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図書館物語  作者: 浅見はる
第三章 春の風
15/30

15.業務委託

 青く晴れ渡った空の下、僕は自転車で図書館に向かっていた。この時期になると、図書館のある丘の上までの道中は赤く染まり、わざわざ遠方からこの景色を観るために来る人がいるくらい良い景色になる。

 

 朝、僕が出勤するとすぐに吉田館長からミーティング室に呼ばれた。

「昨日間野部長と話したら、次年度から町の施設を順次、民間の委託業者に変えていく予定らしくてね。図書館、公民館、歴史博物館を今のパート体制を止めて民間の委託にしていきたいらしいんだ」

 吉田館長は、周りを気にして小声で話した。

「図書館の委託については、実施している他の図書館でも賛否あるみたいですよ」

「運営の立場からだといろいろ問題はあるけど、役所からしたら概ね成功してるっていうイメージなんだよね。まあ……費用的にという事だけど」

「そうですね。安くなれば良いって考え方ですとそうなりますね」

「う、うん、まぁな。こないだ話した新図書館の計画もあるから、まだどうなるか分かんないけどね。それで、近々ヒヤリングあるかもしれないから、最近の情報を集めといてくれないか?」

「はい、分かりました」


 ――図書館業務の委託とは、図書館での日常業務であるカウンター、清掃、本の管理等を、部分的もしくは全体的に民間企業に外注化する事である。さらにその業務委託も含め、民間企業(またはNPO)に図書館運営の全般まで任せてしまう事を図書館の指定管理と言う。


 午後の休憩時間、僕は吉岡さんと食事しながら今朝の吉田館長とのやり取りを話していた。

「ダメに決まってんじゃんね」

 開口一番、吉岡さんは猛反対の様子だった。

「もう、そういう方向みたいだよ」

「でも……、パートさんどうするの? 最近採用してる人もいるし」

「そうだよね」



 その日の晩、僕は京子と隣町の杉戸町にあるイタリアンレストランで食事をしていた。

「この鯛のカルパッチョとってもおいしい。少し食べてみる?」

 京子は、自分のフォークの上にひと切れのカルパッチョにカラスミをつけて僕の口に近づけた。僕は口にそれを入れて食べた。

「うん、おいしい。旨味が出てる」

「ねっ」

「僕のも食べてみる?」

「いや……私モッツァレラチーズとトマト両方だめなの」

 彼女は申し訳なさそうに言った。この時、僕が頼んだのは『水牛のモッツァレラチーズと丸ごとトマトのカプレーゼ』という料理で、彼女にとっておそらく一番苦手な組み合わだった。


「そう言えば、僕たちの事間野さんに話したの?」

 食後に出てきた紅茶を二人で飲んでいた時、僕は京子に訊いた。

「まだ言ってないの。母さんが、父さんに先に匂わしといてあげるって言ってるから」

「そうか……。二人でいる時どこかでバッタリ会っちゃう前に、先に挨拶しておきたいな」

「びっくりするかな、お父さん」

 彼女は、そう言って楽しんでいるように微笑んだ。

「するだろうね。いきなり怒られたりしてね」

「大丈夫だよ。外ではムスっとしてるらしいけど家では違うから。特に私には甘いの」



 翌日、僕が遅番の午前10時に出勤すると図書館の空気がいつもと違っていた。

「びっくりしたわよ、彼女がスプーンに載せた料理をパクッて食べてさ、あれは相当進んでるわね。今年か来年中に、結婚まであるかも」

「へえ……」

 パートの浅田さんの興奮した様子で話す声が、階段まで聞こえてくる。小声で話そうとしているみたいだが丸聞こえだ。

「おはようございます」

 僕が馬場さんと浅田さんに挨拶をすると、浅田さんは慌てた様子で言葉を止めた。

「おっ、お、おはようございます」

 一瞬気まずい空気が流れた後に、馬場さんが近付いてきて、小声で「おめでとうございます」と言って満面に笑みを作った。

 その瞬間、僕は嫌な予感がして周りを見渡すと、他のパートも意味ありげに微笑んでいる。

「はあ、どうも」

 僕は、素っ気なく答えて事務室に入った。


 事務室のメンバーも、そわそわした空気が漂っていた。その中でも、特に落ち着きがない田中副館長が近づいてきて僕の耳元にささやいた。

「昨日、君たちが夕食を食べていたイタリアンレストランで浅田さんが家族で食事をしていたらしいんだ」

「あっ、……そうでしたか」

 僕は努めて冷静さを装って言った。その時、作業室から1階に上がる浅田さんと目が合い、彼女はぎこちなく笑いながら頭を軽く下げていった。

「君も隅に置けないね。スプーンでパクって……。ああー、うらやましい」

 そう言うと、田中副館長は意味ありげに微笑んでから事務室を出ていった。

 僕はめんどくさいのに見られたなと思い、気が重くなった。


 そして、昼の休憩時間に宅配弁当を食べてから事務室へ戻ると、吉田館長から声をかけられた。

「長谷川君、これから用事ある?」

「いえ、外のポスターを張替えようかなと思ってたくらいです」

「間野部長がさ……」

 吉田館長がその名前を出した瞬間、田中副館長の肩がピクッと反応した。吉田館長は田中副館長をちらっと見たが話を続けた。

「昨日の委託の件で、司書としての君の意見を訊きたいって言ってるから、一緒に役場へ行ってくれないか」

「いいですよ、行きます」


 僕はそう応えてから、持参する為の業務委託についての資料をまとめようとしていると、田中副館長がニヤニヤしながら近づいてきた。

「お父さんには、もう挨拶してるの?」

 この時、僕は聞こえてないふりをして無視をした。

「あの……」

 なおも、田中副館長は諦めないようだったので、僕は語気を強めて言った。

「何ですか? 今から役所に行かなくてはいけないんで」

「いや、……いい」

 すると、田中副館長はそう言って、すごすごと閉架書庫に入っていった。

 その様子を見ていた吉岡さんが、あきれた顔で言った。

「大変ね、一番見られたらいけない人に見られちゃったね。私なら黙っててあげたのにね」

「うん、そうだね」

 僕は苦笑いをしながら言った。

「でも、まだ挨拶してないなら早く言っとかないと。この調子だと間野部長の耳に入るのも時間の問題よ」

「そうだね……。さて準備するかな」

「がんばって、民間委託から死守してきてね」

 吉岡さんは右手でこぶしを作った。

「まだ、そこまでの話じゃないでしょ」

 そう言って僕は席を立った。


 吉田館長と僕は、間野部長のいる役場の生涯学習部に向っていた。鳴滝町役場は丘の上にある図書館から歩いて5分ほどの場所にあり、今から3年前に建て替えをした4階建ての真新しい建物だ。

「なんか図書館のみんなコソコソ言ってるけど、どうしたの?」

「実は、間野部長の娘さんと付き合い始めたんですけど、昨日浅田さんの家族に見られちゃって……」

「え……っ、そういうことか。でもよりにもよってだね」

 吉田館長は少し驚いた後に、微笑みながら言った。

「そうなんです」

 僕は、困った顔で話した。

「でも、まあ間野部長も今年で定年だし、良い事じゃないの?」

「そうですかね」

「私にも娘がいるけど、君なら安心だわ」

「いえ……そんな事は」

「それで、間野部長は知ってるの? この事」

「いえまだ……。昨日はその話をしてたんです。これからどうしようかって」

「ああ、そういう事か」

 吉田館長は、そう言って頷いた。


 そして、階段を上がり2階の廊下を進んだ一番奥にある生涯学習部と教育委員会のある部屋に入ると、間野部長は不在のようであった。

 吉田館長は毎日のように来ているので、慣れたように空いた席に座り、近くにいた教育委員会の職員と談笑を始めた。僕は、普段それ程来ることもないので、落ち着かない様子で周りを見渡していると、吉田館長から席を勧められて座った。


 しばらくして、間野部長が市長室から出てきた。

「ごめん、ごめん。待たせたね」

 そして、間野部長は僕を見て言った。

「じゃあ、長谷川君の話を聞こうか」

 その様子から、まだ間野部長は、僕と彼の一人娘の京子が付き合っているとは夢にも思っていないだろうと思った。


 そして、生涯学習部の端にある二人用のソフアーには、僕と吉田館長が座り、対面にある一人用のソファー2脚には間野部長と生涯学習部の加藤課長が座った。

「それで、吉田館長からも聞いていると思うけど、今、鳴滝町の公共施設を将来的には指定管理にしていこうと検討していてね。先ず、業務委託を始めてみようと思ってるんだ」

「はい」

「それで、公民館は良いとして、図書館には司書、歴史博物館には学芸員と専門職員がいるから、その辺りの事を聞いておこうかと思ってね」

 間野部長の渋くて落ち着いた口調での話しぶりを聞きながら、先日京子が言っていた家での様子が思い出されて、心の中で笑っていた。まだ、この時はそんな余裕があった。


「業務委託だけなら、図書館のパートさんの賃金との比較では、メリットがないと思うんですけど……」

「――いや、正規職員5人とパート7人分だろ。正規は二人だけでいいと思うんだよな」

 間野部長の隣に座っている加藤課長が話をはさんだ。

「え……っ、パートさんだけじゃないんですか?」

 僕は、少し驚いた様子で言った。

「そういう事。だから、管理する人間が二人いればいいだろ。何かあった時は、生涯学習部から行けばいいんだし、ここから5分で行けるしね」

 加藤課長の話ぶりは高圧的だ。僕の隣に座っている吉田館長が、横目で心配そうに僕を見ている。

「管理するだけですか……。でも、鳴滝町の職員にも図書館の事を知っている人間は必要だと思うんです。今までも前任の家田さんから、僕が選書とか除籍の基準っていうか歴史を引き継いでますし。それを、全部民間に任せちゃうのは……」

「――それは、別に問題にならないでしょ。今ではシステム化されてるから、そんな事はデータでいくらでも残していけるし。君も若いんだからそんなこと分かってるだろ?」

「そんな事って……」

「それに、管理する職員も、一応いるんだから大丈夫だと思うんだけどな。まぁ、それも指定管理にして、全部民間に任せちゃおうってのが次の段階なんだけどね」

 加藤課長はそう言うと、意地の悪い笑みを僕に浮かべた。

「まぁまぁ、加藤さん。まだそこまで飛躍しない方がいい。決まった事じゃないから」

 吉田館長が、加藤課長をたしなめるように言った。

 

 間野部長は、先程から黙ったまま時折頷いている。

「はい、はい」

 加藤課長は、ふて腐れたように返事をした。

「あとは今、図書館がやっている学校図書室や、公民館図書室の所蔵図書の管理を、受託会社が引き継いでもらえるのかっていう事も問題になります。それを断られている公共図書館もあるって聞いてます」

「そんな細部の事は、今後でいいと思うけど、まあでも委託された会社にやらせりゃいいじゃん。生涯学習部で一旦受けてから、図書館に回してもいいし」

 加藤課長は、少しイライラした様子で話した。

「うん、分かった。ありがとうね、長谷川君。参考にする」

 黙って話を聞いていた間野部長が口を開いた。

「あっ、はい。では……」

 吉田館長は、間野部長に軽くお辞儀をして席を立った。

「さあ、行こう。長谷川君」

 そして、せかすように僕の肩に手を置いた。


 図書館に戻ると、吉田館長にミーティング室に呼ばれた。

「あれはさ、もう指定管理までやるのが内々で決まってるんだよな」

 吉田館長は、僕に気を使って優しい口調で話した。

「はい」

 僕も正直、あの様子からなんとなくそれは感じていた。

「だから、君の意見を聞くのも……、まあ形式的なもんなんだよ」

「……」

 僕は、黙って頷いた。

「ほんと、いやな世界だね。まあ納得できないだろうけど、そこは理解してね」

「すいませんでした」

 吉田館長は優しく微笑みながら「うん」と頷いた。


「どうだった?」

 事務室に戻ると、電話の受話器を置いて、吉岡さんがすぐに僕に訊いてきた。

「う……っ、うん」

 僕があいまいな様子で応えると、顔を曇らせながら彼女は言った。

「あら、あんまりいい話じゃないみたいね。今度じっくり聞くわ」

 そう言うと、彼女はまた電話をかけ始めた。


 鳴滝町立図書館は、これから大きく変わっていくことになる。僕はこの時、これから起こる事を考えると重い気持ちになっていた。


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