第二十五話 『ドッグデイズ』 9. とりあえずは合格
ガーディアンが液体窒素のシャワーを、フォエニクスの下面へと激しく撃ち放つ。
かすかに悲鳴を思わせる音を発し、フォエニクスの面が反転した。
そのまま逃げるように上昇を始めたフォエニクスを確認し、光輔が振り返った。
「夕季!」
光輔の号令を受け取り、夕季が大きく頷いてみせる。
そしてエア・スーペリアへと集束し直し、フォエニクスのはるか上空へと飛び上がった。
ピオニィ・ストライクの形状で、真上から再度の特攻を試みる三人。
あらかじめ上面を向いていたフォエニクスは、ガーディアンを焼きつくそうとそのままの態勢で待ちかまえているようだった。
コクピットの中、眉間に力を込め、ひたすら夕季が精神を研ぎ澄ませる。
それに振り返ることなく、礼也も光輔もひたすらフォエニクスを睨みつけていた。
加速し続けるエア・スーペリアが、固形の物体をスコールのようにフォエニクスへと叩きつける。
マッハの降下速度をもって、強制的にエアインテークから材料を取り込み形成された、大量のドライアイスの乱れ撃ちだった。
際限なく押し寄せる怒涛の冷却攻撃に、たまらずに反転し、燃焼面を海へと返すフォエニクス。
すると到達時間一秒を残し、滞空中にガーディアンはグランド・コンクエスタへとチェンジしてみせた。
計算どおり。
罠にかかった獲物にとどめを刺すがごとくに。
「後は任せろ!」
礼也の咆哮もろとも、ガーディアンが結んだ両拳を頭上高く掲げた。
「必殺、方天画戟!」
本物の太陽の光を背に受け、ストライク・バードの落下エネルギーをも取り込んだ最強のナックル・ボンバーが、フォエニクスの白面の本体に叩きつけられる。
遠く彼方へと吸い込まれていく光の残像が、水蒸気もろとも、もやの立ち込める海面を真っ二つに割った。
粒子サイズまで砕かれたフォエニクスのかけらが、バラバラと海へ吸収されていく。
その時一瞬ではあるが、海面に悪魔の笑ったような顔が形作られたのだった。
見る者の背筋を凍らせたそれが、プログラム・フォエニクスの最期でもあった。
その怒りは、その後続く一週間もの大嵐と変化を遂げ、各所に甚大なる被害をもたらした。
どすん、と腰を椅子に落とし、桔平が大きく息を吐き出す。
すぐさま思い立ったように立ち上がり、そそくさと部屋から出て行こうとした。
「タバコ吸ってくる」
「いってらっしゃい」
桔平の後姿を楽しそうに見守り、あさみが再び視線を室内へと差し向ける。
そこには、スクリーンの前で立ちつくしたままのショーンと、それを心配そうに見つめる忍の姿があった。
「古閑さん」
あさみの呼びかけに、忍が振り返った。
「少し休憩してからでいいから、報告書をまとめて、私のところへ置いておいてね」
「はい」
「そのあとは帰ってもいいから」
「はい……」
あさみが部屋を後にする。
残された忍が、またショーンへと顔を向けた。
ショーンはぶるぶると震えたまま、呼吸困難を起こしたように立ち続けていた。
やがて握りしめた拳を解放し、大きく息を吐き出す。
「ぶはあっ!」
どすん、と椅子に座り込んだ。
「すごいんだな、ガーディアンは……」ひとりでに言葉が口をつく。「僕にはもっと、学ばなければならないことが数多くある……」
すると忍が笑顔を差し向けてきた。
「大活躍でしたね、小田切さん」
ピクッと反応し、急にモゴモゴと口ごもるショーン。
「僕は何も……」ふいに現実感が押し寄せ、真顔になった。「出すぎた真似をしてしまった。ガーディアンを失う可能性だってあったのに。ここは、もう終わりだ……」
「そうですね」
朗らかな口調に振り返れば、屈託のない笑顔を向ける忍がショーンの目の前にいた。
「それを責めるような人達がいるようなところならば、ここはもう終わっていると思います。こちらからオサラバですよ」
ショーンの目が点になる。
それを微笑ましげに見つめ、忍がおもしろそうに笑いかけた。
「今度、ご一緒に飲みに行きませんか」
「!」
ショーンが予想外の反応をみせる。
そのリアクションは、忍の行為をゆがめて受け止めているかのような誤解も感じさせた。
「……同僚として。……桔平さん達と。……お忙しいのならいいです。……」
ショーンが正気を取り戻す。
それでも忍から褒められたことは、まんざらでもなさそうな様子だった。
「僕にはまだ吸収しなければならないことが山ほどある。ここでもっと役に立つために。情報処理では駄目でも、他にできる何かがあるはずだ。僕にもできる何かが」
「そんなの、ぼちぼちでいいじゃないですか」
「しかし……」
「しかしもカカシもないですよ」
「……。君は本当に二十一歳なのか」
「どういう意味でげしょー……」
喫煙ルームで一息ついていた桔平が、人の気配に気づき顔を向ける。
そこにはあきれたように見つめるあさみの姿があった。
「やるか?」
差し向けられたタバコを丁寧に押し返し、あさみが鼻で笑った。
「今時そんなヘビースモーカー、出世なんてまず望めないはずだけれど、世の中なんてわからないものね」
「ぬかせ。これがホントの出世なら、喜んでタバコなんざやめてやるところだ」
「あら。じゃあ何?」
「単なる嫌がらせだろ。おまえの」
「じゃあ、もう一度平隊員に戻してあげましょうか」
「そいつは俺にとっちゃ願ってもない大出世だな」タバコをくわえたまま、へらへらと笑ってみせる。「このプレッシャーから解放されるってんなら、禁煙でもなんでもしてやるぜ」
「そうね」表情を抑え、あさみが横を向く。「疲れるだけですものね。こんな仕事」
「……」しまった、という顔になって、桔平が鼻から爆煙を噴出した。「バーカ、一度このポジションのウマミ知っちまったら、簡単には辞められねえよ。不本意だがな」
「そうかしら」
「そうに決まってんだろ。今さらあんなジジイどもにペコペコしてられるか。特に大城の野郎には。思い出しただけでムカつく。く~!」
「敵を作りすぎじゃない?」
「全部おまえのせいだけどな。責任とれよ」
「ええ」ふっと笑い、淋しげに笑顔を流してみせた。「とるわよ。ちゃんと」
桔平にはあさみが何を言おうとしているのかわからなかった。ただ、何かを告げようとしているように感じた。
そんな桔平の心情を知ってか知らずか、窓の外の暗い空を眺めながらあさみがそれを切り出す。
「ここにいる人達は、みんな発言することの怖さを知っている。言葉一つで自分の運命が決まってしまうことがわかっているから。たとえ正しくても、私ならあんなところで自分の意見を言ったりしない」
「ん? ションのことか」
あさみがにやりとする。
「発想は誰にでもある。でもそれを行動と結果に結びつけられるセンスは、誰もが持てるわけじゃない。とりあえずは合格にしてあげてもいいんじゃないの?」
「まあな。とりあえずな……」むは~、と猛煙を吐き出した。「運命ってなんだ。言葉間違えると、地球でもなくなっちまうのか? すげえとこだな、ここは、まったく」
皮肉たっぷりに笑ってみせた桔平をちらと見やり、あさみが小さなため息をついた。
「寒いわよ、そういうの」
「……言ってろ」
ふっ、と小さく笑い、あさみが再び真顔になった。
「地球温暖化の原因の一つに水蒸気があげられているそうね」
「ん?」
「雲が一パーセント増えると、地球上の温度がコンマ六度増加する。雲が放熱の邪魔をするから。伝説の不死鳥は決して争いを好まずに、太陽の周りを飛び、地上がその熱によって燃えつきないように、翼を広げて光をさえぎるって言われてるそうだけれど、フォエニクスは逆みたいね。私達という有害な物質から、まるで太陽を守っているようにも思える。或いは、地上にあいそがつきてしまったのかしらね」
灰皿にタバコの火を押しつけ、桔平が自販機へと向かう。
「それも仕方ないかもしれないな。俺達人間様は平和な時間が長すぎて、すっかり欲ボケになっちまってる。口開きゃ、利権争いのことばっかだからな。これじゃ、有事だっつっても、本当に大事なことにすら気づけないわけだ」
「また試されていたのかしらね」
「ん?」
「ここのところ、ずっと私達の対応の仕方を探っているような気がするから」
「で、俺達のパターンすべて搾り出させて、百パーセント勝てる方法を引き出そうとしているとかか?」
「そこまでおごった考えにはなれないわ」
「……あのな」
「大地の怒り。海の怒り。空の怒り。それらがある限り、そこに存在するすべての物質と地球のコアから発生する霊エネルギーによって、魔獣は際限なく現れる。プログラムが発動するたびに、膨大なエネルギーと、地球を形成する構成要素をゴッソリ消化して。彼らを倒せば倒すほど、地球をとりまく環境はどんどん不安定になっていくからくりね。よくできてるわ。私達は彼らを撃退しながら、自分自身の首を締めていることにもなる。或いは、地球そのものと戦っているのかもしれないわね。どちらにせよ、スイッチが押された時点で、私達の負けは決まっていたのかもしれないわね」
缶コーヒーを二本購入した桔平が、一本をあさみへ差し向ける。
それを受け取り、ようやくあさみにも笑顔が戻ったようだった。
「ありがとう」
「今さら何言ってやがんだ。こんな状況でも喜んでる奴がいるってのに」
「はん?」
「俺らがあついあついって言えば言うほど、潤ってる輩だっているはずだってことだ」
「そう言えば、夏の平均気温が上がると、それに比例して大きな経済効果が得られるとは聞いたことがあるけれど」
「現実問題、地球の平和を優先するより、目先の生活を守らなきゃ生きていけない人間の方が多い。俺達だって人ごとじゃない。自分達の身を削りながら利益を優先させている奴らが、おまえの上から目線の講釈聞いたらブチ切れるぞ」
「それは悪かったわね。前に綾もそんなことを言っていたような気がするわ。あなたと同じ考えだって、綾に伝えておくわね」
「ちょっと待て!」
「……何をそんなに焦っているの?」
「……さあ」
んんん! と伸びをして、桔平が腰に手をあてた。
「さてと、夕季のご機嫌取りでもしてくるか。サイフん中は、……おっと、三千円しかねえぞ。う~ん……」
「ねえ」
立ち上がりかけた桔平を、あさみが引き止める。
顔を向けた桔平に合わせるように、あさみは薄い笑みを差し向けてきた。
「もしあと十年で人類が滅亡するとしたら、どうする」
「どうもしねえよ」その問いかけに、あくびをしながら桔平が即答してみせた。「十年どころか、一年後に滅亡するって言われても、何も変わりゃしねえ。何もできない奴らが、何もしないでただ騒いでるだけじゃ、はた迷惑なだけだからな」
「じゃあ、その猶予があと半年だったら」
「はん?」じっとあさみの顔を眺めた。「同じことだろ。たとえそれが明日だとしても、何も変えられない以上、俺達は土壇場までいつもどおりにすごすしかない。そん時そん時、自分にできることを精一杯するだけだ」
「そんなに冷静でいられるかしらね。明日になったら、あなた達は全員死にますって言われているのに」
「ざけんな。今まで何回そういうガセ情報に踊らされてきたと思ってんだ。予言が全部本当なら、とっくの昔に地球は滅亡してるだろ。何回もな」
「それもそうね」
「仮にそれが本当のことでも、確証がない限りどうしようもないからな。真犯人がわかってるのに証拠がなくて負ける裁判みてえだ」
「らしくもない、もの言いね」
「うるせえよ。ま、もしそれがプログラムによる滅亡だとするなら、まだ望みはあるってことだがな。俺達の手で変えられるチャンスが」
「……」
桔平が首をかしげる。
当然のことのように、あさみがそれを否定してくるものだと信じていたからだった。
やがて物憂げな様子であさみが口を開く。
「私達はどこまでおごりたかぶれば気がすむのかしらね」
それは自分自身に言い聞かせているようでもあった。
「多くの種族の未来を絶ちながら、勝手に絶滅危惧種を保護してきた私達が、地球に危害を加える危険因子としてプログラムに駆除されようとしている。種族としての寿命を待たずに、私達が自分達の都合で他の生物を絶滅に追いやったようにね。人類が滅亡するだけならば、それは地球の滅亡とは言わない。種の絶滅を指すだけだから。人類がいなくなっても他の生物が生き残るのなら、これまで地球上で幾たびも繰り返されてきたように、支配者が交替するだけ。これから起きることは、ただそれだけのことなのかもしれない……」
「……」
黙り込んでしまったあさみを眺め、桔平が言葉を失う。
その哀しみのおもざしから目をそむけ、桔平が静かに背を向けた。
「なかなかおもしろい考察だったぜ。らしくもない、がな」
「そう」
「じゃ、俺、行くわ」
「お疲れ様」
「おまえもな」
背中を向け合う二人が、それぞれの視線を別の方向へと差し向けた。
互いに言い残した言葉を噛みしめるように。
了