第二十六話 『挟撃』 2. ドラグ・カイザー
中庭へ足を踏み入れた途端、楓の心がわずかに後退した。
見覚えのある輩が数人、喫煙をしていたからである。
不快ではあったがすぐさま指摘するつもりもなかった。昨年までは生徒会長という立場上、教師へ報告することもたびたびあったが、それを退いた今となっては鬼の首を獲ったかのように執念を燃やす必要もなかったせいもある。もともとが正義感の強さ以上に、周囲の期待へ応えようとする強迫観念がそうさせたためであり、以前より肩の力が抜けた楓にとってはむしろ些細なこととさえ思えるようになっていた。
黙って通り過ぎようとする楓。
が、その姿を追うように、矢のごときいくつもの視線が刺し込んできた。
かつての楓に何度も密告されたと逆恨みする、その輩達のものだった。
からむわけではない。手を出すわけでもない。ただプレッシャーを浴びせ、不愉快な気分を植えつけようとしているのだ。
おそらくは今後顔を見かけるたびにずっと。
それ以上のことが彼らにできようはずがなかった。
楓が霧崎礼也と親しいことは、全校生徒が知ることだったのだから。
楓が相手にしないことを見越した上での、そんなヘタれた彼らのほんのささやかな復讐だったのである。
それでもあまりいい気分とは言えずに、顔を伏せたままで足早に楓がその場から立ち去ろうとする。
その時、彼らの全員がさっと顔をそむけたのを横目で確認した。
不思議に思い顔を上げる。
すると目の前に夕季の姿を認めた。
口を結び軽く頭を下げる夕季に対し、楓がほっとしたように笑みをこぼした。
「あ、古閑さん。このあいだは弟達と遊んでくれてありがとう」
「いえ……」
「あの子達、すごく喜んでたよ。お姉ちゃん、今度はいつ来るのって。またいつでも来てね」
「……はい」
「忙しかったら仕方ないけれどね」
「いえ、忙し……、わりと暇です」
ヘタれな輩達が音を立てないようにすごすごと消えていくのをちらと見て、楓があらためて夕季と向き直った。
「でもまたジョトの散歩とかにつきあわせちゃうと悪いし……」
「だ、大丈夫です!」
「……。今日来る?」
「そういうことなら!」
「?」
「……」
にわかに夕季が、もじもじそわそわし始める。
それに気がつき、楓が苦笑いしてみせた。
「そう言えばほのかが、お姉ちゃんとクワガタをとりに行くんだって言っていたけれど」
「クワッ!……」
「?……」
「光ちゃん」
通路で忍に呼び止められ、光輔が振り返る。
すると忍は心配そうに眉を寄せながら、光輔の顔を覗き込んできた。
「夕季のことなんだけど」
「うん」
「最近あの子、ちょくちょく帰りが遅いみたいだけど、何かあった?」
「ああ」と光輔が手を叩く。「先輩のうちに犬触りに行ってんだよ」
「犬?」
「そう。あいつ、すっかり気に入っちゃっててさ。散歩とかまでしちゃうみたいだよ。犬もだけど、先輩の弟さん達もすっかりなついちゃってるしさ」ふいに視線を流す。「俺には金蹴りばっかしてくるんだけど……」
「へええ」納得の表情で忍が頷いた。「どうりで制服が毛だらけだと思った。あの毛、犬の毛だったんだ」
「なんの毛だと思ったの?」
「……。クワガタ、なわけないよね」
「……何言ってんの」
休み時間、秋人は教室の自分の席につき、雑誌の記事を食い入るように読みふけっていた。
記事を読み終え、大いなる妄想にまみれながら秋人が鼻息を荒げる。
そこへ夕季がやってきた。
「何読んでるの」
気を抜いたまま顔を上げると、覗き込んでいる夕季と目が合い、秋人が慌て始める。
その様子を夕季は不思議そうに眺めていた。
「あ、あ、ドラグ・カイザーの記事」
秋人に提示され、夕季がそれを一読する。
そこには竜王の特集が組まれていた。
それまではさほど情報も出てこなかったのだが、バジリスクの発動を境にメガルがオフィシャルな存在となり、メディアが頻繁に取り上げるようになっていたのだ。
関係者筋のコメントも含め、その内容には捏造と陽動のためのダミー情報が入り混じってはいたが、最新テクノロジーの結晶であるこれら三体が人類の最後の砦であることは周知の事実で、世界中の国々が何らかの形でそれに携わっている旨で記事はまとめられていた。
「……」
複雑な心境で、夕季が何度も記事を読み返す。
それを見た秋人は、心持ちほっとしたように、ようやく次の言葉を並べ立てた。
「古閑さんも知ってるよね。この辺に住んでるんだから」
「……」
夕季が恨めしげに秋人を見つめる。
外部から説明を求められた場合に限り、ある程度の情報を提示する権限を、夕季はあらかじめ桔平から得ていた。ただし、あくまでも単なるメガルの関係者であり、正規職員ではなく、候補生の立場として。
当然のことながら、オビディエンサーであることは機密事項であり、それをはからずも他人が知ってしまった場合には、かなりの約束事が強制されることとなる。
もっともみずきらのように協力者であると判断した場合、桔平が身元責任者を買って出ることで制約は見送られることもあったのだが。
夕季は秋人には何も告げておらず、秋人も何も知らない様子だった。
夕季も光輔も自分からはそれを広めようとはしない。たとえ小さなことでも、それによって相手に迷惑がかかることを嫌ったためである。
それをきっかけに、周囲の反応が変わることも心配ではあった。
裏を返せば、秋人は夕季を普通の同級生として見てくれている、数少ない友人なのだった。
「どうしたの」
「……何でも」
「あ、あのさ、ドラグ・カイザーって、本当に無人なのかな」
秋人の何気ない一言に、夕季が顔を向ける。
その真顔に気後れし、秋人の笑顔がやや卑屈にゆがんだ。
「この記事にはそう書いてあるけどさ、やっぱり人間が操縦するロボットだと、あんなに複雑な動きは無理なのかなって。Gとかすごそうだし」
「……無理かもしれない」
「だよね」取り繕うように、ははっと笑う。「衝撃とかも、中に人いたら耐えられないだろうしね。やっぱりリモコンか。残念」
「何が残念なの」
夕季に問われ、秋人がまた相手の顔色をうかがうような笑みを浮かべた。
「いや、もし誰かが乗ってるんだったらさ、いったいどういう人が選ばれるのかなって思って」
「……」
「ほら、あるよね。アニメとかで、いじめられっ子とかなのに、偶然地球の危機を救う人に選ばれて、突然ヒーローになっちゃうってやつ。でもあんなの実際はないよね。実際はもっといろんな訓練積んだ、頭も身体も優れたスーパーマンみたいな人が乗るんだろうし。だって、宇宙に行くのでも、すごいエリートの人達が競ってなるわけだしさ。俺なんて絶対ないなって思った。ははは」
「……そんなことないと思う」
「あるよ」またまたあ、とまんざらでもなさそうに笑った。「俺の友達で勉強も運動も苦手でゲームばっかりしてる怠け者の奴がいるけど、そいつ、自分のこと、俺は地球の危機に隕石に突っ込んで最後に帳尻を合わせるキャラだ、って言ってた。そんな駄目な奴に、そんな大事な仕事任せられるわけないよね。だいたいそいつの名前が出る前に、とっくに候補者なんて何万人も決まってるって」
友人の言葉を自分自身に投影し自嘲する秋人を、夕季は複雑そうに眺めていた。
やがて、言うべきか否か手探りで、秋人がもじもじしながらそれを切り出す。
「古閑さんだったら、似合うかもね」
「!」思わずビックリマーク。
目を見開いて見つめる夕季に、秋人が照れながら補足した。
「あ、ごめん。気持ち悪いこと言って。でも古閑さんだったらカッコいいかなって思っちゃってさ。ほんと、ごめん。もう言わない」
硬直してしまった夕季に、秋人がしまったという顔をしてみせた。
ここまで引かれるとは秋人も予想外だったようで、やや落ち込み、反省する。
実際はドン引きしていたわけでもない夕季が、それに気がつきフォローしようとした。
「別に小川君が悪いわけじゃないから」
しかしそれは逆効果となり、今度は夕季がやや落ち込み、反省することとなった。
すると夕季に気を遣わせてしまったことに焦った秋人が、なんとか取り返そうと噴き上がり始める。
「あ、あ、ごごごごめっ!」
「……」
「これってカブトムシみたいだよね! 強そう!」陸竜王の写真を指差し、わけのわからないことをわめきまくる秋人。「でも俺はこっちの黒い奴の方が好きかな。クワガタみたいだし!」
「……クワガタはもういい」
「……ごめん」
「別に小川君が悪いわけじゃないから……」
「あ、うん……。……どうしよ」
どうすることもできなかった。
「ふぅん……」
「……」
言葉もなく向かい合う二人の前に、菓子パンをくわえた光輔がやってきた。
「な! どうしたの、おまえら!」
木場は多くの人間が行き交う連絡通路で、気難しい顔で周囲を遠ざけながら闊歩していた。
「木場さん」
後方から忍に声をかけられ、ようやく自分が歯を食いしばり、拳を硬く握りしめていたことに気がつく。
全身の力を抜いて振り返ると、心配そうに見つめる忍の顔があった。
「……どうかしたのか」
せつなさそうに忍が眉を寄せる。それから真顔で向かい合った。
「クワガタって好きですか?」
「……」
一瞬の硬直。しかし、忍の顔は真剣そのものだった。
「……。嫌いではないが、何故……」
「いえ、そういうタイミングもあるかもしれないので……」
「?……」
その時、木場が二度目の硬直に見舞われる。
今度は先とは違い、本当のフリーズだった。
木場と忍の横を通り抜けた細身の女性が、すれ違いざまにその視線をくれてきたからである。
激しく燃え盛り、憎悪をぶつけるようなそのまなざしを。
「……木場さん?」
忍の呼びかけにも心を揺らすことなく、木場は畏怖の表情で通り過ぎて行った女性隊員の後ろ姿を目で追い続けていた。
「木場さん……」
「……」
定期訓練を終え、空竜王から降りた夕季がエプロンで一息つく。
飲み物を求めて休息所へ向かうと、見慣れない顔が目に止まった。
見たことのない制服に身をつつんだ、細身の女性。身長は夕季と大差なかったが、ビシッと背筋を伸ばし、小さな顔とスタイルのバランスから、実際よりも背が高く見えた。髪型はあさみのようなショートカットと言うより、男性でもとおりそうな短髪といった方が近く、格好次第では性別が判別しづらいだろう。
期限付きで派遣隊員がやってくることを忍から聞かされていた夕季は、それが自衛官の制服であったことを思い出す。
複雑な表情で視線をそらす夕季。
飲み物を買おうと硬貨を販売機に近づけた時、その婦人自衛官が近寄って来るのが見えた。
すれ違いざま木場を睨みつけた、女性隊員だった。
明らかに夕季を目指して歩を進めるその隊員に、夕季が表情もなく視線を向ける。
ぱっと見た限り、年齢は読み取れなかった。ただその自信に満ちたたたずまいから、相当の経験と意志を持つことはうかがえた。
一旦目線をはずし、夕季がコインを自販機へと投入しようとする。
それでも意識は一瞬たりとも彼女から放さずにいた。
何とはなしに圧迫感を受けるようでもある。
すると彼女の方からコンタクトを試みてきたのだった。
「同じ匂いがするな」
ゆるやかに顔を向ける夕季に、彼女が意味ありげに笑いかける。
夕季はその顔をじっと見つめながら、自分の肩の辺りへと鼻先を近づけ、すんすんと匂いをかいだ。