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第4話

 起床。人間である以上避けては通れない道。しかし、いや、だからこそ残酷な響きを持つ言葉であり行為である。


 そんな下らないことを半ば()()眠った頭で考えていた俺は、意識がふと浮かぶ一瞬のチャンスを自らの理性と意思とを総動員して何とか掴み、辛くもベッドから出ることに成功した。


 朝食に出たコーヒーを飲んで何とか意識をハッキリとさせた俺は、その時にチノに言われた通りに書室へと向かう。


 その途中で、レリアと見知らぬ妙齢の女性と出くわした。恐らくは、その女性がレリアの教師ということだろう。だが、それにしては、明らかに気怠げだ。その様相が元来の物なのか、それともレリアが勉学に集中していないというようなことが原因なのかは判別できない。


「お話は聞いているかと思いますが、レリアお嬢様との勉強にご一緒させていただくデニスです。失礼ですがお名前を聞いても?」


 敬語なのは、その教師がどんな人物なのかわからないからだ。


「ええ、話はチノさんに聞いています。お嬢様の教育係をしています、キスカです。よろしくお願いします」


 多少気怠そうなところはあるものの、普通に会話ができるようで少し安心した。


 かたやレリアは何とも言えないような顔をして「ええ--!? 私は何も聞いていないのだけれど!」などと騒いでいる。


 無視しても良いが、それだと今後に差し障りがありそうなので、「ま、そういうことだ」と答えておく。


「ところでキスカ先生、勉強とは一体なにをするんですか?」


「私が担当しているのは主に教養などの座学です。デニス君の場合は、基本的なことからと言われていますので、一般的な常識と歴史からでしょうか。……レリアお嬢様の理解度も同時に測っていきたいと思います」


「わかりました」


 と、話をしている間に書室への渡り廊下へと差し掛かった。


 書室は屋敷の本邸とは別の建物になっており、その名の控えめな印象に反して、汗牛充棟といえるほどの蔵書量だ。


 その中の一角に、恐らくいつも使っているのであろう簡素な机や椅子がある。


「2人ともそこに座って待っていてください」


 そう言ってキスカは狭い本棚の間隙を縫って奥へと消えていった。


 彼女が戻ってくるまでの間、思いがけずレリアと2人になってしまった。いわゆる異性に対する感情といったものは全く無い。とはいえ、特に会話もなく、少々気不味い雰囲気ではある。


 先に沈黙を破ったのはレリアだった。


「ねえ、あなたって何処から来たの? 今までなにをしていたの? 何歳なの?」


 質問が多い。それに、考えて質問をしたというよりは、とりあえず口にしてみたという感じだ。だが、そのどれもが大した問題ではない。一番の問題は、そのどれにも答えられないということだ。甚だ遺憾ではあるが、わからないものは答えようがない。


 しかし、ここで馬鹿正直に「記憶喪失なんだ」などと言ったところで、なにも面白味がない。


 故に俺は、「秘密だ」とだけ答えた。


「えー、何よそれ。ちょっとくらい教えてちょうだいよ」


「また今度な」


 思い出せば、という但し書きがつくが。


「それよりも、気になっていたことがあるんだが、チノはなんで汚れた水を飲んだんだ?」


「えっとね、薬草を採りに行った時の話なんだけど、川の魚がみんな死んで浮いていたの。それで、チノが何が原因なのか調べるために、口に川の水をふくんだの。でも、その時一緒にいた私の頭の上に虫が落ちてきて……その時の私の悲鳴にビックリして飲んじゃったんだって」


 もはやどこから突っ込めば良いのか。この話を聞いてまず思ったのは、「お前ら阿保なのか」である。一見してレリアの悲鳴が悪いように思えるが、そもそもなぜ毒の水を口に含んだのか。チノはレリアの親代わりというような話を聞いたが、なるほど、似た者同士に違いない。


「いやしかし、快復してよかったよ。本当」


 それを口にするのが精一杯だった。別に皮肉の意味はない。多分。


「お待たせしました」


 そうこうしている間に本を持った先生が戻ってきた。


「一般的な常識を学ぶといっても、本来ならそういうものは特に教えられるものでもありませんから、どんな本がいいか迷ったんですが……まずはこの国の、ひいてはこの大陸の歴史を題材にした歴史書あたりからやっていきましょうか」


 机の上に置かれたのは『王国史』とだけ表紙に書かれた、なかなか厚いが新しそうな本だった。


 *


 竜と人。縦長の楕円形をしたこの大陸を南北に隔てる《神壁山脈(デウル・テイン)》を境にそれぞれ北と南の支配者として君臨してきた。しかし、竜たちは豊かな南側、すなわち人類側の領域を狙って度々襲撃してきた。竜は強大であり、戦いにおいてその膂力と爪牙は人類にとって非常に脅威だった。


 しかし、それは人類が非力でなされるがままに滅んでいく存在であるということでは無い。人類の武器は、体系化された技術である《命火(テグニス)》を利用した異能と、それを扱う訓練された軍団であった。


 加えて、《神壁山脈(デウル・テイン)》が天をも貫く高さの山々で、それを越えなければ攻めてくることのできない竜達にとっては厄介な障害であり、一方で人類にとっては山越えをしてきて疲弊した竜を叩くというチャンスを生む、人類にとっては非常に有利な要害であったということも、これまで人類が竜を退けてこられた理由の一つである。


 *


 と、ここまでの内容をさらったところで隣から「ガンッ」という頭を机上に打ち付けたような音が聞こえた。否、打ち付けていた。


 言うまでもなくレリアである。所謂寝落ちだろう、少し赤くなった額を押さえながら軽く涙目になっている。


「お嬢様、寝られるには少々早いかと」


 キスカは半ば諦めたような表情で窘める。正直その意見には俺も全面的に同意せざるを得ない。なにせ始まってからまださほど時間は経っていないのだ。まだ『王国史』の導入部分だというのに先が思いやられる。


「だって、もうそのお話は聞いたから知ってるもん」


「復習がてら付き合ってくれよ。俺は初めて聞くんだし、それになかなか面白いじゃないか」


 そう、俺からしたら全て初めて聞く知識なのである。興味が湧くのは当然だ。


「わかりました。でも、ここから少しお話が面白くなるのでもう少し我慢してください」


「はぁい」


「お返事がはしたないですよ。はい、の一言で良いのです」


「はい」


 レリアのせいで一時中断したが、何とか続きを始めることができそうだ。


「じゃあ先生、続きの方をお願いします」


「ええ、次は竜と戦う騎士達の話からですね」


 *


 《神壁山脈(デウル・テイン)》は竜達を疲弊させこそすれ、その侵攻を完全に阻むまでの代物というわけではない。故に人類が竜を退けるには、それだけの武力を持った軍が必要だった。


 ここ、破竜王国コラドーシャは大陸最大の国家であり、擁する兵力もまた最強である。コラドーシャは大陸における人類国家の盟主であり、人類の戦力の要として他国を牽引してきた。


 コラドーシャの軍はいくつかの騎士団によって構成されており、その中でも王国を守護する偉大なる盾と呼び讃えられる《金盾(ロムペンス)騎士団(・イクイティ)》は、王都防衛の任に就く《近衛(レクシディオ)騎士団(・イクイティ)》を凌ぐ規模を持つ。何故ならば、《金盾(ロムペンス)騎士団(・イクイティ)》とは、《神壁山脈(デウル・テイン)》を越えてきた竜と真っ先に戦い、これを殲滅するという大役を担う最前線の騎士団だからである。当然、王国内はおろか、大陸における人類の戦力の中でも最も練度の高い騎士団の1つであり、その士気は非常に高い。その危険性故に、この騎士団での任務に就くことは竜と戦う騎士達にとって非常な名誉であるとされる。


 そんな最高峰の騎士団を束ねるのは、英雄の一族セギス家の当主として名を馳せるレイド・ラー・セギス。俗に言うレイド卿とは彼のことである。


 *


「セギス家? 確かレリア嬢ちゃんの名字はセギスじゃなかったか?」


「そうよ。それに聞いて驚きなさい、レイド卿は私の父よ!」


「そういえば、ヘリエスがフセ爺のことをレイド卿の右腕とか言っていたような気がするな。なるほど、そういうことか」


「え、無視?」


「無視はしてない。ちょっと整理していただけだ」


 俺が大層なところに拾われたのだということはわかった。だが、当主であるレイド卿がここに居ないとはどういうことだろうか。


「先生、レイド卿は今どこにおられるのです?」


「レイド様は普段《金盾城(ロムペンス・アクトム)》にて指揮を執っておられます」


 それもそうか。国防の要である人物がおいそれと前線を離れるわけにもいかないのだろう。


「レリア嬢以外にセギスに名を連ねる方はこの屋敷にはいないので?」


「ええ、ここにおられるのはレリアお嬢様だけです」


 英雄の一族と言われるくらいだ。色々事情はあるのだろうが、娘1人を人里離れた屋敷に置いておいたりするものだろうか。だが、これは聞かない方がいい気がする。誰しも聞かれたく無い過去はあると言うしな。(別に自嘲のつもりは無い)


「キスカ先生〜、あとどのくらいで終わるの?」


 レリアの集中力は、事勉学においては無類の弱さを見せるらしい。


「そうですね、この話がひと段落したら休憩にしましょう。あと少しなので集中して下さいね」


 キスカはもう慣れているのだろう。うまくいなしているように見える。


 *


 竜との戦いがいつも人類にとって有利に進んでいたわけではない。闘竜歴の中で決して少ないとは言えないだけの被害を人類は被っている。中には小国が竜たちに滅ぼされた例もある。もちろん破竜王国コラドーシャをもってしてもその例外ではなく、幾度か王都まで竜の侵入を許した。その様な大規模な竜による被害の発端は力ある竜「竜王」が直接人類側の領域に乗り込んでくることがほとんどである。故に《近衛(レクシディオ)騎士団(・イクイティ)》はその戦闘頻度によらず練度は高く、「慢心せずに備えよ。憎き奴らの牙を届かせてなるものか」との戒めは彼らにとって絶対のものである。


 だが、大陸の面積は非常に広大であり、侵入してきた竜の全てを察知できるわけではない。実際問題として、大挙して攻めてくる竜達によるものよりも、単独または少数で人類側の領域に気付かれずに侵入してきた竜達による被害の方が国民にとっては身近な脅威である。


 その様な竜達に対応するのが遊撃部隊として機動力に優れる《旋風(インペタス)騎士団(・イクイティ)》である。前述の2つの騎士団ほどの規模は無いが、王国の直接管轄する地域のどこにでも直ぐに駆けつけられるようにその戦力は殆どが騎馬兵である。


 とはいえ、いかに機動力に優れる《旋風(インペタス)騎士団(・イクイティ)》でも単独でその全てを守りきることはできない。そのため王国には各地に領土の防衛を担う貴族と、それが統括する騎士団が置かれている。謂わば、その土地の戦力では対応しきれない規模の襲撃に際して投入される切り札が彼らである。


 これらは全てを含めて王国陸軍と呼ばれている。また、これとは別に王国水軍が設立されており、海に面する王都を海竜から守っているが、そもそも海竜の存在自体がここ二百年間確認されておらず、規模は陸軍に劣る。


 *


 完全に集中力が切れたのだろう。レリアは意識こそあるものの、両腕を投げ出して机に突っ伏している。


「先生〜終わった〜?」


「ちょっと長引きましたが、取り敢えずはこのくらいで昼食にして、続きは午後からにしましょうか」


 昼食と聞いた瞬間に体を起こしたレリアだが、午後に続きがあると聞いてまた机に倒れこんだ。


「ええ〜、まだやるの?」


 抗議の声を上げるレリアに対して、キスカは「はい」とだけ答えて黙らせる。やはり扱いは心得ているようだ。


「ところで昼食はどこで摂るんですか?」


「移動するとお嬢様のやる気がもう途絶えてしまいそうなので、ここで摂りましょう。ちょうどこのくらいの時間に運んでもらうことになっています」


 と、そこにガラガラと台車の音が聞こえてきた。多分昼食をここに運んでくる音だろう。


 案の定「失礼します。お食事をお持ちしました」との声とともに給仕さんが2人入ってきた。


 それをレリアは視線だけ動かして見ていたが、その内の1人がチノであることを認めた瞬間ばね仕掛けの機械かの様に、それこそ先ほど昼食と聞いた時以上の勢いで跳ね起きた。


「お嬢様、お勉強は捗っていますか? デニスにわからないことがあったら教えてあげてくださいね?」


 ああ、多分見透かしているんだろうな。と思えるほどには視線が怖い。それをわかっているのか、いないのか、レリアは「ええ当たり前じゃない。それよりも早く食べちゃいましょ」と答えている。まず間違いなく昼食のことしか考えていないな、アレは。


「はぁ」


 チノが嘆息するのも無理からぬことだ。


 このままの空気だと少し気まずいので、少し今日習ったことを絡めて話を振ってみる。


「そういえば先生、貴族はそれぞれ騎士団を持つということでしたが、ここにはいないのですか?」


「ええ、ここは少し特殊でして……。色々理由はあるのですが、ここにはいないのですよ」


「ということは、《旋風(インペタス)騎士団(・イクイティ)》のみが担当しているのですか?」


「一応そういうことになっていますが、ここは大陸でも南側ですし、特殊な立地で竜が嫌う結界が貼ってありますので、まず竜のような脅威が現れることはありません。それに、多くの竜は人が多くいる所を察知して攻撃の対象とする場合が多いので、敢えて人は少なくしているのです。ゲネムのような害獣はいますが、そこは傭兵で間に合いますし」


 竜がいないとはどういうことだ? ついこの間相対したばかりなのだが。その疑念が顔に出たのだろう、チノが俺を見て首を横に振った。喋るなということだろうか。それは良い。だが、口止めをするのが俺だけでいいのかと思いレリアの方を窺うが、予想に反して黙っている。


 その微妙な雰囲気にキスカが首をかしげるが、特にそれに言及することはなかった。


 他にも気になる言葉が出てきたので質問してみる。


「その結界とやらは何なんですか?」


「竜の平衡感覚を乱す、もっと言えば竜の《命火(テグニス)》の錬成を阻害する特殊な波動を発する装置のことです。まだ試作の域を出ていない代物ではありますが、十分な効果は見込めます。範囲は狭いのですが、この屋敷を覆うくらい訳はありませんし、影響を及ぼす範囲もそれなりです」


「ここの結界装置は王都にもまだ無いのよ」


 レリアが自慢げに胸を張る。


「お父様が私のために作ってくださったんだから!」


 どうにも話がわからなくなってきた。レリアのための結界をレイド卿が用意したということか。ここまではわかるが、なんのために? 竜がほとんど現れることのない大陸の南側なのにそこまでする意味はあるのか?しかし実際には竜に襲われたレリア。レイド卿の備えは正解だったのかもしれないが、そこに何があるのだろうか。


 導き出された仮説を、しかし俺はそれを口にすることを刹那躊躇する。だが結局は好奇心が勝った。


「ひょっとしてだが……、レリア嬢ちゃんは竜に狙われやすいとか……?」


 その場の空気が張り詰める。だが意外にもその一瞬の煩いような沈黙を断ち切ったのはレリアだった。


「そうよ。私は、幼い“セギス”だから。今は竜を屠る牙を持たない雛なのよ」


 先ほどの面倒臭そうな態度から一変して、レリアの目に宿る光は強く、そして儚げだった。


「別に隠すつもりもなかったのだけれど、気づくのが思っていたのよりも早くて少し驚いたわ」


「ということは、()()()のことも含めて教えて貰えると?」


「ええ、隠すつもりはないと言ったわよ。チノ、良いでしょ?」


「はい。お嬢様が良いと仰るなら」

 

この時既にレリアに軽く気圧されていた俺だが、この程度は序の口だった。


「なんだか……さっきまでとは打って変わって雰囲気が変わったな」


何気なく言った冗談だったが、レリアが軽く笑ったのみ。キスカに至っては、その手を額にあてて嘆息している。


「私のことを馬鹿だとでも思っていたのでしょうけど、お生憎さまね。私は勉強ができないのではないわ。嫌いなだけよ」


確かにそうなのかもしれない。現に、先ほどまでの間の抜けたような様子は見られず、その目には確かな知性が齎す落ち着きがある。


「まぁでも、さっきの私が演技であるとは言わないけどね。それで、急な話になっちゃったけど、本題に入るわ。でもまずそれにはセギス家の歴史から入ろうかしら」


そう言われて俺は、自然と居住まいを正した。


「食事の後でね」


椅子から滑り落ちた俺を一体誰が責め立てられようか。






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