第二十七話 『傷』 1. 野心
発動を四日後に控え、ブリーフィング・ルームで恒例の事前説明が行われることとなった。
これより作戦開始までの間、光輔らオビディエンサー達はメガルでの生活を強いられる。運悪く試験期間中であったため、特別に館内で試験が受けられる手はずとなっていた。
融通のきかない忍の監視のもとで。
涼しい顔で室外へ出た夕季とは対照的に、光輔と礼也はゲンナリとした様子でルームを後にする。
そこに笑顔の忍が続いた。
「みんな、頑張ってね」
恨めしげな表情で光輔と礼也が振り返った。
「そんなこと言われても……」
「正義の味方は地球の平和を守ることで頭がクルクルで、試験どころじゃねえっての」
「そういうこと言わないの。大変なのはわかってるからさ」
「どうせ発動がなくても勉強なんてしないくせに」
「んだ、てめえは!」
ぶすりと突き刺した夕季に、礼也がフェザータッチで反応した。
「図星なんだけどさ」
「んだ、てめえも!」
光輔と礼也のやり取りを、忍がおもしろそうに眺める。
「あ、なんだったら、光ちゃん、あたしが教えてあげよっか」
「ええ~っ!」
「まだ少しくらいならわかると思うし。……ええ~ってどういうこと?」
忍に見つめられ、卑屈な笑みを浮かべる光輔。
「いや、せっかく学校いかなくていいんだから、このチャンスにぶっ続けでゲームでもしようかと思って」
「だ~めでしょ~!」
「あ、怒られた……」
「いくら特別なことしてたって、そんなのなんの言い訳にもならないの。駄目出しで後々困るのは自分なんだよ。こういう時だからこそ頑張らなくちゃ。今日から勉強合宿だからね。いい」
「あ、うん……。……なんか綾さんみたいだな」
「ざまあみろって」
ケラケラと笑う礼也に、忍がキリッと振り返った。
「礼也もだよ」
「綾さんみてえだって!」
三人の後ろ姿を忍が頼もしげに見送った。
ふと背後からの気配に気づき、振り返る。
そこには意味ありげに笑いかける三雲の姿があった。
「三雲さん……」
三雲は何も言わず、にやっと笑っただけだった。
ミーティングのメンバーには、雅は含まれてはいなかった。
忍を追い越し、ふと三雲が歩を止める。
「仲がいいことだな」
「!」顎を引いてかまえる忍。「……いけませんか」
それに答えようとはせず、三雲は小さく、ふっ、と笑った。
「三雲さん」
再び歩き出した三雲を、忍が呼び止める。
「なんだ」
振り返りもせず、あくまでも高圧的な三雲の態度に、改めて忍が口もとを引きしめた。
それでも伝えておかなければならないことがあった。
「いいんですか。彼らとの信頼関係を築かなくても。まだ彼らはあなたのことを……」
「必要ない」
ばっさりと切り捨てる三雲に、忍が言葉を失う。
それを知るかのように、三雲は笑みを含んだ口調で続けて言った。
「誰であろうと関係ない。心配しなくてもいい」そして語気を強めた。「私が勝たせてみせる」
忍が眉を寄せる。
「三雲さん。あなた、自分の体を投げ出して、他の誰かを庇ったことありますか」
意味ありげな忍の問いかけに、初めて三雲が反応をみせる。
「死ぬのを覚悟で仲間を救ったことがあるのか、ということか」
「そうは言ってません」
「何故私がそんな真似をしなければならない。そういうのは貴様達の仕事だろう」
ピクリともせず、押し出すようにそれを口にした。
「……。そういうことですか」
残念そうに忍が呟く。
「私にはもっと大きな使命がある。目の前のささいな事にとらわれていては、何も達成できはしない。私が今のこの世界に必要な人間であることはわかっているはずだ。貴様達が何人集まっても、つり合いは取れないだろう。私さえいれば、もっと多くの命が救える。私のこの手で」
「命と引きかえにしてまで守りたいと思う人は、いないんですか。もう」
その真意にも気づかずに、三雲は次第に本性をあらわにし始めた。
「いるはずがないだろう、そんな人間など。逆に聞きたいものだ。自らの命をていしてまで守らなければならないような価値ある人間が、今のこの世界に本当に存在するのかを」
「そうですか、うまく伝わるといいですね」
「どういう意味だ」
「あなたでは、あの子達とは合わなさそうですから」
「結構だ。私も彼らを好きになれるとは思っていない。だが、それとこれとは話が別だ。任務は確実に遂行する。彼らは与えられた仕事だけを従順にこなせばいい。足を引っ張らないようにしてほしい。それだけが望みだ」
三雲は一度足りと振り返ることすらしなかった。それは激しく睨みつける忍に気づいているだけでなく、それ以上に何かから目をそむけているふうにも見えた。
冷静に三雲を見つめ、忍がわずかにクールダウンする。
「あの子達は、あなたが軽蔑して遠ざけているようなことを、すべて自ら率先して行っている。自分の命より大切なものがあることを知っているから。損得で人間の価値をはじき出したり、感情すら机の上だけで計算できるあなたには、きっと理解できないでしょうね」
「ああ。理解する気もない」何はばかることなく言い切った。「弱い人間は一人で生きていくこともできない。それだけで罪だ。弱者は強者に生かされていることを自覚すべきだ」
忍が口をつぐむ。
それが三雲が自分自身に言い聞かせているように思えたからだった。
三雲が去ってからも、忍はしばらく動くこともできずにいた。
トレーニングを終え、休憩所へ向かう途中で夕季が振り返る。
そこには刺すような視線の主、三雲杏那がいた。
含み笑いの三雲を一瞥し、あいさつをすることもなくその場を後にしようとする夕季の背中に、三雲の声が追いかけてきた。
「私についてこい」
自信に満ちた口調に、夕季が再度顔を向ける。
その注視を真正面から受け止めて尚も、三雲は夕季の存在自体を飲み込もうとし始めた。
「竜王一体の力は一国の軍事力を遥かに凌駕する。私となら、さらなる高みに上れるはずだ」
眉をゆらすことなく、夕季が三雲をまじまじと眺める。
やがて顔をそむけ淡々とそれを口にした。
「興味ない」
しかし三雲は取り乱す様子もなく、同じ表情を保ちながら続けたのである。
「それだけの力を持ちながら、どうしてもっと大きな思想を持てない。貴様は私と同じだ。口では否定しながら、心の中では自分以外の他の人間達を愚かであると思っている。人に合わせるのはうまく立ち振る舞うためだけで、本当は何故そんな奴らの言葉に耳を傾けなければならないのかと、いつでも疑問に思っている。くだらない輩に合わせなければならないことを、わずらわしいとさえ感じているのだろう。否定はさせない。顔を見ればわかる。貴様はそうできている」
「……」
もう一度夕季が向き直る。今度こそは、明らかな嫌悪と畏怖の感情を露呈して。
「夕季、あっちに行ってなさい」
忍の声に二人が振り返った。
「三雲さん。やめていただけませんか」
静かな口調ではあったが、忍は鋭利なまなざしで三雲を睨みつけていた。
忍にうながされ、夕季がその場から去っていく。
その後も忍と三雲の睨み合いは続いていた。
ふいに三雲が、ふっと笑ってみせる。
落胆と軽蔑の色を織り交ぜながら。
「まったく、貴様達は揃いも揃って」
「……」
「気になっているのだろう。見ていたようだからな」
ふいに発せられた三雲の言葉に、忍がはっとなる。
すると三雲はにやっと笑い、忍の目を見据えた。
一瞬で表情を切りかえ、真顔で向かう三雲。
その瞳は忍と対峙してから一度足りと、表情を見せないでいた。
機械的に制服の前をはだけ、インナーからのぞく傷跡を晒した三雲に、忍が絶句する。
その心情を見透かすがごとくに、三雲は押し殺した声で臓腑を吐き出した。
「この傷は木場につけられたものだ。私にとって残るはずがなかったものだ。この傷の痛みは一生消えはしないだろう。私は奴を許さない」
忍はただ息を飲み、それを凝視するだけだった。
立ち去って行く三雲の後ろ姿を、忍はまばたきもせずに見つめていた。
「何かあったのか」
抑揚のない太い声に忍が振り返ると、心配そうな表情を向ける木場の姿があった。
訓練服を着込み銃を肩に担いだ木場が、消えつつある三雲の背中に目を向け、わずかに眉を揺らす。
「……いえ、何も」
そう忍が答えると、再び木場が忍へと向き直った。
「あの人……」
忍が言いかけて思いとどまる。
それを察するように、木場が自ら補足し始めた。
「三雲は自分以外の誰も信じられなくなっている。特に弱くて逃げ出すことをことのほか毛嫌いしているようだ。だから自分が弱いことを認めるのが、何よりも許しがたいらしい」
「……」
忍が苦しげな表情を木場へと差し向ける。
それを軽くいなし、木場は忍から目線をはずし、眩しそうに太陽を見上げた。
「俺は、またあいつに人を信じることを思い出させてやりたいと思っている……」