牙の矜持、森に吠える
補填任務なんて、誰も好きで受けるわけがない。
──王都北東の森、入口から徒歩十五分。地図にすら名前がない獣道の脇で、Sランクパーティー《白銀の牙》は、どうしようもなく地味な依頼に取り組んでいた。
「……はぁ。下草の伐採と、獣道の整備。マジで俺たち、何してんだ……?」
斥候役のカイルが、枝払い用の鉈をぶん、と振り上げて鬱蒼とした低木を切り払う。背中に帯刀した二本の短剣とは対照的に、その手つきは妙に雑だった。
「カイル、文句言っても道は広くならないわよ」
ヒーラーのリーネがロッドを杖にして立ちながら、冷たく言い放つ。
「そもそも、私たちが補填任務受けてるのは自業自得でしょ? 素材の回収ミスに依頼評価の低下、それにギルド信用の失墜──」
「もうその話やめろよ、分かってるって……」
「黙れ。集中しろ」
最後に口を開いたのは、リーダーのヴェルト。背中に巨大な黒鉄の大剣を背負い、鋭い目を森の奥へ向けていた。怒ってはいない。ただ、どこか張り詰めた声だった。
「気配がある。……風が止んだ」
「……え?」
リーネが眉をひそめた次の瞬間だった。
──ガサッ!
草むらを弾けるように飛び出してきたのは、全身を赤黒い毛で覆った獣。突き出した巨大な角、鋼鉄のように硬質な前肢、そして……唸り声と共に噴き上がる、息遣いの熱気。
「……あれ、ブラッドホーン・ベア!? こいつ、普段この辺には出ないはず……!」
魔術師のアゼルが即座に警戒態勢に入り、ロッドを構える。
「Bランクの中でも上位種だ。おかしい……なんでこんな場所に──ッ!」
言い切るより早く、獣が跳ねた。
大地が沈むほどの踏み込み。カイルが鋭く叫ぶ。
「来るぞ、前方一体! 速度速い!」
ヴェルトが大剣を振り抜く。刃が風を裂き、獣の一撃を正面から受け止めた。火花とともに重金属のような爪が弾ける。
「うおっ、硬い……!」
「アゼル!」
リーネの叫びに反応し、アゼルが即座に詠唱。
「《フレアランス》!」
火球が弾け、獣の体に直撃。毛が焦げ、獣が吼える。
「このまま押し切る!」
カイルが短剣を逆手に構え、側面から素早く突進。薄い喉元を目掛けて刃を突き立てた。
──ズブッ。
手応えはあった。だが、抵抗も異常だった。
「っ……こいつ、防御力上がってる!? 魔力、異常だぞ!」
「なに……?」
リーネが再びロッドを構え、全体バフの詠唱を開始。
「輝け、守護の光──《フィジカルブースト》《マジックアーマー》!」
ルーンが光り、淡く輝く魔法陣が味方を包む。
「押せる! 今ならいける!」
──そして数分後。
強敵だったが、相手はあくまでBランク。白銀の牙は、決してただの強者ではない。鍛え抜かれた連携と経験で、見事撃破に成功する。
だが、戦闘の余韻が消えない中、誰もが言葉少なに獣の死骸を見下ろしていた。
「なあ、なんでこんな場所に、こいつがいるんだ?」
カイルが、ぽつりとつぶやく。
「このあたり、Cランク以下の魔物しか出ないって報告だったよな? それも、ごく稀に中型が通るくらいで……」
「獣道整備の依頼だぞ。そもそも討伐じゃない」
アゼルも眉をしかめる。
「しかも、妙な魔力濃度だった。暴走寸前みたいな……」
「──気になる。森の奥に何かあるんじゃないか?」
リーダーのヴェルトが静かに言った。誰も反論しない。
「……行こう。補填任務の範囲外だが、これは放っておくべきじゃない」
「了解。行くなら抜かりなく」
各自が態勢を整え、再び森の奥へ。
数分後──。
木々の密度が増し、空が陰る。空気が変わった。
「魔力濃度が急激に上がってる」
リーネが小声で告げる。
「見て、あれ……」
カイルが先行しながら指差した先、巨大な獣が、明らかに様子がおかしい状態で暴れていた。
それは《ダスクフォング》──ギルド掲示板でも注意喚起されていた、暴走死体が発見されている個体群の一種。
「……おい。あれ、魔力暴走状態だ。通常のAランククラス、いや、それ以上か……」
ドグン、と大地が鳴る。
赤黒く浮き上がった血管、異常なまでに膨れ上がった筋肉、裂けた皮膚から噴き出す蒸気──まさに異常そのもの。
「来るぞ、全力で迎え撃て!」
ヴェルトの号令と共に、白銀の牙が陣形を整えた──。
その瞬間、獣の脚が地を穿った。
重たい轟音が木々の隙間に響き渡り、赤黒い魔力が空気を裂いた。
「来るッ!!」
ヴェルトの叫びとほぼ同時に、《ダスクフォング》が疾走する。
その巨体とは思えない速さだった。獣が空気を押しのけ、四足のまま一直線に迫ってくる。
「正面から来る気か!? クソ、速すぎ──!」
カイルが木陰から跳び下がり、短剣をクロスに構えるが、獣の突進はそれをも上回った。
「回避! アゼル、足元狙え!」
「了解、《フレイムスパイク》!」
アゼルの詠唱と共に、地面から一斉に火柱が立ち上がる。
だが、ダスクフォングは咆哮と共に魔力を爆発させ、それを踏み潰して突き抜けてきた。
「くっ……!」
ヴェルトが大剣を逆手に振り下ろし、獣の頭部を迎撃。
凄まじい衝撃。金属を叩き割るような音が森に響き、二つの巨体がぶつかり合う。
「重っ……! 押し返される……!」
「《シールドバリア》!」
リーネのロッドが光を放ち、ヴェルトの背中に防御の加護が重なる。
魔力の暴走で硬化した筋肉に、全力の斬撃が吸収される。
「普通にやってもダメだ……魔力の通り道を狙うしかない!」
「任せろ!」
カイルが回り込み、獣の脇腹に跳びかかる。
刃が交差し、赤黒く浮かんだ血管に深々と突き刺さる。
「通った!」
獣が咆哮し、暴れる。
尾の一振りで数メートルの木がへし折れ、飛び散る木片が弾丸のように飛び交った。
「アゼル!」
「こっちだ、《フォースブレイザー》ッ!」
紫炎が形成された魔法陣から、一条の熱線が射出される。
ダスクフォングの頭部に直撃し、爆音と共に血飛沫が舞った。
「今だ、押し切れ!」
ヴェルトの叫びに応え、四人の攻撃が集中する。
ヒーラーのリーネさえも《ホーリーバインド》を唱え、獣の脚に光の鎖を絡めて動きを止める。
──そして数分後。
《ダスクフォング》は地を穿ち、絶命した。
深く沈黙した森に、重く残る息遣い。
「……Aランクでもおかしくなかったな、今の」
「明らかに暴走してた。何が起こっているんだこの森で……」
「おい、誰かいるぞ」
カイルが目を細めて、獣の背後を指差す。
視線の先──巨木の影から、男が一人、現れた。
白銀の髪。奇妙な紫の装束。
人間離れした、左右非対称の瞳。そして、口元に浮かぶ薄笑い。
「お見事でしたよ。さすがSランクパーティー《白銀の牙》。この程度の実験個体なら、やっぱり話にならないですか」
「貴様、何者だ……?」
ヴェルトが剣を構え直すと、男は胸に手を当て、芝居がかった仕草で一礼した。
「自己紹介が遅れましたね。私の名は〈ゼオ・ラグナイル〉。この辺じゃ、そう──“魔族”と呼ばれている種族の一人ですよ」
「魔族……ッ」
アゼルが舌打ちする。だが、ゼオはまるでこちらを“見下ろす”ような視線で続けた。
「君たちの強さは、想定通りでした。ありがとうございます、非常に有益なデータが取れましたよ」
「……お前が、この魔力暴走の原因か」
「はい。そうです。この薬──」
ゼオが手の中から黒紫色の瓶を取り出し、軽く振る。
「この薬は《ベリタス・マギア》……ええ、とても優秀な子です。代償として“理性”を奪いますが、その分、爆発的な力をもたらしてくれるんですよ。──可愛いでしょう?」
「そんなものを……!」
リーネの声が震える。だがゼオは構わず踵を返し、森の奥へ歩き出す。
「そろそろ時間切れですね。じゃあ、またどこかで──」
「逃がすかよ!!」
ヴェルトが叫び、大剣を引き抜きながら駆け出した。
魔族――ゼオ・ラグナイルは、まるで遊びでも始めるように手をひらひらと振った。
「ふむ、じゃあ軽く様子を見させてもらいましょう。Sランクの実力ってやつを」
「遊び感覚かよ……ナメられたもんだな!」
ヴェルトが地を蹴る。大剣が半円を描き、ゼオの肩を狙って斬りかかる――が、
魔族は軽やかに身を反らせ、それをギリギリで回避する。
「おっと、鋭いですね。これだから人間は油断できない」
ゼオの指先から放たれた紫の雷撃が、ヴェルトを狙って走る。
しかしすぐさまアゼルの《マナバリア》が割り込み、攻撃を相殺。
「リーネ!」
「バフ展開、《聖なる加護》! 全員、防御強化!」
淡い金色の光が味方全体を包み込む。
直後、カイルが低い姿勢から飛び出し、ゼオの懐へ一気に踏み込んだ。
「さっきから余裕ぶってんじゃねえよ!」
二刀が連続で振るわれる。左右からの斬撃をゼオは片腕の魔力盾で受け止めるも、その反動でわずかに体勢が崩れる。
「……ふむ、数で押す戦法ですか。これは少しばかり、面倒になってきましたね」
「なら一つ、黙らせてやるよ! 《イグニス・レイ》!」
アゼルが詠唱を終え、ロッドの先から赤い熱線を放つ。
ゼオは咄嗟にバックステップし、地面に爆発が起こる。爆煙の中、ゼオの顔が苦笑に変わっていた。
「……なるほど。冗談抜きで厄介ですね。私も少し、本気を出させてもらいますよ」
ゼオが手を前にかざし、次の呪文を構える――しかし、その詠唱の途中で再びヴェルトが間合いを詰めた。
「甘ぇよ!」
大剣の一撃が、ゼオの詠唱を阻害する。
タイミングを見計らって、カイルの双剣が足元から切り上げ――
ゼオの服の裾が裂け、血が一筋飛んだ。
「……ッ、この私に……」
ゼオが初めて表情を歪めた。
「魔族だからって無敵じゃねぇ。俺たちはその程度で手を抜くような格じゃない!」
「……そうか。君たち、本当に“英雄候補”だったんですね」
ゼオは静かに立ち上がり、口元の笑みを消す。そして懐から、黒紫の薬瓶を取り出した。
「……ああ、もう結構です。実験は十分。あとはこのお薬を使って……“愉しませて”いただくだけですね」
ゼオの手が、自らの首筋に薬瓶を突き立てる。
「《ベリタス・マギア》。さて、これはどこまで私を高めてくれるかな──!」
次の瞬間、魔力が炸裂した。
赤紫の光がゼオの体から吹き出し、辺り一帯を震わせる。
空気が揺らぎ、木々が軋む。明らかに、今までとは異質の“力”が満ちる。
「まさか……自分に!? その薬をッ!」
「……来い、魔族!」
アゼルがロッドを構え、カイルが再び間合いを詰める。
リーネは息を呑みながら、新たな加護魔法の詠唱を開始。
そしてヴェルトが、地を踏み鳴らして吼えた。
「《白銀の牙》、全力戦闘態勢──開始だッ!!」




