう」
「夕季。そろそろ休憩したら。そんなに根つめてやってもみんな疲れちゃうよ」
ぶは~、と思い切り息を吐き出した夕季の気も知らず、せんべいをくわえたままで忍はあっけらかんとそう言い放った。
そのそばでは茂樹と祥子の覗き見合戦が続けられていた。
「もうしつこいなあ!」
「そう言わんと、ちょっとだけ」
「駄目。私が写している最中なんだから」
「いや、園馬さん、ぺしぺしマジで痛いんすが……」
「私がゆうちゃんにお願いしたの! 優先権!」
「いや、いたい……」
夕季が疲れきった顔をみなからそむける。
そこへ寝たぼけたみずきが抱きついてきた。
「んにゃあ~」
「ちょっとみずき!」
「なんだちみは~……」
「……」
「夕季、十六巻ないけど。なくしちゃったの?」
「あ、光ちゃん、あたしが持ってるよ」
「マジで。続きが気になっちゃってさ」
「だよねえ」
「もうやめようと思ったんだけど、ちょうどオンドレが撃たれちゃってさあ~」
「そこ、燃えるよねえ~」
「……」
「園馬さん、見して。お願い」
「駄目、私が先! てゆうか、一回自分でやってからにしてよ!」
「いや、だからマジで痛いんすけど……」
「……」
「あと三冊読んだらやろうっと。あれ、二十巻は?」
「あたしが持ってるよ」
「あ、さんきゅ。もうそろそろやめようかと思ったんだけど、ここにきて急展開でさ。パスカルって女だったんだな。びっくりだよ」
「それ一話からわかってるけどね」
「マジで。続きが気になっちゃってさ」
「だよねえ。夕季、新しいのまだ出てないの? 続きが気になっちゃってさあ」
「……」
耳障りなセミの声が、夕季の耳にほどよく鳴り響いていた。
*
「やっぱり変だ……」礼也がパズルを解く鍵のありかを模索し頭を悩ませる。「手ごたえはある。だがなくならねえ」
「さっきの壁と同じなんじゃないのか?」
光輔の意見に二人が耳を傾けた。
「あの巨大ゴキブリも実は小さな虫の集まりでさ、散らしても散らしても、また元に戻ってくるみたいな」
「それはない」下を指し、夕季が続ける。「さっき斬った奴の抜け殻があそこにある。あの大きさの個体は確かにある。でも、いつどこから現れるのかがわからない」
「おお、確かに一匹の虫をズバッと斬ってるような感触はある。でも変だ……」
そう言いかけ、絶句する礼也。
いつの間にか、また正面に巨大ゴキブリの姿があった。
「こいつがいるのはいい。ただ、今の今までどこでどうしてやがったのかってことだ!」意識を当面の敵に差し向けながらも、キョロキョロと辺りを見回した。「いねえだろ、こいつの他のはどこにも!」
礼也の叫び声が無人の島内に響き渡る。
そのとおりだった。
数キロメートル先まで見回しても、そこには小さな虫の大群しか見当たらなかったのだから。
またたく間に巨大ゴキブリを切り崩し、礼也らが次に備える。
案の定、それは数秒の後に、またガーディアンの正面に出現していた。
それも、わずかに目を離したすきに、突如として。
すでにそのループは七回目を数えていた。
三人とも、そろそろ雅の体力に低下を感じ取り始める。
ただでさえ掩撃破と弾劾蒙衝打という超必殺技を連続して使用していた上に、この長期戦を雅が耐えられるはずもなかった。
「みやちゃん、大丈夫!」
『平気』まったく平気そうには見えない、疲弊した顔を差し向ける。それでも仲間を気遣って、常に笑みを絶やさずにいた。『あたしは大丈夫だから、気にしないで。うぷっ……』
「うぷって、おまえさ……」
「みやちゃん……」
「これ以上無理だ」
礼也の呟きに、夕季が横目で反応する。
礼也は雅以上に苦痛にゆがむ表情で、巨大ゴキブリを睨みつけていた。
今ここでこの戦いを放棄することは、アバドンの上陸を許すということだった。同時にそれが日本という国の崩壊につながることを知っていた彼らには、退くことは許されなかった。それがゆえのジレンマだったのである。
「ちっくしょー。なんでいつも正面にばっか現れるんだよ」
感極まった光輔が泣きごとを言う。
その何気ない一言に夕季の脳細胞が覚醒した。