「役立たずの偽聖女」と断罪されたので、聖女契約を全解除して天界に転職しました~ついでに未払い報酬十年分、王国予算の三年分をご請求いたしますわ~
「――聖女様の力では、天界の門は開けられません」
千年に一度、天界の門が開く『開門の儀』。
その厳かな門前で、王太子レオンハルトは高らかにそう宣言した。集まった貴族たちがどよめく。
「役立たずの偽聖女が。よくも今日まで、聖女の座を騙っていたものだ」
わたくし――聖女ミリアは、その言葉を静かに聞いていた。
(はいはい、定時外の呼び出しですね。しかも公開処刑スタイル。前世でも似たような追い込みミーティングがありましたっけ)
前世の名は、松本澪。日本のブラック企業で危機管理コンサルタントをやり、過労で死んだ。
だからこの手の理不尽には、慣れている。
「本物の聖女は、そこにいるマリベル嬢だ」
レオンハルト王太子の隣で、公爵令嬢マリベルが勝ち誇った笑みを浮かべている。華やかな金髪碧眼。なるほど、確かに見栄えはする。
「ごきげんよう、ミリア様。地味な聖女様には、荷が重うございましたわね」
(見栄えね。書類仕事は、見栄えでは片付かないのですけれど)
大司教バルドメロが、慈悲深い聖職者の仮面をかぶって進み出た。
「ミリア嬢。あなたのこれまでの奉仕には感謝しております。ですが、教会は――より相応しき聖女を求めているのです」
(慇懃無礼な、二枚舌。この老人が裏で何を企んでいたか、とうに『鑑定』済みですのよ)
喚くつもりはない。
わたくしのユニークスキルは【鑑定・完全解析】と【契約記述】。派手な攻撃魔法ではない。だが、この十年、王国全土を回してきたのは、この地味なスキルだ。
「ミリア様……! そんな、あんまりです……!」
侍女のエルナが、涙目で声を上げる。
「お静かに、エルナ。喚くのは、無能のすることですわ」
わたくしは淡々と、一礼した。
「――承知いたしました」
貴族たちが拍子抜けした顔をする。泣き喚いて縋ると思っていたのだろう。
「……なんだ、その態度は。泣いて縋るかと思えば」
「では、聖女位を返上いたしますわ」
静かに、丁寧に。
「ついでに――わたくしが結んでいた『契約』も、すべて」
大司教が、片眉を上げた。
「……契約? はて、何のことやら。まあよい、退がりなさい」
(ええ、退がりますとも。十年分の未払い残業代を、きっちりまとめてご請求してから)
「何をぶつぶつと。とっとと消えるがいい、偽聖女」
わたくしは、微笑んだ。
「ふふ。承知いたしましたわ。……その言葉、どうか忘れないでくださいまし」
その意味を、この場の誰一人として理解していなかった。
◇◆◇
時を、少しさかのぼる。
断罪の三日前。王城の一室で、王太子レオンハルトと大司教バルドメロは密やかに杯を交わしていた。
「大司教。例の件、抜かりはないな」
「ええ、殿下。ミリア嬢を退け、マリベル嬢を聖女に据える。あの地味な娘より、公爵家の令嬢のほうが……何かと都合がよろしい」
「聖女なんて、誰でもいい。要は見栄えと、教会と王家の繋がりよ」
二人は笑い合った。
聖女の実務が――王国全土の結界維持、治水、魔物封印が、たった一人の娘のスキルに支えられている事実など、想像すらせずに。
◇◆◇
一方その頃、聖女の執務室。
わたくしはいつものように、帳簿をつけていた。
浄化術式の使用回数。魔物封印の維持コスト。治水魔法の稼働時間。そして――一度も支払われたことのない、報酬の未収額。
「ミリア様、また帳簿ですか? 何かの備えですか?」
エルナが、契約書の写しをせっせと綴じながら首をかしげる。
「ええ。備えですわ、エルナ」
(前世の教訓ですのよ。証拠を残さない会社ほど、いざという時に社員を切り捨てる)
「エルナ。この写しは、あと三部お願いできまして?」
「三部も? かしこまりました……でも、こんな地道な作業、何の役に立つんでしょう」
わたくしは微笑んだ。
「さあ。役に立たなければ、それが一番よいのですけれど」
この十年、無給同然で王国を回してきた。
そろそろ――決算の時期かもしれませんわね。
◇◆◇
開門の儀。断罪の、直後。
「聖女位を返上いたします。ついでに、契約もすべて」
わたくしがそう告げた瞬間。
【契約記述】のスキルが起動する。指先に、術式の光が灯った。
――ピシリ。
空気が、軋んだ。
「……何だ、今の音は」
王太子が眉をひそめる。次の瞬間、天界の門を維持していた光の術式が、蜘蛛の巣のように罅割れはじめた。
「な――門が!?」
それだけではない。
遠く王都の外壁で、結界の輝きがふつりと消えた。国境の魔物封印の鎖が、音を立てて弾け飛ぶ。治水の要たる大河の水位が、狂いはじめる。
悲鳴が上がった。
「魔物です! 封印が――封印が解けています!!」
「西の結界が消えた! 何が起きている!?」
レオンハルトが真っ青になって振り返る。
「マリベル! お前は聖女だろう! 早く、結界を張り直せ!」
マリベルが、両手をかざした。
……何も、起きない。
もう一度。やはり、何も起きない。
「な……なぜ? わたくしは、聖女に選ばれた特別な――」
(当然ですわ。それらの術式を書いたのは、全部わたくしですもの)
わたくしは崩れゆく門を背に、静かに告げた。
「申し遅れましたが。結界も、封印も、治水も、天界の門の維持術式も――すべてわたくし個人のスキルで構築したものですの」
大司教の顔から、血の気が引いていく。
「まさか……聖女契約とは、聖女位に付随するものではなく……」
「ええ。わたくし、松本澪の――いえ、ミリア個人に紐づいた契約ですわ」
一礼。
「では。あとはお二人で、なんとかなさってくださいまし」
◇◆◇
崩れゆく王都を背に、わたくしは静かに歩いていた。
慌てふためく必要はない。前世で学んだ危機管理の鉄則――『退職前に、次の就職先を確保しておくこと』。
わたくしは既に、内定をいただいている。
「――来たか、ミリア」
天界の門の、崩れかけていない中心部。そこに、一人の偉丈夫が立っていた。
長身。漆黒の角。金の瞳。鱗の光る尾。竜人の門番、ガーヴィス。
王太子や大司教が震え上がるほどの圧を放つ強面が、しかしわたくしを見て、わずかに――ほんのわずかに、落ち着かなげに視線を泳がせた。
「その、なんだ。……ちゃんと、来てくれたのだな」
「ええ。お誘いいただきましたもの」
三日前。この門番だけが、わたくしのスキルを正しく『鑑定』した。
『お前の術式は、千年で最も美しい。こちら側で働く気はないか』
褒め言葉を絞り出すのに、彼は数百年ぶんの語彙を総動員し、そして結局それしか言えなかったらしい。
「あの……ミリア。ひとつ、確認したいことがある」
ガーヴィスが、真顔で言った。
「こちらの職場には、有給がある。休め。無給でも無休でもない」
わたくしは、思わず足を止めた。
(……有給?)
十年。この国で、無給同然で酷使されてきた。前世では、過労で死んだ。
有給。休め。その二言が、なぜだかじんと胸に沁みる。
「……不器用な方ですのね」
「そう、か? ……すまん、褒め方が、まだうまくならん」
強面の竜人が、本気で困った顔をしている。
(あら。これはこれで、悪くありませんわね)
だが、天界へ発つ前に。
ひとつ、片付けねばならない仕事が残っていた。
◇◆◇
「ミリア! 待ってくれ、ミリア!」
案の定、王太子レオンハルトが青い顔で追ってきた。魔物の氾濫と結界崩壊で、王都はもはや火の海に近い。
「頼む! 戻ってきてくれ! 結界を、封印を張り直してくれ!」
ついさっき『役立たずの偽聖女』と罵った口が、よく言ったものだ。
(失ってから気づく。教科書通りですこと)
わたくしは振り返り、エルナから受け取った分厚い帳簿を掲げた。
「殿下。その前に、少々ご精算を」
「せ、精算?」
「わたくしへの未払い報酬、十年分。魔物討伐の実費。結界維持の術式使用料。浄化・治水の稼働コスト――」
ページを、めくる。
「――総額、王国予算の三年分ですが。お支払いいただけまして?」
レオンハルトが絶句した。
「そ、そんな額……払えるわけが……」
「あら。労働には対価が伴うものですのよ。前世でも、そう学びましたわ」
そこへ、天界の門から荘厳な光が差した。ガーヴィスが、静かに告げる。
「――記録の照合が完了した」
「記録?」
「天界の門は、嘘をつけん。門の下でなされた盟約は、すべて記される。……大司教バルドメロと、王太子レオンハルト。三日前の『聖女すり替えの密約』も、な」
大司教が、よろめいた。
「ば、馬鹿な……あれは密室で……」
「密室であろうと、天界は見ている」
ざわり、と貴族たちがどよめく。断罪の構図が、音を立てて反転していく。
わたくしは、静かに微笑んだ。
「証拠は帳簿に。密約は天界の記録に。――さて、殿下。これでも、わたくしが『偽聖女』だとおっしゃいますの?」
◇◆◇
その後の顛末は、あっけないほどだった。
王太子レオンハルトは、聖女すり替えの密約と、王国を崩壊の淵に追いやった無責任を問われ――廃嫡。
「私は、私はただ、見栄えのする聖女を……!」
「見栄えでは、魔物は封じられませんのよ」
大司教バルドメロは、信仰を語りながら最も打算的だった二枚舌を天界の記録に暴かれ――失脚。教会の権威は地に落ちた。
「信仰が……聞いて呆れますわ。あなたが崇めていたのは、権威と体面だけ」
そして、公爵令嬢マリベル。
彼女は最後まで、両手をかざしていた。何度も、何度も。
「なぜ……なぜ何も起きないの……わたくしは、特別な聖女なのに……」
何も起きない。当然だ。彼女は術式を一行も書けない。
「聖女に選ばれた特別なわたくしが、なぜっ……!」
貴族たちの視線が、冷たく彼女に注がれる。『何もできない無能』。囁きが、社交界を駆け巡る。
マリベルは、その場に立ち尽くしたまま、崩れ落ちた。
わたくしは、それを最後まで見届けた。
(ざまぁ、と前世の言葉で言うのでしたっけ)
そこへ、涙をぼろぼろ流したエルナが駆け寄ってきた。
「ミリア様! あの写しが……わたしの綴じた写しが、こんな……!」
「ええ。あなたの地道な作業が、逆転の証拠になりましたのよ、エルナ」
「そんな……! わたし、ただの雑用だと……!」
「ふふ。優秀な仕事ぶりでしたわ」
エルナが、わっと泣き崩れ、それから顔を上げた。
「ミリア様! わたしも、わたしも連れて行ってください! こんな国、もう嫌です!」
わたくしは、天界の門を見上げた。
有給のある、正当に評価される職場。
「――ええ。参りましょうか、エルナ」
◇◆◇
天界の門の管理者となって、しばらく。
わたくしの新しい執務室には、きちんと窓があり、お茶があり、そして――有給休暇の申請用紙まで用意されていた。
「ミリア。その、茶を淹れた。……飲むか」
ガーヴィスが、ぎこちなくカップを差し出す。ただし、隣では門の術式の一部が、こんがりと焦げていた。
「……ガーヴィス様。またお茶を淹れようとして、術式を焦がしましたわね?」
「……面目ない。門番の千年で、これが最も難しい任務だ」
強面の竜人が、本気でしょんぼりしている。わたくしは、つい笑ってしまった。
前世は、社畜。この世界では、無給の聖女。
そして今――。
「ミリア様! お茶菓子をお持ちしました!」
エルナが元気に駆けてくる。彼女もすっかり天界の暮らしに馴染んだ。
「ゆっくりでよろしいのよ、エルナ。ここには、締め切りに追われる仕事などありませんもの」
「はい! 次に門が開くのは……千年後、でしたっけ?」
「ええ。ですから――」
わたくしは、窓辺の椅子に腰かけ、温かいお茶をひとくち。
「それまで、ゆっくり働かせていただきますわ」
その時。門の下方――崩壊した王国のほうから、一羽の伝令鳥が飛んできた。くわえていたのは、助けを求める書状の束。
『どうか結界を』『どうか魔物封印を』『どうかお戻りを』――。
わたくしは、それを一瞥した。
「あら。ずいぶん切実ですこと」
そして、机の上の札を、くるりと裏返して門前に掲げた。
――『受付時間外です』
ガーヴィスが、金の瞳をわずかに細めた。
「……いいのか」
「ええ。だって」
わたくしは、涼しい顔で微笑んだ。
「わたくし、今日は――有給ですもの」
温かいお茶の湯気が、ゆっくりと立ちのぼる。
千年に一度しか開かない門の内側で、元社畜聖女の、正当に報われる日々が、静かに始まっていた。
――さて。次の千年は、どんな働き方をいたしましょうか。




