第七話
「見てくださいよはるかちゃん。これキノコですよね」
つぐむが手に取ったのはかさの大きな朱色のキノコだった。
どこにでもありそうな至って普通のキノコではあったが、つぐむたちにとっては図鑑でしか見たことのない物珍しい代物だった。
「ホントだな……これとか絶対やばいだろ」
はるかが持ってきたキノコは毒々しい緑色と青色の斑点でまだらに覆われた異質な波動を放っているキノコだった。
「って! そ、それはやばすぎるでしょう! 捨ててくださいよもー間違っても食……」
「ふぇ? 何?」
「言ったそばから食べてるし‼︎」
「もぐもぐもぐもぐごっくん。え? 別に? 食べてないぞげぷ」
満足そうにはるかは丸いお腹をぽんぽんと叩いていた。
「…………そのリアクションを取って『食べなかった』と信じる人間なんていませんよ。ダメですよやばそうなの食べたら……もし何か変化でも起きたら……」
つぐむがそう言った瞬間、突然はるかの肉体が膨張してゆき、幼児の肉体には似つかわしくない程の筋肉が発達していった。
「なんかムキムキになったぁーっ‼︎」
「ん? もしかして昨日やった筋トレの成果でたかな?」
「いや! いくらなんでも効果出るのが早すぎるでしょ! ボディービルダーもびっくりの成長速度じゃないですかそれ!」
「ほら、幼稚園児付近の年代ってさ、ゴールデンエイジとかいって身体能力とか運動能力が目に見えて著しく伸びる時期やん?」
「それ、5歳から12歳にかけてのわずかな期間ですし……はるかちゃんはまだ年中の4歳さんでしょう。というか仮にゴールデンエイジだったとしても急成長が過ぎますよ! 直前に食った変なキノコのせいですって絶対!」
つぐむの仮説を裏付けるように、一瞬でパンパンに膨れ上がった筋肉は、空気の抜けた風船のようにみるみるうちに萎んでいき、最終的に元の子供らしいはるか本来の小さな肉体に戻っていった。
「進化も早けりゃ劣化も早いんだな……」
「だからキノコの副作用ですってば。今後おかしなの見つけても食べちゃダメですからね」
「オッケー、オッケー」
仮初の筋肉を失ったはるかは、元気そうに答えた。
キノコの森を歩きながら彼女は画用紙とクレヨンを取り出した。
「さっきのはムキムキノコと名付けよう。その旨をここに記す」
「……どっから持ってきたんですかそれ……昨日までは無かったじゃないですか」
「いやいざと言うときはこれ売り払って賃金の足しにでもしようかと密かに隠し持ってたんだがな。図鑑にして売った方が付加価値つきそうで」
「結局売るんですね」
「世の中最後に自分を助けてくれるのは金と知恵だからな」
「園児が身も蓋もない事を‼︎」
「あと多少の見た目だな。金・知恵・見た目。これで世界の七割は回れたも同然だぜ。ちなみに残りの三割は力な」
えげつない価値観のはるかの発言を耳に重く受け止めて、つぐむは先へ進んで行った。
しかし進めば進むほどキノコの森は出口のないキノコの迷宮ともいうべき辺り一面キノコだらけのキノコ世界になって、つぐむたちをますます誘っていた。
やがてはるかが痺れを切らしたようにその場に勢いよく座り込む。
「どうしたんですかはるかちゃん」
「腹減った……何か食いもんないか……?」
「珍しいですね。そんなにも早く空腹が訪れるなんて……。ええー。でもでも周り全部得体の知れないキノコの山なので、うっかり食べちゃったら大変な事に……」
「大変だよな〜……くっちゃくっちゃくっちゃ」
「言ったはしから‼︎」
くちゃくちゃと下品な咀嚼音を立てながら、その辺にあるキノコというキノコを手当たり次第引き抜いていき、飲み込む前に口の中に放り込んでいった。
「これなんか良さげじゃね? 見ろよ色もツヤツヤ。肌触りも滑らか。色なんかどキツイパープル」
つぐむの忠告にもはるかは我関せず手元の怪しげなキノコを丸呑みした。
すると今度は、はるかの頭に小さなキノコがぽんっと生えてきた。
「あああ! なんか生えてる‼︎」
「なんだよ人の顔じろじろと見回してからに」
「キノコですよ! はるかちゃんの頭にキノコが生えてるんですってば‼︎」
胡散臭い話でも聞き流すように気怠そうに頭を撫でたはるかは、ついさきほど生えてきたキノコの存在に気づいた。
「見るからにやばそうなのは食べちゃダメですってば!」
「頭からキノコ生えてくるだけだし、大丈夫だって多分」
そうして一通りキノコの森をかき荒らし、腹ごしらえも済ませたはるかは満足そうに腹を撫でて冒険を再開した。
その十分後に差し掛かる頃。
「キノコが栄養吸って……げふ」
「言わんこっちゃない‼︎」
はるかの頭に生えてきたキノコは、既にはるかの小さな頭を飛び越して人間1人分にまで匹敵する程のサイズになって、はるかの頭上から垂れ下がっていた。
キノコから栄養が頭から吸われているようで、吸い尽くされているはるかの皮膚は骨と皮だけの人間のように、げっそりと痩せてしまっていた。
「下手に引き抜く訳にもいきませんし……どうしましょう。このまま死にませんよね?」
「大丈夫大丈夫」
はるかは砂漠を小一時間水無しで歩き回ってカラカラに枯れ果てた旅人のしゃがれ声を上げた。
その様子に欠片も大丈夫さを見出せなかったつぐむは不安に顔色を埋め尽くしていた。
頭部のキノコを根本から掴むと、それを引き抜こうとしてはるかは勢いよく引きちぎらんとして引っ張った。
「んぎぎぎぎぎぎいいいいいいっ‼︎」
「ちょ、だからそれ無理に引き抜かない方がいいんじゃないですか?」
「じゃ、じゃあ……」
引き抜く事を禁止されたはるかは頭を何度も樹木に打ちつけていた。
「押し潰すのもダメですよ! 壊そうとする系は全般基本NGですって!」
「じゃあどうすりゃいいんだよ……」
はるかの言う通り、今のつぐむたちには人間の頭部からキノコが生えてくるという珍事を解決する手段なんてなかった。
どうにもすることはできない。ただ黙って待ち続けるしかなかった。
これ以上酷くならないように刺激したり活動を活発にしたりしないようにする対症療法しかできなかった。
そうしている事早30分が経過しただろう。
つぐむはふいに見つめたはるかの変化に腰を抜かした。
「ユグドラシルみてーなのになった」
「何をどう間違ったらそんな進化に⁉︎」
はるかのキノコはとうとう一匹の巨大な竜へと変貌していた。
その最早キノコと呼ぶのは適切ではない姿は、この場のあらゆるものを以ってもかき消すことのできない威圧感を放って空間を支配していた。
「これが巷で噂の放置系RPGかー」
「放置系でももうちょっと課金しますってこのレベル! 育成RPGでもなかなかないですよ⁈」
はるかの方は何故か吸い取られ尽くしたはずのカラカラの身体から復活しており、そのはるかに寄生虫のように栄養を吸い取っていたキノコは、一つの生物の個体として彼女の頭上で低く唸っていた。
《我こそはユグドラシルなり……》
「なんか語りだしましたよこのキノコ」
「テキトーに喋らせとこうぜ」
自身をユグドラシルだと名乗った巨龍は荘厳な白い立髪を風になびかせながら、より矮小な児童たちに語りかけていた。
《いと幼き人間の童よ。其方の生命エネルギーを吸収させてもらううちに、我は単なるキノコとしての生より流転し、世界樹龍へと個としての昇華を果たしたようだ……。さぁ――今こそ願えよ。余は其方に与えられた恩をここで果たすとしようぞ。それこそがきっと我がこの地で生を受けた定めなのだから》
「なんつってんだこのドラゴン」
厳格で懸命な龍の説明も虚しく、はるかは涎を垂らしながらその話を右から左へ流しているばかりだった。
「要するに自分をここまで育ててくれたお礼がしたいんですって」
そんな哀れなドラゴンの話をつぐむは簡潔に、且つはるかに分かりやすく説明した。
《然様》
ドラゴンはつぐむの説明に頷くように角ごと頭を傾けた。
「マジか。じゃあじゃあ空とか飛んでその辺の集落に連れて行ってくれよ」
《其れが望みであるならば――》
そう言うとはるかの頭に生えた元キノコ・ユグドラシルは硬質の顎をつぐむの元へ突き出した。
その意味を察した彼女は、よちよちと遊具に乗る時と同様にして龍の顔部分に身を乗り出した。
鼻付近に存在する飛び出した硬い鱗をぎゅっと手のひらで落ちないようにしがみついた。
《征くぞ》
ドラゴンは蹄に力を込めて飛び立つと、一面に大きな一陣の大嵐を巻き起こした。
森の木々や木の葉が踊るよう飛ぶように舞い上がり、竜巻に身を投じながらドラゴンは空を突き抜けて行った。
「うわわわ〜‼︎ とととと、飛んでるぅ〜‼︎」
初めつぐむは恐くてドラゴンにしがみついて目を瞑っていただけだったが、慣れてくると徐々にその閉じ切った瞼を開き始めた。
雲の上に広がる景色は絶景そのもので、空なんてまだ飛んだことのないつぐむには全てが新しい新鮮な世界だった。
ふと下を見下ろしてみると、あんなにも大きな森であった場所が俯瞰して小さく見えていた。
一方ではるかも自身が生やし切ったドラゴンにぶら下がりながら、その景色を堪能していた。
時折通過する雲の中に顔を半分埋めて、面白そうにはしゃいでいると、陽の光が瞳に入り込んだので眩しさでしばらく目が開けられなかった。
《此処でよろしいだろうか》
ドラゴンは目的地らしき小さな集落を発見すると、雄大な翼を折り畳み、その場所に向けて急降下していった。
「うひゃあああっ‼︎ やっぱそーっと! そーっとお願いしますドラゴンさんんん!」
「つぐむ!」
「何ですかはるかちゃん!」
「ドラゴンじゃなくてユグドラシルな!」
「今そこ気にするところですか‼︎」
その余りの下降の勢いで、舌ごと噛み切って地面に激突するかと覚悟していたつぐむだったが幸いにも龍の着地は穏やか極まりないもので、傷一つ負う事なく両者は再び地上に降り立った。
《では……此処でお別れだ》
地に足着けた龍は次第にその巨大な肉体を風化させていった。
「どうしたんですかドラゴンさん」
《我はこの者の生命を頂いて誕生した存在……故にこの者から生命を貰わなくなった今、我の存在を保つ手段は無い……。短い間ではあったが、我をここまで育て上げてくれた事感謝する》
そう告げたドラゴンは完全なる白い灰となってはるかの頭上から姿を消した。
「ドラゴンさん……」
「ありがとな! また来いよ!」
「いやもう現れないでしょう。もっかいキノコ食べないと。っていうかだからヤバすぎるキノコに手を出しちゃダメですってば」
そうしてつぐむとはるかは、バス代わりに降りたドラゴンでどうにかして人の住む集落に訪れる事となった。
本日の教訓
〜きのこに安易に手を出すとロクな目に遭わない〜
「どんな教訓ですか!」
NEXT EPISODE >>> 『聖女えんかうんたあ』