第二十七話 『傷』 7. 破滅
予想だにしえなかった不測の事態に陥り、司令室は冷静さを失いつつあった。
ケルベロスの猛攻、追従まではかろうじて想定内だとして、ガーディアンとオビディエンサーに降りかかったトラブルが消化できなかったのだ。
「おう、木場、頼む、俺もすぐに行く」切羽詰った表情で通話を終え、桔平が席から立ち上がった。「あさみ、下、行ってくる。あとは頼んだぞ」
神妙な様子で振り返った桔平に、あさみも同じ顔で呼応する。
すると忍も同じ表情で立ち上がった。
「私も行きます」
「ああ! おまえが行ってどうする」
「行きます」
「いや、だからだな……」
「お願いします」
「何言ってやがる、こんな時に」
「三雲さんに何かあったかもしれないわね」
二人を眺め、あさみが静かに呟く。
「柊副司令だけでは、三雲さんのフォローまで手がまわらないかもしれない。あなたも行ってきて、古閑さん」
「はい」
「おまえ、ただでさえ人手が……」
「人手が足りないのはどこも一緒でしょ。それに、こんな時のための小田切主任じゃないの?」
誰にも返り見られない場所で、ショーンがビッと背筋を伸ばした。
「……とにかく頼んだぞ」
「ええ」
あさみの背中をしばし見つめ、桔平が忍に顔を差し向けた。
「行くぞ、しの坊」
「はい」
二人が去った後で、おろおろと戸惑うだけのショーンには目もくれず、あさみが指示用のマイク・スタンドを手に取った。
「聞こえる?」
『はい』
夕季からの応答に、口もとを引きしめる。
「つらいだろうけど我慢して。今ブレイクすれば、三人ともケルベロスの餌食になるわ」
『了解』
『早く、なんとかしろって!』
「今、副司令がコンタクターのところへ向かったわ。もう少しだけ待って」
『わかったって。ぐあ、いてえ!』
「……」
あさみが心配そうに目を細めた。
その頃、本部別棟の地下五十階では、抜き差しならぬ状況となっていた。
不安定な光を放つ御神体の頭部の中、三雲杏那が苦しげに悶絶し続ける。
どす黒く変色した顔中には血管がぼこぼと浮き上がり、白目は極度の充血で真っ赤に染まっていた。
全身が激しく波打ち続け、震える両手でシートにしがみつく。
瞳がぐらりと裏返るのを、唇を噛み切ってしのいだ。
『まだだ……』
心の奥で己に向けて言い聞かせる。
それは悲痛な叫びでもあった。
何が起ころうと、今、この責任を放り出すわけにはいかなかった。
せめてケルベロスを駆逐するまで。
そしてこれからも戦い続けるため……。
受け止めるべき重責は、たとえ己の破滅と引き合いにしても、明らかに重いものだったのである。
三雲にとっては。
「三雲!」
誰かに呼ばれたような気がして、朦朧とした意識を差し向ける。
聞き覚えのある声。
かすむ視界の奥にうっすらと現れたのは、コンタクト・スペースの外から真剣なまなざしを差し向ける、木場の姿だった。
「三雲、大丈夫か!」
「木場……」
その存在に、失いかけていた三雲のモチベーションがわずかに隆起した。
「三雲、もういい、やめろ!」
木場が手をかけようとする。
だが、集束中の石像内には特殊なシールドが構築されており、外部の者が干渉することは不可能だった。
「三雲、おい、三雲!」
「……まれ」
「三雲……」
三雲の鬼気迫る表情に、木場が眉を寄せる。
三雲は口の端から血を滴らせ、悪鬼の形相で木場を睨みつけていた。
「邪魔をするな、木場。……。私の邪魔をするな!」
「だがこのままでは貴様も!」
「静かにしろ! 気が散る!」ゴフッと血を吐き出し、三雲が据わった視線を木場へと差し向けた。「……私に任せておけばいい。貴様達の出るまくではない」
それが外傷によるものではなく身体の内部から逆流したものだということを、木場は即座に理解した。
哀しげに、そして強き瞳のまま、木場は連絡ユニットに手をかけた。
「俺だ」
『木場主任?』
あさみの応答に、そうだ、と返す。視線は片時も三雲から放さずにいた。
「三雲が危険な状態だ。ガーディアンのブレイクはできるか」
『難しいわね。エア・スーペリアと同じ速度でケルベロスが追従してきている。ブレイクすれば一瞬で彼らは潰されるわ』
「……。これ以上、三雲は無理だ。続ければ必ず……」
「黙れ! 木場!」
刹那で振り向いた木場の視界に飛び込んだのは、食いつかんばかりに身を乗り出す三雲の姿だった。
「早くここから出て行け! 私の邪魔をするな! 私の……」
木場のいる場所とはまるで別の方向を睨みつけながら。
「何をやっている馬鹿者どもが。くそ! これ以上私をイライラさせるな!」
とげとげしい意識で三雲が光輔ら三人を混乱させていることは、木場も聞かされていた。
だが誰よりも脳波レベルが著しく低下し、パニック状態に陥っていたのは、他ならぬ三雲自身だったのである。
現状よりはコンタクトを断ち切った方が賢明だと思われた。
このままではむしろ、オビディエンサー三人の生命に関わる。
『やってみるわ』
停止しかけた木場の意識を、あさみの声が呼び戻した。
「進藤……」
『そのかわり』
「わかっている」
通話を終え、木場が三雲に向き直る。
そのまなざしに決意を宿して。
「ああっ! なんだって!」
顔をゆがめながら礼也がモニターに食いつく。
その中では眉一つ揺らさないあさみが、冷静に、しれっと続けてそれを告げるところだった。
『今すぐブレイクをして下さい。空竜王でケルベロスを引きつけているうちに、海竜王が陸竜王をエスケープさせればいいわ。空竜王単体の方がエア・スーペリアより速いんでしょう、夕季』
「そうだけど……」
「奴が海に潜ってきやがったら、どうすんだ!」
『その時はどうしましょうね』
「どうしましょうね、じゃねえだろ!」
「あたしが援護する」
「ああっ!」
しかめつらで睨みつける礼也を、同じ顔の夕季が睨み返した。
「どのみち、こんな状態じゃ何もできない。三雲さんが回復するまで、なんとかしのぐしかない」
「……しゃあねえな」
あさみがふっと笑ってみせる。
『頼んだわよ、三人とも』
「了解」
「ってよ!」
「はい!」
ケルベロスの特攻をかわし、エア・スーペリアが急降下に移行する。
海面すれすれでブレイクをかけ、海竜王と陸竜王を海下へと投下した。
返す刀で太陽を目指して急上昇を始めた空竜王につられ、ケルベロスが追従していく。
「よし、うまくいった」
海中で礼也を拾い上げ、光輔が空を見上げた。
『だが、今に捕まるって』
「ああ、なんとかしなくちゃ……。!」
何かを感じ取り、光輔が慌てて礼也に振り返る。
礼也も同様だった。
『おい、光輔……』
「ああ、いける……。夕季!」
『わかってる』
高度一万メートルで反転し、空竜王がはるか直下の海面を目指す。
目標は光輔らのいる場所だった。
「集束しよう!」
『おう!』
『了解』
光輔の呼びかけに、三人の魂が呼応した。
ケルベロスを従え降下してきた空竜王を待ち受け、海面で三体の竜王が結合する。
力みなぎる漆黒の外殻を波間の照射に乱反射させながら。
『おまたへしました』
時を置かずして連絡用の画面に現れたのは、元気そうな雅の笑顔だった。
「雅!」
スクリーンの中から雅が、にへへへ、と笑う。
それから見つめる光輔達へ向け、力強く頷いてみせた。
『みんな頑張ってね』
その笑顔が三人に力をもたらす。
「いくぞ、雅!」
「必殺技、いけるか!」
『大丈夫。軽くドーピングしてきたから』自信満々のドヤ顔で、心配げな様子の三人を見渡した。『杏々庵のとっても大好きプリン食べてきたから』
「わかった!」
「何がわかったんだって! プリン好きだな、てめえは!」
『てへへん』
「あ、ドヤ顔」
「子供か、てめえ!」
『ちゃんと考えてるよ。三個しか食べてないし。げふ~』
「……また吐いても知らないからな」
「出撃前は一個にしとけって言われてただろーが!」
『残りは終わってからのご褒美で夕季と食べます』
「俺のは……」
「俺のもねえのかよ!」
「真剣に!」
夕季の苦言と示し合わせるように、背後からケルベロスが襲いかかる。
反応したディープ・サプレッサが、両手を突き出し、海中でそれを押し止めた。
ガトリング状になった両手首から、高速で硬質のニードルを連射し続けたのだ。
苦しげに口腔を晒してのけぞり、体勢を立て直したケルベロスが再度攻勢に出る。
攪拌の白濁にまぎれてディフェンスをかいくぐり、先と同様、両側の首をディープ・サプレッサの両腕へと食い込ませるケルベロス最終形態。四本の足で肩と腰を押さえ、長い尻尾を巻きつけてガーディアンの全身を拘束した。
残る一つが鎌首をもたげて大口を開け、色違いの三つ目を激しく発光させる。
まさしく絵に描いたような絶体絶命のピンチだった。
が、そこにいた誰もが微塵にも慌てることなく、冷静にその状況を受け止めていた。
自信に満ち、信頼を寄せるまなざしを一心に集めながら。
「バーン・インフェルノ!」
光輔が叫ぶ。
先に試み、成しえなかった技の名を。
胸の鋼板から撃ち出されるバスター・ソニックと呼ばれる衝撃波を、零距離からぶち当てるディープ・サプレッサの超必殺技。
そして今度こそ確信をもって確実に放たれたそれは、一瞬の後にケルベロスを完全に消滅させた。