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『婚約破棄された鑑定士令嬢は、恋人の名を刻んだ蜂蜜色の琥珀を握りしめて辞めさせていただきます~転生した私は、あなたが捨てた宝石の価値を知りません~【短編・ざまぁあり】』

作者: uta
掲載日:2026/07/12

「――お前との婚約を破棄する」


夜会の中央。シャンデリアの光が、エルネスト伯爵令息リカルドの整った顔を照らしていた。


彼の指が、まっすぐに私を差す。


「琥珀ごときに固執する女など、伯爵家に相応しくない」


広間がざわめく。ざわめきは波のように広がって、やがて視線という視線が私に突き刺さった。


私は――シャルロッテ・ド・ヴァリエールは、ただ静かに胸元に手をやった。


蜂蜜色の琥珀。その中に刻まれた、小さな文字。『ユーリ』と。


(本物の宝石も見抜けない、ですって? ……鏡を見て言えばいいのに)


心の中で、そう呟く。前世の記憶が、私にこんな皮肉屋の一面を残していた。


現代日本。宝石鑑定士として働き、過労で死んだ女。その知識は、この世界で『鑑定』ギフトとして開花した。真贋も、来歴も、魔力の有無も、一目で見抜く。


王国随一の鑑定士。それが、今の私だ。


だがリカルドの目に映る私は、ただの『地味な仕事女』らしい。


彼の隣には、真紅のドレスの女がいた。男爵令嬢ミレーヌ・カサンドル。首元で、毒々しいほど輝く『魔宝石』の首飾り。


「あら、リカルド様。こんな地味な方、早く追い出してしまいましょう? 見ているだけで退屈ですわ」


扇の陰で、ミレーヌが笑う。


(ああ――あの首飾り。魔力を吸って自壊する、呪具まがいの偽物ね)


見た瞬間に、わかってしまった。


だが、言わない。


言う義理も、もうないのだから。


「本物の宝石も見抜けない女に、用はない」


リカルドが嘲笑した。


私は、背筋を伸ばした。声を荒げることもなく、涙を見せることもなく。


「かしこまりました」


淡々と、そう答える。


「それでは――伯爵家との鑑定契約も、本日限りで辞めさせていただきます」


一瞬、リカルドの笑みが凍った。


「……は? 鑑定契約、だと?」


「ええ。もう、この家門のために目を貸す義理はございませんので」


私は琥珀を、そっと握りしめた。


(あなたはまだ気づいていない。この家門の財が、誰の目に支えられてきたのかを)


スカートの裾を翻し、私は踵を返す。


「さようなら、リカルド様。あなたの見えなかった、本物の価値」


背後で、彼が何か叫んだ気がした。


だが、もう振り返らない。


***


鑑定士ギルドに戻った私は、契約解除の書類を、机の上に置いた。


インクの乾く音さえ聞こえそうな静寂。


それを破ったのは、古参の同僚――テオドール・ラングだった。


「シャルロッテ嬢……本気か」


白髪交じりの実直な男が、書類を見て青ざめる。


「あなたが抜けたら、エルネスト家の取引は全部止まるぞ!」


私は、微笑んだ。


「ええ。だから、辞めるんです」


テオドールが、言葉を失う。


彼はわかっている。誰より正確に、私の価値を。だからこそ、その叫びは非難ではなく、本音だった。


「……あの若造は」


彼は低く、毒づいた。


「宝石も、女も、見る目がない」


私は思わず笑ってしまう。


「ふふ。テオドールさん、それは名言ですね」


そして、静かに続けた。


「私、決めたんです。正しく評価されない場所には、もう留まらないと」


『正しく評価されない場所に留まらない』


それは、過労で命を落とした私が、二度目の生で刻んだ信念だ。


「……それで、これからどうする」


「新しい事業を立ち上げます。冒険者ギルドと提携して、魔物素材や希少鉱石の真贋を見抜く。宝石だけが、価値じゃありませんから」


テオドールの目が、じわりと潤む。


「……手伝わせてくれ。真っ先に、な」


「ありがとうございます。心強いです」


私は頭を下げた。


こうして、私の新しい道が始まる。


(この琥珀に刻まれた『ユーリ』の名が、思いもよらぬ形で私を待っているなんて――このときは、まだ知らなかった)


***


冒険者ギルドの扉を開けた瞬間、空気が張り詰めた。


荒くれ者の冒険者たちが、一人の男を遠巻きにしている。


銀灰の髪。鋭い金の瞳。こめかみから覗く、小さな竜角。


竜人のギルドマスター――ユーリウス・ドラクヴァルト。『剣の英雄』と讃えられ、同時に『冷酷な竜人将軍』と恐れられる男。


「……次に騒いだ奴は、地面に埋める」


低い声。それだけで、絡んでいた冒険者たちが凍りつく。


(うわ、噂通り怖い……あれが冷酷な竜人将軍)


そう思った矢先だった。


睨みを利かせたその大男が、次の瞬間、なぜか屋台の蜂蜜飴を三つも握りしめていることに、私は気づいてしまった。


(って、あの人……屋台の蜂蜜飴を三つも握りしめてる。……甘いもの、好きなの?)


強面と、その手元のギャップに、思わず口元が緩む。


私は歩み寄り、名乗った。


「鑑定士ギルドのシャルロッテと申します。提携の件で――」


名乗りかけて、彼と目が合った。


その瞬間。


ユーリウスの金の瞳が、大きく揺れた。


彼の視線は、私の顔ではなく――胸元の、蜂蜜色の琥珀に、釘付けになっていた。


「……その名を」


低く、震える声。


「なぜ君が、持っている」


心臓が、跳ねた。


(琥珀の中の文字――『ユーリ』。前世で愛した、あの人の名)


「……あなたは」


声が、掠れる。


ユーリウスの手から、蜂蜜飴が一つ、床に落ちた。


「まさか……」


彼は、震える指先で琥珀を指した。


「その琥珀……その名を刻んだのは、俺だ」


(二つの魂が、琥珀を通じて――静かに、共鳴しはじめる)


頭の奥で、遠い記憶の欠片が疼いた。


病床の白い天井。握りしめた誰かの手。「必ず見つける」と誓った、低くて優しい声。


――ああ。


この声を、私はずっと探していた。


***


私が去った後の、エルネスト伯爵家。


そこで起きていたことを、私は後に知ることになる。


――取引が、止まった。


私の鑑定保証を失った宝石を、誰も信用しなかった。「あの鑑定士がいないなら」と、商人たちは次々と手を引いた。


倉庫に積み上がった宝石の在庫は、価値を証明できないまま、暴落していく。


「なぜだ……なぜ取引が止まる!」


リカルドの怒声が、屋敷に響く。


「あの地味な仕事女が抜けただけで、なぜ在庫が暴落する!?」


彼は、最後まで理解していなかった。


家門の財が、彼が『地味な仕事女』と嘲った女の目によって、支えられていたことを。


そして、もう一つの破滅が、夜会で起きた。


ミレーヌ・カサンドルの、あの魔宝石。


真紅のドレスに輝く首飾りが――突然、不気味な光を放ちはじめたのだ。


「な、なに……? この首飾り、光って……熱い!」


魔力を吸い、限界を超えた呪具まがいの偽物は、その本性を現した。


閃光。そして、破裂。


「きゃああっ!」


飛び散った魔力が、周囲の貴族たちを巻き込み、損害を与える。


彼女が誇らしげに身につけていた『本物』は、はじめから偽物だった。


買い与えた者の思惑も、その危険性も、何ひとつ見抜けぬまま。


虚栄に酔った女の首元で、偽りの宝石は無残に砕け散った。


(本物を見抜く目を持たぬ者は、いつか、必ず――その報いを受けることになる)


***


王家主催の、宝石鑑評会。


国中の貴族が集う、公開の晴れ舞台。


その中央で、リカルド・エルネストは、真っ青になっていた。


彼が家門の威信をかけて出品した『高級宝石』。それが今、王家お抱えの鑑定によって――


「これは……偽物ですな」


公然と、そう断じられたのだ。


「そ、そんなはずは! これは家門の威信をかけた高級宝石だぞ!」


リカルドの声が裏返る。だが、真贋を見抜けなかったのは、他ならぬ彼自身だった。


ざわめきが、広間を満たす。エルネスト家の信用は、公開の場で、地に落ちた。


そのとき。


凛とした足音が、響いた。


私は――シャルロッテ・ド・ヴァリエールは、静かに登壇した。


「王家お抱え筆頭鑑定士、シャルロッテ・ド・ヴァリエールにございます」


リカルドが、目を見開く。


「お、お前……なぜここに……!」


私は、彼を見た。声を荒げることもなく、ただ静かに。


「リカルド様。一つだけ、申し上げます」


広間が、水を打ったように静まる。


「本物を見抜く目を持たない者は、本物の価値を手放すのです」


私は、胸元の琥珀に、そっと触れた。


「宝石も――人も」


リカルドの顔から、血の気が引いていく。


「……そんな。私は、なんてものを手放したんだ……」


今さら、彼は気づいたのだ。


自分が捨てたものが、どれほどの価値だったかを。


だが、遅い。


エルネスト家は鑑定契約を失い、爵位返上寸前まで没落する。私の言葉を、彼は破滅の淵で、何度も噛みしめることになるだろう。


観客席の隅で、テオドールが、涙ぐみながら私を見上げていた。


(あの若造め……ようやく気づいたか。だが、もう遅い)


静かな断罪は、これで終わり。


(――けれど、私の物語は、ここからが本当の始まりだった)


***


鑑評会の熱気が去った、静かな回廊。


月光が、石畳を白く染めていた。


「シャルロッテ」


振り返ると、ユーリウスが立っていた。


無骨な竜人の英雄。けれど今、その金の瞳には、隠しきれない切なさが揺れている。


「話してくれるか。……その琥珀のこと」


私は、頷いた。


「これは、前世で愛した人の名前。『ユーリ』と刻まれています。いつか同じ魂に再会するための、目印だと信じて――」


言葉が、詰まる。


ユーリウスが、ゆっくりと口を開いた。


「前世で、俺は……」


彼の声が、震えた。


「愛する彼女のために、自分の名を琥珀に封じ込めた。『必ず見つける』と、そう誓って」


心臓が、止まりそうになった。


「早世した、俺の名だ。ユーリ。それが――今の、ユーリウス」


琥珀が、淡く輝いた。


二つの世界を越えて、二つの魂が、確かに触れ合う。


病床で握りしめたあの手。かすれる声で交わした約束。ぜんぶ、思い出した。


「ずっと、探していた」


ユーリウスが、私の前に膝をついた。


強面の竜人将軍。荒くれ者を睨みで黙らせる英雄が、今、蜂蜜色の琥珀に、そっと口づける。


「今度こそ、君を独りにしない」


涙が、こぼれた。


前世で叶わなかった愛を。過労に潰され、報われなかった生を。


私は今、この異世界で、取り戻していた。


「はい……今度こそ、二人で」


私は、彼の頬にそっと手を添える。


無骨な竜人の耳が、みるみる赤く染まっていくのが、月光の下でもはっきりと見えた。


(……ふふ。やっぱり、あなたはあなたね)


月光の下、二つの魂は、ようやく再会を果たした。


***


それから、幾日か後のこと。


何気なく胸元の琥珀を陽にかざした私は、思わず息を呑んだ。


蜂蜜色の輝きの中。


『ユーリ』と刻まれた文字の隣に――いつのまにか、もう一文字が、増えていた。


見覚えのない、けれど、どこか懐かしい名前。


「ユーリウス……これ」


隣で蜂蜜菓子を頬張っていた彼が、琥珀を覗き込み、金の瞳を大きく見開く。


「……この名は」


二人とも、知らない名前。


けれど、琥珀は温かく脈打っていた。まるで――もう一つ、還ってくる魂があると告げるように。


(――だが、この夜、私たちはまだ気づいていなかった。琥珀の中の文字が、いつのまにか、もう一文字増えていたことに)


それは、二人の知らない――第三の魂の、名前だった。


私は、そっと琥珀を握りしめる。


蜂蜜色の光の中で、新しい物語が、静かに芽吹こうとしていた。


(続く、かもしれない小さな後日談へ)

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