6 どうやら恋をしているらしい。
『意外と、味は普通だね』
私の作ったドロドロのスープを、夫様が飲んでいる。
離縁予定の筈なのに、何故、私に関わろうとするのでしょうか。
そんなに信用が。
「あの、もっとちゃんと食べるので」
『食事は別のままにするけれど、もう少し君を理解する為にも、一緒に時間を過ごしたい』
「いえ、それは」
『メイソンが言った事は忘れて欲しい、アレは君が愚か者、愚かな叡智の結晶だった場合を警戒しての事。けれどもメイソンは君を知らないし理解もしていない、僕は僕で君を理解して、君にも僕を理解した上で全てを選んで貰いたい』
「ですが私が前の様に」
『それは以前の君と』
どうして今、お腹が鳴るの、私のお腹。
「すみません」
『僕の食事の時間はもう少し先だし、見ていても良いかな?』
「嫌です、下品で、はしたない食べ方をするので」
『それが君の本来の姿なら、僕から興味を無くさせる為にも見せた方が良いと思うんだけど』
確かに、呆れられ飽きて貰うしか道が無い。
「分かりました」
炊事場で豪快に飲み干し、スプーンを使い掻き込んで、そのまま洗い物を始めた。
そして医師や僕に無理矢理押し付けられた果物は、豪快に適当に切り台に直置き、刃物を洗い終わってから齧り始めた。
『ふふ、平民だったのは本当みたいだね、手慣れてる』
「物珍しさは見慣れたら失われるモノです、どうか他の方をお探し下さい」
『なら子供や教育の事を話し合おう、そこで君が愚かな事を言い出せば諦める。けれど嘘はダメだ、賢くても真に話し合ってダメな場合も有る、だからこそ本当に思ってる事を話して欲しい』
何を悩んでいるのか、手元のリンゴを見つめ。
「あ、食べますか?」
『一口』
食べ掛けを食べさせる事も、食べ掛けを食べる事も、貴族はしない。
なのに彼女は僕に一口食べさせ、余りは何の躊躇いも無しに食べてしまった。
「こうした事は子供にはしませんし、させないつもりです、虫歯は大変な事ですから」
『前になった事は?』
「いえ、口移しで食事を与えられ無かったんだと思います、ただ周りは大騒ぎしてたので。今も、ちゃんと磨きます、食べ終わって少ししてから磨きます」
『大騒ぎって?』
「使用人の1人は顔が腫れて、死にました。多分、歯がボロボロだったので、そのせいだと今でも思ってます」
『ウチの医学書にまで手を出したの?』
「メアリーが、はい、平民や修道女になるにしても、知っておくべきだと」
『愚か者って、本質を理解していない者の事を言うんだと思ってる。けど君は少なくとも、歯磨きの本質は理解してると思うよ』
「読めば、誰でも分かるかと」
『僕は未だに信じて無い、虫歯で死ぬ可能性は理解してても、本当に死ぬかどうかは半信半疑だね』
「虫歯だけで死んだかどうかはハッキリして無いので分かりません、でも母親の遺体は見ました、見せられました、ふしだらに生きればこうなるんだと。鼻が腐り落ちて、母だと分かるまで随分と掛りました」
『その病気、何だと思う』
「梅毒ですね、特徴と、なりやすい職業が当てはまるので」
『でも父親も抱いたからこそ、君が出来たんだよね』
「移る前だったのか、私が知る限りでは鼻は無事でした」
『君はどうして死んだの?』
「多分結核だったと思います、咳をして吐血をして、酷く痩せていたので。倒れてから夫様が来た時、あの時に鏡を見て、鏡に映る自分を他人だと感じたんです。でも、思い出す切っ掛けでも有ったんだと思います、今みたいにガリガリでしたから」
『今は、前の父親にはどう思う』
「ココでなら捕まっているな、と、かなりの法令違反をしてましたから」
『具体的には?』
「労働時間、労働させる年齢も、暴力も見逃していたので。血の繋がりと家族は別物なのだと、今でも、良く分かりません」
『君と僕は今は家族だよ』
「すみません、私の心がこの体に宿らなければ、もっと平和で幸せにお過ごしになれた筈で。すみません、愚かで」
彼女に僕への好意が無いからこそ、なのか、こうした事を言われると胸が痛む。
顔で選んでしまった事は事実で。
こんな事を僕が言わせているも同然だ。
『すまない』
「いえ、元は私が原因ですから」
『いや、元は君の前世の父親が悪い、今の君は何も悪くない』
「夢だと思い、夢見心地のままに過ごすのは、流石にどうかと」
『夢を夢だと自覚する事は難しいと聞くよ』
「そんな風に見えてたって事ですよね」
『今となっては、良い意味でね、楽しそうな君を見るだけなら苦じゃなかったんだよ。君は凄く楽しそうで、幸せそうだった』
メイソンが心配したのも無理は無い、実際に彼女に面影を重ねて、良い面だけを享受しようとしていた。
なら妾で十分な筈が、手間を惜しんで正妻に据え、こうなってしまった。
「あの、差し出がましい事を申しますが、妾でも、愚か過ぎる者はどうかと」
『どう考えてその言葉が出たのかな』
「もしやり直して、せめて妾にと思ったのですが、ただそれでも正妻の方のご迷惑になってたでしょうから。そう、考え、差し出がま」
『愚か者がその結論には至れない、それに、その程度と思うなら僕も愚か者だと言う事になる。君と同じ様に、君を妾にすべきだったのかも知れないと、今考えていたからね』
「お気遣い頂かなくても虐げられた等とは申しませんので」
『そう逃げられると追い掛けてしまいたくなる、諦めて欲しいなら素直に僕の言う事を受け取って欲しい』
「すみません、善処させて頂きます」
『好きな物を食べて幸せそうにしている君が見たい』
「それは、流石に」
『ご実家は修道院入りに賛成してはいないんだよね、僕も反対だ、愚かさの償いに生きるのでは無く幸せになって欲しい。君は今もう既に、それだけの価値が有る、愚かさの精算は僕と一緒に行おう』
「夫様は優しくて有能でらっしゃいます、もっと賢い方と一緒になられて下さい、私には荷が勝ち過ぎます」
『追い掛けて欲しいの?』
「あ、いや、違くて」
《失礼します、メイソンですが》
『入らないでくれ、食事かな』
《はい》
『分かった、向かうから先に戻っていてくれ』
《はい、畏まりました》
「あの、すみません、追い掛けて欲しくは無いので、どうか私の愚かさの事は私に任せて下さい」
『嫌だ』
「ご自分の価値を」
『なら君は自分自身を正しく測れてるのかな』
あぁ、気が無い事が嫌で意地悪な物言いを。
いや、コレは正論でも有る。
「正確には、分かっては、いませんが」
『変わってから他と比べたり測る事もしていない。だから君には課題を出す、それまでは僕らの価値の事は無しだ、良いね?』
「善処、させて、頂きます」
暗い顔をして欲しくない、幸せそうに笑って欲しいだけなのに。
『僕は君が好ましいと思ってる、そこは理解して欲しい』
どんな表情か見るのが怖くて、言い捨ててしまった。
4つも上なのに、幼い事を。
「メアリー」
《はい、ご当主様がお好きなんですね》
「でも、不敬だわ、尊い方に不敬が過ぎる」
《そんな事を誰が仰いましたか》
「メイソンが」
《見誤る方の、と言うかしっかり見定めぬ者の言葉は無視して下さい。それにです、既に貴女は奥様です、セバスチャン様の妻なのですよ》
「抱かれれば飽きて」
《半々で御座いますね、何度か抱いて飽きる者も居るそうですが、同時に飽きぬ者も居る。ある種の賭けになりますので、奥の手にすべきかと》
「ぁあ、不敬だわ、罪深い事を」
《それは価値に見合わぬ者が考えるべき事、それとも見合う者にはなりたくないのでしたら、最悪は全力で課題をこなさなければ良いんです。先ずは縫い物を致しましょう、店頭に並べる品を揃えましょう、旦那様も応援してらっしゃいますよ》
「ぁあ、謝りに行か」
《お体をお戻しになってからです、このままでは旦那様が憤死してしまいます》
「本当に、そうなるのかしら」
《ご記憶に無い年では御座いましょうが、お母様もお父様も、とても可愛がってらっしゃったんですよ》
「そうして私が変な事を言い出して、分からず屋になって見放した」
《貴族だからこそ、仕方無くです、区別は大事ですから。貴族でなければ、優秀な兄弟ご姉妹が居なければ、きっと可愛がって下さった筈です》
でも、元も何もかもダメだったから。
「ごめんなさい」
《謝るより手を動かしましょう、償いの為にも》
夫様には正直にと、でも言えなかった事が有るのです。
本館で夫様の素敵なお顔が、素敵な女性に素敵に微笑んでいる事に、私は胸を痛めてしまった。
愚かで不釣り合いな自分なんかが、少しでも心を寄せてしまっている事に気付いてしまった、でも忘れるべきだと。
なのに、どうして、何故。
もしかして既に、愚かな私に影響されてしまった?
『どうしたら、真に大人の男になれるんだろうか』
ウチの上司様、警備隊南地区隊長、セバスチャン・アールバート騎士爵様。
一体何をほざ、言ってらっしゃるんでしょうか。
「ウムト、俺の耳が今、幻聴を聞いてしまった」
《あ、ケビン、俺も》
『真面目な相談なんだが』
お嫁様が病弱だからと、決して表に出さなかった人が。
今更、何故、今になって惚気け初めてるんでしょうか。
「何で今更惚気け始めたんでしょうか?」
《あ、初ケンカっすか》
『いやケンカはしていない』
《上司様、なら独身に惚気ける場合は対価が無いと》
『何で惚気けになるんだ』
「今まで好き過ぎて表にすら出さないんだ、と噂されてたんですし。とうとう、お嫁様自慢を我慢出来無くなったのかな、と。違うんですか?」
えー、ココで黙るって、お嫁様の寿命の問題なんでしょうかねコレ。
1回目は事故だって聞いてますけど、今回も。
《えっ、もしかしてお体の具合が》
『いや、いや、花嫁修業を真面目にし過ぎて弱ってはいるんだが。元気は元気だ、病の問題では無いから心配しないでくれ』
《じゃあなん、夜伽の事ですか、俺らじゃ無理ですよ童貞だし》
「えっ」
《え?》
『おい、お前は婚姻は未だだろうケビン』
「いや手とか口は有るでしょうよ?」
《無いっすよ?》
『お前は検疫行きだな』
「いや相手は許嫁で幼馴染みなんで、別に良いじゃないですか俺の事は」
《上司様、死ぬ程ケビンが羨ましいので検疫送りにして下さい》
『そうだな、話はそれからだ』
軽口がマジの検査に。
いや、陰性の筈だから別に良いんですけど。
「何で、マジで何で?」
《口で移っちゃったんじゃないっすかねぇ》
『まぁ、他のも咥え込んでたのは間違い無いだろうな』
「何で?」
《分かんないっすよ、俺童貞だし》
『婚姻前に性交渉をしないのは偉いぞウムト、1番に困るのは子供だからな』
美丈夫なのに真面目なんすよね、ウチの上司様。
王都の警備隊のバリキャリ、幹部候補生だから俺らを適当に扱っても良いのに、真面目。
数多の女性に言い寄られまくっても手を出さず、大事に隠してたお嫁様と、極秘結婚。
それからも表に出さず、お茶会にも出さないで。
この半年以上沈黙を貫いてたのに。
アレですか、あの話題はコレを察しての、フリ?
《気付いてたんですか?コイツの病気》
『いや、だが抜き打ち検査は大事なんでな、実行しただけだ』
「マジで、何なんですかね?」
『知らん、が、比べて良さを実感したかったか、1人しか経験出来無い事が嫌だったか。別れたくて、敢えてこんな事をしたのか』
「えー、まわりくどぃ」
『なら、お前は素直に別れられたのか』
「いや、けどでもぉ」
《えっ、こんな事が有っても別れないんすか?》
「いや事情による、もしかしたら強引に移されたのかもだし」
《なら言えし》
「それなぁ」
《あ、じゃあ相談はマジなんですよね、真の大人の男》
『お前は切り替えしが予測不能だな』
《良く言われます、で?》
『本気で内密に頼む』
「はい」
《ウッス》
『実はまだ、気持ちが全く通じていない』
モテモテな美丈夫が、またまたご冗談を。
お?
《えっ》
「マジっすか?」
『行き違いも有り、好意すら抱かれていない』
《しかも抱けてもいないんすか?》
あ、コレ、冗談半分だったのに。
『あぁ』
凄い、どんな人なんだろう。
《会ってみたいんすけど》
『何故』
「いやだって上司様に落ちない女が居るとか、有り得ないでしょう、きっとそれこそ行き違いなんじゃ?」
『勘違いしないで欲しいんだが、落とそうとして落とした事は。僕の場合は社交辞令としての言動しか、対外的には取っていない筈なんだが』
「そう紳士だからですよ、誰にでも平等に接して、全く気が無いと分かるからこそ追い掛ける」
《振り向いて欲しいのが殆どっぽいっすもんねぇ》
「あ、立場が逆転してるから良いんですかね?」
『いや、いや、それは無い、筈なんだが』
《もうそのままで良いんじゃないんすかね、それで振り向かれて飽きて離縁とか、逆に俺らが困るんで》
「まぁ、だよなぁ、また上司様の奪い合いが起きたらあぶれる男が増えますからねぇ」
《最近結婚式が増えましたもんねぇ、マジで》
『そうなのか?』
「まぁ、2年目が過ぎるのを待ってるらしいのも居るみたいですけど、親の圧力には敵わないでしょうね」
《でも何年も囲ってると存在を疑われるかもだし、先ずは俺らに会わせちゃうのはどうですか?》
「あ、俺の快気祝いをお願いしますよ、そしたら元気出ちゃうし、お薬の飲み忘れも無くなると思うんですよ」
『陰性結果が2度出たらだ』
《やったー、タダ飯だー、薬は俺が毎回確認してやるから安心したまえ》
「おう」
楽しみだなぁ、美丈夫上司の奥様。
お仕事用の口調が変わるフェチかも知れません。