第3章:若き領主との、運命の出会い
ポルト・マーレは、豊漁に沸いていた。しかし、それは必ずしも喜ばしいことばかりではなかった。
「まただ…今日も港に魚が溢れている」
領主の執務室で、若き伯爵カイ・シルヴァーストーンは深くため息をついた。彼の領地は豊かな漁場に恵まれていたが、深刻な問題を抱えていた。魚が獲れすぎても、それを遠い王都まで鮮度を保ったまま輸送する技術がない。そのため、供給過多で魚価は暴落し、日持ちさせるための塩漬けや干物といった加工にも限度があった。結局、売れ残った多くの魚が、浜辺で廃棄されるのを待つばかりという有様だったのだ。
領民の生活を守るため、そして領地の財政を立て直すため、カイはこの状況をどうにか打開したいと頭を悩ませていた。
そんなある日の午後、カイは現状を自らの目で確かめるため、お忍びで市場を視察していた。そこで、彼は実に奇妙な光景を目にすることになる。
屈強な漁師たちが、一人の若い女性を取り囲んでいた。年の頃は二十歳前後。粗末な服を着てはいるが、その立ち姿にはどこか気品が漂っている。そして彼女は、漁師たちに信じられないようなことを教えていたのだ。
「違います! それでは魚の価値が落ちてしまうわ。もっと、こう…エラの付け根と尾びれの部分に刃を入れて、一気に血を抜かないと! そうすれば、身に臭みが回りません」
彼女――リズは、漁師が水揚げしたばかりの魚を手に取り、手慣れた様子でナイフを動かしてみせる。
「それから、すぐにエラと内臓を取り除いて、冷たい海水でよく洗うこと。真水はダメ。浸透圧で身が水っぽくなってしまいますから」
漁師たちは「女に何がわかる」と半信半疑の顔をしながらも、彼女の淀みない手際と、理路整然とした説明にただただ圧倒されている。
カイは強い興味を惹かれ、彼女に近づいて声をかけた。
「君は、何者だ? 漁師でもないのに、随分と魚の扱いに詳しいようだが」
突然声をかけられ、リズはびくりと肩を震わせた。目の前の男が、ただ者ではないことは一目でわかった。平民の衣服を纏ってはいるが、その佇まいや言葉遣いには隠しきれない威厳がある。貴族だとバレてはまずい。リズは咄嗟に警戒心を強めた。
しかし、男の瞳は真摯な光を宿していた。ただの好奇心ではない、何かを切実に求めるような色。その眼差しに、リズは警戒心を少しだけ解き、つい口を開いてしまった。
「……もったいない、と思っただけです。この町の魚は、どれも素晴らしい宝物なのに、その価値が半分も引き出されていない。この魚だって、死後硬直が始まる前に正しく処理すれば、驚くほど日持ちするようになります。そして、本当の美味しさを味わうことができるのです」
前世の知識が、堰を切ったように溢れ出てくる。リズはハッとして口を噤んだが、もう遅かった。
カイは彼女の言葉に、雷に打たれたような衝撃を受けていた。領地の最大の懸案事項である「海産物の有効活用」。その答えの鍵を、目の前の名も知らぬ女性が握っている。彼は、そう直感した。
「君の知識、試させてはくれないだろうか」
カイは言った。その声には、領主としての切実さが滲んでいた。
「もし君の言うことが本物なら、私は君を全面的に支援することを約束する。このカイ・シルヴァーストーンの名にかけて」
カイと名乗った男の言葉に、リズは息を呑んだ。シルヴァーストーン伯爵。このポルト・マーレを治める領主本人だったのだ。
その時、カイの脳裏に、数年前の記憶が微かに蘇っていた。王都の夜会で、些細なことで難癖をつけられ、理不尽な状況に追い込まれていた幼い少女がいた。自分はただ、その場をとりなしただけだったが、その時の少女の、気高く、決して屈しない瞳が忘れられなかった。
目の前にいるリズの、澄んだアメジスト色の瞳に、カイはあの時の少女の面影を見ていた。運命が、再び二人を引き合わせようとしていた。




