ただの荷物持ち、追放される
「悪いな、ルーク。今日で《白銀の牙》を抜けてもらう」
焚き火のはぜる音が、ひどく耳に残った。
夕暮れが迫る森の中。風はなく、空気が濁った水のように重たい。
唐突な言葉だった。何の前触れもなかった。
けれどその瞬間、世界の色が変わった気がした。
「……どういうこと、ですか?」
絞り出すような声。聞き返しているのに、答えを知るのが怖かった。
言ったのは、魔術師アゼル。癖のある銀髪を後ろでまとめた男で、冷静沈着を絵に描いたような性格をしている。
「俺、《収納魔法・拡張型》を覚えたんだ。補給も運搬も、もう俺がやる。つまり、お前の《無限インベントリ》は……必要ないってわけだ」
そっけない。冷たい。
それはまるで、壊れた道具を処分するような口ぶりだった。
焚き火を囲んでいた五人のうち、ルーク以外の四人――アゼル、リーダーのヴェルト、斥候のカイル、回復役のリーネ――誰一人として目を合わせようとしなかった。
「おいおい、今さらだろ?」と、カイルが鼻で笑う。
「実際そうだよな。高ランクダンジョンの遠征中、お前に気を遣うの、正直しんどかったぜ。なんで荷物持ちのために俺らが死にかけなきゃなんねーんだか」
「カイル、それは言いすぎ……」
リーネが小さくたしなめたが、声に力はなく、ただ空気をやわらげようとしただけに過ぎなかった。
誰もがわかっていた。
これは既に、決まっていたことなのだと。
ルークは、最後の希望を込めてリーダーのヴェルトに目を向けた。
彼はルークを何度も庇ってくれた。仲間として扱ってくれた、唯一の人間だと――思っていた。
ヴェルトは目を伏せ、焚き火の赤に照らされた顔がかすかに陰る。
「悪い、ルーク。戦えないやつを守るのは負担だ。Sランク帯の依頼は、そういう余裕がある場所じゃない。……俺たちだけでやっていける」
それは、突き放すのではなく、ただ“諦め”を語る声だった。
けれど、その事実はルークの心に、突き刺さるような痛みを残した。
(やっぱり……みんな、そう思ってたんだ)
誰も否定してくれない。
誰も、「いてほしい」と言ってくれない。
僕のスキルは《無限インベントリ》。
戦えない補助職。
物を仕舞うだけの人間。
ただの荷物持ち――そう思われていた。
「……今まで、ありがとうございました」
それだけを絞り出す。
声が震えそうだったので、背を向けた。
誰も追いかけてこなかった。
誰も名前を呼ばなかった。
焚き火の音だけが、背中に残った。
◇ ◇ ◇
王都グランヴェルド。
冒険者ギルド・中央本部。
石畳の道に、冒険者たちの靴音が響く。
賑やかな声、金属がぶつかる音、掲示板の紙を剥がす音。
その喧騒の中を、ルーク・フレイアスは一人歩いていた。
(……ここに来たはいいけど)
(これから、どうしよう)
《白銀の牙》を追放された。
それは突然の、そして決定的な終わりだった。
Sランクパーティーに所属していたとはいえ、自分が前線に立ったことはない。
ダンジョンの深部に挑み、死線をくぐったのも、仲間がいたからだ。
(……ソロでやっていけるのか、僕に)
(戦闘経験は……正直、ほとんどない)
《無限インベントリ》というスキル。
物を出し入れするだけ。誰にでもできると思われていた。
だからずっと、荷物を持っていただけだった。
(……けど)
(もう、誰かの後ろに隠れていられない)
握った拳に力を込める。
ギルド本部の大扉をくぐると、ホールは想像以上に広く、眩しかった。
高天井から光が差し込み、冒険者たちの声がこだましている。
カウンターへ進み、受付の女性に声をかける。
「すみません。パーティーの脱退申請をしたいんですが……」
「はい、承ります。お名前を――」
女性職員は淡々と書類をめくり、ペンを走らせた。
だが次の瞬間、彼女の手が止まった。
「……ルーク・フレイアスさん……?」
目を丸くし、顔を上げた。
「えっ、あの、《白銀の牙》のルークさん、ですか!?」
「……はい。少し前まで、所属していました」
「えええっ!? 本物……!? え、うそ……っ」
受付嬢の金髪のポニーテールが跳ねる。
その名はリーナ・エステル。若手職員としてはかなり優秀と評判の人物だ。
「すごい……! わたし、あのパーティーずっと応援してたんです! 動画も記事も読んでて、物資の補給速度が神ってて……」
テンションが上がりすぎた自分に気づき、頬を押さえて赤くなる。
(やばい、憧れの人目の前にしてテンパりすぎ!)
けれど、ふと目の前のルークを見ると、どこか儚げな目をしていた。
「……脱退理由は……?」
「……追放です。“戦えない補助職は要らない”と、言われました」
その言葉は静かだったけれど、胸にくるものがあった。
(うそ……あの《白銀の牙》がそんな理由で……?)
リーナは思わず唇を噛んだ。
こんな人を追い出すなんて――信じられなかった。
「……スキルは《無限インベントリ》と記載されていますね」
「はい。一応、物の出し入れに関しては自信があります。ただ、それ以外は……」
そこまで言いかけて、ホールの空気がざわめいた。
ギルドの入り口が開いた。
「《鋼の翼》だ……!」
「Aランク、また昇格近いらしいぜ!」
数人の男女が堂々とホールを横切っていく。
全員が揃いの黒銀のマントを羽織り、その中心に立つ赤髪の青年が、ルークの姿を見つけた。
「おーい! そこのお前……お前、ルーク・フレイアスだろ?」
ルークは驚いて顔を上げる。思い出した――以前、合同討伐で同行したことがある。
「……はい。《鋼の翼》のアレッドさん、ですね」
「覚えててくれて光栄! あのときマジで助かったんだよな。インベントリの動きが完璧で。補給忘れたやつにも全部回してくれたし」
その隣で、片手を上げたのはパーティーの回復役・リクス。
「え、ルークさん? 本物? 合同戦のとき、隣で回復しながら感動してましたよ。あの動き、マジで神業でしたって!」
さらにもう一人、少女の声が割って入った。
「お、おひとりなんですか……?」
振り返れば、そこには細身の体にぴったりと合った軽装をまとい、ショートカットを揺らす少女――斥候のミリア・セランが立っていた。
彼女の頬はほんのり赤く染まり、声がわずかに上ずっている。
(うわ……やっぱり、かっこいい……! こんな至近距離で話すの、初めて……!)
心臓の鼓動が耳まで響く気がする。
ルークの目と、少しだけ目が合った瞬間、思わず視線を逸らしてしまった。
「ミリア、お前テンパりすぎ」
そう呆れたように笑ったのは、盾役のダリオだった。
だが、その直後――
「だったら……うちに来ませんか?」
アレッドが真正面から、まっすぐにルークへ声をかけた。
「うち、今補助系の人材を探してるんだ。戦闘は俺たちに任せてくれればいい。安心して動ける環境、約束するぜ?」
その言葉に、胸がぐらりと揺れた。
認めてもらえた。必要とされている――
ミリアも、意を決して声を上げる。
「ルークさん、あの……前のとき、すごく頼りになったっていうか、その……今度、一緒に、もう一度――」
(うわああ、なに言ってんの私!? まだ誘ってもないのに「一緒に」とか……でも……でも……!)
彼女の声はかすれて、言葉にはならなかった。
けれど、ルークはその真剣なまなざしに気づいていた。
「……ありがとうございます。でも……僕、戦えないんです。実際、戦闘の経験もほとんどありません。今の僕のままでは、また足を引っ張ってしまうと思います」
ミリアの胸がきゅっと締めつけられる。
(そんな……そんなことないのに……)
でも、ルークは真剣な顔をしていた。
その瞳に、無理をしてるわけでも卑屈になっているわけでもない、覚悟の色があった。
アレッドは目を細め、口角を上げた。
「……いい判断だな。ちゃんと自分で戦えるようになってから来たいってことだろ?」
ルークは静かにうなずいた。
アレッドは親指を立てる。
「気が変わったら、いつでも歓迎する。お前の居場所、うちにもあるぜ」
ミリアも、ひそかに小さくうなずいた。
(……待ってますから。次は、ちゃんと隣で戦えるように、なって……!)
そして《鋼の翼》のメンバーたちは、ホールの奥へと消えていった。
リーナはルークを見て、そっと微笑む。
「……なんだか、いろんな人に愛されてるんですね。ルークさんって」
「……そんなこと、ないですよ」
だけどその言葉を口にするとき、ルークの声はほんの少しだけ――あたたかかった。