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2 後悔する王子

 ユフィーナは出会ったときから、ちゃんと高貴な令嬢で、凛とした佇まいが美しかった。

 よく手入れをされた髪は金髪で、若草色の瞳は濁りを知らない澄んだ瞳をしていた。

 彼女とはすぐに打ち解け、仲良くなった。


 公爵令嬢の彼女は普段大きな口を開けて笑うなど絶対しない。だが、犬のアーニーと遊んでいるときだけはよく笑ってくれた。それはリュシアンだけが見ることはできる姿だった。


「あははっ! くすぐったいわ、アーニー!」


 アーニーにぺろぺろと顔を舐められ、笑う姿はとても可愛らしかった。

 そんなユフィーナはアーニーが亡くなったときは大粒の涙を零して泣いたのだった。年を重ねるごとに美しくなっていく少女が流す涙はキラキラと光ってとても綺麗だった。

 彼女の表情を見て胸が高鳴りとして初めてのときめきを覚えた。


 だが、彼女はそれからだんだんと表情が乏しくなっていく。

 笑っているのだが目の奥は笑っていない。どう見ても悲しんでいるのに涙を見せてくれない。

 自分にくらいは感情を見せて欲しかった。

 だからリュシアンは「僕の前だけでは泣いてもいいんだよ」と言った。だが、ユフィーナがリュシアンに涙を見せることはなかった。


 ユフィーナとの婚約が発表されると彼女が危険にさらされることが増えた。

 なにかあるたびにリュシアンはユフィーナの元へと駆けつけた。だが、いつも彼女には平気だと言われてしまう。

 頼ってほしいのに、頼ってももらえない。


 リュシアンが通う学園に転入生がやってきた。エミーリアは一年下にあたるのだが、ルチェール伯爵家の令嬢で、彼女は生徒会に入りたいと希望した。

 言葉遣いやマナーが悪く、周りの女子生徒らからたびたび注意されるところを見かけたが、無邪気に笑い、感情を露わに泣く様子はリュシアンの目を引いた。

 そしてすぐに、難しいことはできないとリュシアンに教えを乞う。


「ああ、ユフィもあんな風に感情を見せてくれたらいいのに」


 そして、エミーリアのように自分を頼ってくれればいいのに。


 そう思いつつ迎えた夜会。いつも通りファーストダンスはユフィーナと踊るつもりだった。


 だが「リュシアン先輩!」と甲高い声でエミーリアが近づいてきた。社交の場ではマナーが悪いのでやんわりと注意した。

 ユフィーナに悪いと思い、彼女の様子が心配でちらりと表情を盗み見ると彼女は今までになく驚いたような顔をしていた。


「ねぇ殿下、一曲目、私と踊ってくださいませ!」


 ファーストダンスはユフィーナと踊ると決めている。すぐに断らねば、そう思ったのに、彼女の感情が見られるかもという誘惑に負け、ついエミーリアが腕に巻き付いた状態でユフィーナにどうしよう、という顔を向けてしまった。


 彼女がいつものように笑い、落胆した。だが、次の瞬間、彼女の目から涙がゆっくりと零れ落ちたのだ。


「あ、ユフィ……」


 ものすごく驚いた。彼女の涙が見られたことに自然と笑みが浮かび上がる。

 何が彼女の琴線に触れたのだろうか。それを知りたくて「ありがとう、そうするよ」と言ってみた。

 すると彼女はぽろぽろと涙を流し始め、すぐに逃げるように会場から出て行った。


「ごめん、そういえば今日は足を痛めていたんだ。ダンスはまた今度」


 そう言ってすぐにユフィーナを追いかけた。

 化粧室に逃げ込まれ、それ以上は追うことができなかった。だが、彼女のすすり泣く声が聞こえてきて、リュシアンは歓喜した。


 もう一度彼女が感情を露わにする様子が見たいとリュシアンはあれこれ試すことにした。

 だが、その後彼女が亡くなる間際まで、彼女の笑顔も涙も見ることはできなかった。


 エミーリアのコロコロと変わる表情を見ていると、笑わない、泣きもしない、そんなユフィーナがつまらなく思えてくる。

 その頃から、王である父がメルローゼ公爵を鬱陶しいと表現するようになる。


 公爵から国庫予算の使い方でたびたび苦言を呈されることがあって、あまり好ましく思っていなさそうではあった。


「ユフィーナ嬢との婚約を発表した途端、強く出るようになってきた」


 そう言っている様子も聞いていた。

 父王はどちらかと言うと愚王の部類だろう。自分の代に変わったら国を建て直す必要があると思っていた。


「はっはっはっ! ようやくあいつを失脚できる! いや、失脚じゃない、処刑だ!」


 そう言って父王は喜んだ。

 ルチェール伯爵がメルローゼ公爵の帝国との繋がりを見つけたらしい。

 証拠となる密約の書かれた文書を見せられた。本当にメルローゼ公爵は帝国と繋がっているのだろうか。


「売国奴メルローゼの娘との婚約は破棄だ! 此度の手柄を上げたルチェール伯爵家の娘をお前の婚約者に据える!」


 そう言われてドキリとした。


 ユフィーナは何と言うだろうか。どう思うだろうか。騎士とともに屋敷へ向かうとユフィーナはもう逃げたあとだった。


「探せ! 遠くへは行っていないはずだ!」


 ユフィーナを自身の手で見つけたのはたまたまだった。

 公爵家の裏の墓地にある崖の下で、大きな岩がズズズと動く瞬間が見えた。


 父はメルローゼ公爵を失脚させようと躍起になっているように見えた。もしかしたら真実は別のところにあるかもしれない。きちんと調べてから判断すべきだと思っていた。

 彼女が自分に「助けて」と願い出るなら全力を尽くそう。そう思ったが、彼女の答えは非常に冷めたものだった。


「結構です。捕らえてくださいませ」


 その言葉に彼女への気持ちも冷めていった。

 彼女は捕まったあと、拷問を受けたあとでも表情を変えることはなかった。


 そしてユフィーナの処刑の日、王家からの立ち合いはリュシアンの役目だった。


 断頭台を前にして、ボロボロの囚人服を着て、傷だらけの顔と身体で、ぼさぼさに乱れた髪をしていても、彼女は凛と佇んでいた。

 怯える様子を一ミリも見せないその佇まいがなぜか非常に不調和で美しく見えた。


「最期になにか言いたいことは」

「リュシー、あなたのことが大好きだったわ。これだけは本当……」


 花が綻ぶような笑顔を向けられハッとした。昔に戻ったようなそんな心地がした。

 忘れていたときめきが呼び起された。


 そして、彼女の瞳から涙が零れ落ちる様がゆっくりと目に焼き付く。

 心臓が痛いほどにバクバクと音を立てる。


 すぐにユフィーナの腕を騎士が押さえつけ、断頭台の上に頭を乗せられていた。

 駄目だ。殺るな。そう思ったが、リュシアンの足が縫い付けられたようにその場から動かない。喉を取られたかのように、声が出ない。

 ただできるのは嫌な汗を流すことだけ。


 次の瞬間、彼女の首は落ちていた。



     ◇



 しばらく食事が喉を通らなかった。

 だが、ぼんやりと庭に咲くポピーの花を眺めていたとき。


 ――リュシー、アーニーはポピーが好きなのよ


 少女との思い出が蘇る。ハッとして、こんなことをしている場合ではない。

 今度はユフィーナの弟のジュストが処刑される。二十日後だ。

 急いで真実を確認せねば。そんな気にさせられた。


「──あははっ! そうなのよ。でもね、あははははっ! あっ、リュシアン様!?」


 王宮内で侍女と大きな声で談笑しながら歩くエミーリアに会う。彼女は会うなり、口を尖らせリュシアンに媚びる。


「せっかく婚約者になれたのに、全然お会いしてくださらなくて寂しいですぅ」

「悪いが忙しいんだ」


 彼女とこうしている時間すら惜しい。


「そんな、冷たい言い方をしなくても……」


 彼女はぽろぽろと涙を流し始めた。


「はあ、失礼」


 何も話す気が起きなくて、ため息を吐き、すぐにその場から立ち去った。


 エミーリアはたびたび婚約者としての時間を過ごしてほしいとリュシアンの元へとやってきた。だが、そんな暇はない。


 ユフィーナは「学園祭の準備で忙しいんだ」と言えば「頑張ってください」といつもの微笑みで返し、こちらから連絡するまで押しかけてくることなどなかったのに。


「はあ」


 ため息の数が増えていく。



 調べを進めるとたしかにメルローゼ公爵は帝国との繋がりがあった。だが、それは勢力均衡のためのもので、売国という事実は見つからなかった。

 ではあの証拠は一体何なのか。

 父には内密で騎士団長を使って調査を進めると、信じられない真実が発覚する。


 父が国庫に手を着け、一部貴族に金をバラまいて、派閥を広げていたのだ。表向きは父の私財を寄付しているように見えるような帳簿になっているが、出納を辿っていくと国庫に繋がる。

 一度父を疑い始めるとどんどんと埃が出る。

 メルローゼ公爵家に暗殺者を送り込んでいたのも父だった。公爵を失脚させるための脅しで公爵夫人まで殺害したのだ。

 騎士団長はたしかにその捜査の途中でメルローゼ公爵の帝国との繋がりを調べる方が優先だと国王から捜査を中断するよう指示されたと言った。


「ルチェール伯爵が持ってきた証拠というのはメルローゼ公爵が管理する予算の帳簿です。帝国のとある商人に金が流れているというものでした」


 写しは騎士団長が持っているというので、見せてもらった。それは父が貴族にバラまいていた金と一致した。


「冤罪じゃないか……」


 恐ろしい事実に驚愕した。

 ルチェール伯爵はメルローゼ公爵を陥れるための証拠を捏造した。それを国王が認めたのだ。


「リュシアン様。私ずっとお相手をしてくださらなくて寂しいです」


 泣きながらやってくるエミーリアを見るととても安っぽい女性に思えてくる。

 彼女はこんなふうに軽々しく涙を見せたりしない。コロコロと変わる表情が可愛いと思ったが、今度はそれがひどく粗悪なものに思えてくる。



 自分の父はまぎれもなく愚王だった。こんな愚王のせいで人が死んだ。

 大切な人が。

 死んでしまったのだ。


 もう彼女は返ってこない。もう二度と帰ってこないのだ。


「殿下! 処刑予定のジュストが脱獄したようです!」

「そうか……」

「今捜索を行っておりますが──」

「まだ十二歳の少年だ。何もできまい。放っておけ」



 それよりも一刻も早く彼女に謝罪をしにいきたい。あのときちゃんと守ってあげなかったことを謝りたい。


 騎士団長と相談し、此度の件は内密に処理することと決まった。

 全てを詳らか公表するということは王家の終焉を意味している。それはできない。


 リュシアンは脅すように父王に退位を迫った。


「あなたが退位しないというのであれば、全てを公表し、帝国の属国となります。そのときはあなたも僕も首がなくなるんでしょうね」


 そう脅せば父は大人しく隠居生活を送ることを選んだ。

 公爵家を断罪した事実が冤罪だったとは言えなかった。すでに犠牲が発生しているため、それを言えば国の権威が失墜する。

 証拠を捏造していたルチェール伯爵は国の管理の杜撰さを理由に大臣を失脚させたが、爵位をはく奪できるほどの事由にはならず、子爵に降格させることがせいぜいだった。


 もちろんエミーリアとの婚約は破棄をした。


「ユフィ、遅くなってごめん」


 彼女がここにいるかはわからないが、死罪で処刑された者の墓は用意できないため、リュシアンは別の墓に来ている。


 墓石にはアーニーと名前が彫ってある。ここ以外で彼女のことを弔える場所が思いつかなかったのだ。


「ユフィがここへ来ていないのなら、アーニー、君が彼女に伝えてくれ。本当にすまない、と……」


 リュシアンはポピーとジニアの花束を用意して祈りを捧げた。




「陛下、ユフィーナ嬢の部屋で陛下宛の手紙を発見しました」

「っ!」


 諸々の事情を知る騎士団長がリュシアンに手紙を差し出してきて、リュシアンは奪うように手を出した。


『親愛なるリュシーへ』と彼女の字で書かれた手紙。慌てて中身の便箋を取り出す。

 だが、その文章には大きくバツが描いてある。途中で書くのをやめたようだった。

 バツの下に書かれた手紙を読んでみる。


――――――――――――


 リュシー、これからはあなたのことを殿下と呼ばなければならないと言われたわ。

 話し方も変えなさいとも。

 もう気軽におしゃべりはできないみたい。

 少し寂しいけれど、あなたの隣に立つためだもの、私は頑張るわ。

 でも……結婚したら、またリュシーと呼んでもいいかな?

 それなら次にリュシーと呼ぶのは結婚式の日ね。今からとっても楽しみだわ。

 私、この手紙を書きながらニヤニヤ笑っているの。

 リュシーと想いを告げ合う日を夢見て。

 いつかあなたに直接言いたいわ。大好――――


――――――――――――


 そこで手紙は途切れていた。

 赤裸々に書いて恥ずかしくなったのだろうか。


 リュシアンは震える手で手紙を持ち、ぽたり、ぽたりと、手紙の文字を涙で滲ませた。


 彼女がリュシーと呼んでくれなくなったのは彼女の受ける王太子妃教育のせいだった。

 本当は彼女もリュシーと呼びたがってくれていた。

 次に呼ぶのは結婚式と書いてあるが、実際には彼女が処刑された日にリュシーと呼ばれた。

 そう、処刑された日に……。


 処刑された……?


 処刑されたのではない。処刑をしたのだ。

 ちゃんと調べれば真実に辿り着いた。メルローゼ公爵の冤罪を晴らすことだってできたはずだ。だが、リュシアンはそれをしなかった。

 助けることのできた罪もない命を見過ごしたのだ。


 そこまで考え、胃の奥から気持ちの悪いものが込み上げる。耐えられず、洗面室へと駆け込んだ。


 とんでもないことをしてしまった。彼女はもうこの世にいないのだ。

 殺したのは自分。

 後悔してももう遅い。


「ああ……ユフィ、ユフィ……ううっ、ユフィ……うああああああああああーっ!」

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