第1章:偽りの断罪、本物の絶望
【登場人物紹介】
◆エリザベス・フォン・アルトマイヤー(リズ)
主人公。元公爵令嬢で、ヴァイスラント王国の元王太子妃。生真面目な努力家だが、不器用な性格が災いし「プライドが高い」と誤解されがち。聖女ミアの陰謀で悪役に仕立て上げられ、離婚・追放される。絶望の最中、魚好きの日本人OLだった前世の記憶を取り戻し、港町「ポルト・マーレ」で寿司屋を開業。新たな人生を切り拓いていく。
◆カイ・シルヴァーストーン
ヒーロー。海に面した辺境領「ポルト・マーレ」を治める若き伯爵。冷静沈着で頭脳明晰、領民を深く愛する名君。領地の豊富な海産物を活かしきれずにいたが、リズの持つ革新的な知識と技術に未来を見出し、彼女の最大の協力者となる。過去にリズと浅からぬ因縁がある。
◆レオナルド・フォン・ヴァイスラント
リズの元夫である王太子。自己中心的で物事を深く考えない性格。聖女ミアに心酔し、リズの忠告を疎んじて一方的に断罪する。後にリズの成功を知り、浅はかにも復縁を画策するが…。
◆ミア・ローゼンベルク
平民出身の聖女。可憐で清純な容姿の裏に、強い独占欲と計算高さを隠し持っている。王太子の寵愛を独占するため、邪魔なリズを策略で陥れた張本人。
◆マルコ
リズの一番弟子となる、ポルト・マーレ出身の元漁師。口は悪いが無愛想なだけで、根は素直。魚への愛情と知識は誰にも負けない。リズの神がかった魚の扱い方に心酔し、弟子入りを志願する。
◆ソフィア
リズの店の給仕長。元アルトマイヤー公爵家のメイドで、誰よりもリズの真の人柄を理解し、慕っていた。リズの追放を知ると自ら職を辞して彼女を追い、店の看板娘としてリズを支える。
ヴァイスラント王国の王宮、その最も華麗で、最も冷酷な一室――断罪の間。天井で煌めく豪奢なシャンデリアの光が、床の大理石に落ちる人々の冷たい影をくっきりと映し出していた。
「エリザベス・フォン・アルトマイヤー! 貴様は我が妃でありながら、聖女ミアに深く嫉妬し、陰湿かつ執拗な嫌がらせを繰り返した! その罪、断じて許されるものではない!」
玉座の前、甲高い声で罪状を読み上げるのは、この国の王太子であり、私の夫であるはずのレオナルド・フォン・ヴァイスラント。その隣では、庇護欲を掻き立てるように震える聖女ミアが、大きな瞳に涙を浮かべていた。
(違う…! 私は、そんなことはしていない…!)
心の中でどれだけ叫んでも、私の声は唇から音になることを許されない。私がしたことは、ただ王太子妃としての務めを果たそうとしただけ。ミア様が夜会を勝手に抜け出し、王太子殿下と庭園で密会するのを諌めたこと。国の財政が逼迫しているにも関わらず、ミア様の聖女の力に頼りきった安易な政策に異を唱えたこと。その全ては、この国と、王家の未来を思っての行動だった。
しかし、私の真意は誰にも届かない。周囲に控える貴族たちは、まるで罪人を見るかのように冷ややかな視線を私に突き刺す。誰も助けてはくれない。唯一の希望だった実の父親、アルトマイヤー公爵までもが、苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「我が家の恥め。もはやお前を娘とは思わん」
その言葉が、私の心の最後の砦を打ち砕いた。
「よって、エリザベス! 貴様との婚約を破棄し、王太子妃の位を剥奪する! 同時に、アルトマイヤー家からも籍を抜き、平民として王都から追放処分と致す!」
レオナルドの宣言が、冷酷に響き渡る。王太子妃の地位も、公爵令嬢の身分も、家族も、名誉も。私がこれまで築き、守ろうとしてきた全てが、一瞬にして音を立てて崩れ去った。
レオナルドのたくましい腕の中にすがりつくミアが、勝ち誇ったように唇の端を吊り上げて微かに笑うのを、私は見逃さなかった。あの女が、全てを仕組んだのだ。
意識が朦朧とする中、私は衛兵に両脇を抱えられ、引きずられるようにして断罪の間を後にした。
外は、私の心を映したかのように冷たい雨が降りしきっていた。用意されたのは、罪人を運ぶような粗末な馬車。かつて「未来の国母」として祝福の声をかけてくれた民衆は、今や手のひらを返し、私に罵声を浴びせ、泥を投げつけた。額に当たった小石が、じわりと熱を持つ。けれど、心の痛みに比べれば、そんなものはどうでもよかった。
ゴトゴトと揺れる馬車の中で、心身ともに傷つききった私は、絶望のあまり意識を手放しかけた。その時だ。
――ブツン。
頭の中で何かが切れるような音がしたかと思うと、忘却の彼方にあったはずの膨大な記憶が、まるで堰を切った洪水のように流れ込んできた。
東京の喧騒、ガラス張りのオフィスビル。スーパーマーケットの鮮魚コーナーに並ぶ、光り輝く魚たち。小さなアパートのキッチンで、慣れない手つきでアジを三枚におろす、あの独特の感触。そして、家族と囲む温かい食卓に並んでいた、白く艶やかなシャリの上に、美しい魚の切り身が乗った、あの食べ物…。
(ああ、私……お寿司が、食べたい……)
無意識のうちに、乾いた唇からか細い言葉がこぼれ落ちた。それは、エリザベス・フォン・アルトマイヤーの絶望の悲鳴であり、名もなき日本人OLのささやかな願いであり、そして、新しい人生の産声でもあった。
長い揺れの果てに馬車が止まる。乱暴に扉が開けられ、外に突き飛ばされた。むせ返るような潮の香りが、鼻腔をくすぐる。目の前に広がっていたのは、活気と寂寥が入り混じる、辺境の港町。
絶望の終着点に見えたその場所――「ポルト・マーレ」が、私の本当の始まりの地となることを、この時の私はまだ知らなかった。




