第二十五話 『ドッグデイズ』 8. 太陽のフォエニクス
「く!」
フォエニクスからの暴力的な光と熱の圧力に目を細め、夕季が歯がみする。
間一髪で特攻を回避し、勢いそのまま海中へと突入したガーディアンの中で、光輔が叫んだ。
「夕季、チェンジだ!」
光輔の声に呼び戻され、気を失っていた夕季が正気を取り戻した。
「……お願い」
消耗著しい夕季にかわり、光輔がイニシアチブを握る。
「チェンジ、タイプ・ツー!」
海中できりもみ降下を続けていたエア・スーペリアが、一瞬のうちにディープ・サプレッサへとシフトした。
そのまま潜水艦のように航行し、フォエニクスから距離をかせごうとする。
深いダメージにぐったりとなる夕季を横目で確認し、光輔が口もとを引きしめた。
「夕季、少し休んでろよ」
夕季がちらと目線を差し向ける夕季。
「ごめん、光輔……」
「いいよ」むん、と口を結んだ。「やれるだけやってみる」
司令室特設スペースでは、顔色を失った面々が、ただ畏怖するように光を放ち続けるディスプレイを遠巻きに眺めていた。
桔平が顎の下の汗を拭う。
それを追いかけるように、ショーンの声が押し出された。
「ブラック・フィルターをモニターに装着してください」
「あ?」
「角膜を焼かれるとガラスで点されたような痛みを感じて、一時間とかからずに失明します。もし違和感を感じたのなら、我慢せずに治療を受けてください」
ゆるやかに振り返る桔平。
そこには神妙な様子で状況を見守るショーンの姿があった。
桔平が改めてディスプレイへと目を向ける。
あさみと忍もそれにならった。
四人の表情は同じことを物語っていた。
お手上げであると。
フォエニクスから一キロメートル以上離れ、海面からディープ・サプレッサが顔を出す。
途端に信じがたい熱の圧力が三人へと押し寄せてきた。
想像することもできない、灼熱の豪炎。
それはガーディアンという防護壁で守られていなければ、一瞬で灰すら残さず蒸発するするほどの燃焼だったに違いない。
先にしても同様だった。
ガーディアンの中でなければ、三人は確実に失明していたことだろう。
有効な策は何一つない。
が、違ったのは、諦めムードの大人たちに対し、光輔も礼也も勝利へのトライを失っていないことだった。
それを肩で息をしながら見守る、夕季のまなざしも。
「どうすんだ、光輔」
「とりあえず、熱いなら冷ませばいいかなって考えた」
「あいかわらずてめえは単純だな」あきれたように吐き捨て、にやりと笑った。「残念なことに、俺も同じこと考えてたがよ」
二人が顔を見合わせて笑い合う。
前を向くその顔が、互いの敵を捉え、輝きを放った。
「スパイラル・タイフーン!」
光輔のかけ声もろとも、ガーディアンが腰部と裾のスラスター部から海水を吸い上げ始める。両腕の手首の周囲と背中のインテークから海水を放出させると、フォエニクス目がけて、ジェット噴流のような海水の束が叩きつけられた。
攻撃を察知し、フォエニクスが面の上下を入れ替える。
途端に極太サイズの水流は上部の白面を滑り、空の彼方へと拡散していった。
「くそ、また下向きやがった」礼也が歯がみする。「赤白帽かっての!」
「今度は下から叩きつけてやろう」
「真下、行く気か」
光輔が頷く。
「こいつならやれる」
そこへ夕季からの、待った、がかかった。
「危険すぎる。やめた方がいい」
「てめえは、も少し休んでろ。んで黙ってろ。まだ力、入んねえんだろが。ついでに一生おとなしくしとけ。ナマイキだから」
取り合うことなく横へ流そうとした礼也へ、夕季が食い下がってみせた。
「やみくもにやっても体力を失うだけ。それにあたし達よりもみやちゃんが……」
『あたしなら大丈夫だよ』にっこりと微笑む。『さっきちょっとだけ、怒りとかの感情以外のものがウッと下から込み上げてきそうだったけど』
「大丈夫か、雅!」光輔が真っ青になって身を乗り出す。「無理ならすぐ言えよ。そしたら……」
『そんなのじゃないよ』雅が悲しげに笑いながら光輔を見つめた。『すでにコポコポしてたから』
「あ、あ……」
「ヒロインのセリフじゃねえな……」
『てへへ。ウタヒメなんだけどね』
「まだ言ってやがんのか……」
「調子、悪かったのか?」
「そう言えばさっき、食堂でピザ食ってやがったな、てめえ」
『バ~レ~た……』
「そういうの、もういいから……」
「ガッツンガッツン食ってやがった」
「もう少し考えて行動した方がいい」
夕季の声にみなが注目する。
「ああっ!」
『……。あたしのことかな』
「そういうわけじゃ……」
夕季が引くことのないまなざしを差し向けていることを知り、辟易した礼也が顔をそむけた。
追い討ちをかけるように、押し殺した夕季の声がそこへ続く。
「今、何をしても、可能性はほとんどない」
「可能性がなんだって」あくびをしながら礼也が振り返った。「データ打ち破るから、新記録が生まれんだろが。ビックリするような日本新記録が」
「……可能性とデータは違う」
『可能性ならある』
スクリーンを隔てて聞こえてきた声に、三人が一斉に振り返る。
驚きに目を見開く桔平の後ろで、真顔のショーンが三人に顔を向けていた。
『おまえ、何かわかったのか!』
『今の君達の攻撃で、周辺気温が一度近く下がった』
『なんだ。たったの一度か……』
がっかりする桔平をさて置き、さらに熱いまなざしでショーンが三人と向かい合った。
『たったの一度気温を下げる方法を、僕は他に知らない。おそらく、ここにいる誰も。でも、君達ならできる』
「ああ?」対応に困り、礼也がぽりぽりと後頭部をかく。「ま、信じてくれんならよ、別にいいが……」
『君達を信じる。だから僕のことも信じてくれ』
「……」礼也が光輔と顔を見合わせた。「それで奴に勝てるってんだな」
『確証はない。だが、やってみる価値はある』
「……」
言葉を失う三人。
先に口を開いたのは、やはり光輔だった。
「やってみよう。どうせ俺達は、また同じように水をかけることしかできないから」
「しゃあねえな。ダメもとだ」
「……寒気がする」
「大丈夫か、夕季」
「俺もコポコポしてきたって」
「……」
ショーン提唱の即興作戦がお披露目となる。
だが、ゴーサインを出すのは、あくまでも司令官のあさみの役目だった。
『まず考えたのは、ガーディアンが今おこなったシステムを利用して、もっと効率よく冷やす方法がないかってことだ』
「他に手があんのか? あ! 海水、一瞬で冷やして氷にしてブツけるとかか!」
礼也からの問いかけをいなし、ショーンが夕季へ顔を向けた。
『ガーディアンの内部に真空室を設けることは可能か』
夕季が頷く。
それにいち早く反応したのは、ショーンの横で腕組みをしながらプレッシャーを与えていたあさみだった。
『ドライアイスでも作る気?』
「できるの!」
『できる』
飛びつく夕季にも、あいかわらずの抑えたテンションで受け答えるショーン。
「どうすればいいの……。あ」
夕季もピンときたようだった。
『空気中から取り出した二酸化炭素に一定の圧力をかけて冷やせば液体になる。それを奴に叩きつければいい。液体になった二酸化炭素は空気中に触れた途端に固形化してドライアイスになるはずだ』
「そいつぁあ、すげえ!」礼也が興奮し、鼻の穴を広げた。「よし、早速実行す……」
「でもそれだけで大丈夫なの」
「る……」
『もっといい方法がある』
「何?」
「……」真顔の夕季を横目でちらと見て、何食わぬ顔で礼也がショーンへと向き直った。「……ま、それはアリだとして」
『ガーディアンの体内で液体空気を作り、分離した液体窒素を奴にぶつけ続けるんだ』まなざしに力がみなぎる。『窒素は気体中濃度の七十八パーセントを占めている。材料は無限だ。いくら奴が六千度の高温を持っているとはいえ、たかだか直径二百メートルの本体に過ぎない。マイナス二百度近い液体窒素をかけ続ければ、今に悲鳴をあげるはずだ』
「……」光輔の目が点になる「何言ってんのか、さっぱり……」
『なるほどな』
腕組みをし、重々しく頷いた桔平に、光輔がびっくり顔を向けた。
「わかるんすか、桔平さん!」
『ざけんな、てめえ!』ジロリと光輔を睨みつける。『わかるわけねえだろ!』
「でも、今……」
『おまえがさっぱり理解してないってことがわかっただけだ』
「あ、そうすか……」
「わかるわけねえって!」
カッカッカと豪快に笑い飛ばす礼也を、光輔があきれたように眺めた。
「おまえもね……」
「当然だって!」
『おもしろそうね』
落第三人組を置き去りにし、あさみが含んだように笑う。
「やってみよう」
夕季が力強く頷くに至っては、礼也も光輔も何も言わずにその情けない顔を封印するしかなかった。
イメージのわかない二人のかわりに、夕季が頭脳労働を一手に引き受ける。まだ本調子ではなかったため、フィジカル面を二人に任せ、夕季はサポートにまわることとなったのだ。ショーンの並べ立てた用語のすべてを知っているわけではなかったが、噛み砕いたその意味を理解しそこから理論を導くのは、造作もないことだった。
桔平を差し置いて、臨時副司令官となったショーンがガーディアン・チームに指示を出し続ける。
何となく不安そうな礼也と光輔の様子に気づいて、夕季が小さな声でフォローしてみせた。
「考えるのはあたしがやるから、二人はとにかく空気を取り込んでフォエニクスにぶつけ続けることだけをイメージして……」
「……あ~い」
「……お~い」
「……」
広がった足首の裾部分から圧縮空気を放出し、海竜王よろしく、ディープ・サプレッサがホバリング状態で海上に浮遊する。
その態勢でフォエニクス目がけてスパイラル・タイフーンを見舞った。
ただし、海水ではなく、海上の大気を吸い上げて。
またたく間に放出される液状のマシンガン。
それは触れるものを瞬時に冷却し、周辺の気温をみるみるうちに低下させていった。
台風のように激しく渦を巻く大気に身を埋め、液体窒素を撒き散らかし、時にはそれをバリアーとしながらガーディアンがフォエニクスとの間合いを詰めていく。
「すげえ近づいちまったけどよ。……焼け石に水じゃねえか?」
目と鼻の先まで迫ったプログラムの本体を前に、礼也がさすがに心配そうな声をあげる。
それに答えたのは、自信満々に荒げたショーンの鼻息だった。
『大丈夫だ、効果は出ている。二百メートルとは言っても、ガーディアンを人間サイズに換算すれば、たかだか直径十メートル足らずのサークルと変わらない。消化できない火事じゃないだろう』
「火事の炎ってのは、太陽と同じ温度なんかよ……」
「最強のスーパーアーマーは消防服ってことなのかな?」
のんきな声を出しつつ、必死の形相で光輔が振り向いた。
「……てめえは焦りまくった顔で余裕かましてる場合じゃねえだろ」
「そりゃそうなんだけど……」
『大丈夫だ。危なくなったら海へ潜れ。どれだけ熱くても、所詮熱湯でしかない』
「そりゃそうだが……」
「ゆだっちゃうかも……」
「二人とももっと集中して!」
「ああっ!」
「ああ、ごめん……」
「冷やすのじゃなく、熱を奪うことを意識して」
「おお!」
「わかった!」
「あと、偉そうにすんな!」
目を閉じたまま集中し続ける夕季を横目で確認し、光輔が仕上げの段階に取りかかった。
「いくぞ、夕季」
こくりと頷き、夕季が活目した。