12話 文化祭で推し事 8
皇の赤いジャケットが、ふわっと私を包んだ。
好みすぎる顔が私を心配そうに見つめる。はぁ、かっこいい……目の消毒……。
「すみません。一瞬判断が鈍って、行動が遅れました。スタンガン、持っていたんですね」
そう言われて、私は後ろ手に、部屋にあるスタンガンを顕現させた。緋王様の四回目の主演作品である「サイコパス先生」を観た時に、緋王様が手にしていたスタンガンが欲しくてジャックに持ってこさせたものだ。推し活グッズとして飾っていたが、役に立ってよかった。
皇が、そっと、スタンガンを握る私の両手に触れた。私の両手は、わずかに震えていた。
「スタンガンの反動で神経が傷ついているかもしれません。保健室に行きましょう」
「いえ、これは、怒りで震えているだけで……」
「怒り……。ストレス、ですか……。
……あの。提案なのですが、抱きしめられることで、脳内物質であるオキシトシン、βエンドルフィンが分泌され、ストレスを軽減させることができるという研究結果があります。
もしよろしければ、僕で試してみませんか?」
……ん?
それは、つまり……ハグをしてくれるということか!?!?!?
推しに⁉ ハグ⁉ 握手、手をつなぐ……それだけでも並みのファンサを超えているのに、それ以上があっていいのか⁉ 推しに抱きしめられるなんて夢みたいなことが!!!!
でも……!
したい!!!!
「ぜひ……!」
「では……どうぞ」
皇が両腕を開いた。
心臓が、バクバクする。バクバクして息もままならないまま、恐る恐る、胸の中に吸い込まれた。
皇の腕が、ゆっくり私の背中に回る。
ぎゅっと、腕に力がこもった。
皇の胸が頬に当たる。皇の熱が、私を包んだ。
私は、体すべてが心臓になったように、激しく振動していた。バクバクする。うまく息ができない。脈拍計の数値がみるみる上がって、赤字に変わった。人間だったら死んでいたのかもしれない。
だが、たしかに皇の言う通り、ストレスがどんどんとなくなっていくのが分かった。皇のにおいを吸いこむたびに幸せな気持ちが脳からぶわっと染み出して、怒りで汚れた黒い部分を塗り替えていく。皇の熱が体に染み込んでいくたびに、ジャックに触られた気持ち悪い熱が上書きされていく。
じわじわと広がる幸せに、溶けてしまいそうだった。
「……あの人、キルコさんの名前を相性のようなもので呼んでいましたが、お知り合いですか?」
「昔から、しつこく言い寄ってくる人で……」
「あの人が言っていた、恋人関係ではないということですよね」
「違います。死んでもありえません」
「……よかった」
皇の腕に、きゅっと力がこもった。
「すみません。そんな相手と二人にしてしまって。怖かったですよね。もしかしたら恋人なのかもしれないと、一瞬考えてしまって……。
もう、他の男には、触らせませんから」
キュンっ!!
耳元で囁かれた萌えワードに、心臓を掴まれた!
顔見えないけど……いい。
というか、声、いい……! これまで顔ばかりで気付かなかった。新しい発見!! もう、推せないところがないっ!
あぁ、幸せ……。こんな幸せなことがあっていいのだろうか。大好きな推しに抱きしめられて、萌えワードを耳元で囁かれて……。
目のふちに、涙が滲んだ。
いつのまにかすべてのストレスがゼロになり、体も心も、幸せで埋め尽くされていた。
皇を推していてよかった。
心からそう思った。




