第4章:奇跡の料理、その前夜
カイ・シルヴァーストーン伯爵は約束通り、リズを全面的に支援した。彼が提供したのは、港の一角に佇む、今は使われていない古い食堂だった。埃をかぶり、寂れたその場所が、リズの新たな挑戦の舞台となる。
彼女がこの世界で再現しようとしている食文化、それは「寿司」。しかし、その道は困難を極めた。最大の課題は、寿司の三種の神器とも言える、シャリ、醤油、そしてわさびの代替品を見つけ出すことだった。
まず、シャリ。幸いにも、この領地では米によく似た穀物が栽培されていた。問題は、それを寿司飯に変えるための「酢」だ。
「酸っぱすぎる!」「これでは甘すぎてお菓子だわ…」「うっ、変な匂い…!」
リズは来る日も来る日も、食堂の厨房にこもって実験を繰り返した。様々な果実を絞り、穀物と混ぜて発酵させてみる。時には様子を見に来たカイに、眉をひそめられるような失敗作を味見させてしまうこともあった。しかし、彼女は諦めなかった。
そして数十回の試行錯誤の末、ついに答えにたどり着く。この領地特産の、糖度の高い白ブドウと、例の穀物を特定の比率で組み合わせ、じっくりと発酵させる。そうして完成した液体は、ツンとした刺激だけではない、まろやかな酸味と芳醇な旨味を併せ持っていた。リズはそれを、自らの名を冠して「リズ酢」と名付けた。熱々のご飯にリズ酢を混ぜ合わせると、食欲をそそる香りがふわりと立ち上る。完璧なシャリの誕生だった。
次は醤油。これもまた難題だったが、リズは前世の知識を頼りに活路を見出す。この世界にも、豆や麦を塩水に漬けて発酵させる保存食の文化は存在した。ただ、それは雑多なもので、調味料として洗練されてはいない。リズはその工程に介入した。温度管理を徹底し、麹菌に似た菌の繁殖を促し、数ヶ月かけてじっくりと熟成させる。
樽の蓋を開けた時、リズは勝利を確信した。鼻腔をくすぐったのは、塩気だけでなく、深いコクと香ばしさを伴う、まさしく醤油を彷彿とさせる香りだった。彼女はそれを「黒ソース」と呼ぶことにした。
最後のピースは、わさび。魚の生臭さを消し、味を引き締めるあの独特の辛味。リズは領内の山に分け入り、薬草に詳しい老人たちの話を聞いて回った。そしてついに、川辺の岩陰に自生する、とある薬草を発見する。その根は「スティングリーフ」と呼ばれ、少量かじっただけで鼻の奥にツンと抜けるような、鮮烈な刺激があった。これだ。これを丁寧にすりおろせば、最高の薬味になる。
三種の神器が揃った頃、リズの挑戦の噂は、港町の一部で囁かれるようになっていた。
ある日、一人の若者が食堂の扉を叩いた。日に焼けた肌に、ぶっきらぼうな顔つき。元漁師のマルコだった。
「あんたが、領主様が入れ込んでるっていう女か。あんたの魚の扱い方、俺の親父より、じいさんよりすげぇって評判だ。俺に、それを教えてくれ」
その目は、口調とは裏腹に真剣そのものだった。魚に対する純粋な敬意と探求心が、瞳の奥で燃えている。リズは彼の情熱を買い、調理助手として雇うことを決めた。
さらに、驚くべき客人がリズを訪ねてくる。
「リズ様! ようやくお会いできました!」
現れたのは、かつてアルトマイヤー公爵家でメイドとして働いていたソフィアだった。彼女はリズが追放されたと知るやいなや、自ら職を辞し、リズの行方をずっと探していたのだという。
「私が仕えるべき主は、あなた様だけです。どうか、ここでお手伝いさせてください!」
リズは驚きと感動で胸がいっぱいになった。絶望の中で全てを失ったと思っていたのに、自分を信じ、慕ってくれる人がいた。信頼できる仲間、マルコとソフィア。そして、最大の協力者であるカイ。
店の名は、シンプルに「海の幸 リズ」とした。未知の料理「SUSH」を提供する店の開店準備は、温かい絆に支えられ、着々と進んでいった。




