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佐々木迷宮-2 戦闘/お話屋

刃が迫る。切っ先が自分の方を向いたとき、時間が緩やかになった。


 迫る、迫る、迫る。白の線がはっきりと見えた瞬間その鋭さに硬直する。器用に躱かわすことなど当然できず、石の像のように後ろへ倒れていった。


 そして、




———————————————————————————————————サラ。




 剣は円弧を舞描(まいえが)く。


 自分を横切る一閃は——————


 すんでのところで———————


 衣服を掠め——————————


 少女の躯体(くたい)は扉の方へと————


 溢れる腕の群れを———————




————ちりん、




と。


 和やかな鈴の音を弾きながら撫で切った。




 扉が揺れる。まるで痙攣する動物のようだ。




『ヴァ……あ……』




 あの子の声が二重にも三重にも聞こえる。亀裂(きれつ)の入った扉はゆらゆらと輪郭(りんかく)をぼかしていき、霧のように消えていった。




「っはぁっ……っはぁっ……」




 体を縛っていたありとあらゆる呪縛が解かれてどっと息が漏れた。さっきまで俺は、あの子に身体を乗っ取られ……いや、人形にされつつあった。あの部屋に行くことが唯一の救いであるように思っていた。




「……」




 俺を助けてくれた少女がちらりと自分を見る。きりっとした目だった。まるで心の芯を見透かしているような。




「……助けて、くれたんだよな? ありがとう……」




 一息ついて感謝を伝える。しかし少女は黙ったまま視線を別の方向に向けた。




「っと……それ、刀?……すごい光ってるけど……」




 立ち上がって彼女の持つ日本刀らしきものに注目する。この暗い空間で唯一の光源だった。廊下の中のわすかな光を取り込んで、銀色の切っ先が一点の輝きを放っている。




「……」




 少女は何の返答もしない。そもそも聞こえているのだろうか。




「……あのー……」




 顔を覗き見ながら反応を確認するが、微動だにしていなかった。




「……聞こえてないのか……」




 それとも無視しているのかわからず不安になってしまった。




「……——————ん」




 数秒経って少女の眉がぴくりと動き、それに伴って声が漏れた。ようやく反応してもらった———と安堵して、




「来い!」


「え、ちょっと、うええええええ!?」




 突然自分の服を掴んで走り出した。




「ちょっとっ、浮かんでる、浮かんでるってぇ!?」




 身体が風になびく布のように浮かび上がっている。あまりに、あまりにも少女の腕力は強く、走力も尋常じゃない。まるでジェットコースターみたいだった。




 理解できないことばかりだ。家もおかしい、この暗さもおかしい、あの女の子も、あの部屋もおかしいし、会ったばかりのこの人もおかしい。おかしいこと尽くしだ。




 黒い影廊(かげろう)を駆けていた彼女は地面を擦りながら止まった。床にどんと降ろされるも、一先ひとまず深呼吸をする。




「どの道から来た?」




 上から問われて前を見る。




「……え?」




 見覚えのないルートだった。今までは左右に直角な曲がり角があったが、この道は真っすぐな状態から箒のように何又にもわかれている。




「わからない……こんな道知らない!」


「……囚われたか」




 彼女はその場で刀を真横に薙いだ。空気を切る音が反響して聞こえる。何をしてるんだと見上げると彼女は瞼を閉じていた。




「———こっちの方が弱い」




 再び担ぎ上げられる。




「ぐえっ」




 また走り出した。腐ったような空気が急速に肺に取り込まれていく。


 そのとき、ちらりと後ろの方を見てしまった。




「……は」




 壁が迫ってきている。しかもその面から、いくつもの波紋を広げて腕が生えている。明らかに自分たちを捕まえようとしていた。




「うあああ!?」


(うるさ)い。視るな」


「え、ああ……うわあああ!?」




 見ないようにと横を向いたら側面からも腕が生えてきている。一本一本が虫のようで、蛾の幼虫の群体を彷彿とさせた。




「眼を閉じていろ!」




 素直に従う。走る音、うじゃうじゃとうねるような音、肉を切る音が混ざり合って聞こえてくる。




「此処じゃない、此処じゃない、此処じゃない……」




 ぼそぼそと少女が呟いている。




『マッテ、マッテ、待って……』




 あの子の声も脳裏に響いてきた。声色に寂しいという感情が乗っていた。振り向きたくなる。




「聞くな」


「いたっ!?」




 少女が頭を叩いてきて軽い脳震盪(のうしんとう)が起きる。じんとした痺れが広がって、とりあえずは気が紛れた。


 そうして数分、少女に抱えられながらよくわからない不気味なモノから逃げているとブレーキをかけるように急停止した。




「此処か」


「なにが!?うわ来てる!?」


「眼を閉じろと言った」




 つい開眼して痛ましい光景を目にしてしまう。手の大群がすぐそこまで這って来ていた。一方で自分たちは何もない廊下の真ん中に立っている。




「止まっている場合じゃ———」




 最後まで言い切る前に少女はこの廊下の側面に当たる壁を切り開いた。一瞬壁紙が剥がれたのかと思ったがそこには別の空間が開かれていた。




「出るぞ」




 そのまま自分ごとその穴に飛び込んでいく。襲い掛かってくる腕が衣服に触れる寸前でその穴は閉じられた。




「ぐぅっ!?」




 下に転がり落ちていく。身体全体にズキズキとした痛みが連続して襲ってくる。




「ぐぇ……」




 なんとも阿保っぽい声。


 目を開けると一階の玄関だった。どうやら二階から落ちてきたらしい。




———たっ、たっ、たっ——————。




 階段の上の方から足音が聞こえる。誰かが降りてきているようだ。




「……あの子は?」




 周囲を見渡しても自分を抱えていた彼女の姿がない。段々と近づいてくる歩行音に再び恐怖する。逃げるために立ち上がろうとするも、腕や足に痛みが走ってそれどころではなかった。真っ暗な二階から影が見えてくる。一体何が来るのか。




「……あ」


「無事か」




 降りてきたのは助けてくれた少女だった。深く被った帽子の鍔から見える暗い目元がこちらを見下ろしている。




「……はは」




 笑うしかない。あの子を探そうと思ってよくわからないまま入って、結果俺が迷って逆に助けられてしまった。





 家の外に出て扉の前で座っていた。




「いって……助けてくれたのはありがとう。でも、なんで二階から投げ落としたんだ?」




 持参していた絆創膏を貼りながら隣で立っている少女に話しかける。




「……」


 無視してスマホをいじっていた。片手には鞘に収まった刀が。




「———もしもし」


 果てには電話しはじめた。強い口調で誰かと話しはじめる。




「話と違うぞ。例の奴はまだ来ていない」


 彼女もここに用があってきたのか。




 ……どうしてちらちらとこっちを見てくるんだろう。




「まさか」


 何がまさか、なんだろう。




「嘘を言うのも大概にしろ。こいつのどこが『屈強で逞しいやつ』だ」


「……ん?」




 屈強で逞しいやつ……だって?




「何を笑っている。急を要するからと聞いて来てみれば、悪戯のつもりか?」




 横目で見ていてもわかる。相当苛立っている。眉間に皺が寄ってきている……女の子のしていい顔じゃない。




「ともかく此処の状況は掴んだ。話の続きはそれからだ……はあ」


 液晶画面を強く押し付けて通話を切った。続いて深い溜息をする。




「お前」


「はい!?」


「名前は」


「近衛、槙、です」


 なぜ敬語。


「瀬古逸嘉は知っているな?」


「……知ってる、うん。だって瀬古さんに言われてここに……」 


 突然知ってる人の名前を出されて動揺したがなんとか返答した。


「お前もあの男にかどわかされたのか」


「かどわ……!?そんなわけないだろ、瀬古さんはただの親戚だ」


「なら騙されただけか」




 かどわかされたって、本当に何をやってる人なんだ……!?




「奴はなんと言ってお前をここに呼んだ?」


「……バイトだって。見たものを記事にしてくれって」


「物書きか?」


「物書き……いや、学校で新聞作ってるだけだ。そしたら俺の腕を買うって」


「言いくるめられたな」




 はっ、と言って笑われた。馬鹿にされた。




 ここまで話しててわかった。瀬古さんの言っていた助っ人っていうのは彼女のことだ。あまりにイメージとかけ離れていたから人目ひと目見ただけではわからなかった。どちらかといえば筋肉質な男性を予想していた。




「屈強で逞しいやつ……」


「なに?」




 ぎっと自分の顔を覗いてくる。咄嗟に一歩退く。




「いや、君のことだったんだなーって……」


「か細いおなごだとでも思っていたんだろう」




 彼女は俺の発言に苛立ってしまった。改めて下から上まで見る。か細いは言い過ぎだが……一般的な女子の体型だと思う。




「でも実際逞しかったし。凄く強かったじゃないか」




 彼女はあまり嬉しくなさそうにそっぽを向いて口をつぐんだ。




「怪我はしたけど……まあ助かったし。あのままだったらここから一生出られなかった」


「それはお前が弱いだけだろう」


「弱い……ええ?」


「こっちはお前を持ち出す手間が増えて余計な負担がかかった。屈強で逞しいやつと聞いて失望したのはこっちの方だ」


「……俺が逞しいやつ?」


「やつがそう言っていた」




 そんな馬鹿な……。




「君みたいに戦えるほど鍛えてないぞ……」


「ならどうして来た?」


「それはだから、瀬古さんにとにかく行ってくれって」




 再度深い息を吐く少女。




「……瀬古め。後で仕置きだな」




 そう言いながら刀を背負っていた布袋の中に閉まった。




「これからどうするんだ?」


「私はねむ……瀬古の元に戻る。お前も来るべきだろう」




 ……とりあえずは、彼女に従うのが無難だろうか。


 後ろの佐々木家を見やる。人に話しても信用されないことばかり見てしまった。一体瀬古さんは何のために俺をここに呼んだんだろうか……。




「……あ。そういえば、名前」




 助けてもらってばかりなのに彼女の名前を全然聞いていなかったことに気づく。




「君の名前は、なんて———」


「……え、名前……? その……」




 あれ。




 少女の様子が変わっている。帽子の鍔を両手で掴んで深く下げ、目元を隠している。どうにも顔を見られたくないようだった。




「……その……」




 明らかに今まで話していた少女ではなかった。声色もさっきと違って高く、そして震えている。どちらかといえば低めの声で男性のような話し方をしていた気がしたが、今はとても、おどおどしている。




「……て、」


「て?」




 ちらちらと鍔から目を覗かせてくる。若干涙目になっていた。




(てん)……」


「てん……名前が?」




 弱気な女の子は溜めるように頷いた。




「わたしは、天と、いい、ます」 




 彼女は、天と言うらしかった。





 電車に乗って約一時間。降りて三十分歩いて目的の場所に辿り着いた。




「……汚い」




 その建物は佐々木家と違って、見るからに人が住んでいるとは思えない様相をしていた。壁一面苔に藁に蔓にと、とにかく色んな植物が手入れされないまま生えていてこの家を覆っていた。




「ここが?」




 天は小さく頷く。




「瀬古さんの家」


「……」




 もう一度頷いた。




「人の住む場所じゃないだろ、ここ」


「……」




 反応なし。


 ……随分大人しくなったな。


 電車に乗ってる間、一言も発さずに向かい合う形で座っていた。その間、天はどこを見るでもなく帽子を深く被って俯いていたのだった。




「あ、ちょっと」




 天が廃墟にしか見えない小屋に入っていった。仕方なしに俺も後から着いていく。




 足を踏み入れた瞬間にがさっという音がする。下を見ると古びた新聞用紙が何枚も床にばらまかれていた。前を見れば薄暗さの中でもはっきりとわかるガラクタの数々。天井から肉眼でも見えてしまうほど大きな埃が落ちてきていた。




「げほっ……本当にこんなところに住んでるのか?」




 よく見れば割れた空き瓶なども転がっているため慎重に進んでいく。一方の天はどこに何が落ちているのかわかっているらしく、ごみを避けながら歩いていた。それなりに早く歩くので追いつくのも大変だった。




「瀬古さん、今戻った」




 扉の前で天は瀬古さんを呼んだ。隙間から光が漏れている。そして奥からがさがさと、慌ただしそうな物音がしていた。返答は無かったが天は気にせずに扉を開けた。




「あ」




 片づけされていない部屋の中央で阿呆そうな表情をしていた男性が立っていた。両手に厚く束ねられた書類を抱えて、何やら運び出そうとしている。




「……泥棒?」


「え、誰が?……僕が!?」




 周囲をきょろきょろとしてからその男性は驚く素振りを見せた。なんともわざとらしかった。




「と、冗談はさておき。おかえり天ちゃーん! 今日もいい仕事したみたいだねぇ。そして……ようやく会えたね、我が愛しのルーキー、近衛槙君!」




 その男は天にアイスを渡して頭を撫で、続いて俺を抱きしめようと両手を広げて近づいてきた。寸前で避ける。




「うおーっと……」




 男は滑るように転んだ。そして衣服についた埃を払うように立ち上がった。


 なんとも古風な恰好をしていた。短い茶髪に時代錯誤なまる眼鏡。暖色混じりの灰色の着物を纏っていた。




「まさか、瀬古さんですか?」




 恐る恐る聞いてみると男はにやりと笑った。




「そうとも! 僕こそがこの、『お話屋』を営むストーリーテラー、瀬古逸嘉だとも! みんなからは「せこーい、ツカさん」と呼ばれていてね、槙君もそのように呼んでくれたまえ!」


「瀬古さん、もう一本」




 天がアイスの棒を突き出している。瀬古さんは大人しくもう一本手渡した。天はもしゃもしゃと食べ始めた。なんだか餌付けしてるみたいだ。




 部屋を見渡す。足場のないくらい散らばった書類、骨とう品。傷の多いソファに本棚。仕事用らしいデスクの上には灰皿とまた書類の束……ほんのりとタバコの匂いがしていた。




「僕もたった今仕事から帰ってきたばかりでね、部屋も汚くて申し訳ない……とりま、そこに座りなさい。積もる話もあるだろう」




 ソファの上に無造作に置かれていた紙やら何やらがぼたぼたと落とされている。瀬古さんの振袖がまるで箒のようだ。掃かれてもソファ自体が汚いので座る気にはならなかった。




「積もる話……そう、ありすぎますよ。瀬古さん! あの家なんなんですか!? 綺麗な家だと思ったら小さい子に変なことさせられるし、襲われるしで……」


「待て! 待ちたまえ槙君。その話はかなり重大だ、最初から最後まで順序よーく話してくれ」


「え……あ、はい」




 顔近くに迫られて、脅されているようだった。どこか、逆らったらまずいような。大人しく始めから終わりまで答えることにした。


 佐々木の一軒家の外観、一階の探索、二階の雰囲気、終わりのない道、子供部屋、幼い少女、繰り返される遊び、道、道、迷宮、そして。




 俺を助けてくれた、天という少女。


 それら全てを頭の中で噛み砕きながら話した。




「素晴らしい」




 瀬古さんは目を輝かせてそう言った。




「なんて明快で迫力に満ちた体験談だろう……やはり君を選んで正解だった! だがしかし……話の中心が途中で天に入れ替わってしまっている。これは盲点だった。そのまま使ったら活劇だな」


「はあ……?」




 何を言っているのかわけがわからない。この人は俺の話を批評しているのか?あんなに苦しい思いをしたっていうのに、なんだか遊ばれたみたいでイライラしてくる。




「だが十分だ! いや、思った以上……最高の収穫だ、これで人手が増えるぞー!」


「瀬古さんちょっと待って。俺に説明してください! あれがなんだったのか、天ちゃんがなんであんなに強いのか……ていうかそもそも瀬古さんって何をしてるんですか!?」


瀬古さんはじっと俺の顔を見つめながら口を開く。


「僕の仕事の方から話すとしようか」




 年季の入ったデスクの前に座り、頬を拳に乗せて語り始めた。




 お話屋は文字通り、話を売る商売だ。誰に売るって?そりゃあ、その話を欲しがってる連中だよ。話のネタに困った噺家に怪談屋とか、あくどい会社様とか。話は話であるだけで物事を動かすからねえ。当然、色んな用途も出てくるわけだ。語り聞かせるだけに終わらず、二次的な効果も望むことが出来る。例え些細な小話であっても、広く浅く、されど根深く世間に浸透していくんだ。つまりは水面に広がる波紋のようなものなのさ。


 扱う話も様々だ。噂に浮気話に伝承に……槙君が回収した怪談話もそう。ありとあらゆる物語は一つ一つに価値がある。そしてその性質上、人類史が続く限り枯渇することがない。いい商材なんだ、つまり。だが本当に価値のある話っていうのは人に聞いただけじゃあ完成しない。自分の身で体験した事実でなければ奥行が出てこないんだよ。リアリティに欠けてしまって、とても商品としては扱えない。だから僕は、話を聞いては実際にその場に赴いてその真実を記録している。日本中を飛び回ってね。


 だが最近になって噂話や依頼が増えてきてねえ、身体一つではとても追いつけなくなった。とても困っていたんだが、そこで君の新聞記事を読む機会があったのさ。驚いたよ、文字をなぞるだけで脳に映像が流れてくるんだ。君の記事はほぼ映像作品みたいなものだ。是非うちの足として働いてもらいたいと思ってね。まずどれほどのものかと思ってあの家に向かわせたんだが……。




「……話を売る仕事」


「そう、話を売る仕事だ。君の見たものは嘘偽りのない、事実の世界だ。信じられないかもしれないが、君は表世界には決して出てこない暗闇の中の真実を見たわけだ」


 瀬古さんはニコニコしながら説明していた。




「んで、君に頼んだ仕事についてだ。あれはうちに調査依頼が入ってね。佐々木という性の家族が捨てた一軒家を調べてほしいというものだ。一度入れば二度と出てこれないというその怪談の真偽を確かめてほしくてね」


「二度と出てこれないって……わかってて呼んだんですか!?」




 瀬古さんは平然ととんでもないことを言ってきた。ずっとあそこに閉じ込められていたかもしれないのに、なんて人だ。




「そのために天ちゃんを助っ人として呼んだのさ。実際助かっただろ?」


「……」




 部屋の隅を見ると天がアイスの棒を口に咥えて自分を見ていた。




「天ちゃんはうちで用心棒として働いてくれてね。彼女の強さ、すぐ間近で見ただろう? 仕事柄危険なことも多いから、半年ほど前からうちで雇ってる。面倒を見てる……って言った方がいいかな?」


「屈強で逞しいやつって……」


「その通りだろう?」




 いや、いやいや。確かにそうだったけど。




「最初はそうは思いませんって……それに、天は一人で家に入っていったんですよ?」


「え?」


「え?」




 天の方を見るとそっぽを向いていた。




「……恥ずかしがり屋さんだからね!」




 瀬古さんの声が少し裏返ったのを聞き逃さなかった。




「本当に死ぬところだったんですよ……」


「……ごめんなさい……」


 天がぼそりと呟いた。




「……ところで、天はどうしてあんなに強かったんですか?」


「さあ? 会った時からこれくらい強かったよ」




 首を傾げるが、これもまたどこかわざとらしい。絶対理由を知っていそうだが……。


 ここで瀬古さんは両手を広げた。




「ま、これで晴れて槙君の就業試験は終わったわけだが……もちろん、合格点だ! ようこそ我がお話屋へ。今後ともよろし」


「普通に嫌ですけど」




 俺以外の時間が止まった。瀬古さんは満面の笑顔を浮かべながら停止している。天はやっぱりと言いたげな顔をしている。


いや、合格と言われても。




「……嫌?」


「はい」


「……え、楽しかったでしょ?」


「本当に楽しんでるように見えましたか?」


「そりゃあ……」




 大変冷や汗をかいていらっしゃる。この人は……言っては悪いけど、人の気持ちがわからないらしい。




「いやさ……でもさ。うちで働いたら、いいこと一杯あるよ? 例えば……成績が上がります」


「なぜに?」


「忍耐力が! 鍛えられます」


「そりゃあ、そうでしょうね」


「運動力も!」


「ブラック企業の謳い文句みたいになってますけど……」


ダメだ。この人の誘い文句に引っかかった俺の方が馬鹿だった。


「……ホントに来てくれない?」


「行かないです! とにかく、こういうのはもう勘弁なんで!」


 荷物を持って立ち上がる。瀬古さんが口惜しそうに手を伸ばすが無視した。


「じゃ、帰りますね! お世話になりました!」


「うああ……せ、せめて、うちのことは公にしないでくれえ……」




 最後の最後で保身か!


 酷い目にあった分の給料も請求しようかと思ったけど更に面倒ごとになりそうだからやめておいた。


 そのまま部屋を出て、廃屋紛いの事務所を後にした。




「もうあの人には関わらないぞ」




 連絡先をブロックして、夕方の道を歩いていった。





「ああ、なんて失態……残念すぎる……」


「……」


「僕何が悪かったかなあ天ちゃん!」


「……」


「無視はダメでしょ天ちゃん……」


「瀬古さん、あの人」


「……槙君が、どうしたって?」


「まずい」


「……おっと」


 少女の目は見過ごさなかった。少年の背に纏わりついていた瘴気を。


「やっちゃったねえ」


「……」


「槙君、もう逃げられない、か」


「……わたしの、せい」




 瀬古逸嘉は天の肩に手をかける。




「気に病むことじゃあない。祓ってやればいいだろうさ」


 天は瀬古の手を振り払う。


「行ってくる」


「ああ、いってらっしゃい」




 天は扉を開く。瀬古の目にはその後ろ姿が、風に揺らめくオトギリソウのように見えていた。

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