2 どうやら無知らしい。
病弱だったから、と。
馬車に直ぐに戻れる様なデートコースを組んで頂いたんですが。
コレ完全に、私の様子見ですよね。
使えるか使えないか、有効か殺処分対象かの見極めデート。
でも、どう示せば。
「あの、何か粗相をしては困らせてしまいますので、お買い物だけで結構ですので」
え、何で僅かに驚いた顔をなさいますか。
『そこは補佐をする、先ずは何処に行きたいか教えて欲しい』
もう見極めが始まってますか。
「え、あ、では、本屋で」
やはり僕達は偽られていたのだろうか。
本を読む事を好まず、料理にも関心が無かった彼女が、料理本を。
しかも値段をしっかり計算し、間違いを指摘した。
少し前、屋敷の出入り業者の計算ミスを彼女が暗算だけで指摘したのは、どうやら本当らしい。
『家の本だけでは足りなかったかな』
「あ、いえ、他国の料理も知りたいなと思いまして。刺繡も、他国の技法ですので、家に同じ本は無いかと」
家の本棚の中身を全て把握しているのか。
本を読んでいたのはフリでは無く、本当に読んでいたのか。
『本に関しては遠慮は要らないよ、コレからも好きに買ってくれて構わない』
「いえ、結構しましたので。あの、無知で申し訳無いのですが、本をお借り出来る場所は無いでしょうか?」
自分を無知だと、しかも金の事を本気で心配しているらしい。
『図書館は貴族だけ、しかも貸し出し制限等が厳しいのだけれど。少し行ってみようか』
「はい」
本当に彼女は、誰なんだろうか。
『美術にも興味が有るんだね』
あ、いえ、違うんです。
展示されている絵画で何かが分かればな、と言うか分かるかな自分、と言った感じだったんですが。
一神教の絵は見た事が有る気がするんですけど。
他はもう、全く分からない。
誰ですかロッサ・フラウって、何、誰。
「あの、この、ロッサ・フラウ様とは」
『ぁあ、このフランスで、嘗てはフランク王国時代に持ち込まれた神話の1つらしい。彼女の本は何冊か出ていて、ココにも所蔵されている筈だよ』
「どの棚に有るんでしょう」
『神話の棚だね、行こうか』
「はい、ありがとうございます」
試されてる気がする。
暫くはガン見されて、警戒されてたし。
今も、本の扱いには気を付けてはいるけど、そのせいで手汗が凄い。
あ、本が痛んじゃうか。
『手袋なんて、どうしたんだい?』
「初めてで緊張してしまって、手汗が酷いので、本が傷んではいけないなと」
『あぁ、なら席へ行こう、滑り落としても傷んでしまうからね』
「はい」
それからザっと斜め読みしたんですけど、成り立ちの考察や、それこそ陰謀論まで様々な事が語られているのは良いんですが。
一般常識なのか、内容に神話の具体的な内容が書かれて無い。
『もう良いのかい?』
「その、神話の内容を知りたかったのですけど」
『ぁあ、なら違う古本屋に行って、それから休憩にしようか』
「あ、はい」
『待っていて、僕が戻してくるよ』
本を戻してくれて、馬車に乗る時もリードしてくれて。
気が利く優しい方なのかもと、一瞬だけ、勘違いしそうになったんですけど。
もしかして私、悪意無き天真爛漫なドジっ子だったのかも知れないんですよね。
ちょっとした事で凄く褒められるし、感心される。
しかも何をするにしても必ず監視役なの使用人が付いて回って、教える時は凄く嬉しそうに、丁寧に教えてくれて。
なのに私は殺されかけた、かも知れない。
最初は横恋慕での事故なのか、と、でも屋敷内には真面目で勤勉な者しかいないんです。
そうなるともう、私不要論、確定で良いのでは。
「あの、多分、以前の私は凄いご迷惑をお掛けしていたのかと、思うのですが」
『何か思い出したのかい?』
「私と、出掛けた事は?」
『いや、君は病弱だったからね、実は身内でのお茶会もまだなんだけれど。何か思い出したのかな』
少し様子が変わったのは、僕が本を返し終わってからの事だった。
馬車からの景色に飽きたのか、何かを考えているのか。
暫く一点を見つめ集中していたかと思えば、僕の顔を眺め。
そして視線を逸らす。
それを繰り返し。
「いえ、実家での事が殆どで、しかも朧気でして。ただ、無理に思い出すなと言って下さった事、初めて出掛けた事等から。多分私は、外に出すのが憚られる様な事をし続けていたのでは、と」
もし記憶が本当に戻っておらず、この正解に辿り着けたのなら、彼女は有用だ。
けれどもし、もし偽りなら。
そう偽った意味は。
『思い出した事を教えて欲しい、個室を案内させるから話して貰えるかな』
「はい、ですが期待なさらないで下さいね、本当にぼんやりと光景が頭に浮かぶ程度ですから」
『構わないよ』
叱られるか、無視か放置か。
ただ秘密の日記帳と周りの態度、それらを照らし合わせると、どう考えても私が悪い。
「実は日記帳を見付けたんです。実家で付けていたらしく、殆どは叱られたってだけで、でも夫様の周りは優しく親切で。なので、実家では理由が有って、疎まれていたのではと」
どちらかと言えば愚かで落ち着きの無い子だったのでは、と。
ただ日記帳の内容もカスカスで、コレは予測するしか無いんですが、多分私は本当に出来が悪い子の可能性が有る。
でも、なのに、何故彼は私を娶ったのか。
『それは、予測、憶測だけれど』
「叱られている場面、無視された場面だけ思い出せるんです。ただ内容が、声までは記録されていないので、私が悪いのか理不尽だったのかは、不明なままなんです」
ごめんなさい、嘘です。
私としては理不尽に怒られてると思ってたんです、全てにおいて、逆にそこで違和感に気付けたんです。
『正直に話してくれて構わない、多少なりとも調査はさせて貰ってるからね』
あ、前の私が何か言ってて知ってるのかも知れないんだ。
なら誤魔化す方が悪手だ、誠実さに欠けて信用を失う、もう無いだろうけど。
「すみません、私の気持ちは、どんな場面でも理不尽だとしか思って無かったんです。でも今は周りが褒めて下さるので、そうなると、私が変わったからなのかと。少し、1回だけ、私が変わったと誰かが言ってるのを立ち聞きしてしまったんです。私が不用意に動き回って、すみません、はしたない真似をしてしまいました」
あまりにも前の私の事を言ってくれないので、この手しか無かったんです。
『その日記帳を、読ませて貰うワケにはいかないだろうか』
「以前の私の偏った日記だと、ご理解頂けるなら」
もう確定ですよね、夫様、驚いてる感じですし。
『戻ってから、少しだけ服を買おう』
「あ、はい」
買って下さるんですか、こんな愚か者に。
あ、手切れ金代わりですかね。
『似合うね』
日記の事は一旦は端に置き、体力がどの程度保つかも気になったので、試しに仕立て屋へ来たのだけれど。
ココで確信した。
僕への好意は無い、そして完全に警戒されている。
あの天衣無縫を絵に描いた様な天真爛漫さは皆無、何でも似合うと適当に褒めると、不快感と警戒心を露わにした。
「適当を仰る理由は、何なのでしょうか」
悲しみの表情まで。
初めてだ、誰なんだ君は。
『すまない、少し誂っただけだよ』
「ぁあ、そうなんですね、ごめんなさい」
以前なら酷く機嫌を損ねて黙り込むか、泣きそうになるか。
本当に、頭を打っただけで、こうも変わるモノなのだろうか。
『コレとコレが、似合うと思うよ』
「ですよね、コレは幼な過ぎですし。コレはどうですか?」
好みまで違う。
派手で幼く可愛らしい服が好きだった筈が、寧ろ地味にすら思える服を選ぶ。
いや、コレも僕が試されているんだろうか。
だが、何故、何の目的で。
『少し、地味過ぎないだろうか』
「動くのに不便なんですよ、しかも本の読み方が下手なので、袖口の汚れが気になってしまって。コレなら、付け襟等で暫くは着回せますし、物足りなくなれば刺繡を。あ、刺繡を入れるのはココでお願いするんでしょうか?」
実用性すら無視して着飾るだけだったのが、どうしたらそうなるんだ。
《ココでも構いませんが、奥様がご自分で刺繡されたモノを身に着けるのは良く有る事ですよ》
『ぁあ、遠慮しないで僕に贈ってくれても良いんだよ、恥ずかしがらずに』
《そうですよ、贈り物だからこそ下手でも良いんです、刺繡入りのハンカチは旦那様への御守りでも有るんですから。恥ずかしがって贈らない方が、不仲を招いてしまいますよ》
「あ、すみません、直ぐにも選んでお渡しさせて下さい」
使用人の知り合いの店で助かった。
病弱で物を知らない恥ずかしがり屋の嫁の補佐を頼む、と伝えて貰ってはいたんだが、暫くはココで仕立てさせて貰おう。
『なら早速、帰って受け取らせて貰おうかな。服はこの3つで、合う付け襟や袖も何点か頼む。快気祝いだ、遠慮はいらないよ』
「はぃ、ありがとうございます」
恐縮した姿も初めてだ。
君は本当に、どうしてしまったんだ。
『浮かない顔だね』
服を買わせてしまった。
財政状況すら把握していないのに、普段着はまだしも、良いドレスまで。
「あの、物知らずで大変恐縮なのですが、着なくなった物はどの様に処分なさるのでしょうか」
また、驚いた顔を。
いよいよ隠さなくなってきましたが、それだけ以前の私はヤバかったって事ですよね。
それこそ殺処分を検討される程に。
『貸衣装屋に卸す事になるけれど、ウチの家に直接はお金は入らないよ、元は領民からのお金だからね。還付、還元、貸し出し賃金は全て貸衣装屋に行く事になる』
そんな制度どっちでも初耳感。
あー、私、物知らず過ぎですね。
今世でもですけど、前世も、結構な無知だったのでは。
有り得る。
だから何を知っても思い出す切っ掛けにならないのかも。
詰んだ。
もっと必死で勉強しないと、死んでしまう。