プロローグ
――音が、遠い。
教室のざわめきは、すぐ隣にあるはずなのに、まるで別の世界の出来事みたいだった。
「ねえ、あれ見た?」
「マジでキモいよね」
小さな笑い声。
誰のことを言っているのかなんて、考えるまでもない。
白雪みおは、視線を落としたまま、何も聞こえていないふりをする。
それが一番楽だった。
関わらなければ、傷つくこともないから。
――そう思っていた。
放課後。
誰とも話さず、誰とも目を合わせず、足早に教室を出る。
家に帰っても、特にやることはない。
でも、一つだけ。
毎日、必ずやることがあった。
スマホを開く。
動画配信アプリ。
お気に入りに登録されたチャンネル。
――『トゥルース』
配信開始の時間は、いつも決まっている。
この時間になれば、あの人は必ずそこにいた。
「……トゥルたん、今日は何するのかな」
小さく呟く。
返事なんて、あるはずもないのに。
それでもいい。
あの配信を見ている時間だけは、
自分が“ここにいていい”って思えたから。
画面を見つめる。
待機画面は、変わらない。
――配信は、始まらない。
「……あれ」
時間を確認する。
間違っていない。
いつもなら、とっくに始まっているはずの時間。
コメント欄も、どこか落ち着かない。
『まだ?』
『今日休み?』
『トゥルたんどうした?』
少しずつ、不安の言葉が増えていく。
みおは、画面を見つめたまま動けなかった。
「……配信、ないの……?」
たったそれだけのことなのに、
胸の奥に、ぽっかりと穴が開いたみたいだった。
――次の日も。
――その次の日も。
配信は、始まらなかった。
「……どうして」
誰にも届かない声。
それでも、みおは毎日同じ時間にアプリを開く。
もう来ないかもしれないと分かっていても、
それをやめてしまったら、
本当に何もなくなってしまう気がしたから。
そして――
いつものように、何も期待せず開いた画面に。
『配信開始』
その文字が、突然現れた。
「……え?」
思わず、息を呑む。
震える指で、すぐに画面をタップする。
映し出されたのは――
見たこともない景色だった。
石造りの建物。
見慣れない服を着た人々。
まるで、物語の中みたいな世界。
『は?』
『どここれ』
『ロケ?』
『演出えぐ』
『トゥルたん帰ってきた!?』
コメントが一気に流れ出す。
でも、みおの目には、それが入らなかった。
ただ一つだけ。
画面の向こうにいる“その人”を見ていた。
「……ほんもの、だ」
理由なんて、分からない。
でも、分かる。
あの人は――
間違いなく、“そこにいる”。
そして。
画面の中で。
トゥルースが、口を開いた。
その瞬間。
みおの止まっていた時間が、動き出した。




