戦塵の残光
冒険者ギルド本部――応接室。
扉が重く閉まり、外界の喧噪が途切れる。室内の空気は静まり返っていたが、圧があった。まるで、目に見えない刃が張りつめているかのような、硬質な緊張が支配している。
Sランクパーティー《白銀の牙》の四人は、椅子に腰を下ろす。全員が火傷や裂傷の痕を残し、魔力の残滓を纏っていた。
机の奥に座る男が、重く目を上げる。
「……どうやら、ただの補填任務じゃ済まなかったようだな」
彼の名はラザン・ヴェルグロス。王都ギルドを統べるギルド長にして、かつて《戦塵の残光》の異名で恐れられた元SSランク冒険者である。
鋼のように鍛え上げられた大柄な体に、戦場で刻まれた無数の傷。黒いロングコートの背には、巨大な戦鎚《轟鎚グラディウス・レム》。蒼灰の眼光が、四人を一瞥するだけで、その場の空気が一段階冷たくなった。
「報告を聞こう。順を追って話せ」
ヴェルトが深く頷き、口を開く。
「元々の依頼は、森の入り口近くの獣道整備でした。ですが、現地でBランクモンスター《ブラッドホーン・ベア》に遭遇。それも、異常な魔力膨張状態。明らかに“魔力暴走”と見られる個体でした」
アゼルがその言葉に続いて、布に包んでいた薬瓶の破片を机の上に置いた。
「戦闘後、森の奥に異常があると判断。調査の結果、暴走状態の《ダスクフォング》と遭遇、交戦。撃破。その直後、魔族の一人と接触。名を“ゼオ・ラグナイル”と名乗っていました」
リーネが魔力のこもった視線をラザンに向ける。
「彼は、私たちを“実験のサンプル”と呼び、暴走薬を使って《ダスクフォング》を強化したうえ、自身にも薬を使用しました」
カイルが静かに続けた。
「こっちが全力で叩いて、ようやく引きずり落とせるレベルです。最後は転移魔法で逃げられましたが、奴は“また来る”と言い残しました」
報告を終えると同時に、室内の空気が一段重くなる。
ラザンが無言のまま、薬瓶の破片を見つめていた。眼差しは深く、どこか過去の記憶を探るようでもある。
「……ゼオ・ラグナイル」
低くつぶやいたその名の後、ラザンは静かに席を立つ。
「ゼオという名に覚えはないが……」
彼はゆっくりと歩き出し、応接室の壁に掛けられた広域地図の前に立つ。
「十五年前の“帝都落とし”……あの時、魔族の幹部連中の中に、唯一“転移魔法”を使ったやつがいた。名は不明、だがあの逃げ際の魔力、残響……奴のものと似ている気がする」
「……帝都落としですか?」
リーネの問いに、ラザンはわずかに視線を動かして頷いた。
「ああ。十五年前、帝都の北側防衛線が突破された。魔族軍が市街地に侵攻し、住民被害は一万人を超えた。あの事件で帝都の半分が機能不全に陥った。後に“帝都落とし”と呼ばれた」
言葉を切り、指先で地図の東の森をなぞる。
「その戦いで生き残った幹部はごくわずか。だが、魔族はしぶとい。“ゼオ・ラグナイル”があの時の転移使いと同一だとすれば――」
振り返る。重く鋭い眼光が、白銀の牙に向けられる。
「放置できん。即時対応が必要だ」
そして深く息を吐きながら、ラザンは四人に向き直る。
「《白銀の牙》。今回の働き、十分だ。これにて補填任務は打ち切る。今後は王都ギルドの第一戦力として、正式に《魔族調査任務》に編成する」
その言葉に、ヴェルトの顔に一瞬、緊張と安堵が入り混じったような影がよぎった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらん。働きに応じた評価をする。それだけだ」
ラザンは再び席に戻り、背もたれに深く体を預ける。
「ゼオ・ラグナイルが個人で動いているとは思えん。背後に何かがいる。魔族の組織、あるいは実験機関のようなものか。こちらも情報網を動かして、奴らの痕跡を探る」
アゼルが小さく問いかける。
「魔族との戦争……再燃の可能性は?」
「まだ早い。ただ、今回は“遊び”の線が濃い。だが、奴らが“実験を終えた”段階で何かを起こすなら、そのタイミングは近い」
リーネがそっと目を伏せる。
「放っておけば……王都にも影響が及ぶ」
「そうだ。だからその前に叩き潰す」
ラザンの言葉は短く、だが確信に満ちていた。
「お前たちは今後も第一接触と戦闘を担ってもらうが、希望があれば情報部門とも連携させる。知識と力、両方が必要になるだろう」
ヴェルトが静かに頷いた。
「了解しました。俺たちの力、必要とされるなら全て使います。あいつを止めるために」
ラザンがふっと笑う。
それは短く、だが戦場を知る者にしかできない、静かな肯定の笑みだった。
「よし。これで話は終わりだ。あとは準備を進めておけ。状況次第では数日中に“再出動”になる」
応接室を出ようと立ち上がる四人に、ラザンが最後に言葉を投げかける。
「白銀の牙――お前たちの牙は、まだ折れてなどいない。むしろ今が、研ぎ澄まされた瞬間だと見える」
振り返ったヴェルトが、僅かに口元を引き締めて頷いた。
「その期待には、応えてみせます」
扉が閉まる音と共に、部屋に再び静寂が戻る。
残されたラザンは、地図に目を落としたままつぶやいた。
「ゼオ・ラグナイル……お前の遊戯、すでに“狩場”は決まっているぞ」
そして静かに、壁に掛けられた《轟鎚グラディウス・レム》に視線を走らせた――。
ギルドの応接室を出たあと、《白銀の牙》の四人は無言のまま廊下を歩いていた。
足音だけが床を打ち、背後で扉が静かに閉じる。
あれは終わりの音ではなく、“始まり”の音だった。
「……本当に、始まるんだな」
カイルがつぶやいた。
肩にかけた双剣がわずかに揺れ、その重みが言葉に乗る。
「魔族と再びやり合うなんてな。……もう、冗談じゃ済まねえよ」
アゼルの顔にも笑みはない。
「でも、避けられない。止めないと、誰かが犠牲になる」
リーネの言葉は静かで、けれど確かだった。
ヴェルトは皆を一瞥し、小さく頷く。
「それぞれ、備えよう。次に会う時には、迷いを捨てておけ」
四人は頷き、各々の道へと向かった。
訓練場。
陽が傾き、辺りを夕闇が包む。
その中で、ヴェルトは一人、木製の人型を相手に剣を振っていた。
大剣の一撃ごとに風が鳴り、硬い木が軋む。
リズムは正確、無駄はない。けれど、その動きには“焦り”があった。
(ゼオ……あいつの攻撃を止めきれなかった。あの笑みを……切り裂けなかった)
握った柄に力が入る。
次の瞬間──
「ずいぶん熱が入ってんな、リーダー」
カイルの声が飛ぶ。木の陰から姿を見せ、双剣を手にゆっくり歩いてくる。
「どうせなら、俺にも稽古つけてくれよ。戦いの中で鈍った反応、取り戻したくてな」
ヴェルトは短く頷き、再び構え直す。
それは、言葉よりずっと確かな応答だった。
遠く離れた神殿では、リーネが祈りの儀式を終えたところだった。
結界を張った小聖堂で、静かにロッドを持ち、精霊の加護を請う。
「まだ足りない……あの一撃から、誰も守れなかった。
でも、次は必ず」
祈りの最後に呟いた言葉は、誰にも聞かれなかったが、確かな決意だった。
そして──アゼルは、魔術場の一角にいた。
夜気を裂く風の中、彼は詠唱を重ねていた。
雷を帯びた魔法陣が、空中に浮かぶ。
先ほどゼオが使ったあの“紫電”を、再現しようとしていたのだ。
「……だめだ、魔力が暴れてる。制御しきれてない……」
アゼルは小さく舌打ちし、ロッドを地面に突き立てて深く息をついた。
額には汗。魔法陣は不安定に揺れ、すぐに霧散していく。
その目には、疲れよりも苛立ちが滲んでいた。
(ゼオの魔法は、即席で使えるレベルじゃない。あれは……相当練習してる)
(でも、それだけじゃない。普通の術じゃなかった。無理やりこじ開けるみたいな、危ない使い方だった)
ロッドを握り直し、彼はもう一度詠唱を始めた。
夜風に揺れる魔力の光が、静かに地面を照らす。
「まだまだ、だ……まだ、遠い……!」
雷の残滓が、地を這うようにアゼルの周囲を走った。
彼の訓練は、夜が更けても止むことはなかった。
一方で、リーネは神殿に足を運んでいた。
礼拝堂で一人祈る彼女の傍らには、無数の治癒符が並んでいる。
「守るために戦う……それが、私のやり方」
魔族の暴走が、これ以上広がる前に。
その願いは、強い祈りとともに空へと昇っていった。
同じ時刻、ギルド本部 地下区画。
王都の最深部にある機密保管区で、ラザン・ヴェルグロスは地図を睨んでいた。
「ゼオ・ラグナイル……」
低く名前を呼ぶ声に、応接室で聞いた余韻が混ざる。
思い出すのは、十五年前――“帝都落とし”。
あの時、帝都の防衛線を掻い潜り、短距離転移魔法を用いて要人を襲撃した魔族がいた。
正確には“いた、と報告された”。当時の生存者は少なく、記録も断片的だった。
背後から、情報部長のセラ・ミドラスが静かに近づく。
「……ゼオという名に覚えは?」
「ない。だが、転移魔術には既視感がある」
ラザンは指を地図の東部、かつて魔族の侵攻ルートだった地点に滑らせた。
「その時は倒したのですか?」
セラの問いに、ラザンは僅かに目を伏せる。
「……かなりの致命傷のはずだった。
右肺を潰し、心臓付近に魔鎚を叩き込んだ。……だが」
「生きていた」
「そうだ。あの傷で生き延びていたとすれば……奴は化け物だ」
二人の間に、重い沈黙が落ちた。
セラは次いで、一枚の報告書を差し出す。
「東部辺境、古い神殿跡近くで魔力異常の瞬間値を確認。
──転移魔法の反応と酷似しています」
「ゼオか、それとも……」
ラザンの蒼灰の目が静かに鋭さを増していく。
「このまま魔族の“実験”が拡大すれば、次は都市部が狙われる。
奴らのやり口は、常に“試してから殺す”。」
ラザンは、机から黒封の文書を取り出し、セラへと手渡した。
「《灰の手》に伝令を。
優先コードで《ゼロ・カウント》を発動させろ」
セラの表情が僅かに変わる。
「本当に、彼を動かすのですか?」
「ああ。あいつが動けば、魔族側も“戦争”だと気づく」
セラは深く頷くと、無言でその場を去っていった。
残されたラザンは、棚に立てかけられた大戦鎚《轟鎚グラディウス・レム》に手を添えた。
その表面に刻まれた無数の傷跡が、かつての戦火を物語っている。
「ゼオ……お前の遊びは、ここまでだ。
今度は、牙だけじゃなく――鎚も落ちる」
風のない部屋の中で、重たい覚悟の声だけが響いていた。
《灰の手(The Ash Hand)》の設定
分類: 王都冒険者ギルド直属の「秘匿部隊」または「特務班」
役割: 情報収集、暗殺、隠密任務、重要人物の監視や護衛など。
特徴:公には存在しない扱い(ギルド内部でも知る者は少ない)
メンバーは高位ランク(A~S)または元冒険者の精鋭
ラザンの直属で動き、必要なら王都防衛や粛清任務も担当
通常の冒険者パーティーとは別枠。階級・任務体系も異なる
「ゼロ・カウント」発動時の実行部隊も務める
《ゼロ・カウント(Zero Count)》の設定
王都ギルドにのみ存在する最高機密の緊急対応コード。
その発動は「対象が王都、または国家規模の脅威となる可能性が高い」と判断された場合に限られる。
対象地域での完全な魔力監視の開始
指定エリアにおけるギルド主力戦力(Aランク以上)の優先配置
情報工作のための対外隠蔽・封鎖措置
必要に応じて、討伐ではなく「抹消」命令の発令も含まれる




