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2 来栖リンネ


 8月29日夕方頃、神奈川の海水浴場で小学生が海に流されたと通報があり、心肺停止の状態で発見されました。病院に搬送されましたが、その後、死亡が確認されました。

 警察や消防によると、亡くなったのは来栖(くるす)リンネさん(10)。

 リンネさんは友達数人と海で遊びにきていたことで、警察が詳しい状況を調べています。


 


 インターネットで来栖リンネの名前を検索したら、あっさりと当時のニュースが出てきた。

 記事の日付は十年前の八月。

 凛音は来月八月で七歳になるところだから、事故からちょうど三年後に新しい生を受けたことになる。

 うん、ちょっと時間はかかったけど、ちゃんと計画通りじゃなかろうか。



 前世で、『リンネ』という自分の名前の由来が輪廻転生(りんねてんしょう)であると知った時、愁に言ったのだ。


『リンネが死んでも、また新しく生まれることができるんだよ! その時は、ぜったい、シュウちゃんにまた会いにくるね!』


 まさか、まだ小学生のうちに海での事故で死ぬことになるとは思っていなかったけど、約束は果たせたのだ。

 だからこれでいい、と今は思う。

(男の子になるのは想定外だったけど……)



「凛音ーっ! そろそろスマホ返してよ。お母さん、お友達に連絡しなきゃいけない用事があるんだけど」

 キッチンでなにか作業をしていた母がやってきて、リビングのソファに座り込んでいる凛音を覗き込んでくる。


「うん、ちょっと待ってて」

 凛音はあわてて検索履歴を消して、母に借りていたスマホを返す。


「おやつ用意したわよ。食べなさい」

「はぁい」

 目の前のテーブルに、ポテトチップスの乗った皿と、コーラの入ったコップが置かれる。

 どちらも、凛音の好物だ。


(リンネは、ポテトチップスよりもチョコレートの方が好きだったし、炭酸は飲めなかったけど)

 でも、市民プールで溺れて死にそうになったあの時にいきなり頭の中に流れ込んできた来栖リンネの記憶は、とても他人のものとは思えない。


 来栖リンネは実在した。

 自分の頭が勝手に作り出した妄想なんかじゃない。

 過去の死亡記事がそれを証明している。

 愁だって……多分、今も覚えている。


『すまん……昔の友達に、きみと同じ名前のやつがいてな』

 黒崎凛音という名前を聞いて動揺した様子の愁は、そう弁解してきた。


(あの人だって、まぎれもなくリンネの記憶の中で見た『シュウちゃん』だ)


 森倉愁(もりくらしゅう)

 リンネの、幼稚園からのお友達。

 リンネが好きだった人。

 たぶん、リンネが生まれ変わったことを、誰よりも喜んでくれるはずの人。


「明日、どこかに遊びにいく?」

 凛音に出したのと同じポテトチップスをかじりながら、ダイニングテーブルに座る母が控えめにたずねてきた。


「どこかって?」

 ソファーの上でうーんと伸びをしてから、凛音は答えた。

 さっき出されたおやつとジュースは半分くらい減っているけど、それ以上は手をつけられることなく放置されている。

 夏の午後のリビングには、誰も興味を示すことのないテレビ番組の音と、エアコンの稼働音だけが虚しく響いていた。


「公園……は暑いわよね。図書館とか?」

「プール! プールに行きたい!」

 ハッと思いついて勢いよく言うと、母は途端に顔をしかめる。


「やめなさいよ。この間、溺れたばっかりじゃない」

 凛音が溺れた時、一緒に来ていた母はトイレに行っていて凛音のそばから離れていた。

 そのことで父さんに怒られたから、母は凛音がプールに行こうとするのを嫌がっているのだろう。


「凛音、水から引き上げられた時は、息をしていなかったって言うじゃない。あの監視員のお兄さんがすぐに人工呼吸をしてくれなかったら、どうなっていたことか……」

 監視員のお兄さんとは愁のことだ。

 凛音が水に沈んだのを誰よりも早く察知した愁が水から凛音を引き上げて、救急処置までしてくれたらしい。


(そうだ……シュウちゃん、僕を助けてくれたんだ)

 じわりと、あたたかな感情が胸の奥からこみあげてくる。

 同時に、凛音はあることに気づいた。


「人工呼吸って……あの、口と口をくっつけるやつだよね? シュウちゃ……あのお兄さんと、キスしちゃったってこと!?」

「ばか! 救命措置よ。変なこと考えないの」

「ふーん……でも、あのお兄さんにお礼はしたいなぁ」

 この間はバタバタしていてゆっくり話もできなかったし、ちゃんとリンネのことを話したい。


「あら、それもそうね。電話して、明日出勤かどうか聞いてみるわ」

 母はその提案にはあっさりと乗ってくれた。


「やったー!」

「あ、でも、凛音が泳ぐのはダメよ。お仕事中だと邪魔になるかもしれないし、終わったあとにお話できないか電話で聞いてみるわ」

「えーっ。もう大丈夫なのにぃ!」

 一応念のため、すぐに病院に連れていかれたけど、検査の結果、異常は見つからなかった。

 なのに、あれから母はやたらと凛音に気を遣うようなそぶりを見せてくる。


「あんた……あの日からなにか変よ。ゲームもやらないでずっとぼんやりしてるし、お友達に誘われても出かけないし」


 変?

 まあそうかもしれない。

 いきなり自分であって自分じゃない記憶が頭の中に大量に入ってきたのだ。

 今はそれを少しずつ噛みしめるので精一杯だ。

(それに友達なら、シュウちゃんと遊びたい)


「気のせいだよ。お母さん、早く電話してよ」


 母にはこんなこと話せない。

 きっと信じてもらえない。


(リンネのママなら、別だけど)

 そういえば、来栖リンネだった頃のママは今、どうしているだろう。


 調べなければ。

 今すぐにでも飛び出していきたい気持ちをこらえて、母が市民プールに電話をかけるのを待つ。


 母は電話口で事情を話して、しばらく待たされたのち、愁に電話を替わってもらえることに成功したらしい。


「明日は監視員のバイトのあと予定が入ってて忙しいらしいけど、出勤前だったら少し時間をいただけるみたいよ。森倉くん……あのお兄さん、普段は大学生みたいね」

「へぇ、そうなんだ」

(大学生のシュウちゃんかぁ)

 なんだか不思議な感じだ。どんな勉強してるんだろ?


「あ、それなら今日のうちに手土産のお菓子買ってきた方がいいわね。凛音、出かけるわよ」

「ええ……? 今から?」



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