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【番外編】アダソン兄弟の両親の弔辞

作者: Mac Adason

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)



弔辞

母、父へ


私と弟とともに謹んでお別れの言葉を申し上げます。


この度は母と父が突然亡くなったことに対し、私たちは未だに信じきれず何と言葉にしていいかわかりません。とても悲しい気持ちでいっぱいです。


母と父はFBIを引退し、サイバーサイジング社を経営しそこで偉大な功績を残した上で、顧客会社やアメリカを飛び出し世界中の人々に『大企業の夫妻』の愛称で愛され続けていました。また、いつも私たちに対してはいつも元気で、時には優しく時には厳しく明るかった母と父が、結婚記念のこの年で、また父の家主在位歴35周年という大きな節目を迎えていた中、7月13日の夜に突然の暗殺によって亡くなるとは誰もが思っていもいませんでした。


母と父との生前最後の会話になってしまったのが、亡くなる7月13日朝のリムジンカーでの私たちとのお見送りでした。

その時の父は、「ジェイムズ、マック。お見送りを感謝する。改めてだが、ジェイムズとマックを見ていると立派に育ったと思う。私達の一生の宝物だ。私達が帰ってきたら、一足早いがAIIBSOの創立記念パーティーを開こう。」と私達に会話をしました。

一方母の最後の会話は、「帰ってきたら、私達と一緒にお祝いをしようね。」

という言葉を覚えています。もう母と父の生で温かい会話や笑顔を見られないなんて本当に信じられません。また、世界中の人々からもその姿を見ることもできないのも大変残念でなりません。


亡くなる3日前に国際諜報機関の創立に先立ち、その記念に家族写真を撮りました。あの時にとって私たちはとても印象に残り、大きな新しい一歩を踏み入れたと思いました。しかし私たちは母と父とともに、創立式典を一緒にやると約束したのにも関わらず、このような形になってできなくなってしまうことは非常に残念でしかなりません。


その家族写真を今見返すと私達が生まれてから今までFBI時代から共働きで、仕事と両立させながら母と父が苦労して大切に育てられてきたことがよくわかりました。

私たちが幼い頃は、まだ母も父も共にFBIで働いていたことを覚えています。その頃の私たちは、母と父の当時のFBIの職場に私達を連れて社会見学もさせていただきました。それがきっかけで母と父の背中を見て、将来は続いて立派なFBI捜査官になろうと憧れておりました。

また、母と父がFBIの仕事の時から今までリムジンカーで通勤する際は私たちは、母と父から教わった丁寧な礼儀作法でお見送りをし、「気をつけていってらっしゃいませ」、「おかえりなさいませ」と言って母と父もとても喜んでくれていたことを今でも忘れません。FBI時代に母と父が日本文化の折鶴を教えてくれました。お守りとして生まれて初めて私たちにくれたため、とても感激しました。私たちが社会人になる頃には、母と父はFBIを辞めサイバーサイジング社を起業した時は大変おめでたく感じました。その頃の私たちは、母と父の背中を見て母と父も出た同じフィラデルフィア国際大学で理工学部と経営学部を学び、さらに大学院まで進みました。そして私達の中での1番の思い出は、母と父から出されたサイバーサイジング社の入社試験でした。その倍率が高い試験を母と父のハンデなしで一から受け、サイバーサイジング社に無事就職することができました。そして私たちは、優秀なシステムエンジニアに成長しました。その後私たちも、さらに母と父の背中を見てラスベガスにカジノリゾートを起業させました。その時の母と父は、笑顔で「ジェイムズもマックも立派に育ったね。」と褒め言葉をいただいたことは今でも忘れません。その一方で母と父が、サイバーサイジング社の数々の功績を残し、顧客会社やアメリカの幅を超え世界中の人々に愛されるようになったのも私達にとって憧れでした。そのPR活動の一例として毎年クリスマスや年末年始にはサイバーサイジング社特製のクリスマスツリーをバックにしたりして高級ブランドのコートに身を包みお揃いのバラのマフラーをした母と父が挨拶動画を世界中に配信している姿も大変素敵でした。まさか、去年のクリスマスと年末年始の挨拶も、去年と今年1月でその姿を私達はじめ、世界中の人々が見れなくなるとは思ってもいませんでした。

そして、私達が幼い頃から今まで母と父が生前好きだった薔薇を一緒に育て世界中の別荘やアダソン宮殿で薔薇園や薔薇畑を作り、自然の大切さも知ることもできました。薔薇のグッズも集め薔薇が好きだったことは大変素敵でしたし、母と父らしいと思いました。


私たちが生まれてきてから、これまでの母と父との家族の思い出を振り返ると、母と父の情熱の愛の温かい炎に包まて一緒に過ごしてきたのだと改めて実感しました。母と父の深い情熱の愛と幸せにに包まれて私たちは、ここまで立派にと育つことができました。


母、父、私たちは母と父の息子で良かったと思います。母と父の息子で幸せでした。

今ではもう、母と父と幸せに一緒に過ごす時間は、思い出の中でしか叶わなくなってしまったことに非常に悲しくて涙が止まりません。

私たちも母と父のように笑顔で明るく前向きで温かい人になりたいと思います。私たちは、母と父の事が大好きです。ずっと母と父のことを忘れません。


私達は、母と父の納棺で『母と父には、原点に戻って結婚式当時の綺麗な姿で空は雲1つない晴れ間で時には虹がかかり、風のそよそよした音や小鳥や川の囀りがいつまでも聞こえ、大地はどこまでも広がるそれぞれが好きだった薔薇畑の中で安らかに永眠してもらいたい。』という思いを持って納棺師やエンバーマーの使用人たちにお願いをしました。


母と父ともに『聖ヴェルヘルマン記念墓地公園』のその薔薇畑で安らかにお休み下さい。そしてそこで私達をどうかこれからも永眠しながら応援して見守っていて下さい。これからは、『聖ヴェルヘルマン記念墓地公園』の墓石の前でお話ししたいと思います。今後私たちは、母と父が生前好きだった薔薇を引き継いで育て、サイバーサイジング社を引き継ぎ、国際諜報機関を創立させます。その傍らカジノリゾートと両立させながら母と父の目標を引き継いで私たちが父に継ぐ新たなる14、15代目家主として頑張っていきたいと思います。


母と父に対するサイバーサイジング社の功績や想いはつきませんが、最後に息子として心よりの感謝を捧げたいと思います。


母、父今まで本当にありがとうございました。もう2度と母と父が戻ってこれず、会えないことはとても涙が出るほど悲しいですが、どうか安らかに薔薇畑でゆっくりとお眠り下さい。


以上を持ちまして母と父の哀悼を意を心より表し、弔辞とさせていただきたいと思います。


 遺族・喪主 代表 ジェイムズ・アダソン、マックアダソン

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