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図書館物語  作者: 浅見はる
第三章 春の風
17/30

17.修ちゃんと隆三

 ミーティング室で行われていた吉田館長の説明が終わり、近藤さんがカウンターに戻ってきたので僕は事務室へと向かった。その時、すれ違ったパート達はみな硬い表情だった。帰り支度をして、僕が遅番の吉田館長や横田さんに挨拶をしてから職員専用の出口に出ると、田中副館長が立っていた。その横を、吉岡さんがお辞儀だけして無言で帰っていった。

 いつものような軽口を言えるような様子でもないので、田中副館長に挨拶だけをして通り過ぎようとすると「――あっ、長谷川君」と呼び止められた。

「ちょっと1杯だけでいいから付き合ってくれんかな」

 田中副館長は、酒を飲む仕草をしながら言った。

「あ……っ、はい。いいですよ」


 僕は、今日は付き合わないといけないな、と思いすぐに了解した。そして、二人で自転車に乗って10分程行った先の、老婦人の姉妹でやっている居酒屋『みゆき』に向かった。その間、田中副館長はいつものように、軽い口調で京子の事を根掘り葉掘り訊いてきた。


 自転車を店の脇に止めると、暖簾をくぐってカウンターだけの小ざっぱりした店の中に入った。

 僕たちが席に座ると、田中副館長は瓶ビールを頼んでから料理はお任せにした。この店はお任せにすると、一人2千円分の手料理を出してくれるのだが、好き嫌いが無ければお得なセットだ。ただ、好き嫌いの多い吉岡さんや横田さんが一緒に来ると、このセットは頼めない。


「悪いね、急に誘っちゃって」

「いえ……、いいですよ」

 そして、田中副館長は瓶ビールを女将から受け取ると、僕に注いでから自分の分を注いだ。そして、軽くグラスを合わせると、一気にビールを流し込んだ。僕は空いたグラスにビールを注ぎながら、彼のやるせなさを感じた。

「まあ、分かってた事だけどね」

「……はい」

「でも、パートさんも気の毒だけど、まさか僕もだとはね。予想以上に本気だったね、間野部長は」

「え……っ?」

「あっ、そうか。これは知らなかったか。来年度、僕は図書館では嘱託職員が出来ないみたいなんだ。吉田館長が掛け合ってくれてるみたいなんだけど……、何処かの公民館か学校の用務員くらいないかとね」

「そうでしたか」

「まぁ、正直うすうす気づいてたけどね、私も一応管理職だしタイミング悪いなってね。委託業務が始まっちゃうって事は、もめ事の元だから古株はなるべく減らしたいわけよ、……上はね」

 そう言うと、田中副館長は僕のグラスにビールを注いで、空いたビール瓶をカウンターの台の上に載せて「京ちゃん、もう1本頂戴」と女将に頼んだ。


「君は冷静な判断が出来る人間だと思うけど、吉岡さんが心配だね」

「そうですね……」

 僕は女将からビール瓶を受け取ると、田中副館長に「どうぞ」と言って、ビールを注いだ。

「そういや、俺と同じで間野部長も3月で終わりだな」

「そうでしたね」

「――あっ、そう言えば……」

「はい」

「君のお義父さんになるかも知れないから、余計な事かも知れないけど少し教えてあげようかな」

 そう言うと、田中副館長はグラスに入ったビールをぐいっと飲んだ。

「あ……っ、はい。お願いします」

「僕と間野は、小学校から大学までずっと同じ学校で一緒だったんだ」

「そうだったんですね。大学って埼玉大学でしたっけ?」

「そう、埼玉大学の教育学部。だから、なんか君と京子ちゃんの事も他人事とは思えなくてね。それで、しつこく訊いてたんだよ」

 そう言って、田中副館長は微笑んだ。

「ほんとに、しつこかったですよ」

 僕もそう言って微笑んだ。

「悪かったよ」

 そう言って、田中副館長は僕にビールを注いだ。


「役場の中で、あいつはどんどん出世しちゃうもんだから、最近はちょっと疎遠になってたけどね」

「そうなんですね」

「ただ年末に会った時には、お互い退職したら上も下も無くなるからのんびり旅行でも行くかって話してたんだよな。まぁ、あいつもあの時、今回の事も分かってたんだろうけど」

「そうでしたか」

「だから多分、あいつなりに苦しんだと思うんだ、今回の事はいろいろと」


 僕は、生涯学習部で吉田館長と業務委託についての話をした時の間野部長を思い出していた。

「まぁ、だから今回は黙って受け入れてやるつもりだよ。あいつには貸しだぞって言ってやるけどね」


 すると、居酒屋の木製の引違の扉が開いて冷たい風が入ってきた。

「ああ、いらっしゃい」

 女将が笑顔で入り口を見たので、釣られたように見ると、そこに立っていたのは間野部長だった。

「あっ、呼んでねえやつが来ちゃったわ。今日はもう敬語使わねえぞ」

 間野部長に気づくと、田中副館長が悪態をついた。

「ふっ、いいよ。修ちゃん」

 間野部長は笑いながら、田中副館長の隣の一番奥の席に座った。


「図書館に電話したら、吉田さんが二人で帰ったって言ったから、ここだろうなと思ってな」

 そう言って、僕と田中副館長を交互に見ると、間野部長は女将に「熱燗頂戴。お猪口は……」と言って僕を見たので「すいません、僕はビールで」と答えると「じゃあ、お猪口2個で」と言った。

「――俺も、ビールしか飲まねえぞ」

「まぁまぁ、今日は付き合えよ修ちゃん」

 そして、間野部長は出てきた熱燗を受け取ると、田中副館長にお猪口を持たせて「ほらっ」と燗酒を少し強引に注いでから、自分の分を注いだ。


「それで? なんのようだよ、隆三」

「修ちゃんと飲みたかっただけだよ」

「ふん」

 そう言って、田中副館長は横を向いた。

「そう、拗ねんなって。今、吉田さんと一生懸命探してんだから。紙芝居も出来るようにさ」

「俺の事はどうでもいいんだよ。可哀そうなのは、パートのおばちゃんたちだよ」

 田中副館長がそう言うと、間野部長は僕をちらっと見てから声を落として言った。

「それも、なんかいい方法ないか考えてるところだよ。今のパートさんの採用を委託業者の入札の条件にするとかね。でも長谷川君、これは内緒だからな」

 そう言って、間野部長は指で口を閉じる仕草をした。

「大丈夫だよ、この子は良く出来た子だわ。うちの子にも見習わせたいわ。大学卒業したかと思ったらぶらぶらしやがって」

「あはは、それ言っちゃあ達也君が可哀そうだぞ。東京の一流大学出てんだから」


「……ふん。この長谷川君はね、これからの鳴滝町の生涯学習行政を背負っていく人材なんだよ」

 そう言うと、田中副館長は僕の肩を軽く2回叩いた。

「ふふふ、そうか、そうか」

 間野部長は、田中副館長に微笑みながら相槌を打つと、僕を見て話した。

「ただね、長谷川君。今回の件もだけど、これから上に行けば行くほど、役場の都合ってのが分かってくる。修ちゃんみたいに、そういうのが煩わしいって組織から逃げちゃう人もいるけど、そういうのを忖度して調整したり、時には目をつむる事も必要になってくるからね」

「あ……っ。はい、分かりました」

 間野部長は僕の目を見てそう言ってから笑った。

「あはは、まだちょっと早かったか。難しい事言っちゃったね」

「まだ20代だぞ。彼にはまだ早いわ」

 田中副館長が、間野部長に燗酒を注ぎながらそう言うと「まぁ、そうだね」と言って、もう一度笑った。


「まぁ……長谷川君は、これから隆三と話す機会も増えるだろうから、その時に訊けばいいわ」

 田中副館長は、口元に笑みを浮かべながら意味ありげに呟いた。

「ん……? 何のことだい、修ちゃん」

 間野部長は、そう言って田中副館長に顔を近づけた。

「あ、ああ……、田中副館長は今日だいぶ酔っ払ってますね」

 僕が慌てて間に入ると、田中副館長は黙ってお猪口を口に運んだ。


「そう言えば、教育委員会でも話題になってたよ。長谷川君」

 間野部長は、思い出した様子で話を変えた。

「えっ、何がですか?」

「大村小学校の吉井君から報告があって、不登校児の件で解決するのにいろいろ協力したそうだね」

「大したことしてないですよ。たまたま図書館に来た男の子の話を聞いてあげただけです」

「いや、問題のある子供に心を開かせて、話を聞けるようにしただけでも、大したもんだ」

「いえ……」


「おっと、ちょっとトイレへ……」

 そう言って、間野部長は席を立った。僕は間野部長がトイレに入っていくのを見ながら、田中副館長に言った。

「それにしても、間野部長の様子は普段と全然違うんですね」

「そうだね。もう、俺は長い付き合いだから良く知ってるけどね。……まぁ、いい奴だわ、仕事から離れるとな」

「はい」

「あいつは昔から真面目な奴だったけど、頭が良くて要領もいいんだよな。だから、今じゃあ鳴滝町役場の中でも、町長、副町長入れてもトップファイブの一人だし、大したもんだよ。……でも、これでようやく昔のように、普通の関係に戻って付き合っていけると思うと楽しみだわ」

 田中副館長は、そう言うと穏やかに笑った。


「それに、今日は田中副館長を心配してわざわざ来て……」

 僕がそう言うと、田中副館長は即座に否定した。

「――とんでもない。今日の目的は俺じゃないわ。君に会いに来たんだよ」

「え……っ」

「俺としゃべりに来たんじゃないよ。長年の付き合いだから分かるわ。君を心配して来たんだよ。役場でも何かあったんだろ?」

「あ……っ、はい」


 そして、間野部長がトイレから出てくると、田中副館長が席を立って言った。

「さて、帰るかな。明日も仕事だ」

「そうだな」

 間野部長も頷いて言った。そして、この日の会計は、間野部長が出してくれた。

 木製の引違の扉を開けて暖簾をくぐって外に出ると、僕は間野部長にお礼を言って頭を下げた。

「分かってると思うけど、自転車に乗って帰っちゃダメだからな」

 間野部長は、そう言って田中副館長と僕を交互に見た。

「店出たら、急に上司面しやがって……、はい分かりました。間野部長様」

 田中副館長は、おどけた様子で言ってお辞儀をした。

 間野部長は、その様子を笑って見ながら、僕の近くに寄ってきてささやいた。

「なんか、個人的に話があるんだろ? そろそろ、うちに来なさい」

 そう言って優しく微笑むと、僕に背を向けて歩き出した。

 この時、田中副館長もその様子を見て嬉しそうに頷いた。


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