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3 レイチェル


「この時間でも外はまだ暑いわねぇ」

 十六時をすぎた七月の街は、日差しこそ多少落ち着いてきたものの、少し外を歩いただけで、じわりと汗がにじみ出してくる。

 ぼやく母のうしろを、凛音はゆっくりとついていった。

 クーラーのきいた部屋とは別世界のようで、頭がくらりとする。


 駅前近くを歩いていると、ふと、店先にゲームの筐体が置かれた小さな店が目に留まる。

(あのおもちゃ屋さん、シュウちゃんとよく行ったなぁ)


 凛音は、生まれた時からずっとこの街で暮らしている。

 見慣れた景色。代り映えのしない街並み。

 なのに、三日前までとは、違った景色に見える。

 そう、来栖リンネの記憶を取り戻す前までとは。


 この街にはたくさんの思い出が詰まっている。

 リンネは十歳で死んだ。リンネは一月生まれだったから、正確には、あと四ヶ月ちょっとで十一歳になるところだった。

まだ七年ぐらいしか生きていない凛音よりも、この街ですごした時間は長い。

 十年前に比べると、なくなった建物もあった。新しくできた建物もあった。

 懐かしさと同時に、さみしさがこみあげてくる。


(リンネがいなくなったあとも、シュウちゃんたちはずっと、この街で十年間すごしてきたんだ)

 生まれ変わりには成功したけど、その空白だけはどうしても埋められないのがもどかしい。


「あんた、顔色悪いわよ。大丈夫? 熱中症?」

 過去の記憶と今の自分の感情の間でゆらゆら揺られながらぼんやり歩いていたら、母が心配そうに覗き込んでくる。


「だ、大丈夫」

「そう? 買い物終わったら、どこかで休んでいきましょうか」


 間近に迫った母の顔が知らない他人のように思える日がくるとは思わなかった。

 凛音の母はごく一般的な日本人といった雰囲気で、肩の上で切り揃えられた髪も目も黒い。

 昔は可愛かったと父さんは言うけど、顔もわりと普通。失礼かもしれないけど、どこにでもいるようなおばさんだ。


 リンネのママは違う。

 リンネのママが生まれたのはスウェーデンで、白に近い金色の、綺麗な髪をしていた。

 目も透き通った青色で、女優さんのように整った顔立ちをしていた。

 日本語は上手だったけど、声は控えめで優しくて、微笑む顔は妖精みたいに可愛らしかった。


 パパは普通の日本人で、口ひげを生やしているせいで実年齢よりもおじさんに見えたけど、顔はカッコよかった。

 ママによく似たリンネは白金の髪と青い瞳で、どこからどう見ても日本人じゃなかったから、よく『ガイジン』とからかわれた。

 それをいつも助けてくれたのが、森倉愁だった。




 駅ビルの食品売り場で美味しそうなお菓子の詰め合わせを買うと、母は同じ建物の四階にあるカフェのような店に凛音を連れていった。

「ここね、この間お友達と来たんだけど、ケーキが美味しいのよ」


 ショーケースの中には、切り分けられたいくつものケーキが並べられていた。

 ホールケーキのように円形に並べられているそれらのケーキは、一切れずつが、家で食べるのよりも大きくて豪華だ。


 パスタのメニューも豊富みたいで、母はここで夕食をすませようと言っている。


「いらっしゃいませ」

 メイド服に似た制服を着た店員さんがやってきて、メニューと水を運んできてくれた。

 何気なく顔を見て、凛音は飛び上がりそうなほど驚く。

「レイチェル!?」


 店員さんは怪訝そうな表情を見せる。

「ええと……どちらさまでしたっけ?」

 化粧をして、髪も染めているみたいだけど、その声はまぎれもなく、リンネが知る佐城礼香(さじょうれいか)そのものだった。


「あ……えと、ごめんなさい。好きなアニメに出てくるキャラに似てたから……」

 とっさにごまかした凛音だが、適当についた嘘というわけではない。

 リンネが小学生だった頃に流行っていた、女の子が変身して戦うアニメで、オレンジの衣装を纏っていた女の子の名前がレイチェルだった。

 その子に似ているからという理由で、彼女は友達の間でレイチェルと呼ばれていた。


 ふ、と礼香が口元を緩める。

「マジョマジョマリン?」

「そ、そう……! そんな感じの!」

「懐かしいなぁ。今の小学生でも知ってるんだ」


 あんたそんなの見てたっけ? と言わんばかりの母の視線が痛い。

 よく考えたら、今の自分は男の子なのだ。男の子が十年前の女児向けアニメを知っているというのは、ちょっと、いやだいぶ変かもしれない。

 かぁ、と頬が熱くなるのを感じて、凛音は俯く。


「レイチェルに似てるって言われたの、久しぶりだわ。嬉しい。……あ、注文決まったら、呼んでくださいね」

 どうごまかそうかと冷や汗をかいていたところ、礼香はニコッと笑ってそう言い残すと、次に入ってきた客を案内するために行ってしまった。


「綺麗な子ね」

 母はそう呟いてから、メニュー表に視線を落とす。

「なに食べる? この、ホタテとベーコンのクリームソースパスタとかどう?」

「……うん、それでいいよ」

 適当に答えながら、こっそりと礼香の姿を盗み見る。


 ほんとだった。

 礼香は綺麗になっていた。

 睫毛も長くなっていたし、目元もキラキラして、大人の女の人みたいになっていた。

 髪も明らかに茶色くなっていた。


 昔の礼香の髪は真っ黒で、腰くらいまであるさらさらヘアで、リンネはそれがずっと羨ましかった記憶がある。


(……そっか、あれからもう十年たってるんだ)

 彼女が十歳だった頃のことを凛音は昨日のことのように思い出すことができるけど、彼女からすれば遠い過去のこと。

 姿形も心も、変わってしまっても仕方ない。むしろ当然だ。


 ――ねぇ、リンネって名前の友達のこと、覚えてる?


 礼香に聞いてみたかったけど、注文したパスタを運んできたのは別の店員さんで、礼香にもう一度話しかけることは叶わなかった。


 明日、愁に会いに行くのが、急に怖くなった。




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