第二十八話 『スクランブル・スクランブル』 3. スクランブル・スクランブル
「あ、やっぱりあの時の人だよね」
見知らぬ青年に声をかけられ、夕季がきょろきょろと辺りを見回す。
近くに他の人間がいないことを確認し、ようやくそれが自分に向けられたものだと理解した。
「いや、やっぱ違うんじゃないの?」
別の一人が最初の青年に囁く。
二人は大学生らしく、均整のとれた体つきに爽やかな笑顔と、これ見よがしのブーメラン・パンツでうりうりと夕季の前に立ちふさがった。
「そんなことないって。こないだの飲み会で一緒になった人だよ」
「いや、違うよ、たぶん」
「いや、そうだって。俺の記憶に間違いない。あの時の一人勝ちの人だよ」
「いや、そんなことないよ。だってあの時の娘、こんなに美人じゃなかったもの」
「ああ、そういえばそうか」
「ウエス!」
二人同時に笑顔を向ける。そのかけあいはさながら、観客に笑いを強要する安いお笑い芸人のようだった。
夕季のこめかみに小さな憤りが浮き上がる。
そのひくつく眉を遠くから確認し、ジュースを両手に持った光輔がうろたえ始めた。
「光輔、どうしたの」
「どうした~」
ソフトクリームにむしゃぶりつきながら、洋一とほのかが光輔を見上げる。
口もとをひくつかせながら、光輔がゆっくりと振り返った。
「やばい。あいつ、ナンパされてる」
「ナンパ~?」
「なんぱ、このやろ~!」
「たぶんもうすぐブチ切れるぞ。そうなったらものの一分とたたずにここから追い出される。俺達に残されたプール時間は一分間だけだ」
「ええ~!」
「どうしましょ~!」
「こんなとこでまたもう~……。そうだ!」
何かをひらめき、光輔が二人に耳打ちし始める。
正義感に燃えた二つの小さな魂が、悪役ナンパコンビをギラリと睨みつけた。
「だからさあ~」
フレンド登録を拒否し続ける夕季に対し、二人の悪質ユーザーが執拗かつ果敢に迷惑勧誘を繰り返す。
打ち震える拳が必殺技となって飛び出すのは、もはや時間の問題だった。
と、その時。
「ママー」
「ママ?……」
背後から聞こえる子供達の声に振り返る、ナンパ大学生らと夕季。
事情の飲み込めない三人の心を置き去りにし、洋一とほのかが夕季にダイブしていった。
突然の事態に訳がわからず硬直するナンパコンビ。
何よりいきなり抱きつかれた夕季の戸惑いこそが一際大きかった。
「ママー」
「まままま~」
「ちょっと……、何……」
人目もはばからずベタベタし始めた夕季らを眺め、ようやく二人組が現実に引き戻された。
「若! ママ、若!」
「女子大生かと思ったが俺らより年上か……」
「子供のトシからいったら確定だろ」
「そういや、二十五くらいに見えなくもないな」
「てか、ママかよ!」
げんなりした二人が、洋一達にぐいぐい引き回されながら恨めしげに眺める夕季から、戦線離脱をはかろうとする。
それ以上の追い討ちはすでに不要だったのかもしれなかった。
「お~い、母さんや~」
遠くから手を振る光輔の姿に、二人が更にぎょっとなった。
当然夕季も。
「パパ、もっと若!」
「明らかに未成年だろ!」
「子供のトシから遡ったら、どんだけ若作りだ!」
「てか、パパに比べると、ママそんなに若くな!」
「妥当かよ!」
「……おい、いくぞ」
とっとと退散する二人を尻目に、夕季が淋しそうに目を伏せた。
大成功~、と勝ちどきをぶちかます、夕季を除く三人。
きゃっきゃとはしゃぐ洋一らと対照的に、夕季に覇気がないことに、後から来た光輔が気づいた。
「なんでヘコんでんの」
「ほっといて……」
ふうん、とため息をつく夕季を眺め、何故だか光輔は哀れに思えるようになっていた。
「……あ、何か買ってこよっか?」
「いい……」
「……」
「……」
「……。そんな気にするなって」
「……何を」
「いや、わかんないけど、ほら……」
「……」
「……フランクフルトでいい?」
「……。うん……」
「よし、わかった! まかせとけ!」
「お金……」
「金は俺がなんとかする!」
「光輔、俺も」
「光輔、ほのかも」
「……君たち、お金って知ってる?」
正午もすぎ、市民プールを出た一行は、仲よく楓の家へと向かう。
光輔の話によれば、洋一達をプールに連れて行くお礼に、楓が昼食を用意してくれているとのことだった。
軽い食事をとったこともあり一瞬遠慮しかけた夕季だったが、やっぱりと思い直す。
お目当ては当然名犬ジョトラッシーだった。
「あ~!」
聞き覚えのある下品な雄叫びに、光輔らが顔を向ける。
すると信号待ちの交差点の反対側から、マヌケヅラを晒し、こちらを指さす茂樹の姿があった。
「あ、茂樹……」
「あ、茂樹じゃねえだろ! 何やってんだ、おまえら!」
待ち受けるように食ってかかる茂樹に、光輔以外の三人が軽く引く。
それすら目に入らない様子の茂樹が、ちらちら夕季の方へと気を配った。
「あ、こんにちは、古閑さん」
「こんにちは……」
「こんなところで会うとは寄寓だよね」
「……うん、まあ」
「いや、今、市民プールに行ってきたとこなんだけどさ」
「呼べよ、俺も!」
「え? あ……」茂樹の露骨な豹変ぶりに、ただただきょとん顔の光輔。
「もう冷てえよ、おまえ。ああ~、しゃれになってねえ」
「いや、桐嶋さんに頼まれちゃってさ。だから仕方なく」
「光輔をプールに連れてく約束したからな」
「お姉ちゃんに頼まれたからしかたなくです」
「おまえらね……」
「じゃかあしい! こんなクソぼーずどものこた、どうでもいい!」
「なんだと~!」
「むっしゅめろめろ!」
「んだから、なんで古閑さんが一緒にいるんだよ。ここ大切なとこだぞ!」
「いや、俺一人だと相手しんどいっつうかさ……」
「俺も行きたかったってえの! これもっと大切!」
「こんなエロじじい、こっちからお断りだ~!」
「エロじじいは半径三メートル以内、お断り~」
「はあ、何言ってんだ! ちびっこの貴様ら!」
「エロジジ~と一緒だと環境が破壊されるしな」
「エロジジ~は地球に優しくないから~」
「くそう! なんとなくエコロジーみたいに言いやがって!」
「あ、うまいな、おまえら」
「うるっせえ、光輔!」
「おまえさ……」
「そうだね。曽我君呼んだ方がよかったかも」
穏やかな夕季の声に、一瞬で切りかわった笑顔の茂樹が振り返る。
「だよね」
「うん」表情もなく、困ったような顔の光輔を見やる。「あたしなんかが行くより、光輔も男友達と一緒の方がおもしろかっただろうし」
「いや、それじゃちっとも意味ないのに……」
「またみんなで行ってくれば?」
その言葉に反応したのは、夕季の両手をガッチリ拘束したちびっこ軍団だった。
「ママがいい~」
「マママがいいいい~」
「俺もママがいいんだけど。……ん? ママ?」
「やめて、お願いだから……」
「こんなエロガッパじゃやだ」
「エロガッパの中のエロじじい」
「な!」
困ったままの光輔と困りはてた茂樹が、互いの困った顔を見合わせる。
「グウのねもでないな」
「ぐうう……」
*
「どこだ、親玉は!」
イナゴをまとった大渦の嵐を前に、礼也がギリと歯がみする。
この中にアバドンの本体があるのだ。
「この竜巻がアバドンだってわけじゃねえだろうな」
夕季がちらと目線をくれる。
「竜巻とは違う」
「はあ! 俺が言ってんのは、カマイタチのことだって!」
「何言ってるの」
「そんなんどうでもいいって! 今は任務に集中しろ!」
「顔が赤いけど」
「はあ!」
「赤いよ、すごく」
「黙れ、光輔は!」
「え? 俺だけ?……」
「……。みやちゃん」
夕季が雅を呼び出す。
すると笑顔で雅がそれに応じた。
『何』
「今、何パーセントくらい?」
『う~ん……』頭を悩ませ答えを導き出す。『百二十パーセントくらいかな』
「……」
顔色を曇らせた夕季とは対照的に、光輔と礼也は嬉々として騒ぎ始めた。
「百二十って、満タン以上だよね」
「すげえな」
「違う……」
一人テンションの下がる夕季を、二人が不思議そうに眺める。
夕季は苦しそうな顔を二人に向け、苦しそうな声をしぼり出した。
「もうすでに限界を超えてるって意味だと思う」
「ええー!」
「何言ってやがんだ、おまえよ! いきなし!」
「何って、そういう……」
『ええ~!』
雅の驚いた声に三人が顔を向ける。
『あたしもそういうつもりで言ったのに。今日は満タン以上のパワーが出せますよって』
再び礼也と光輔がこれ幸いとばかりに騒ぎ始めた。
「だよなあ、チャージ完了のことだって」
「俺もそう思ってた。パワーアップの魔法かけた感じで」
「そんなふうに思ってたの、おまえだけだって、いきなし」
礼也にバカにされ、夕季が口を尖らせる。光輔と雅も同じ顔であることに気づき、少しだけ悲しそうにうつむいた。
「……もういい」
「あ、ヘコんだ」
「ざまあねえって!」
『あ、パワーアップの魔法ってぷっきんプリンのことかな』
「また食ったんだ……」
「プリンは駄目だっつったろうが!」
たしなめる礼也に、雅が尖らせた口を突き出す。
『だって消費期限が昨日で切れてたから。三つとも』
「よけい駄目だろうが! しかもみっつか!」
『でへ、ぷりん』
あきれ顔の礼也に、舌を出してみせた。
「あ、おまえ今、なんか食ってやがったろ!」
『あ、バレた』
「子供か!」
「なんとなく、てへぺろんみたいに言ったのもムカつくな」
『ふんぐ! ……気持ち悪くなってきちゃった』
「食べすぎだな! 明らかに!」
「ははは……」
『夕季』
雅の朗らかな声に、気を持ち直して夕季が顔を上げる。
雅は楽しそうに笑いながら、夕季のことを見つめていた。
『鳳仙花、いってみる?』
サーチからのホールド、そしてボールサム・クラッカーによる一斉撃破を雅は示唆していた。いくら体調が万全な状態だとしても、その一連の流れは雅と三人の消耗を著しく速める。そしてもう一つ懸念が見受けられた。
「数が多すぎて一度には全部退治できない。きっと何回繰り返しても、すべては無理。ラフレシアでも全包囲には効果がないし」
「だよな」
「でも視界ゼロのままじゃどうすることもできないよ」光輔が真っ直ぐ前を見据える。「リスクはあるかもしれないけど、何かやらなきゃ」
重々しい様子で夕季が頷いた。
「礼也、夕季」
光輔の呼びかけに二人が顔を向ける。
「やってみたいことがあるんだけど……」