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華散らしの月照雨

 細い鋏《はさみ》がぱつんと花の頚《くび》を落とした。

 ようやっと膨らみはじめ、明朝(あくるあさ)には咲くかとおもわれた芍薬(しゃくやく)の莟(つぼみ)だった。


「なぜ、摘むのです、華師(はなし)」


 私が非難めいた声をあげれば、華師は面倒そうに振りかえった。灯籠のあかりがさっと彼のこけた頬をかすめる。


「摘花《てきか》だよ。最良の莟だけを残して、他は摘む。そうすれば、一等いい華だけが咲き誇る」


「可哀想だとは想わないのですか。その莟だって懸命に咲こうとしていたのに」


「花なんかどうせ、咲いても散るだけじゃねエか。莟のうちに落ちるのとなにが違うってンだ」


 花を扱う際の細やかさからは想像もつかない、訛(なま)りのある乱雑な口調で華師(はなし)はいった。私も拗ねながらいいかえす。


「……違います。望みどおりに咲きみだれてから散るのと、願いを遂げられずに散らされるのとでは、違います」


「そういうものかねィ、俺にはトンと理解できないが……」


 彼は口の端(は)をゆがめて、あア、といった。


「お嬢がいうなら、そうなンだろうな。華師といってもヒトはヒト、花の考えてるコトなんか解りゃしねェが……アンタは《華》だからな」


 紅で濡れた唇をかみ締めて、私は想わず軒につるされた鏡に視線をむけた――そこには縁側に腰掛けた姑娘《むすめ》が映っていた。笄年《けいねん》を迎えてもまだ幼けなさの抜けきらない円(まる)みを帯びた瞳に紅のそぐわぬ唇。襦裙《きもの》のはだけた胸もとからは、細い蔓が延びていた。肩を締めつけ、腕に絡んだ蔓の先端からは、うす紫を帯びた白藤(しらふじ)の花房(はなぶさ)が垂れている。


 華咲《はなさき》。

 伝承によれば、私のような姑娘(むすめ)が百年に一度産まれ、散らしたものに不老を与えるという。

 華咲には産まれたその時から華師(はなし)がつく。この身に根づいた華が枯れることのないよう、育てあげるのが華師の役割だ。五歳までは女の華師がついていたが不幸があり、彼が後任となった。

 華咲は花の蜜と草の露だけを飲んで育つ。花が絶えぬよう庭を維持し、毎朝蜜を、晩には夜露を採取するのが彼の仕事だった。だからこの狭い庭には三百種もの花が植えられている。後は呪《まじな》い。鏡を軒に提(さ)げるのも、華を護るためだという。


「……私は綺麗に咲き誇るのでしょうね」

「当然だ。俺が育てたンだからな。これまで咲いたどんな華よりも奇麗に咲き誇るにきまってる」


 誇らしげに華師は笑った。

 彼は而立《じりつ》(三十(さんじゅう))をとうに過ぎたというのに、笑うと何処か孩子《こども》じみた幼さが漂う。

 その笑顔がどれほどに私の胸を抉(えぐ)るか、貴男は知らないのだろう。


 藤はひとつ、ふたつと蝶が羽搏(はばた)くようにその葩《はなびら》を拡げはじめていた。まもなく咲き誇るだろう。だから明朝(みょうちょう)には私は帝のもとに嫁がなければならない。華咲は帝に謹呈されるためにいる。帝は華咲を娶(めと)り、散らすことで不老になる――昔、一度だけ華咲を散らさなかった皇帝がいたというが、ほんとうのところはわからない。


 嫁ぐ。娶る。なんて耳障りのいい言葉だろうか。

 華咲は散れば、死を迎える。たった一度咲いて、散るためだけの華だからだ。たったひと晩だけの契りを、嫁ぐというなんて、大人はずるい。


 散るならば。散らされるのならば。


「ねえ、華師。"それ"は摘まないのですか」


 最も豪華な芍薬の莟を指させば、彼は毒気を抜かれたように表情を崩す。


「これを咲かせるために他を摘んだってのに、摘むわけが」


「摘んでよ」


 華師はそれがなにを示唆しているのか、理解したらしい。瞳を見張っては、また細め、何度かそれを繰りかえしてから真剣なまなざしになった。


「俺なんかにゃ摘めねェよ」


「……摘みなさい」


「それに、まだ咲いてない。咲き誇らずに摘まれる華は哀れだってェいったのはアンタだろう」


 私は縁側から腰をあげ、扎敷《ざしき》の障子をひと息に滑らせた。扎敷のなかには異境から取り寄せた青畳が敷かれている。他はがらんどうだ。私の物は全部、処分された――最後は、華師たる彼だけだ。


 はだけていた襦裙《きもの》を床に落とす。胸から腕、腰にまとわりついた藤がいっせいに弾け、咲き誇る。前触れもなく吹きつけた風が藤を掻き紊《みだ》す。紫が戦《そよ》ぎ、乱舞する。噎(む)せかえるような花の馨《か》が扎敷に満ちた。


「いま、咲きましたよ」


 散ると知ってもなお、咲き誇る華の望みは、ひとつだけだ。


 愛するひとに摘まれたい。

 いつからだろうか。私は愛した。華を扱う節くれだった指を。育ちの悪さがうかがえる喋りかたと、喋るときに口の端をゆがめるくせを。奇麗に育っていく私を、哀れむまなざしを。服には煙草のにおいがしみついているのに、わたしがいるときはぜったいに火をつけない心遣いを。


「……俺は」


 喉をごくりとひきつるように動かして。


「偶(たま)に、華が恐ろしい。育てた俺が、ぞっとするほど奇麗に咲きやがる」


 月があるのに、ほつほつと雨が降りだす。ああ、月照雨《そばえ》だ。

 彼は濡れた珠砂利(たまじゃり)に鋏(はさみ)を放りなげ、縁側にあがると膝をついた。膝頭(ひざがしら)をついたままで障子の閾《しきい》を跨いで、にじり寄る。


「……いいのか」


 私は愛するひとにむかって腕を伸ばし、微笑みかけた。


「貴男がいい。……摘んで」



        ――  ―― ✿ ――  ――

 


 華は、朝を俟(ま)たずに散った。

 後には扎敷《ざしき》を埋めつくすほどの藤の花と葩《はなびら》の褥(しとね)に横たわり眠るように息絶えた愛しい女の骸が残される。


 彼女は最後にいった。



 いつか、季節が循(めぐ)って、咲きかえることができたら。

 そのときは、また。



「悪ィな、俟《ま》てねェよ」


 帝に納めるはずの華咲を摘んだことが知られれば、命はない。彼女の転生(うまれかわり)を俟つことはできなかった。彼女はそんなこと、考えもしなかっただろうが。


 でもいい。後悔はなかった。

 はじめて逢ったとき、お嬢は五歳だった。俺は二十歳になって庭師だった大爺の跡をついだばかりで、ああ、花魄《かはく》ってェのはこれかと想ったンだった。花魄の誘いについてったらなんねえと大爺はいった。

 奇麗なモンは怖いぞと。

 知ったことか。こんなに綺麗に咲かせたンだ。帝になんか、やるものか。


 枝を掃(はら)うための鉈(なた)を取りだし、ためらいなく自身の腹に突き刺す。


「――ああ、そうか。これがそういうことか」


 望んだ華を抱いて死ぬのと、華を諦め、老いさらばえてから死ぬのとでは、確かに違うな。いきつくさきは、同じでも。


「だいじょうぶだ。すぐに逢いにいく」


 青ざめた女の頬に赤い指の痕をつける。指は頬からすべり、喉もとをくだる。


 ……ほおら、摘んだ。

 これは、俺の華だ。

 お読みいただき、御礼申しあげます。

 ひとまず完結となります。

 また、華咲のような人物が登場する中華風長編小説《後宮食医の薬膳帖 ~疎まれ廃姫は毒を喰らいて華と為す》も現在投稿中です。

 宜しければ、こちらもご覧いただければ嬉しいです。

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後宮食医の薬膳帖 ~疎まれ廃姫は毒を喰らいて華と為す
現在「小説家になろう」にて後宮を舞台にしたグルメあり!推理あり!の中華ファンタジー小説の連載をしています!
こちらにもご訪問いただければ嬉しいです!
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