第二十七話 『傷』 5. 開き直り
発動日の早朝のメガルでは、すでに桔平やあさみを始めとする主要メンバーが待機を完了していた。
最終確認を求める特設スペースの中には、緊張の面持ちの忍とショーンの姿も見える。
「沼やん、準備はいいか」
桔平の呼び出しに応じ、スクリーンに大沼の顔が現れた。
『オーケーです。柊副司令殿』
「いや、その言い方やめて……」
大沼が小さく笑い、背後を振り返る。
大型ヘリの待機室に、バトル・スーツを着込んだ光輔らの姿があった。
プログラムの発動ポイントは太平洋上空だった。
ケルベロスの反応はファースト・ミッションの後、一度完全に途絶えた。本来ならばそれで終了となるはずだったのだが、新たな発動としてプログラム・ケルベロスが復活したのである。
メガルとしてもこのようなケースは始めてのことであり、今後もこのようなパターンが繰り返されるようなことになれば、プログラムの設定自体を根本的に見直す必要があると物議をかもすこととなった。
「光輔」
大沼に呼ばれ、光輔が顔を向ける。
その表情に覇気が見られないのを大沼は気にかけていた。
「気持ちはわかるが迷いは捨てろ。そんな状態では出撃の許可は出せんぞ」
「……はい」
「礼也もだ」
振り返った大沼に、テンションが低いまま礼也がピクリと反応する。それから物憂げな様子でそっぽを向いた。
「わかってるって……」
「考え方を変えよう」
夕季の声に三人が振り向く。
夕季は迷いのないまなざしで前だけを見据えていた。
「気を遣わなくていいのなら、存分にやれる」
「……っと」
「おまえさ……」
肝の据わった夕季の顔つきに、大沼がふっと笑みをもらす。
が、その後に大沼が言おうとした言葉を先に告げる者がいた。
『そのとおりだ』
ディスプレイの中から三雲の顔が、夕季らを睨みつけていた。
三雲は雅とは違い、特別なウェアを装着することなく、自前の制服のままでそこにいた。
心を立て直した礼也が一歩前へ出る。
「必殺技も出し放題なんだよな」
『私に気を遣う余裕があるなら、死ぬ気でやれ』
それは礼也に対して発せられたものではなく、同じ顔で睨みつける夕季に向けられたものだった。
発動予定時刻五分前。
輸送ヘリの後部ハッチから一足先に空竜王が飛び出していく。
続いて陸竜王と海竜王が海面目がけてダイブしていった。
「集束だ!」
「了解」
「おっけー」
礼也の号令のもと空中降下中での集束がなされ、エア・タイプのガーディアンが、高度三千メートルの上空で全長の二倍以上もの白銀の翼を展開した。
操縦席から大沼がその勇姿を見届ける。
片手で挨拶を交わし、輸送ヘリは待機ポイントを目指して離脱していった。
「空からってこた、飛んでくる奴か?」
横並びのコクピットの中、礼也がもっともな疑問を投げかける。
右を向き、夕季がじっと礼也を見据えた。
「そうとは限らない。現れてすぐに海へ落下していくかもしれない」
「だったら最初から海で生まれりゃいいじゃねえか!」
「……そんなことあたしに言われても」
「はは……」
左の席で愛想笑いを繰り出す光輔に二人が振り返った。
「……二人して睨まなくても」
モチベーションは保たれていた。
三雲の存在を意識するわけでもなく、雅を危険に晒さないことを三人がプラスに捉えたのである。
後は目標を駆逐することに全力を注ぐのみだった。
ふいに暗雲が訪れる。
それまで快晴だった空が黒く染まり、すかさず大量のいかずちが海面に向けて撃ち放たれた。
放電を繰り返す電極を上下に見立てるように無数の光槍が縦に突き刺さり、スパークしながら海上を走り抜ける。かと思えば、豪雨にまみれた大粒の雹が荒れる海面に無数のクレーターを穿った。
もしその場に大沼のヘリがあれば、ひとたまりもなかったことだろう。
しかし、自然法則にのっとった物理攻撃すらものともせず、ガーディアンが滞空し続ける。
有視界ゼロとなった悪条件下にあっても、夕季らのファインダーはまったく妨げられることがなかった。
三対の目がハレーションを放つ黒もやを睨みつける。
渦を巻く黒い雲の塊から現れたのは、エア・スーペリアより一回り以上も巨大な黒鳥の化身だった。
ガーディアンのコクピットの中、三人が目を見開き息を飲む。
「カラスだ……」
「カラスだって……」
頭が二つあり、それぞれが青い三つ目を光らせる以外は。
大気を引き裂く金きり音を撒き散らし、双頭の黒鳥が高空を疾駆する。
鋭いふたまたの槍と化した突進を、ガーディアンが身を翻して回避した。
目に力を込め、キッと後ろを振り返る夕季。
ケルベロスの基本的な立ち回りは、一戦目と同じく一撃離脱だった。
ただし、尋常ならざるスピードを除いては。
「今度はスピード系かって!」
礼也が吐き捨てる。
夕季が奥歯を噛みしめた。
「たいしたことない」
「はあ!」
「こっちよりちょっと速いだけ」
「たいしたことあんだろが……」
数字の八の字を描きながらヒット・アンド・アウェイを繰り返すケルベロスに、エア・スーペリアは防戦一方だった。
回避すれど、すぐさまその場所へと修正してくる。
致命傷こそくらわなかったものの、しだいにケルベロスの攻撃がかすり始めていた。
「く!」
目まぐるしく入れかわる視界に、三人は追従するのが精一杯だった。
少しずつ軸をずらしながら、高速のケルベロスがガーディアンを追いつめていく。
間一髪で避け振り向いた正面から、ケルベロスの一対のくちばしがすでに間近にあることを夕季は確認した。
「おい、てめえ!」
「ラフレシア!」
「んあ!」
礼也の声をかき消して飛び抜けた夕季の咆哮。
が、わずかにタイミングが合わず、ガーディアンはケルベロスの直撃を受けることとなった。
「う!」
「ぐあっ!」
「夕季!」
胸元と右の上腕を抉り取られ、蒼白の夕季が振り返る。
一刻の猶予を与える間もなく、ケルベロスは次の攻撃態勢に移行しつつあった。
なすすべなく片方の翼をもぎ取られ、きりもみしながらガーディアンが海面目がけて落下していく。
『何をしている、バカどもが!』
唸るような三雲の声すら耳に届かず、ギリギリの状況下、三人は打開策を模索し続けていた。
が、速さを失ったエア・スーペリアには考える余裕すらなく、夕季はただ唇を噛みしめて姿勢制御をすることしかできなかった。
「夕季!」
光輔に呼びかけられ、夕季が少しだけ己を取り戻す。
「このままディープに再集束しよう」
「!」
光輔の提案に度肝を抜かれる夕季。
それは礼也も同様だった。
「てめえ、何言ってやがる。いくら海タイプに変わったって、飛び込む前に奴にブチ抜かれちまうぞ!」
光輔がちらと上を見やる。
落下スピードのためわずかに到達が遅れていたものの、ケルベロスは確実に追従への加速を積み重ねつつあった。
「だからだよ」
血管を浮き上がらせ憤る礼也を冷静に見据え、光輔が頷いた。
「防御ならディープの方がエア・タイプより上だ。一撃はもらうかもしれないけど、それをしのげれば海へ逃れられる」
「おまえ……」
「わかった」
光輔の顔をしっかり見つめ、夕季も重々しく頷いてみせる。
「やりすごして一度仕切りなおそう。それで勝機が訪れるかもしれない」
「ああ」
「てめーら、リーダー差し置いて勝手に進めてんじゃねえって!」
二度目の集束のため、光の塊へと変貌するガーディアン。
ケルベロスの凶刃はそのすぐ後方まで迫っていた。
やがて徐々にあらわとなる黒い外殻を追いかけ、ケルベロスが垂直降下していく。
二体のシルエットは重なるように海へとダイブすると、海面に巨大なクレーターと水柱を噴き上げた。
数キロメートルにも渡り白い霧の空間と化した空域を、安全区域から大沼が眺める。
眉間に皺を寄せ、ごくりと生唾を飲み込んだ直後、しだいに浮き上がるそのシルエットを見定めた。
もやの中に妖しく光る黄橙の両眼。
ケルベロスの首と足をがっしりとホールドし背中に抱えた、ガーディアン、ディープ・サプレッサの勇姿を。
「うおおおっ!」
光輔の雄叫びに呼応し、隆起したガーディアンの上半身がケルベロスを砕き折る。
スピード以外は何も持たない異形の黒鳥は、小さな悲鳴とともに真っ二つに分裂して沈黙した。
「やったか……」
司令室で息を飲んで成り行きを見守る面々から、ため息がこぼれ出る。
どかん、と椅子に腰を落とした桔平とは対照的に、忍は不安げな表情を崩せなかった。
そしてあさみも。
「ええ、はい……」
コントロール・センターからの伝令を受け、真顔であさみが振り返る。
「もう一度くるみたいよ」
「!」桔平が弾かれたように跳び上がった。「なんだと! いつだ!」
その口から飛び出したのは、信じられない言葉だった。
「三分後に……」