第10章:決別の言葉と、愛の誓い
レオナルドの信じがたい申し出に、リズの心は凪いでいた。かつては彼の些細な一言に一喜一憂していたのが、嘘のようだ。もはや、何の感情も揺さぶられない。
彼女は静かに顔を上げ、彼の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「王太子殿下。恐れながら申し上げます。私の名前は、リズ、と申します」
その声は、震えることなく、凛と響いた。
「エリザベスという女は、あなた様が冷たい雨の中に捨て去ったあの日、とうに死にました。そして、今の私は、誰かの許可を得て料理を作るのではありません。私自身の意志で、私の料理を心から楽しんでくださるお客様のために、このシャリを握っているのです」
リズの言葉に、レオナルドは虚を突かれたように目を見開く。彼女は、静かに続けた。
「私は今、とても幸せです。自分の力でこの店を切り盛りし、マルコやソフィアといった信頼できる仲間に囲まれ、そして何より、お客様の『美味しい』という笑顔を見ることができる。それは、あなた様の隣で、王太子妃として過ごした日々の中では、決して得ることのできなかった、本物の幸福なのです。ですから、もう二度と、私の前に現れないでください」
彼女の澄んだ瞳には、かつてのような怯えや不安の色はどこにもなかった。そこにあるのは、確固たる自信と、自らの人生を歩む者だけが持つ誇りの輝きだった。
レオナルドは、完全に変わってしまったリズの姿に呆然とし、一言も言い返すことができなかった。彼は初めて、自分がどれほど愚かで、取り返しのつかないものを失ってしまったのかを痛感した。すごすごと、敗者のように店を去っていく彼の背中は、ひどく小さく見えた。
その一部始終を、店の片隅のテーブルで見守っていた男がいた。ポルト・マーレからリズの様子を見に来ていた、カイだった。
彼は静かにリズの元へと歩み寄ると、その手を優しく取った。
「リズ、君は本当に強くなった。俺は、そんな君を誰よりも尊敬している。そして…心から愛している」
カイの真摯な声が、リズの心に温かく染み渡る。彼はリズの前にすっと跪くと、小さな箱を取り出した。中には、ポルト・マーレの海のように深く、澄んだ青い宝石がはめ込まれた指輪が輝いていた。
「俺の、シルヴァーストーン家の、そして俺の人生のパートナーになってほしい。俺と共に、未来を歩んでくれないか」
まっすぐな瞳で告げられた、プロポーズの言葉。リズの目から、大粒の涙が溢れ落ちた。それは悲しみでも悔しさでもない、幸福に満ちた温かい涙だった。
彼女は、人生で最高の笑顔を浮かべ、こくりと深く頷いた。その薬指に、カイの愛の誓いが優しく嵌められた。




